①毎週土曜日と彼。

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①毎週土曜日と彼。

 揺れる電車の中。あの日とは違って見える外を眺めながら花菜はいた。  絡まる線がなくなったイヤホンから聞こえるのは、旅番組に出てからいなくなった歌手のもの。SNSやテレビで何度も繰り返し蒸発したと発信していたけれど、今はもうそれを気にすることもなく、やれあの芸能人が結婚だ浮気だ新たなことを教えてくれる。 (まぁ、そのまま存在すら忘れてもらえたらいいのかもしれない)  事件に巻き込まれていたら大変だが、自分から姿を消したのならばそうあって欲しいだろう。メディアに出てしまったが故に周囲から絶え間なく見られるのだから、そりゃ逃げたくもなるに違いない。いや、それが仕事だし分かっていて歌手になったのだろうと言われればそれまでなのだけれど。  ガタンゴトン、と身体が少しだけ跳ねる。それでもいつも乗る電車よりも静かに走るのはカーブも全くなく、そしてとにかく直線だからだ。それが分かったのはあの日の帰るときだった。  窓の外なんて見ても見なくても変わらないと思っていたけれど、案外情報が詰まっているのだと初めて知った。 「~~~~、~~~~」  しかし相変わらず何て言っているか分からないアナウンス。だが駅名だけは聞き取れるようになった花菜は立ち上がり、開くドアの前へ。そしてまたブレーキを大して感じないまま浮島駅(花菜命名)に降り立った。  掠れた駅名の写メはもう捨ててしまった。覚えたのだからもう必要ない。否、それ以上にそのさびれ具合がホラー映画に似たよったものに感じて怖かったからだ。  花菜は歩き出し、もう慣れたと横にICカードを素早く当ててまたカバンに仕舞う。まだ朝早い時間だが、花菜の他にも数名いて、同じように慣れた仕草で改札口を通り過ぎた。  迷うこと無く足を進める。スマホもすでにサイレントモードで、ログインだけのままのゲームから催促に邪魔はさせない。  相変わらず静かな草花に囲まれた道を歩き、あの日叫んだ場所へ行けば。 「おはよ。お疲れさん」 「ん。おはよう」  あの金髪の彼が同じ格好でいた。 『シャワーとかは我慢しろよ。女なんだから』  そう言われて、そうか相手は男だったとようやく意識したのと同時に、女だからシャワーを浴びたいのではないのかと思ったりもした。  しかし案内された地味なアパートと、開いた玄関のすぐ横にあるキッチンに立つ彼を見ていたら、そういうことは一切ないなと思えるほど、静かな空間だった。  聞こえるのは料理をする音と、鼻歌。確かに朝食に誘われたのだから何かを作っているのは当たり前なのだが、ここら辺で座っていろとか、何かお茶を出すとか、そういうことも全くなく『はい、ただいま』と言ったかと思えばそのまま手を洗って料理を始めてしまったのだから、しばらく玄関で立ったままになってしまった。  そこで何か思いついたように言ったのがシャワーうんぬん。こっちは別に自分の汚れを気にして立ち尽くしているわけじゃないと言いたかったのを我慢し、もう適当でいいかと花菜は『お邪魔します』と部屋に上がった。そして小さなテーブルの前に座っているわけである。  案外平気だと思っていた潮だが、こう落ち着くと思っていた以上に髪の毛はべたついていた。  電子レンジで温めた濡れタオルが欲しかったが、朝食をいただくのだ。そこまで我儘を言える立場では無い。花菜は彼の上手すぎる鼻歌を聴きながらただ黙って座っていた。 「はい、おまちどうさん」  初めて来たときと同じように座っていると、コトンとお皿が置かれる。  おぼんを片手に次々と並べられていくそれは、海ならではというアジの開きに、レタスとプチトマト。味噌汁と白いご飯。そして定番の少し味の濃い卵焼きだ。  実家ではいつも甘い卵焼きなため、初めて食べた時は新鮮で、そしてとても美味しい。実は花菜のお気に入りである。 「ほら、お茶」  キッチンに戻り、次におぼんに乗せてきたのはコップ。お茶と牛乳だ。 「え、ありがとう」  どうやら前回食べ終わった後になんとなく話した『いつも私はお茶を飲む』を覚えてくれていたらしい。 「ったく。朝に牛乳飲まないでいつ飲むんだ」  ムスッとした表情はまるで子供のようで、そしてその言葉もまた幼いそれだ。それに笑い半分呆れ半分で花菜は言った。 「いや、毎日飲まないといけないわけじゃないから」 「まぁそうだけどよ」  それでも彼の表情が晴れない。そこまで固執することかと今度こそ呆れてしまう。まるで目玉焼きに何をかけるかで揉める漫画かと思ってしまうけれど、それでも何気なく言ったことを覚えてくれていたのは素直に嬉しい。 「覚えててくれてありがとう」 「お礼はさっき言ってもらった」 「・・・・・・・・・・・・」  自分の方に牛乳を置いて座る。全員が金髪なら不良というわけではないけれど、この人は捻くれているから金髪ピアスなのだろうと思ってしまうのは許して欲しい。  笑顔の下でピシッと怒りマークが浮かんだが、「んじゃあ、食うぞ」の言葉にそれは一瞬で消えた。 「はーい」  もう慣れたように手を合わせる。いや、実際慣れたのだ。初めて一緒に食べた日、彼を真似てから今日まで繰り返しているのだから。 「それじゃあ――――」 「「いただきます」」  小さく頭を下げることも忘れない。では食べようと手を動かしたところで、「「あ」」と、また二人の声が重なった。 「箸忘れた」  彼はさっと立ち上がり、キッチンへ。