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その背中に手が届くまで~シャテン・ブルーマーの努力~
おれは、リオ・マーティン――おれの担任が苦手だった。
肩より長く、一つに縛った水色の髪。柔らかい弧を描いた、紫根の瞳。
何一つ、おれが一番嫌っている人に似ていないくせに。
その人物は、どことなく、おれが嫌いな人物を思わせた。
おれの、兄貴__レーゲン・ブルーマーに。
「困ったときは、何でも頼って下さい。先生は、優しいですから。」
四月の初め。
自己紹介の時、この教師はそういっていた。
一人、教室の机に顔を伏せていたおれに向かって。
元々、リオ先生のことをそれほど知らないにもかかわらず、どことなく見知ったような感じがして。
「……はい。そうですか。用がないのなら、向こう行ってくれます?おれは勉強に集中したいので。」
おれはイライラしながら顔を上げる。
誰かに自分のペースを乱されるのは嫌いだ。
「わかりました。生徒の勉強の邪魔をするのは、教師失格ですね。」
満面の笑みを浮かべながら、おれのもとを去ったリオ先生。
自分的にもそれなりにきつい言葉を発したつもりだが、ノーダメージなようで。
傷つけたかったから、がっかりした、というわけでもない。
もちろん、誰かに優しく接しよう、とかおれは思わない性格だけれど。
ただ、それでも心の奥底で、どこか感じていた。
リオ先生は、かなり兄貴に似た分類だと。
「……あの人も、兄貴みたいに。」
と、おれは放課が来てざわめき始めた教室の中で一人、おれは再び机に顔を伏せる。
その予想は、当たっていた。
リオ・マーティンは、兄貴のように笑顔が穏やかで、優しかった。
リオ・マーティンは、兄貴のように才能を持っていて、実力派ぞろいの教師陣営の中でも、【特別】だった。
リオ・マーティンは、兄貴のように知的で、頭の回転が速かった。
リオ・マーティンは、兄貴のように偏見を持たず、どんな生徒にも平等に接し、上にはきちんと礼節をもって接していた。
リオ・マーティンが記憶の中の兄貴と重なるたび、おれはこの人のことが少しずつ苦手になっていったと思う。
そもそも、おれが何で兄貴が嫌いなのか。
それは、少し前__入学試験結果の発表の時にまでさかのぼる。
あの時、兄貴がおれにうそをついていたことが、決定的になった時。
それが原因で、兄貴と喧嘩して、それがきっかけで家にいることが気まずくなり、寮に入って、実質的な家出をして。
あの頃からだったと思う。おれが、兄貴のことが嫌いになったのは。
◇◆◇
幼いころから、おれは兄に憧れていた。
いつもその雄大な才色で、両親を感嘆させていて、その理知的な瞳で自らの進む道の先を見据えていた兄貴。
そんな兄貴が、近くにいれば憧れないのは、無理な話だ。
誰しもが、兄貴に憧れるだろう。
幼いおれが、そう確信するぐらいに、兄貴は幼年期から周りの子供たちとは、どこか、【違った】。
才能が、否、それよりももっと大きな、本質的な何かが。
それでも、おれは、どこかで信じていた。
自分も、努力をすれば兄みたいになれる、と。
鬼才で両親をはじめとした貴族たちをうならせ、その知性で、同世代をも圧倒し、そして周りの人間に分け隔てなく優しく。
そんな人間に、いつかなれる、と。
兄貴がほめられるたび、幼少期のおれはこういい続けた。
「おれもおおきくなったらあにきみたいになりたい!」
と。
兄を見ていると、兄はその難しいといわれている技ですら赤子の手をひねるようにやりのけてしまう。__否、兄にとっては赤子の手をひねる方が、まだ、難しかったのではないかと錯覚させるまでに。
だから、おれも思ってしまった。
兄がしているあの技は、実際はとても簡単な技で、今だ兄ほどに両親をうならせたこともない自分でも、出来てしまうようなものだと。
実際にはそんなわけないのに。
「ああ、シャテン。お前ならなれるよ。きっと。」
おれがそういうたびに、兄はそういって、おれの頭を撫でまわしてくれて。
その穏やかで優しい光をともした瞳に、おれの顔が映るのが嬉しかった。
そのころは、今よりもおれの世界は単純で。
きっと、兄貴のようにもなれるのだろうと、おれは自分の実力を過信していた。
__おれに才能がないと分かるのは、もう少し後のことだ。
◇◆◇
燦々と輝く、春の日差しの中。
「なんで……なんで、おれは。」
おれはぎゅっと握りこぶしを作った。
場所は、ミュトリス学園中等部、玄関前。
そこに先日受けたばかりの入試結果が張り出されていた。
しゅういには、がやがやとしゃべるおれと同い年の子供達。
合格をもらい、嬉しそうなもの。不合格をもらい、叫んでいるもの。
合格者掲示板どころか不合格者掲示板すら名前が消されていて、発狂するもの。
多種多様な反応をする彼らすら、おれにはどこか明るい印象を抱かせた。
それぐらい、おれの気持ちには暗雲が立ち込めていて。
おれは、ぎりり、と合格掲示板を身ながら歯を食いしばる。
合格者掲示板__ミュトリス学園に合格した者のみが、入学試験の順位付きで張り出されるこの掲示板に、おれの名前がないわけではなかった。
おれの名前__シャテン・ブルーマーは、掲示板に、名前をしっかり記載されている。
問題は、その、【順位】だ。
おれの順位は、一位の場所になく。
おれは、そのことが凄く衝撃的だった。
いやだった。現実から逃げ出したかった。
そのころのおれは、まだ現実というものを知らなくて、努力すれば、何でもできると信じていた。
__例えば、兄のように、ミュトリス学園の入学試験で一位を取ることも。
数年前、ミュトリス学園に入学した兄は、学力、実技、その両方で優秀な成績をおさめ、まんまと学年一位を勝ち取ることができたという。
それなのに、おれは。
いつの日か、兄は【兄貴のようになりたい!】といったおれを、【シャテンならなれるよ】と返してくれて。
おれも、それを信じて努力に努力を重ねてきた。
その言葉を、信じて。
兄は、正直者で真摯な性格をしていたから。嘘など、つくはずもないと。
しかし、見事にその言葉は外れ、おれは、ミュトリス学園の入学試験で学年一位をとれなかった。
__兄のように、なれなかった。
胸をかきむしりたいほどの悔しさや、悲しさがあるのに涙はでなかった。
その感情が大きすぎて、涙を流す余裕もない。
その声が耳をつんざいたのは、丁度その時だったと思う。
