崩れる日常、満ちる悪意~アイラ・シャーロットの内心~

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崩れる日常、満ちる悪意~アイラ・シャーロットの内心~

 アタシ、アイラ・シャーロットはいたって平凡な人生を送っているはずだった。  平凡にも言いようがあるかもしれないが、とにかく世界の秘密を知ってしまったり、他国の犯罪組織と戦ったり、世界の危機を消そうとしたり、そういった事とは無縁なはずだった。  しかし、何の因果があったものか。  アタシも中学二年生の時にそういったものに関わってしまう。  今考えても、いつ、どうやってアタシの運命の糸が狂ったのか分からないけれど。  ただ、一つ言えることは。  もしかしたら、全ての始まりはあの爆発だったのではないかと。  ファンティサールのほとんどを壊したあの爆発。  それがすべての元凶だったのかもしれないと。  すべての難題が去って、アタシに少し考える癖がついてからはアタシは時々そう思っている。  別に何の根拠もないけれど。  そもそも、あの爆発がなければ、アタシは三年生の先輩二人や、旅人さんに魔獣討伐師さんに知り合うことはなかったのだし、この世界の仕組みだって気にしないまま一生を終えただろうから。  ◇◆◇  アタシ、アイラ・シャーロットの朝は早い。  単に洋菓子店を営んでいて、朝早くから仕込みがある両親とは違い、アタシは本来登校時間ギリギリまで寝ていてもいいはずだけれど、それをしないのは毎朝の日課があるからだったりする。  近所をランニングする事。  かなりそれなりの距離を走るため、終わった後にはそれなりの時間になったりするため、アタシはランニングの時間を確保するために自然と早起きになったし、なんならある程度遅い時間に眠ってしまっても体が時間を覚えていて、朝早く起きれるようになる自信すらある。  しかし、その日は何かが違った。  もしかしたら、夢の中で神のお告げがあったのかもしれない。この日は、なにか異常なことが起きる、と。  そのせいでアタシの体内時計も働かなかったのかもしれないが。  いつも時間通りに起きれるはずなのに、その日はどういうわけか、アタシが目覚めた時、壁にあけてあるからくり時計は既に七時を指していて。  「わっ‼もうこんな時間だっ‼」  一瞬でベッドから飛び起き、支度をし始めるアタシ。  「早く学校に行かないとっ‼」  制服に着替えると、慌てて自室を飛び出した。  「アイラ、ずいぶん遅かったね。」  ダイニングに走っていくと、既に二人の兄が朝食を食べ始めていて、アタシの分の朝食だけがぽつんと残されていて。  優しい形の眉をした二十代半ばの男性が、アタシの席を引く。  __アラン・シャーロット。  シャーロット家の長男で、アタシの一番目の兄だ。  (家の外では)優しく穏やかで、お菓子作りに関しては、家族随一の能力を持っている。  __忘れてはならない。  いくら手際よくアタシの席を引いたからといって、この人はアタシのお菓子を食べようとした人だ。  さらに、もう一つ。  アラン兄は、多分百パー善意でアタシの椅子を引いていない。  多分、急いでいるアタシが椅子を引くと、食卓に余計大きな音が鳴り響くと思ったのだろう。  ……否定はできないが。  「もう、お兄達もおこしてよっ!!」  ぶうう、とアタシは口を膨らませながら、席に着く。  「……いつもは自分で起きているくせに。」  と、アラン兄の隣で、二十代前半の男性が呆れた。  アーサー・シャーロット。  シャーロット家の次男にして、無口で不愛想。努力型だし、お菓子に向き合う姿勢は認めなくもないが、とにかくこちらも忘れちゃいけない。  この人も、昔、アタシのお菓子を食べられなくした人だ。  「はぁっ?!アーサー兄、意地悪ッ!!」  アタシがアーサー兄に怒鳴ると、アーサー兄は、ぷいとそっぽを向いた。  「アーサー、どうどう。」  と、アラン兄がアーサー兄をなだめる。  アラン兄も昔、アタシのお菓子を食べられなくしたので、アーサー兄より上の立場でそれを言うのはどうかと思うが…。  「……。」  「ていうか、それを言うなら、お兄達だって前、アタシのお菓子取ったくせにッ!」  アタシの言葉に、お兄達は、はぁあ、とため息をつく。  