1人が本棚に入れています
本棚に追加
「……瑞希、大丈夫?」
「大丈夫。……僕は咲良の最後のいい思い出になれたかな」
「なれたよ。彼女はきっと生まれ直す。元の世界に絶望したままだったら、そんなことしなかったと思うけど……君が彼女を最後の最後で変えたんだ」
「それなら、よかった」
ぎゅっと拳を優しく握ってまた元の席に座り直す。お兄さんもまた僕の隣に座った。
「瑞希、もうほとんど思い出したんじゃない?」
「……うん。そんな気がする」
頭の中の靄は無くて、なんだかスッキリしていた。僕は僕の生きていた頃を、しっかりと感じられたから。ただ、ほんの少しの違和感。それだけが、引っかかっていた。
「戻りたいと、思う?」
「……今は、戻りたいと思うよ。僕は家族の大切さも、友達の大切さにも気付いた。失いたくないと思った」
「……そう」
「でも、何か足りない……。僕が忘れていること、まだ何かあるような、そんな感覚。その引っかかる感覚のせいで、僕は何でかここに留まっている気がするんだ」
お兄さんは僕と目を合わせずに困ったようにため息をつく。その顔は苦笑していて、何かを諦めた顔だった。
「何か知ってるの?」
「……まぁ、ね。話すよ。瑞希を戻すためなら仕方ない」
やっぱりどこか諦めた表情。本当は話したくなかったと、そういう雰囲気だった。お兄さんが窓を指さしたから、そちらに視線を向ける。
そこに映されたのは小さい頃の僕と、僕の手を引く母親の姿だった。母親のもう片方の手には小さな女の子がいた。そこで思い出す。僕には妹がいたのだ。穏やかな雰囲気で歩く親子三人。交差点で赤信号で止まる。
僕の心臓はここで大きく鼓動を打った。
まって、とかすれた声が喉から漏れる。次の瞬間、信号無視の大型トラックが僕ら親子に突っ込んできたのだ。僕はそこでその映像を拒むように目をつぶった。
「瑞希、ちゃんと見て」
優しく、お兄さんが言う。恐る恐る僕は目を開けた。小さい頃の僕は、助かっていた。母さんと妹は真っ赤に染まって倒れているのに、僕は助かっている。一人立って大泣きしていた。どうして助かったのか疑問に思っていると僕の近くには男性が倒れていることに気がついた。
「まさか……あの時僕を助けてくれたのは……」
「……そう、俺。目の前でトラックが突っ込んでくるのが見えて、咄嗟に近くにいた瑞希を突き飛ばす形で助けた」
おじさんと話した時、お兄さんがここにいる理由を交通事故と言っていたことを思い出した。僕にバレたくなかったのか、お兄さんは苦笑している。
「……瑞希は、あの事故のことを忘れて生きていたでしょ? しばらくは覚えてて、自分だけ助かったことに罪悪感を覚えてた」
いつから罪悪感を忘れていたのだろう、と考える。けれどそんなの思い出せるわけもなくどこかもどかしい気持ちになった。
「お兄さんがここに留まってたのって、もしかして……」
「……助けた子がどんな人生を送るのかって最初気になって……瑞希が罪悪感を感じてるの見て、何となく見守っていたくなったんだよ。もう必要ないかなってそろそろ降りようと思ってたんだけどね」
お兄さんが十年以上ここにいる理由がわかれば、何を言えばいいのかわからなくなってしまった。
「でも、瑞希がこうしてここに来てしまった。俺は、せっかく助けたから生きてほしいんだ。ここに来るのが早すぎるよ」
お兄さんの大きな手が優しく僕の頭を撫でる。僕は俯いたまま、ただ撫で受けていた。
最初のコメントを投稿しよう!