「ねーねー。聞いた?噂の大天才!」
と。
どこかから、少女の声が聞こえた。
天才、という言葉におれの胸はびくり、と跳ねた。
兄は、周囲の人間から天才と呼ばれていた。
おれは、周囲の人間から天才と呼ばれたことはない。
しかし、特段、そのことを気にしたことは今までなかったと思う。
なぜなら、おれは、兄が切り開いた道を進んでいたと思っていたから。
兄が起こした出来事には新鮮に感じても、流石におれが二回目を起こすとなれば、周りの人間も、きっとその事象に飽きるのだろう。
そう考え、それを信じて疑わなく。
__しかし、なぜだろう。
今は、顔も知らない少女から聞いた【天才】という単語がいやでも気になってしまう。
「知っている!二歳年下なのに、入学試験では学年十位以内に入ったとか!噂が本当か知らないけれど、もしそうだったら、あってみたいよね〜!」
きゃっきゃ、と騒ぎ出す少女たちの声。
どこにいるかもわからないその声の主たちに、おれは確かにいらだっていた。
否、正確には彼女たちではない。
__彼女たちの話す内容に、だ。
おれは必死で努力したのに、おれよりも二歳も年下の少女が、おれよりいい順位をとっていて。
まるで、いつの日かミュトリス学園の入学試験で学年一位をとった兄のように。
話だけで、おれは感じた。
あの少女は、持っている、と。
兄と同じように。
きっと、噂になっている少女も、もうあと二年ほど試験を受けるのがおそければ、学年一位をものにしていた。
噂でしか存在を実感していない少女に、おれはこころなしかそう思って。
「はぁ……。よかった、合格していて。実技の方は練習できていたけれど、勉強の方はお手伝い屋のせいで一週間できなかったし。」
おれの隣にいた子が、小さくつぶやいて、おれはそちらの方を見る。
青色の髪をハーフツインにした少女は、たしかに二~三歳ほどおれより若く、おれは一発で噂の少女だとわかって。
「学年十位、入れて良かったぁ……。」
ほっとしたように息をつく彼女。
「な、んで。」
それを見て、おれは胸焼けがした。
おれが死ぬ気でやった努力でこれなのに、一週間ほど努力をサボった人間が、この結果を残す。
おれと、青髪の少女の間には、努力では埋められない決定的な差__【才能】という、隔たりがあって。
それがたまらなく、悔しかった。
たぶん、この少女と同じように、兄貴は才能を持っていて。
おれは持っていない。
ゆえに、この結果だったのだ。
ゆえに、おれの努力は才能の前では無意味だった。
初めて誰かの所有物に対して__【才能】に対して、劣等感をいだいた。
持っているだけで、これほどまでに有利なのか、と。
「やったぁ!魔獣討伐でノー勉だったにもかかわらず!学年百六十位ぴったり!やっぱり、サソリ様、天才?!ナナちゃんに勝利の報告っ!」
と、どこかから跳ねたような声が聞こえた。
その声に、おれはまた、思考をかき乱され。
おれのとった順位は、百五十八位だった。
それも、ノー勉なんかじゃない。
何日も何日も。寝ない夜を過ごした。
それにもかかわらず、声の主は、それのたった二位低い、百六十位。
おふざけも大概だと思いたかった。いっそのこと、夢だったらどれほどよかっただろうか。
しかし、めのまえの合格者掲示板も、少女の喜びも紛れもなく現実で。
ただえさえ、兄や青色の髪をハーフツインにした少女との実力の違いを痛感したばかりだったのに、追い打ちをかけられた気分だった。
幼いころ、兄の言葉は本当だと思っていて。
おれはその言葉を信じて、努力をしてきた。
それなのにもかかわらず、おれのそばには、努力をせずに好成績をとってしまえる人たちや、おれと同じくらいの成績をとる人たちがいる。
もう、運が悪かったとか、そういった言葉ではごまかしの利かないぐらい、おれは現実を突きつけられていて。
おれはきっと、兄貴に追いつくことはできないのだ、と。
__兄のようになる、どころか、おれは兄と離れていくばかりだ。
徒競走でたとえるのなら、兄は俊足で、おれは鈍足。
スタートダッシュの時は確かに一緒だったはずなのに、時を重ねるごとに__年がたつにつれて、おれたちの実力の差はだんだんと開けていったのだ、と。
誰ともなくおれは悟った。
「なんで……誰も、彼も。」
がやがやと。
合格者掲示板を見て、騒がしい面々の中、おれは地面のほうを向く。
__なんでおれに嘘をついたんだよ。
よくよく考えたらわかることだった。
おれの行動を、大人たちは一度も天才だとほめていない。
兄貴の行動はあれほどやれ天才だのなんだのほめたたえたくせに。
いくら兄貴の行動でなれたからといって、流石に一度もおれの行動で感心しないのは、変ではないか。
「あんなに勉強したのに……。おれに才能はなかった。」
才能がない、じゃない。
__おれは凡人だ。
努力程度では、天才に到底追いつけない程度の。
「なんでだよ……。」
地面に向かって問いかけても、誰かが答えれくれるわけでもない。
兄貴に追いつくための才能が手に入るわけでもない。
それでも、この時ばかりは問いかけざるを得なかった。
誰でもいいから、誰かに否定してほしかった。この現実を。
その程度には、おれはこの現実に対してショックを受けていて。
ミュリトス学園の合格者たちで開かれる集まりにもおれは参加しなかった。
もともと、人と一緒に行うイベント__ていうか、人全般に興味がなかったし、それどころではなかった。
信じていたつもりの兄に、裏切られた。
嘘をつかれた。
そのことがショックで、おれは何も手につかない状態で。
家までどうやって帰ったのかすら、記憶になかった。
ただ、一刻でも早く自室に戻って引きこもっていたい気分だった。
今はただ、受けたショックを癒すのに時間が欲しくて。
家のノブ部分に手をかざし、魔方陣を光らせ、鍵を開ける。
――が、家に入った途端、その願望も、打ち砕かれる。
入室一番、みえたのはおれと同じセージグリーンの髪。
そして、高等魔術学校付属の研究室で着るという白衣。
その人物は、かつておれと一番近いところにいた人物。レーゲン・ブルーマー__おれの兄だ。
兄貴は、おれの存在に気が付くとやわらかい弧をかいていた瞳を下げて。
「おかえり、シャテン。そうだった?結果は。シャテンはあんなに努力していたんだから、合格していると僕は思うけれど、一応…な。」
努力をしていた、という言葉にはらわたが煮えくり立った。
