5/9
前へ
/323ページ
次へ
 決定的なことが起きた。  何を決定するのかわからぬままに。兎も角、決定的な、衝撃だった。  あの日の俺は常よりも早く帰宅した。  廼宇に会いたくて仕方なかった。  以前とは異なる気を感じつつも、近頃の廼宇は俺が触れたならば敏感だった。廼宇を敏感にして、安心を得たい。そういう日だったのだ。  しかし屋敷に戻れば、雨華が『今日は廼宇様は遅くなるので夕餉も不要と伺っております』などと言う。  廼宇の戻りは実際にかなり遅かった。待ちかね過ぎた俺は、玄関より入りたての廼宇に歩み寄り抱きついた。 「よう帰った」 「……ただいま戻りました。お迎えなどと恐れ入ります」  ……穏やかに告げる廼宇の髪から、気になる香がする。  そのまま顔を下にずらし廼宇の肩に、そして首元に唇を寄せた。ふるりと身体を震わせる廼宇の首から立つ、香草と白粉の混ざるこれは。  俺には明白なる香りだ。 「……妓館に行ったのか」  廼宇はしばし黙り込んだ。そして答えた。 「はい」 「何をしに」 「何とは。妓館ですることはひとつです。私も男でございますれば」  俺は信じぬ。  西中都ではともかく、今の廼宇が妓館遊びをするなどと。 「め、珍しいではないか。それにあの事件の折にも、妓館に出入りしながら妓女には指圧を施しただけだとか」 「あの妓館は悪の巣窟、妓女はかどわかされた者でございます。さような気にはなりませぬ」  確かに、医院にいた折もそう言っていた。けれど俺は勝手に信じたのだ。廼宇が誰かを抱くわけがない。廼宇のその手が女の股など弄るわけがない、と。
/323ページ

最初のコメントを投稿しよう!

183人が本棚に入れています
本棚に追加