そして、赤子を見るように。  「……まだそんな昔のこと引きずっているのか?」  「やれやれ。アイラはおこちゃまだよ。」  「はぁっ?!」  何を言っているのだろう。  そもそも、この人たちのせいであのお菓子は食べられなくなったのではないか。  なんか二人は呆れた目でこちらを見ているが、そんなことで罪はなかったことにはならない。  昔、お菓子を包んだ際に一つ余ったものをアタシが食べようとした時、お兄達がそれを目撃したのがきっかけだった。  アタシより五歳は年上にもかかわらず、お兄達はそのお菓子をアタシにあげようとせず、三人でお菓子をめぐった取り合いが起きた。  結局、なにかの拍子にお菓子はゴミ箱に入って食べられなくなってしまった。  両親は、運が悪かった、と言ったが、アタシはそうは思えなかった。  あれは、実質お菓子をとったのと同じなのだから。  そもそも、お兄達がお菓子を取らなければ良かっただけの話だ。  「ていうか、時間は大丈夫なのか?」  と、アラン兄が時計を指さして。  八時ゼロゼロ分。  ……もうすぐ、学校の時間だ。  「やばいッ……!!そんなことしている場合じゃないっ!遅刻遅刻っ……!!」  アタシは慌てて玄関に駆け出す。  アタシの家の玄関は、店とつながっていて、店の裏口みたいな役割もある。  玄関付近に来ると、本日のお菓子を準備している両親の姿が見えた。  「お父さんっ!お母さんっ!」  アタシは駆けながら、両親を呼んだ。  「おっ、アイラ。もう学校の時間か?」  「うんッ!ていうか、もう遅刻寸前っ!!」  「そう。帰ったら新作お菓子の試食があるから、気をつけて行ってきてね。」  「分かったっ!!行ってきますっ!!」  と。  アタシは玄関の魔方陣に触れ、ドアを開けると、箒に飛び乗り、ミュトリス学園に向かった。  なんてことない、アタシの日常の一角。  それがその日で終わるとは、アタシは思ってもみなく。  箒を下駄箱の近くにおいて、慌て教室に駆け込み、その、数秒後だった。  学園内に鐘の音が響き渡ったのは。  登校時間終了の鐘。  この鐘の音がなった後に、学園の敷地内に入ると無事、遅刻扱いになる。  「ふーっ。ギリギリセーフッ!!」  はぁぁ、と息を整えながら、アタシは自分の机にもたれかかる。  いくら運動神経がいいからといって、こういう時ですら息が切れない訳ではない。  むしろ逆で、こういう時こそ、人は本気を出してしまう。ゆえに、いくら体のスペックがあったところで足りない。  「アイラ~。おはよ!」  後ろの席から、つんつん、と肩をたたかれ、そちらの方を見ると、金髪の少女が笑った。  「おはよ、シャナちゃんっ!」  金髪をおさげにした少女は、アタシの姿を確認すると、にっこり笑った。  「聞いてよ〜。ウチのお袋がさ〜?勉强しいひんと、家の手伝いしろ、いうてん。もうすぐテストなのに、うざいっちゅうねん。」  と。  彼女はシャナちゃん。  アタシの友達で、町の小さな洋服店の娘さんだ。  彼女の親は彼女に店を継がせたがっているみたいで、シャナちゃんには勉強より家業の習得を優先させようとする。彼女もよくそれを愚痴っていた。  __というか。  「わっ!!テスト!今の今まで忘れてたっ!!」  アタシは勢いよく立ち上がる。  反動で、机に置いてあったペン立てが転がり、慌てて元に戻す。  「……ウッソやん。」  あきれたように、シャナちゃんが言った。  「違うってッ!新作お菓子の事で頭がいっぱいでさっ!」  「……ウッソやんっ?!」  「アタシ、勉强してないんだけれどっ?!」  今の今まで、今度家の洋菓子店で出す新作お菓子のアイディアを考えていた。  材料の比はどうするのか。トッピングには何を使うのか。  大切な要素だけれど、全部、気が抜けなく。  否、問題はそれではなかった。  もうすぐ後に来るというテスト。  アタシはまったく勉強をしていない。ただえさえ、留年ギリギリの成績だというのに、もし赤点をとったら、今度こそ留年してしまうかもしれない。  「うーん、アイラはその場しのぎなところが難点なんよなぁ〜。」  慌てて机の上に勉強用具を広げるアタシを見ながら、と、シャナちゃんが苦笑した。  「うんッ!!アタシ、よく脳筋って言われるんだッ!!」  