兄貴にだけは……才能を持っている兄貴にだけは言われたくない言葉。
兄貴だって、努力をしていたかもしれない。
けれど、おれより程度は低かったはずだ。
「?シャテン?」
兄貴が首をかしげたのが声のイントネーションで想像できたが、おれはそれを無視した。
それどころではなかったし、到底、答えられるような精神衛生ではなく。
数歩、靴を脱いで玄関から上がって。
天才である兄に自分の努力を、努力、と認められたのが何よりも悔しかった。
いっそのこと、努力不足だとか、合格できるはずがないとか罵ってくれた方が、まだ気持ちの面ではマシだったと思う。
兄貴はそんな性格はしていない、ということも承知しているが。
それでも、おれは。
兄貴本人に、幼少期の嘘を肯定されるということは。
歯を食いしばって、床を見ると、視界がゆがんでいくのが分かった。
あふれ出す感情が、おさまらない。
怒りが。
嫉妬が。
羨望が。
劣等感が。
絶えずおれを苛み、おれにまとわりつく。
このまま部屋まで行ってしまおうと思ったが、おれはそうしなかった。
その感情じゃない。
その根幹に、大きな絶望があって。
「兄貴の嘘つきっ!!」
兄貴のほうに振り向いて、おれは叫んだ。
才能のある兄が、許せなかった。
才能を持っていない自分も、許せなかった。
兄貴はおれの言葉に目を見開いて、驚いたような表情をした。
「?シャテン?もしかして、不合格だったのか?」
「――。」
と。
罪悪感や、開き直りがまったく見られない。
この人は、悪意がない。
幼いころ、おれに言った言葉に。
たぶん、子供だましのつもりだったんだろう。
「大丈夫。もし失敗しても、シャテンならきっとどうにかなるよ。」
兄貴はおれのほうに向かいながら、そういって。
「嘘つき。――おれも兄貴みたいに、なれるって言ったのにっ!!おれには兄貴や父さん母さんみたいな才能はなかったっ!」
「シャテン。落ち着いて。」
動じないその様子に。
兄貴はおれの肩に手を触れかけ、おれはその手を勢いよく振り払った。
「違うッ!!」
何が違うのだ。
おれは、入学試験で学年一位をとれなかった。
それがすべてじゃないか。
それで、全てだったじゃないか。
「おれは、ちゃんと合格していた。ちゃんと、【百五十八位】で。――兄貴より、百五十七言ったのに低い、百五十八位で。……なんで、あんな事言ったんだよっ?!」
「?あんな事?」
きょとん、と兄貴は首を傾げた。
もう、忘れてしまった、という風に。
おれはずっと、覚えていたのに。
幼いころから兄はその才覚を発揮していて、そのころは今みたいに差なんて大きくなかった。
だから、兄は勘違いした。
おれにも、【才能】があるなんて。
そんなもの、実際にはないのに。
「小さい時、おれは兄貴みたいに、なりたいって言ったら、【お前なら、なれるよ】って!!何回もっ!!」
「ああ、あれは――。」
慌てて、思い出したような兄。
「嘘だったのかよっ!!」
おれはその様子にいら立って、また兄を怒鳴りつける。
「シャテン。よく聞いて。僕はたしかに、ああいった。けれども、それが嘘だとは思っていない。」
「嘘だっ!!」
今の声は、過去一、大きいのではないかというくらい。
おれの声が廊下に響き渡り、兄貴は息をのむ。
なにが、うそではないというのだ。
「でもおれは入試で百五十八位にしか、なれなかったっ!!兄貴みたいになれなかったっ!」
入試で百五十八番をとったのだ。
それが全てだ。
すべてではないか。
「――、――。」
兄貴はいつもの流ちょうな説明とは違って、口をパクパクと動かし。
万能の才を持っている兄貴にしては、珍しい行動で、おれにはそれがどこか滑稽に思えて、また、いらだってきた。
「なんで、兄貴だけが【持っている】んだよっ!」
そう言い捨てて、自室に走る。
「あっ――。シャテンっ!」
後ろから、兄の声が聞こえたが、知ったものか、と思った。
きっと、幼少期、おれに嘘をついたように、先ほども嘘をつこうとしていたのだろう。
__ほんの数舜、才能のないおれに夢を見させるために。
その、子供のような扱いにおれのプライドが傷つけられた気がして、おれは自室に入ってすぐ、ドアを閉め、魔方陣に手をかざし、鍵を閉める。
今は、誰にも入ってきてほしくなかった。
一人になりたかった。
ドアに背を当て、座り込み、縮こまる。
自分の実力が、情けない。
「あら、どうしたの?」
リビングの方から、母さんの声が聞こえてきた。
「シャテンが、合格できたみたいなんだけれど、その順位が気に入らないらしくて。」
それにこたえる、兄貴の声。
ちがう、そんなんじゃない。
おれは、【才能】を持っていないのが嫌で。
「そうなの……。じゃあ、今はそっとしておきましょう。複雑な年頃なんだし。」
と。母親は。
「そうだな。シャテンのことは父さん達がしっかり支えるから。お前は心配しなくて、自分の研究に打ち込んでいいんだぞ。」
と、父親も続ける。
その、繊細な気遣いに。
その、子供の癇癪に言葉を入れるような物言いに。
おれは、いらだちを通り越して、悔しさすらあった。
「……なんで、父さん母さんも、おれを子供扱いするんだ。」
兄貴だけじゃない。
二人とも、おれの結果を当たり前のように受け止めていて。
おれが試験でサボったとか、そういうことを疑うこともなく。
きっと、二人にとっても、おれは、才能のない子供だったのだろう。
__兄とは違って。
心の中に暗雲が立ち込める。
「兄貴なんか……。」
ぎりり、と唇をかみしめる。
いつの日からか、憧れだった存在は劣等感をあおる存在に代わっていた。
一番近くにいたのに。
一番おれが兄貴に近づけない。
__なら、おれは努力しないと。
努力して、両親を、兄を見返さないと。
両親や兄に、並んでも恥ずかしくないような学者になるのだ。
電気もつけず、真っ暗い自室でおれは一人決意した。
もはや、どうでもよかった。
今すぐにでも、実力さえ伴えば。
いつか見た兄貴に近づく、という夢、そのために必死にクリーンを保ってきた自分の手段も。
転がせば、見放せば今よりももっと簡単に実力が付くのだから。
◇◆◇
四月の、とある中旬の日。
おれはいつも通り参考書に顔をうずめていた。
才能がないのなら……努力をすればいいだけだ。
周りの人間は浮かれて遊んでばかりいるが、凡人こそ、こういう時に努力をしなければ、天才に差を付けられない。
