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甘美
俺と廼宇の艶めかしき日常が戻って、数日。
……今宵の廼宇は、どうも常とは異なるようだ。
いつにも増して色のある眼差し、誘うように放つ甘く柔らかな気。
久方ぶりに真っ当なる権利にて早めに帰宅し湯浴みをし、夕餉を済ませて廼宇の部屋で寛ぐ、このひととき。
二人して椅子に腰かけ香茶を楽しむうちに、俺にじっくりとその怪しげなる目線を当てた廼宇が、言った。
「馬 清婁」
………………ん?
な、なぜに。この下腹の温もる心地良き折に、なぜにその名を聞かねばならんのだ。
あのひと月、廼宇の突然の消失で俺の気が狂いそうに否、半ば狂っていた間じゅうの廼宇を独占していたあの女。
……馬清婁。
廼宇には教えずいるが。廼宇自身も、気づかぬうちに目にしたはずだが。
実は俺は、以前から彼女の名を知っていた。
あの紙束にあったのだ。ババアが持ち来た略釣書。
このうちから相手を廼宇に選ばせろ、と言われたままに総務の鍵付き棚に放置した。
が。……実は時折、ひとりで見た。
己の内に暗き思いの泡を湧かせつつ。
女こそが廼宇に好かれる前提であるべきか。俺は廼宇に何をもたらし何を奪うのか。ざわめく胸を押さえながら幾度もめくった、悔しくも羨ましき思いで眺めた、そのうちの一人であった。
似顔絵など荒いもの、薫布で会った折には全く分からなかった。だが元怜の報告により名が明らかとなり、そして全てがつながったのだ。
情報流しで捕縛した絵師。元怜すらも捕らえる、悪の香り強き手練れの男。廼宇のわざとらしい口説き。その相手が略釣書にあった貴族の娘だ、という事実。
つなぐことが出来たからこそ、人員をためらいなく一気に投入できた。根城に出入りする全ての男を張り、秘された妓館をつきとめ、廼宇からの報に基づき俺自身が裏切りの犬を探し、潜入までした。
全ての報があらばこそ、間に合ったのだ。彼女の初物買いに。
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