お兄達も、先生もよくアタシをそうたとえる。  「……褒めてはないで?」  と、困ったように眉を下げるシャナちゃん。  ほめてはないのなら、一体どういう意味だろう。  アタシが首を傾げた時、ごきげんよう、と。  後ろから声がかかった。  「ふーん、二人共楽しそうわね。」  赤紫色の髪を編み込んだ二つの団子にした少女、ララちゃんだ。  彼女もアタシの友達で、よく話すなかだ。  昨日まで風邪で休んでいたためか、その声も少し小さいものだったが。  「あっ!ララちゃん!風邪治ったんだッ!」  「無闇に軟弱と思われるのも困るわね。ララは、もうちろん皆に案じられるべき存在ではあってもだわね。」  はん、とララちゃんは鼻を鳴らす。  領地こそ持っていないものの、貴族である彼女は、いつも自信満々だ。  「うんッ!ララちゃんは風紀委員だからみんなのことをよく見ているんだよねっ!!」  「……ララの話を地味に違った意味に解釈している気がするのは気の所為だと思いたいわね。」  「病み上がりやもんね。」  と、シャナちゃんがララちゃんを見て、ニコニコと目を細めて。  「……シャナはそのニヤニヤ顔をまずなんとかしてもらいたいわね。」  「?シャナちゃんの笑顔がどうしたのっ?!」  「……その図太い神経はララも見習いたいわ。」  はぁぁ、とララちゃんはため息をついた。  「えっと……?ありが……と?」  「はぁ……。ララはアイラが少し心配だわね。」  と。  同じクラスのロカちゃんもだけれど、貴族の子というのは、普通の子と比べて、どこか、大人びているように思う。  それが貴族が習うマナーなり教養なりに由来しているか、ただ、血筋なのかはわからないけれど。  その時のララちゃんのアタシを見る目も、完全に大人が子供を心配する目だった。  「それなら大丈夫っ!こう見えてもお菓子作りは沢山練習しているからッ!!ちゃんと、卒業までにはプロ並みの実力になっている予定っ!!」  毎日一時間ほどはお菓子を作っているし、休日はほぼ毎日お菓子作りだ。  お兄達もその練習方法で、今の実力を持っているし、練習方法に決して不足はないはずだ。  アタシはそういうつもりでドヤ、と腰に手を当てたのだが。  「なぜそこで進路なのか、無性に不安になってきたわね……。」  「アイラは話ぶっとぶところあるしなぁ。その分、カンとかするどいし、ウチは見てておもろいわー。」  やれやれ、と二人は目元に手を置いて、顔を伏せたわけで。  「ていうか、二人共、進路の話なんて、悠長わね。ララは貴族の一人娘だから公務をしているだけで一生安泰わね。」  と。  「ごっつマウント来たわぁ。」  シャナちゃんがララちゃんのことを軽く睨みつける。  風のうわさで、シャナちゃんの家の洋服店はそれなりの収入があるはずなのに、シャナちゃんの父親がそのほとんどをお酒に使ってしまうせいであまりいい暮らしができていないと聞いたことがある。  ララちゃんの家だって、領地を持っていないとはいえ、貴族としてそれなりの暮らしをしているわけだ。  だから、シャナちゃんはララちゃんと顔を合わせると、時々、険悪な雰囲気になる。  ……というか、それよりも。  「ララとしては、それ以外の選択肢がなかったことも考慮していない発言と思われるわね。」  「……でも、ええやん。公務さえしていれば。」  「マウント……?大陸の言葉で、山って意味だよねっ?!山がどうしたのっ?!」  アタシは、二人の間で使われている言葉がわからなかった。  二人が進路のことで険悪になっているのはわかったが……肝心の、【マウント】の意味が分からない。  「ウチなんて、洋服屋やで。町の寂れた。お袋はウチに継がせようとしているし、ウチが店主になったら、寝たきりの妹の世話も、アル中の親父の世話もやらなかんねん。かといって、ウチもそんなお金持ってへんから、職業訓練校行って他の職業になることもできへん。ララと交代したいわぁ。」  と。  シャナちゃんとは一年の時から仲良くしていて、それなりに知ったつもりだが、この事情は初めて聴いて。  シャナちゃんの家庭事情にアタシは息を飲みながら。  「……ごめん、さっきから話についていけてないんだけれど、山がどうしたのっ?!」  「アイラ、ここは少し黙ったほうがいいわね。」  