「ねーねーっ!!」
と、いきなり隣から明るい声が聞こえる。
「……。」
おれは無言で、参考書のページをめくる。
学園に入学して早数日。
おれは男子には常にそっけない態度をとっていたため、ノリの悪い奴と認識され、あまり話しかけられなかったし、女子に至っても同様だ。
というか、女子にいたっては、自分から進んで話しかける柄ではない。
つまり、おれが聞いているのは、幻聴、ということで。
「君だよ、君っ!!」
その声と共に、肩をたたかれ、おれはその方向を振り返る。
「お、おれ……?」
おれの右隣。
オレンジ色の髪をポニーテールにした深い青色の瞳の少女が座っていて。
声だけでなく、瞳にも、どこか快活な感じがある彼女は、おれが普段からあまりかかわらないような人種に見えた。
「そっ!!いつも難しそうな本読んでいるよねっ!!アタシ、頭悪いからわかんないや!そういう事。」
と、少女はウィンクをして。
「話しかけないでくれる?今おれは本の内容を理解するのに、忙しいんだ。」
俺は再び参考書に目を移した。
たったそれだけの用事か。
ならば、関わる必要はない。
おれは、努力をして力を手に入れると決めたから。
それ以外の一切合切を捨てて、ひたすら削っていくというのも。
「あっ!!ちょっと……。」
少女の戸惑う声が聞こえる。
だが、おれはその声に振り返ることなく、参考書を読み始めた。
おれにあまりいい感情を抱かなかったかもしれない。
それでいい。
俺は早く、家族にふさわしい学者になりたいのだから。
「ん〜。変なのっ!」
と、おれを見て、首をかしげる少女の声は、参考書に没頭していたおれには聞こえず。
それが、アイラ・シャーロットとの初の交流だったと思う。
まさかここで隣になったアイラ君とは、クラス対抗魔術合戦で関わったり、二年生で関わったりするとは夢にも思っていなかった。
ともかく、そんな感じで、おれ、シャテン・ブルーマーの学園生活は始まった。
入学試験の結果からして、順調とは言えない舵取りだったが、力を得るため、高級魔術具をあさったり、園芸部に入って趣味の園芸を極めたり、それなりに充実したものではあったと思う。
__して、現在。
「シャテン先輩、おはようございます!」
おれの目の前には、にこやかに挨拶をする後輩がいた。
ナナ・クラーク。一年生で、まだ十一歳にもかかわらず、ミュトリス学園の入学試験を突破してしまった天才だ。
まだ、十一歳にして魔力も未発達であるにもかかわらず、学科試験、実技試験を共に平均より少し上の成績で突破してしまった。
おれと同じ学年のハスミ・セイレーヌ程ではないとはいえ、こちらも二年後__十三歳になったときの将来が恐ろしい。
おれ、シャテン・ブルーマーは二年生になって、園芸部で後輩も持った。
今日は、おれが花壇の水やりの当番で、学園の花壇に行った際、なぜか、ナナ・クラークと鉢合わせした。
「……ナナ君。」
いつもは放課後に花壇に来ることはあれ、彼女が当番以外の日で、朝に来ることはない。
なにか、あったのだろうか、と。
おれが挨拶を返し、(顧問が職権を乱用しまくって無駄に奇麗になった)倉庫兼部室に向かった時だった。
「今日は花壇の土に肥料をまくんですね!手伝います!」
と、今日の当番表の内容を読んだのだろう。
この少女はことあるごとに誰かを手伝いたがるが、おれにとってはいい迷惑、といった限りだ。
おれは誰かに頼る趣味なんかない。
「……いい。おれひとりで十分だね。」
「手伝います!」
そういって、おれより先に、ナナ君は倉庫に向かって。
おれは、ナナ君のほうに手を伸ばすが、もう遅い。
ナナ・クラークはこういった少女で。ナナ・クラークが空気を読んでこちらに戻ってくることはなかった。
__して、現在。
「……なぜこうなった。」
なぜかおれは、ナナ・クラークと花壇に肥料を入れているところである。
本当に、自分一人でやるつもりだったのに__なぜ、こうなった。
「いえ、シャテン先輩は普段あまり人と関わっているところとか見たことがなかったんで、ちょっと人となりを知りたいな〜と。」
にこやかにいうナナ君。
「人と関わらない、ということに関しては否定はしないね。おれは人と関わってない。」
「ほらやっぱり!」
「おれは、そういう趣味を持っていないからね。おれには植物さえいれば、大丈夫だから。」
「?えぇ……。」
ナナ君が引いたような顔をした。
「植物はいーよ。おれのことを出来損ないなんて思わないから。」
そう。おれの周りにいる奴らのように。
陰でおれを笑ったりしない。
「それは百も承知です!植物は優しい。」
と、うなずくナナ君。
「――ていうか、私先輩の事、別に出来損ないなんて思っていませんけれど。」
と。あっけらかんと。
「はぁ、そんなセリフもあんたみたいに才能のある後輩に言われちゃぁね。」
「?才能?」
きょとん、とナナ君は首を傾げた。
「十歳というその若さにて、ミュトリス学園の入学試験を突破。入学試験の成績自体は中の中といったところだけれど、年上と肩を並べるのは並大抵の努力じゃ、できないものさ。」
例えるのなら、おれが今の学力魔力で高等魔術学校の入学試験に挑むくらい無謀なことだ。
「あんたは才能がある。……おれにしては、羨ましいことだね。」
もしかしたら、この少女は本心で発言しているのかもしれないが、それだって余計なお世話だ。
おれたち持たざる者にとって、持つ者の行動は、一挙一足が不快になる場合だってあるんだから。
「……えっと、私の発言が不快にさせちゃったんですよね、すみません。」
と、眉を下げるナナ君。
「おれは謝罪を要求しているわけじゃないよ。」
「?じゃあ何を?」
首を傾げるナナ君。
――おれはただ、持っているものに対して八つ当たりがしたかっただけなのかもしれない。
おれはその質問には答えず、再び肥料を花壇に入れる作業に移った。
「――あっ、先輩っ!!」
後ろでナナ君の戸惑う声が聞こえるが、おれは反応しない。
ナナ君もそれを察してか、あわてて作業に戻った。
「そういえば、ここって三年生いないんですよね?大丈夫ですか?」
「?三年生は所属している。」
数人だが。そして、部長というポストも存在している。
「いえ、そういうことではなく……入部してから毎日ここに来ているんですけれど、未だに三年生の先輩に一回もあったことがないような……。」
引いたような、ナナ君の声。