「ん~~」と悔しがるような声を上げていたけれど、いつの間にかハーモニーのようになっている。 「ほら」 「ありがと」  渡された箸。なんとなく再度「いただきます」と頭を下げてからお味噌汁に手をつけた。どうやら今日はわかめのお味噌汁のようだ。 「ねぇ」 「ん?」 「歌、好きなの?」  同じように味噌汁を飲んでいた彼に聞く。  初めて会った時に歌をうたってくれた。それが上手いのか下手なのか、専門的ことは分からないけれど、素人の自分が聞いてもすごく美しく、すごく心地よかった。何かのプロなのかなと思うけれど、そこまで首を突っ込むつもりはない。  でも少しでも時間があれば鼻歌をうたっているから、多分歌は好きなんじゃないだろうか。  そう思って訊ねたのだが、彼は先程まで静かに飲んでいた味噌汁を、突然わざとらしくズズズと音を立ててお椀から口を外した。 「まぁまぁ」  そう答えた彼の表情は普通。彼の中で“まぁまぁ”は最上級の分類に入るのだろうか。分からないけれど花菜はそのまま話を続けた。 「上手いよね、歌」 「まぁな」 「・・・・・・・・・・・・」  確かに上手いのだが、日本人ならばそこは謙遜するのではないのかと思わなくもない。でも逆に聞いて欲しくないことだったのかもしれないと不安になったが、少しだけ微笑んでいた彼に花菜もホッと小さく微笑んで、ヘタがすでに取れているプチトマトを器用に箸で取った。 「お前は?」 「ん? なに?」  しばらくし、次はアジの骨を取っていると彼に問われる。 「お前はもう叫ばなくていいのか?」  その質問に視線を向ければ、卵焼きを切り分けている最中。しかしこちらの視線に気が付いたようで、出会った日と同じように視線を交えた。 「うーん、そうだなぁ」  それを瞬きをしたあとに逸らし、「いいかな」と無意味にお味噌汁を箸で掻き混ぜた。 「なんか、叫ぶのも疲れるしね」 「・・・・・・そっか」  こちらを見ていた視線が無くなる。それでもどこか居心地の悪さを感じた。別に痛いところを突かれたわけでもあるまいに。それでもどこか空気が冷たくなるような気がして、まだ温かいそれを飲めば、彼は「まぁいいんじゃないか?」と笑って牛乳を飲んだ。 「あんな風に叫んでたら喉痛いだろ」 「声もガラガラになるし」と彼は続け、そして「いいんだよ」とこちらを見る。 「喉が痛むから叫ばなくて懸命だ」 「・・・・・・・・・・・・」  なんてことないように言われる。それにパチパチと瞬きを花菜はした。どうやら冷える感覚があったのは自分だけらしい。 「そっか」  それに頷いて、「そうだよね」とお茶を取る。ゆっくり、まるで喉を労るように飲めば「でもな」とまだこちらを向いていた視線が少しだけ痛くなった。 「朝メシには牛乳だと思うぞ俺は」 「いや、そう思ってるのは貴方だけだから」  この人は優しいのか、それとも空気が読めないだけなのか、その両方なのか。どちらにしてもよく分からない人だった。 『また来れば?』 『また来てもいいの?』  あの出会った日の帰り。朝食を共にしたあの日にそんな言葉を交わしてから、毎週土曜日の朝に一緒に朝食を取るようになった。  早朝にあの電車に乗って行けば、あの場所で彼はいつも待っている。そして作り置きしておいたものではなく、花菜が来てから朝食を作ってくれて、大した内容でもない適当なことを話ながら食べた。  カレンダー的には春だけれどまだ寒いとか、それでも雪がなければもう春に感じるだとか。本当に他愛ない話。それでも静かな部屋の中でポツポツと話すそれはどこか心地よくて、満員電車とか会社とか、そういうものなんてこの世にないのではないかと思ってしまうほど、気持ちのいい静寂だった。 (テレビが無いからかな)  そういえば見る限りテレビが見当たらない。けれど最近はスマホひとつで情報が流れてくる時代だ。テレビがなくても何も不自由ないだろう。  彼が食べ終えた皿を洗ってくれている間――洗うのを手伝うと言ったら断られた――部屋を見渡してそう思っていると突然彼は元々その予定だったと言わんばかりに言った。 『散歩でもすっか』 『・・・・・・散歩?』  この後どうするかなんて考えていなかった花菜は、彼の言葉を理解するのに少しだけ時間が掛かった。 『あ、散歩』  なるほど散歩。  花菜がうんうんと頷けば、皿を洗っていた水を止めた彼が顔を横向きにしながらこちらを見つめていた。そして『あー、そうか』と濡れた手をそのままに、狭いリビングに置いてある棚からタオルを取り出し、また水を流した。 『悪い、この手があった』  そして持って来たタオルを濡らし、手早くラップをしてレンジへ。朝食を経て、どうすればよかったのか思いついたのだろう。こちらが言わないでいた蒸しタオルを用意してくれるようだ。 『いや、えっと、むしろありがとう』  今更とは思わず素直にありがたい。しかし彼の表情は晴れなかった。 『遠慮せずに言ってくれていいから』 『う、ん』  先程の散歩よりもぎこちなく頷く。自分でも分からないがなぜか最初から敬語は抜けていたけれど、人として最低限のマナーというか、遠慮は忘れないでおきたい。しかも今日出会った相手にそこまで強請るのは何様か。  だがそんな花菜が彼は気に入らなかったようで、ピーピー! と電子レンジの音が響いたかと思えば、熱々の湯気が見えるそれを『ほら熱いからな』と不機嫌な声で投げられたのだから、もう遠慮はしないと本気で思った。
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