とん、とララちゃんがアタシの肩に手を置いた。  「??」  「アイラ、ウチ、ミュトリス卒業したら、アイラの処で働くわぁ。」  「え?」  突然の言葉に、アタシは動きを止めた。  「弟子入りさせてもろて、アイラと一緒にプロになるん。いい考えちゃう?」  「うんッ!いいよッ!!」  話の流れがまったくつかめないが、お菓子作りにそれなりの誠意を持ってくれているのなら、アタシは大歓迎だ。  「良かったわぁ。いつか二人でビッグなお菓子職人なろうな?それで、ファンティサールを――いや、ラマージーランドを支配して、ウチらのものにするん。いつの間にか、うちらお菓子の女王二人組って言われて、ほんまに国支配出来るかもなぁ。」  その笑みが下衆たものに見えるのは、アタシが寝坊したせいで寝ぼけているからだろう。  ……そう思いたい。  「ゴメンッ!アタシ、征服系の歴史は得意じゃないからッ!!」  「……そうくるん?」  歴史はあまり得意ではない。  誰が誰を倒したとか、支配したとか。  名前が長くてややこしいし、こちらもそこまで覚えていられない。  「ていうか、なら放課後アタシと一緒に練習しようよッ!2時間ぐらいッ!」  と、アタシは彼女の手を握って。  「……休日の場合やろ?」  「?休日はほぼ朝から晩までだよっ!!」  「……ウッソやん。」  「二人共、与太話をしている時間はないわね。もうすぐリオ先生が来るホームルームの時間わね。」  と、ララちゃんが教室の扉部分を指さした。  その時だった。  「みなさん、おはようございます。」  そこには、水色の長髪をひとくくりにした、紫紺の髪をした男性がいた。  リオ・マーティン先生。  アタシのクラスの担任で、穏やかな人格と口調を持っている。  そこらへんはスラッシュ先生と似ているが、本の期限を延滞しても怒鳴り声をあげたり般若の形相になったりしないため、スラッシュ先生よりかはマシだと、生徒間でささやかれている先生。  どこか掴めないような雰囲気だが、それとは裏腹に、教師陣の中では、群を抜いた才能を持っているし、その仕事っぷりも有能だと噂で。  アタシも休み時間など比較的先生に話に言っているほうで、先生とはキャラは違えど気が合うし、話も合う。  「それじゃあ、本日のホームルームをしようと思います〜。」  穏やかに、先生がそう言って。  いつもと変わらない言葉。変わらない景色。  アタシも、だから錯覚してしまったのだろう。  アタシが生きているのは、何の変哲もない日常の中で、それはこれからも続いていくのだろう、と。  アタシたちが授業を受けている上から、謎の爆発が降ってきたのは、その日の一限目の時だった。  「うーん。ここに釘が必要なんだけれどな。」  父さんが、店の壁を見つめながら、そうつぶやいた。  足元には工具箱。  大陸と違って、魔法が使えるラマージーランドとはいえ、その住民は地味な作業にも慣れていることが多い。  例えば、それは大工作業とか。  やろうと思えば、魔法で出来ないこともないが、管理にも維持にも膨大な魔力が必要だし、それには魔力も財力も少ない庶民には向いていない。  というわけで、ラマージーランドは、魔法が使える割には、こういうところはアナログで対応している少し変わった国なのだ。  父さんがたっている目の前もそうだ。  【ル・プティ・ボヌール】。  アタシの両親が経営している洋菓子店で、父さんたちの代で四代目。資金力が大きいわけでも、設備が新品なわけでもないが、古く長く町の人に愛されてきた洋菓子店で、アタシもその店の娘であることを自慢に思っていた。  初代店主が作ったという、店の設備一式も。  それが、すべて、あの爆発の後、緊急的に下校をしてみると、見るも無残に壊されていて。否、店だけではない。アタシたちの家も、半分ほどひびが入っていた。  アタシたちの店、【ル・プティ・ボヌール】はしばらくの間は、休業せずにいられなかった。もっとも、あの時開業していたところでお客が来てくれるかというと、みんな自分の生活でいっぱいいっぱいなのだろうが。  あの爆発が起きて二週間ほどは、町の様子も戻らなかったし、アタシたちも自分の生活でいっぱいいっぱいだったが、それが二週間を過ぎたあたりから、だんだんと町の様子が戻ってきて、生活も少しずつ余裕が出てきた。  