それもそのはずだ。
おれは当番以外の日もほぼ毎日園芸部の花壇に植物の世話に行っているが、三年生など、見たこともなく。
「ああ、三年生は他の部活に精を出しているよ。」
「?いや、兼部OKな部活なのは知っていますけれど……。」
「園芸部なんて、ろくな経歴にならないし、進路にいい影響がない。在席すると、年一回だけお菓子がもらえる。――だってさ。ふざけたものだね。植物は人間と違って正直だけれど、その良さがわからないなんて。」
もうすぐ、進路が決まるとはいえ、三年生のその態度はいささか雑すぎると思うが。
「……まあ、入部したからには世話して欲しいとは思いますけれど。」
ナナ君が花をなでながらつぶやいた。
それはおれも同感だ。
そのおかげか、当番もおれたち一二年生に押し付けて、全然やっていないし、しかも顧問のエミリー先生のお陰で、その事を問題にできない。先生によれば、学園内での権限が減るからだめです、だそうだ。
「でも、私はその分、この子たちと関われて嬉しいんですけれどね。」
「……。」
その言葉に、はっとして顔を上げた。
おれは天才に対して色々やっかんでいたものの。
もしかしたら【天才】たちだっておれとあまり考え方が変わらない奴だって、いるかもしれないし、おれが考えているより、もっと【普通】かもしれないのに。
少なくとも、植物の世話に関しては、おれもナナ君と同じ考えで。
――て、何、柄でもないことを考えているのだ、おれ。
「そういえば、園芸部、私以外の一年生、見たことありませんけれど。」
ナナ君が、そう突っ込んで。
「在籍はしているよ。」
「……え?」
ナナ君が、光の映らない瞳でこちらを見る。
「皆、楽そう、と理由で入ってくるのだけれど、エミリー先生の噂を聞いたら、部活に来なくなるんだ。」
「……。」
エミリー・フリーレン。
いつも花壇を世話している、彼女は実は極悪サイコパス教師で、園芸部に超厳しい、と。
実際はそんなことはないが、ただえさえ今どき流行りでない園芸なのだ。生徒たちの足は部室から自然と遠のいてしまう。
「本当はやめたいけれど、エミリー先生の報復が怖くてやめるにやめれないらしい。」
学園内の噂によると、エミリー先生は悪い生徒には報復を与える懲罰的な教師として知られていて。
それ自体、否定はできないが……何事も、大きく捉えすぎる人もいるのだろう。
「……マジでどうなっているんですか、園芸部。」
と、ナナ君。
「それはおれが聞きたい。」
園芸部には、他にも謎があるが、おれも他の部員もあえてその謎に触れない。
「わかっているのはただ一つ。他の部活の部室と比べて、やけに部室が奇麗だということ。」
表向きにはエミリー先生が職権をゴリ押したせい、となっているが、それにしても学園内にも他にそれなりの権限を持っている先生はいるはずだ。
なのに、エミリー先生が顧問の園芸部だけ、部室が綺麗。
考えるほど、おかしな話だ。
「もうやめましょう、この話。闇深そうですし。」
その顔は、こころなしか青ざめていた。
「才能って言っても、せいぜいこんなもん、だね。」
肩を震わせる少女は、才能を持っているふうには見えない。どこにでもいる、怖い話が苦手な十一歳に見えて。
「今の才能関係ないですよね?」
ナナ君から冷静なツッコミが入る。
「ちなみにこの話の真相は、エミリー先生が非合法に部員数を増やしまくったせいで、エミリー先生の学園内での、権力が強まった、と。」
「あっ、話すんですね。」
勿論、ただの兼部OKな部活ではない。
校則で禁止の【この語句はミュトリス学園の名声を守るため、伏せさせていただきます】を筆頭に、かずかずのそういったものを渡すことによって、廃部寸前の園芸部は、もうすぐ部員数三十人を超える大所帯の部活になりそうだ。
――もっとも、皆、【この語句はミュトリス学園の名声を守るため、伏せさせていただきます】が目当てなので、園芸部には来ないが。
「ていうか、案外あっさりしていた。」
多分、入ったばかりのナナ君は、そういった事情すら知らないのだろう。
「……あれ、二年生も三人しかいないんですけれど。」
おれが時たまに話す二年生の園芸部の二人。
彼らも花が好きで、世話したくて園芸部に入ったという。
「ナナ君含めて、本当に花が好きなだけな奴が残ったんだね。」
「えぇ……うちの部員、二十人以上いますよね?」
「……。」
おれは、その質問に答えず、黙々と作業を続ける。
「あっ、先輩っ!」
ナナ君は、突然会話を打ち切られ、素っ頓狂な声を上げた。
「うーん。おかしな人……。」
◇◆◇
「――本当に嫌なのは、才能を持っているクセに努力をしないで怠けてばっかりいる奴だ。」
はぁぁ、と小さくおれはため息をついた。
目の前には、あふれんばかりのガラクタ。
__スラム街付近にある、闇市だ。
闇市ではどの商品も通常より高い値段がつけられていて、売っている側がぼろもうけできるようになっている。しかも、その品質が正規の店と違って保証されないのだから、普通の人はなかなか近寄りがたい。
おれの目の前にいる人たちも腕にバラの紋章が彫ってあったり、いかにもそこら辺にいるチンピラ__マフィアに成り下がれなかった社会不適合者だったりが八割方だ。
なぜ、裕福な家に生まれたおれがこんなところに来ているのか。
それは、高級な魔術具を手に入れられるから。
闇市はその品質の悪さとあって、一部商品は相場より安くなっている。__その分、暴発の危険性もあったりするのだが。
その一つが、高級な魔術具だ。
品質が命といわれている魔術具は、それが確かでない分、闇市では安く取り扱われていることが多い。
「おれは……。」
__両親や兄に引けを取らない学者になりたい。
そのためには、おれの凡才が邪魔をしていて。
だったら、そのぶん、力を手に入れればいい。
魔術具とは、便利なものだ。
魔力を注ぐだけで、杖を使って、呪文を唱えるよりも大きな効果を得ることができるのだから。
魔術具を使えば、将来、学者の試験だって悠々と突破できるだろう。
そのための、魔術具集めであり、あさりである。
おれは一年の時からここに通っているし、まあ、一種の趣味といわれたらもしかしたら否定はできないのかもしれないが。
それにしても。
おれは辺りを見回して呟いた。
「そういえば、いつもここに来るあいつがいない。」
いつも、この闇市に来た時、話しかけてくるマフィア・ローゼンのメンバー。
