黒猫といっしょ

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黒猫といっしょ

 ごく普通の家庭で育ち、ごくごく平凡な人生を送っていた。  そう思っていた私が、普通の大学生になった初めての夏のこと。  数少ない女友だちと集まって映画を観に行きお茶を飲んでいた際に、夏休みだしたまには若者っぽく海でも行こうかという話になった。インドアな趣味しか持たない私が珍しくその気になったのは、砂浜でかき氷を食べるシーンのある小説を読んだためだ。  大学に入ったのだから、地味な私でも一度ぐらいはそんな今時の学生みたいなことをしても良いのではないか、珍しくそんなことを考えてしまった。  だが、陽キャが陽キャらしいことをするのはそれが楽しいからやるのであって、エアコンの効いた室内でお茶を飲みながら本を読んだりお菓子を作ったり、家族のために食事を作ったりするのを好む女子がするべきではないのだ。  免許を取った友人が車を運転し、女三人で海へと繰り出したのは良いが、基本的に皆インドア派な人間であり、ナンパ目的でもなければ海でキャッキャウフフをしたい訳でもない。単に夏の暑さで脳がバグって、夏を海で過ごすという、いわゆる青春真っ盛りの自分たちを演じたかっただけである。  当然ながら、海に到着してから海の家で着替えをし、ビーチパラソルを借りてシートを敷き、私が持って来たお昼ご飯や買って来たかき氷を食べながらカップルや家族連れを眺め、貝などが取れないかと波打ち際を掘り起こしたりすると、もうやることがなくなってしまった。だがまあノルマはこなしたし、さほど華やかではないけどこれも青春だろう、と皆と意見が一致した。  帰りは混むだろうから早めに帰ろうかと片付けをしていると、私の目の隅に何やら引っ掛かるものがあった。  改めて良く見ると、海で黒い物が浮き沈みしている。動物が溺れているように見えた。犬か猫だろうか? 私は友だちに伝え、見た以上は放っておけないから助けて来るわ、と答えて海に走った。  海に入って少し泳ぐと、それが黒猫だと判明した。何故海に水が嫌いなはずの猫が溺れているのかは分からないが、近くの堤防からエサを捕まえようとして落ちてしまったのかも知れない。 「ほら、こっちおいで」  私は警戒させないよう穏やかな声を掛けながら黒猫に近づく。最初私から離れようとしていた黒猫は、敵意がないのが分かったのか私の伸ばした手にしがみついた。必死なのか結構な力である。ワンピースの水着の上に日焼け防止で薄手のパーカーを羽織っていたので助かったが、それでも食い込んだ爪が肌まで刺さっている。ま、死にかけてたんだから当然だよね。怖かっただろうに。 「助けてあげるから大人しくしててね」  ほぼ私の身長と同じぐらいの深さなので肩に黒猫を移動させ、陸地に戻ろうとした時、足元から体中に電気が走るような激痛が走った。 「痛っ!」  クラゲ? 少しパニックになり足をぶんぶん海の中で動かしたが、すぐに足が痙攣し、心臓がバクバク言い出した。  まずい。これはまずい。そうは思うが体が思うように動かない。私は意識が遠のき、水の中に沈んでも浮かび上がるための腕すら動かない。  沈む前に小さく「瞳子(とうこ )っ!」と叫ぶ友だちの声が聞こえたような気がしたが、その後意識が遠のき、ただただ真っ暗な世界。覚えているのはそこまでだった。 『……なあ姉さんよ。おーいって』 「ん……」  誰かに話し掛けられている気がして私はぼんやりと薄目を開けた。何だか背中が痛い。どうやら地面に寝ているようだ。 『お? ようやく目が覚めたか』  目をこすり起き上がったが、周囲は全く見覚えがない景色が広がっている。  大きな木が周囲にあり、ひときわ大きな木の根っこの辺りに自分がいるのに気づいた。森の中っぽいが、私がいたのはさんさんと太陽が降り注ぐ海である。 「──ひかり? 由佳(ゆか)?」  頭が少しハッキリとして来たので立ち上がり声を上げる。  ネコを助けに行って足に痛みが走って溺れたのは記憶に残っているが、助けられたにしては周囲に人が誰もいないのも、こんなうっそうとした森の中なのもおかしい。 『どうやら俺ら、死んじまったみたいだな』  さっきから頭の中に声が響くが、周りを見回しても誰もいない。私の頭がおかしくなったのだろうか? それに私は水着とパーカーだったはずだが、来た時のジーンズとTシャツ姿に戻っている。理解不能な状態になった時に、人は夢に逃げるらしい。 「夢かな? ……うん、夢だ多分」 『だからー、ああもう俺の言葉なんか分かんねえか。ここ俺たちの住んでいたとこじゃねえよ。だって全然空気が違うもん』 「──夢の中でも幻聴って聞こえるのねえ」  私が独り言を呟くと、 『……? ちょ、おいおい姉さん、俺の声が聞こえるのか? なあ?』  と声が響き、木の上から何かがひょいっと飛び降りた。 「ひゃっっ!」 『あ、驚かせてすまん! ……ほら俺、覚えてないか?』  野生の獣だと思っていた目の前の落下物は、黒猫だった。
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