そのころからだった。  アタシたちの店を少しずつ直す動きがあったのは。  とはいえ、あの爆発のせいで、家の中にはあまり使える道具というものがないのに、その道具すらアタシたちの生活に浸かってしまっていて、修理に使える道具というものがなく、修理は難航していた。  「あッ!アタシ、買いに行ってくるッ!」  アタシは先ほど家の地下室から取り出してきた食材を、財布を持ちながら父さんに話しかける。  爆発からもうすぐ一か月がたとうとしている。  一部の場所では、市場も再開していた。  とはいえ、状況が状況なので、お金を使えるとも限らず、念のため食材を持っていくことにした。  「本当か?」  「うんッ!もう市場では売り物を再開しているところもあるくらいだしっ!」  そういいながら、アタシは駆け出した。  効率化とかそんなのじゃない。  ただ、考え事より早く体が動く性質なだけで。  「じゃあ早速、行ってきます!」  と。  アタシは路上市が開かれている場所へと駆け出していき。  その時だったと思う。  どしん、と。  走っているアタシの右肩に誰かがぶつかってきたのは。  「わッ……!」  慌てて地面に手をつくと、アタシの持っていた鞄から財布と食材が転がり落ちて。  とたん、手が痛みを訴えかけてくる。  体育の時間に、様々な種目で男子たちと本気で競争することで、地面にぶつかることはあって、一応受け身らしきもののとり方は身に着けているが、それでも手の痛みがゼロになるわけじゃない。  「あぁん?」  と、アタシとぶつかった男性がアタシのほうに首を傾げた。  黒色の服で全身を固めた、どことなく柄が悪そうな男性。そうとうご立腹のようで、原因はたぶんアタシがぶつかったことだろう。  「す、すみませんっ……!」  アタシは慌てて黒服の男性の男性に頭を下げ、地面に転がり落ちた財布をとろうとして。  その時だった。  がしり、と黒服の男性がアタシの腕を掴んだのは。  「おい、てめえ、俺が誰かわかってやってんのか?」  と、黒服の男性はアタシを睨んで。  「えーっと?」  意味が分からない。  実家の洋菓子店には様々な客が来るし、常連さんやお得意様はある程度覚えているが、こんなひと、見たことないし。  アタシはこの年齢の人たちと交流を持つ趣味なんてないし、第一、お客としてきたら、こんな印象の強い人、一発で顔を覚えてしまう。  ぽかん、としたアタシの表情でその質問の答えが否と悟ったのか。  黒服の男性は、はぁぁ、とため息をついた。  「マフィア・ローゼンだよ。マフィア・ローゼンッ!腕を見ろ!」  と、左腕を見せてきて。  確かに、そこには細かく彫り込まれた黒いバラの花が描かれてある。  「ほ、本当だ……。」  マフィア・ローゼン。  大陸にはこびっていた、犯罪者集団だと聞いたことがある。  それが、数年前から、なぜかラマージーランドにいると。  その犯罪者組織がどういうことをしているのかは具体的には言わない。  否、アタシはあまり近くにいないから、実のところ、マフィア・ローゼンの実体は分からないのだが。  それでも、できれば近づきたくないと思っていた。  近づいたら最後、どんな目に合わせられるかわからないから。  幸い、爆発が起きる前まではマフィア・ローゼンは港の近くにいて、近づかない限り安全だったはずだ。  しかし、爆発が起きてからはその港も荒れに荒れて。マフィア・ローゼンも町を闊歩し始めて、アタシも街を歩くときは、できるだけマフィア・ローゼンらしき人物を避けるようにしていた。  しかし、気を付けているのと、【ならないようにする】のは全然違う。  運の要素が絡むからだ。  せめて、見つかってしまったのなら、今からでも逃げよう。  そう思い、アタシはきょろきょろと辺りを見回して__そして、絶望した。  アタシの周囲の道は狭い一本道で、近くに分岐点は見えず。運動神経に自信のあるアタシならこのまま走り去ることもできるのだろうが、遠くのほうに明らかによっぱらった黒服の男性たちの集団がある。この感じだと、マフィア・ローゼンか。  そうじゃなくても、後ろには下れなそうだった。  酔っ払いに絡まれたら、財布を盗まれたり殴られたりするかもしれないのに。それが、複数もいるのだから。  