普段に限ってはうざったいと思っていたが、いざ来られないと案外さみしいものがある。
赤色のスカーフをするそいつは、魔術具をおれがあさっているときに頼んでもいないのに話しかけてきて、やれ、マフィア・ローゼンの内情やら任務に対する愚痴などをしゃべりかけてきて。
最初は冷たく接していたものの、そいつが耳よりの魔術具の情報をくれるようになってからは、一応話し相手として接している人物。
おれの闇市デビューの日から、一番最後の闇市__あの爆発がおきる前日まで。
あいつはおれが闇市に行ったとき、いつも必ずというほどそこにつったっていて。
「おれよりも入り浸っていたクセに、こんな時に限って……。」
そういえば、あいつがマフィア・ローゼンの愚痴を一方的に聞かせるだけで、おれのほうからは魔術具の情報以外何一つ聞いたことがなかった。
だから、こんかい爆発の後にあいつがいないのはたまたまなのかもしれないが。
それでも、おれはどこか不思議に思えた。
あの爆発の後、急に姿を消すなんて。
縁起が悪い。
「いや、少し考えすぎ、だね。」
身内でも、何でもない相手だ。しかも、マフィア。
おれがそこまで案じる必要はないのだと思う。
「おい、兄ちゃん、何か買っていくのかい?」
棒立ちのまま、なにも買おうとしないおれを見かけて、店主らしきおじさんが声をかけた。
「っ!はい、高級魔術具を……。」
「あいよ。ここらへんにあるから、こんなかから好きなもん持ってきな。」
と、赤茶こけた物体が沢山集められた山を指さして。
「はい。」
ごそごそと、そこを探り始めながら、おれはまたつぶやく。
「……店主の人も、違う。」
あの爆発の前までは、店主は老婆だったはずなのに。
爆発の後、変わって見えるのは町の建物だけでなく、風景其のものかもしれない。
「爆発の後だし、色々あるんだろ。――いや、あったんだろ。」
どちらにしろ、おれが関わることはないから、考えること自体が無駄だ。
そんなことよりも__
「おれは、強くならないと。」
そうつぶやいて、魔術具を二個、とる。
本来だったら数百万ガルンはする代物。おそらく汚れているのが原因だけれど。
「すみません、これ。」
と、おれはこの二つを店主に差し出した。
「ああ。お題は二十万ガルンだよ。」
「これを変わりに。」
と、おれは服を取り出して。
おれの家は裕福だし、小遣いもそれなりに出るけれど、こんな状況だ。
出る小遣いも出なかった。
「高級ブランドの服――さては、兄ちゃん、中々に良いお家の出身だね。」
「……どうも。」
おれは高級魔術具を服を入れていた袋に押し込み、店を後にする。
「あっ、兄ちゃん!終わり?!そこで終わっちゃうの?魔術具――は、持っているか。」
後ろから、動転している店主の声が聞こえるが、おれはてっきり店主の独り言だと思って、反応しなく。
すたすたと路地裏に向かって歩いて行った。
だから、気が付かなかった。
そのあと、店主がすぐに、
「いや、兄ちゃん!最近、ファンティサールで通り魔が流行っているから気を付けてってっ!」
と、言っていたことも。
「……何を言っていたかね?」
ただ、後ろで何か店主の声がしたが。
俺は首を傾げ、その首を振った。
何でもいい。
たぶん、独り言だろう。
そのまま、路地裏に曲がろうとした時だった。
「――っ。」
ここにいるはずのない人物を見かけたのは。
おれと同じセージグリーンの髪に、高等魔術学校の付属研究室で働く彼は。
こんな非常事態でも、爆発の原因を探るため、実家には帰っていないはずで。
ましてや、こんなスラムの闇市の近くにいるなど、本来は考えられないことで。
「何で、何で、兄貴が、ここでっ……!」
慌てて駆けだそうとした時だ。
「あっ!!シャテンっ……!」
兄貴がこちらに気が付き、視線がおれの持っている紙袋から出る魔術具に吸い寄せられた。
兄貴が目を見開き、同時におれは駆け出した。
「来るなっ…!兄貴!」
見られた。
ブルーマー家にふさわしい学者になろうって思っていた。
そのためなら、ばれなければ何をしてもいいと。
それも、終わって。
おれは数えきれないくらい路地を曲がり、やがて兄の追跡の足音も聞こえなくなって。
「……ここまで来れば、流石に見つからないと思うけれど。」
息を整えていた時だった。
「――っ!」
突然、背後から口元をふさがれ、腕を拘束されたのは。
おずおずと、後ろを見ると、恰幅のいいおとこがおれの口元にハンカチを当てていて。
「おっと。お前にその体力は残されてねえよ。」
と。
その言葉通り、おれの意識はみるみる混濁していき、おれは男に口答えする余裕もなかった。
「――。」
ガタガタと、地面が揺れる音。
うっすらと目を開ければ、目の前にはたくさんの荷物。
薄汚れた床と、やけに低い天井部分。
一瞬で分かった。
多分ここは、馬車の中だ。
「随分悪い目覚めだなー。」
おれはあの男に連れ去られたのだろう。
証拠に、というか。
意識が混濁する前に拘束され、縄をつけられた腕はそのままで、おれは腕を動かすことができなかった。
同じ馬車に乗っていた、ナナ君とアイラ君がおれのつぶやきに目を見開き。
ここが、全ての始まりだった。
ここから、おれはみるみるふしぎなことにまきこまれていくことになる。
それから、しばらくしたころだった。
おれの担任である、リオ・マーティンと水晶で、連絡が付いたのは。
「わかりました。その画面の揺れはもしかして、馬車ですか?貴方たちは、攫われた、と。」
「はい!そうです。この馬車がどこに向かっているかも分からなくて……。」
「そうですか。」
先生は、おれたちを助ける、と。
その瞳には、一切の迷いはなかったように思える。
「先生、おれ達を助けるって……少し、無茶な気がしませんか。馬車がどこに向かっているかもわからないのに。」
本当は、どこかで期待していたのかもしれない。
もしかしたら、出来ない、と先生が言ってくれることに。
こんな状況ですら、おれは先生の才能に嫉妬していて。
「いえ、大切な生徒です。必ず助け出しましょう。」
「「「……!」」」
おれたち三人は目を見開いて。
二人は、助けが来ることに。
おれは__
「……なんで、あの人は。」
なぜ、兄に似ているのだろう。
おれが苦手な人に。
「シャテン?なにか言った?」
「いや、なんでもないね。馬鹿も休み休みにしたら?」
「はぁっ?それ、どういう意味?!」
アイラ君が、こちらを勢いよく振り返った。
「……まあまあ、二人とも、落ち着いてください。」
「馬鹿は休み方をしらないと思うんだけれどっ?!」
「……リアルに意味が、わからないやつだった。」
ナナ君がドン引いた顔で突っ込んだ。
「幸い、俺は水晶から出る魔力反応をたどる魔方陣の術式を覚えていましてね。きっと、場所を見つけるなんて、たやすいですよ。」
「……。」
「…あっ、先生っ‼」
「大丈夫です。貴方たちのことは、必ずたすけま___。」
「先生と連絡、とれなくなったな。」
「気にしちゃだめです。先生はきっと探しに来てくれるから、それまで私たちも、私たちでできることをしましょう!」
「信じる、ねえ。」
「シャテン、また才能がある奴はー、とか、才能がある奴がーとか、いう気?」
と、アイラ君が呆れたような声を出した。
確かに、二年ほどクラスが一緒だとあまり関わりがなくても、相手がこういうときにはこういう行動をする、とかが分かるかもしれないが。
「いや、心理学的にも、こういうときは偶像を崇拝したほうがメンタルが削れにくいんでね。」
「いや、そっちなのっ?!」
アイラ君が驚いた声を出す。
一年生のとき、クラス対抗魔術合戦で他クラスへの作戦を立てているとき、そういった知識もクラス全員に教えられたハズなのに覚えていないのだろうか。
「……ていうか、シャテン先輩はそんな知識、どこで仕入れたんですか?」
「去年のクラス対抗魔術合戦の時に、相手クラスのメンタルをいかに削るかを重点においた作戦をたてたんだ。」
「う、うへぇ……。」
ナナ君が引いた目でこちらを見る。
日頃の行いからするに、彼女は脳と正反対に、倫理観は十一歳の子供のままの未成熟で。
きっと、おれのようなことをするのはダメだと、その価値観が言っているのだろう。
――十三歳だって、沢山そういった違法行為をしている人はいるのに。
それに、うちのクラスは魔術の腕を競うクラス対抗魔術合戦で、運悪く、というべきか。
【ハスミ・セイレーヌ】や【ロカ・フォンティーヌ】を始めとする実力者がほとんどいなく、精神面で攻め込むことにしたのも事実だった。
「あっ!!なんかシャテン、ヤバそうな技仕込んでいたもんね!!意地悪なやつ。」
「意地悪じゃない。打算的だ。」
それに、それを言うなら、他クラスにいる奴らの取った行動のほうが意地悪だ。
ただの攻撃魔法を、あんなふうに使うなんて。――いや、この話はこの小説が年齢制限付きのものになってしまうので、やめにしよう。
「そんなに……クラス対抗魔術合戦ってやばいんですか?」
「ナナ君はまだ経験したことがなかったのか。――【ヤバくない】っていうほうが不自然だ。あれは戦争だね。」
おれだって、あの体験は二度とはゴメンだ。
一年生全生徒がもちうる魔法の知識すべてを使った結果、できたのがあの紛争で、戦争だ。
三年生の先輩達は、あれを楽しかった、と言っているものもいるが、少なくとも、一学年に天才が何人もいたこの学年にとって、あれは単なる悪意の騙し合いだ。
いくら生徒に直接攻撃できないとはいえ、腰につけている魔鉱石を割るためなら、本来は使用禁止の、人を殺すほどの威力を持つ上級魔法だって使ってもいいし、実際それでおれたちがいたクラスは一人、腹に顔くらいの大きさの穴を開けることになった。(すぐ近くの教師に治療魔法を使ってもらったから良かったものの、そうでなければ、すぐに死んでいた類だろう。)
「うん!!ヤバかったねっ!!」
「アイラ君はなんでさっきから他人事なんだ。」
「で、でも、相手の精神を削る、とか卑怯じゃないですか?相手にもトラウマが残ってしまうかもしれないのに……。」
「いーね。才能を持ったあんたは発想が気楽で。おれたちはこうでもしなきゃ勝てないんだよ。」
「そう、なんですか……。」
ナナ君は、顔を下に向けて。
「そんなに、みんな成績と高級魔獣肉がほしいんでしょうか……。」
「いや。違うね。」
「?」
「才能を持っていないやつが、才能を持っている奴に勝てる唯一の機会なんだ。おれだけじゃなく、倒したいやつが他クラスにいる奴らは全員本気だったよ。」
なにせ、他クラスにいる、【ハスミ・セイレーヌ】や、【ロカ・フォンティーヌ】を倒す貴重な機会なのだ。一学年に二人も才女がいて、常に劣等感に焦らされている学年の生徒全員が、このチャンスを逃さないはずがない。
――まあ、その機会も突然あらわれた、【悪魔】と呼ばれる生徒によって壊されてしまうのだが。
「安心してっ、ナナちゃん!元々メンタルが弱かったり、すぐに精神を壊しちゃいそうな子は自主的に休校するし、それだって欠席扱いにはならないからッ!!残ったのは、元々強メンタルをもつ子達だけだよっ!!」
そして、残ったものが互いに操り、欺きあう。クラス対抗魔術合戦とは、そういった行事だ。
「……すごく闇を感じる情報。」
ナナ君が引いた声を出したが、仕方がない。
そうでもしないと、ブルーマー家の優秀な魔法使いとして認められないのだから。
クラス対抗魔術合戦はそれぐらい殺伐としていて、勝つのは難しい。
「……それで、心理学を使って、先輩はかったんですか?」
「…………。」
無言。沈黙。
おれはナナ君に一言も返さないまま。
「――先輩?」
「ナナちゃん、シャテンはプライドと眼鏡の度しか高くないから、こういう時黙っている、ってことは大抵シャテンにとって都合の悪い情報だよっ!!」
横からアイラ君が、いらない情報を添えた。
「なるほど!負けたんですね!」
とっさに結論を導き出すナナ君。
皮肉なことに、才能のせいかこういうことにだけ頭の回転が速い。
「……。」
おれは無言を貫き通し、
「アタシ、他クラスの罠に引っかかって、早期退場したから、わかんないやっ!!」
「……罠?」
「思い出させないでくれないかね。あれは――【悪夢】以外の、なにものでもない。」
「……クラス対抗魔術合戦の底知れない闇を感じる。」
ナナ君が引いた声でつぶやくが、仕方がない。
みんないっときの青春という言葉に踊らされて、倫理観を忘れている戦争なのだから。
……ちなみに、おれがクラス対抗魔術合戦に本気になっていたのは、クラス対抗魔術合戦で得られる成績や名誉のためであり、断じていっときの青春、やら、クラスの絆やらに踊らされたわけじゃない。
というか、そもそもおれはそういった物に興味がない。