かといって、目の前には、マフィア・ローゼンが立ちふさがっていて逃げれそうにない。  __逃げることは、出来ない。  「今からお前をリンチにしてやる!」  顔を紅潮させて、ふががが、とマフィア・ローゼンの男性は鼻息を荒くした。  アタシはひっ、と息をのむ。  マフィア・ローゼンに目をつけられたらどうなるか。  そんなこと、噂で百も承知しているはず。  それに、それだけじゃない。  マフィア・ローゼンは大部分が大陸出身のもので構成されていて、そのため彼らが魔法を使うことはない。その代わり、マフィア・ローゼンは【銃】といわれる魔術具のようなものを使って、躊躇なくアタシたち市民を攻撃してくる。  その【銃】という魔術具は厄介で、中に鉛玉が入っているのだが、それが体に入り込んだりすると、治癒魔法で傷をふさいでも、場合によっては悪化してしまうという。それに、鉛玉は王宮魔術師でも取り出すのは難しい、と。  だから、マフィア・ローゼンにあっても歯向かったり逆らったりするのは危険だという風潮がファンティサールにはあった。  「なあ、そんなに時間食って、どうしたんだ?」  アタシたちの方に声がかかったのは、その時だった。  救いが来た、とアタシはそちらを見て。  やがて、失望した。  なぜなら、その男性もマフィア・ローゼンだったから。男性の腕についているバラの紋章が、少し、憎らしかった。  「ああ?こいつがよ、俺にぶつかってきたから、リンチにしようとしたんだ!」  アタシの方を指さし、Aとしよう。最初にアタシにぶつかってきた男性は声を上げる。  「なるほどな。――って待て、こいつ、ダイヤモンド様の言っていた子供じゃねえか!」  後からアタシたちのいるところに声をかけてきた男性__Bとしよう__は、と、アタシのほうを見て、数歩、後ろに引きだがった。  ダイヤモンドって……。  確か、宝石の名前だったような。  宝石がしゃべるって……どんな状況なんだろう。  「ああ?」  Aが眉をあげて。  「攫ってこいって!命令にもあったはずだぞ!」  と、Bはズボンのポケットから紙を取り出し、Aに見せて。  最初は半信半疑の表情だったAも、その紙を見、アタシを見、再度その紙を見、ということを何回も繰り返していくうちにみるみるその表情が青ざめてく。  「待て、……おいおい、ホントじゃねえかっ!」  と。  そして、腰につけられている鞄から、縄を取り出した。  全長数メートルほどの、それなりの長さの縄。  アタシの頭に、嫌な予想が横切って。  「アタシを……どうする気ですか?」   「そんなに決まっている!捕まられてもらうよ――ねぇッ!」  その発言と同時だった。  Aがアタシにとびかかってきたのは。  「っ!」  刹那、アタシはその場所から後ろにバックジャンプをし、Aはアタシのいたところに縄を巻き付けるような動作をする。  数秒にも満たない動作。  カンを信じずによけなければ、アタシはつかまっていただろう。  そう想像させるほど、マフィア・ローゼンは手慣れた様子で。  「クソ……!なぜ避ける。」  く、と唇をかみしめながらマフィア・ローゼンがこちらを向いた。  「アタシ、運動神経には自信があるんでッ!……悪いけれど、アタシには釘を買いに行くという用事が残っていますからッ!」  アタシはそういって、駆け出した。  向こうによっぱらいのマフィア・ローゼンがいるとか関係ない。  そんなことを言っていられないほど、状況は深刻で、アタシの心の奥が、ヤバいといっている。  「そうかい。じゃあこっちも遠慮はしねえよ。」  たった、と走りながらBのそんな声を聞いたが、アタシは構わなかった。  元々運動神経のいいアタシだった。  もう、かなりの距離を突き放したはず。  この調子なら、いくらマフィア・ローゼンの足が速かったところで分岐路にたどり着いてしまう方が先だろう。  「っ。――大丈夫。この速度なら、逃げ切れるッ!」  そう確信をした時だった。  「何っ??」  と、アタシは声を上げて、マフィア・ローゼンのいる方向を見__否、それすらもできなかった。  アタシの体は、動きを封じられていた。  魔法によって。  否、誰かの呪文を唱える声も聞こえなかったし、そもそも、魔方陣なんて書くスペースもないような道なのに。  「か、体が……動かないッ??」  