「でも、シャテン先輩とアイラ先輩が一緒でよかったです。なんだかんだ楽しかったし。一人だったら、お姉ちゃんのこともあるから、耐えられるかどうか……。」
「アタシも!」
「おれも……珍しく、女子と話しても楽しかったね。」
「女子と話してもってっ……。」
「女子同士のノリは嫌いなんだ。もちろん、男子のノリも。だからおれは教室でいつも一人でいる。」
「随分と詳しいじゃないか。セージグリーン。さては、マフィア・ローゼンに知り合いがいたりするのか〜?」
「……いや、ただ、噂を聞いただけですけれど?」
「ふん、まあいい。」
ふん、と鼻をならす金髪。
その瞳には、俺に対する疑いなど、微塵も残っていなかった。
ほっと、小さく一息をつく。
おれは家名に恥じない力をつけたいから、もし闇市に行ってマフィアと話しているなんて、バレてしまったら……大変だ。
それからも、アイラ君が別人のように豹変したり、魔法警察が来たり、色々ありつつも、おれ達は、荷馬車の中でときを過ごして。
そして、ついに先生はやってきた。
「リオ・マーティン。それが俺の、名前です。」
と。
その名乗り方はいささか不自然だったが、おれは特段きにしなかった。
二日にわたって飲まず食わずなうえに、馬車に放置、だ。
自分の感覚もだいぶ鈍ってしまっていて。それが故、ふだんなら疑問視する異変も見逃してしまったのだろう。
おれがその異変の正体に気がつくのは、それほど遅くはなかった。
「?」
意味が分からない、という風に首をかしげるナーツワーグさん。
銀髪に生えていた耳も一緒に傾く。
平時ならば、その耳の存在も気になっていたのだが、いまは緊急時でおれも脳があまり回っている状態とは言えなかったため、おいておくことにした。
「「リオ先生っ‼」」
ナナ君とアイラ君が一緒に声を上げ。
リオ・マーティンは、うなずいた。
おれ達に向かって――否、その前に立っている魔法警察官に向かって。
「申し遅れました。マフィアの中級幹部__【空虚な冷徹】とは、俺のあだ名です。」
「うそ、だ、リオ先生がマフィアなんて……。」
「違いますよねっ⁈先生っ‼」
二人は取り乱していたが、おれはそれをしなかった。
元々、人に興味などなく、それゆえ期待もしない。
「……そういうことだったんだな。」
そうつぶやいて。
思えば、色々合点が行くかもしれない。
いくら天才とはいえ、リオ先生が俺達の状況を一瞬で把捉できたことも。そもそも、こんな非常事態にも関わらず、一人でおれ達の捜索をしようとしていたことも。本当の天才だったのなら、【誰か他の先生を読んできて、協力してもらう】ぐらい言いそうなのに。
「マフィア・ローゼン。それ以外の説明がいるでしょうか、魔法警察さん?」
固まった魔法警察官にそう、リオ先生が声をかけ。
そして、戦闘が始まった。
言葉にするのもバカバカしいほど圧巻的で、完結した、力と力のぶつかり合い。
両者の力は拮抗していて中々に決着がつかず。
そんな様子を、おれはぼんやりと眺めていた。
いくら人に期待をしないとはいえ、おれは少しショックだった。
リオ先生――否、リオ・マーティンに、少し兄の面影を重ねてしまったから。
苦手だ苦手だいいつつも、心のどこかでは、この人も兄と同じように助けてくれると信じていたのだろう。
――こんなに兄と似ているのだから。
二人が戦闘を始めてから、そう、たっていないことだろう。
「おい、ガキども。」
マフィアはおれたちのいるほうに向かって、乱暴に呼びかけて。
「わっ!」
と、ナナ君が腰を抜かす。
「お前たちには、俺たちの計画の場所までついてきてもらう。」
「「「……。」」」
おれ達は、無言にならざるをえなかった。
魔法警察官はリオ先生と戦っているし、こんな状況だから、近くに応援も来ないのであろう。
おれたちができることは、ただ一つ。
今後のために、少しでもマフィアに従順にしておくこと。
「異論は、一切認めない。」
「黙って歩け。」
と。
おれたちを馬車の荷台からおろしたあと、マフィアはおれたちの腕につけた縄をひっぱり、あるき始めた。
「なあ。」
おれは、後ろでおれの腕を引っ張っている金髪のマフィアに声をかける。
「あ?黙れっつったろ。」
ち、と金髪は舌打ちをして。
「おれたちが……無惨に殺されたり、とにかく聞くにひどい目に合う、というの本当か?」
先ほど、マフィアがおれたちに話していた内容。
脅しだと思うけれど、いい扱いをされないのも事実だろう。
「ああ?そうっつったろ。めんどくせえガキだな。」
「……。」
と。
すぐに、殺される……なんてことはないと思うが、相手は、マフィアだ。
その手に落ちた以上、命は覚悟したほうがいい。
いつも、闇市で話しかけてくる赤いスカーフのマフィア・ローゼンのメンバーもそういっていた。
マフィアには、気を付けろ。
その手には、堕ちるなよ。
堕ちたら最後、地獄が待っている、と。
もうすぐ、死ぬかもしれない、というときにおれの脳裏に浮かんだのはたった一人の顔だった。
「――兄貴。」
ミュトリス学園の入学試験の際で、八つ当たりしてしまった兄貴。
そのあとは無性に家にいるのが気まずくなって実家からそう遠く離れているわけでもないのに、おれはミュトリス学園の寮に入って。
そこから一度も実家に帰っていないので、兄貴には逢っていない。__正確にいえば、ここに来る前に、一度だけ事故のようなものであってしまったが。。
卒業するまで逢わないつもりだったし、卒業してもできるだけ避けよう、とは思っていた。
その才に焦がされるのが、怖いから。
だから、ミュトリス学園に入ってからは、努力を重ねて、少しでも、誰かの才に、焦がされないようにして。
それでも、兄貴の顔は一向に脳裏から離れようとしない。
そんなおれを嘲笑うかのように。
苦手なはずなのに。
逢いたくないはずなのに。
浮かんでくるのは、もう一度、あの日を__ミュトリス学園の入学試験の合格は大曜日をやり直せたら、なんていうくだらない妄想で。
おれもそんな自分に少しあきれていて。
「あ?」
おれのつぶやきに金髪のマフィアが反応して。
「なんでもない。」
おれは小さく首を振ってあるき続ける。
歩くおれたちの服に時々引っかかってくる小枝が、おれ達を最後にとめているように見えた。
しかし、関係はない。
おれたちにできることは、歩き続けるしかなかったのだから。
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