足が動かない。首が動かない。腕が動かない。  ただ、辛うじてそんな状況で目と口だけは動かせるようで。  片足を地面に置いて、もう一方の足は宙にあげたままの姿勢でアタシは固まっていた。  「はは、その顔。だましがいってもんがあるじゃねえか。」  アタシが動けない十数秒の間に、バカにしたようにAはゆっくりと歩いてアタシの目の前に来て。  「……!」  アタシはAを睨みつけるが、Aはハハ、と鼻で笑い返した。  調子のいいマフィアだなと思う。  口を挟もうとすると、もう、口すら動かないことに気が付いて。  もしかして、口は遅れて使えなくなるのかもしれないが。  どちらにしろ、その状況でアタシができることは何もなく。  「いい事を聞いてやるよ、嬢ちゃん。――なぜ、ラマージーランドの住民だけが、魔法を使えるか、知っているか?」  「……?」  いつの日か、授業で聞いたことがあるような気がする内容。  しかし、留年ギリギリの成績のアタシはそんなこと、覚えているはずもなく。  アタシは頭の中で首をかしげながら。  「はは。しゃべる体力も残っていないってか。さすがは特注品だぜ。」  と、Bが笑いながらこちらに来た。  特注品、という言葉は気になったが、今はいったん流すことにした。  それより、目の前の状況だ。  「まあ、いい。話すとな、【血筋】なんだよ。ラマージーランドの住民だけ、この土地にある魔力に反応する、特殊な血が流れているんだ。」  「…………。」  「それで、どうして俺らが動きを止めなければ、喋り続けてもられるのかって?」  「――!」  考えもしなかった。  そういえば、この人たちは、大陸出身だから、魔法が使えないはずだ。  それなのに、なぜアタシの体の動きを止める魔法を使うことができるのだろう。  「単純さ。俺たちが【ラマージーランドの外】から来たからなんだよっ!」  「――っ!」  と、その瞬間だった。  アタシの本能が、危機を訴えたのは。  何がかはわからない。何をかも、わからない。  ただ、状況的に先ほどより、危うくなっているとは、血が言っていて。  かといって、何ができるというわけでもなかった。  アタシは今、体の動きを封じられているのだから。  と、その瞬間だった。  アタシの瞼が、下り始める。  体の感覚がだんだん鈍くなっていって。  思考の鋭さも失墜していった。  「嬢ちゃんは、体力がどうとか言っていたけれど、体力なんか関係ねぇ。全ては【血】だ。血の問題なんだ。いくら体力があろうとも、血には逆らえねえんだよっ!」  「………。」  アタシはその言葉に、答えない。  答えられない。  __なぜならば、アタシは深い眠りに落ちてしまったから。  ◇◆◇  眠りに落ちた橙色の髪の少女を見下げ、先ほど、アイラの頭の中でAと名づけられた男性が息を吐いた。  「――眠っちまったか。」  「早く行くぞ、ニック。」  と、先ほどアイラにBと名づけられていた男性が、ニックの肩をたたく。  その左手は、縄で両腕を縛ったアイラを抱えていた。  「ああ。トム達の荷馬車なんだよな。」  ニック達は歩き始めた。  周りにいる、数少ない人間が、二人の存在に気がついては、マフィア・ローゼンだと理解し、二人をよけ始める。  「そうだぜ。――どうした、柄にもなくそんな、捕虜を見つめて。風邪でもひいたのか?」  「……いや、ダイヤモンド様も、子供ばっかり集めて何がしたいんだろうって。」  「その話か。なら、末端の俺たちが考えることはなにもない。俺たちは上の命令を聞いて、素直に言うこと従ってりゃいいんだよ。それが、【犬】の役割だろ?」  くっく、というBの笑い声に、ニックも数秒黙って、うなずいた。  「そうだな。どんな命令だろうと、従っていれば、バカ高い給料だってもらえるもんな。」  夕日を背後に紡がれる、どこにも記録されない、誰にも認知されない、マフィア・ローゼンの末端の会話であった。  ◇◆◇  がたがた、という振動音でアタシは目を覚ます。  体は、固まっていて、ところどころそのせいか痛みがあって、先ほどまで父さんと店の修理をしていたのに、おかしいな、とアタシは首をひねりながら。  目の前を見ると、茶色の髪をした緑色の瞳の女の子がきょろきょろと辺りを見回している。  「ん……。あれっ?知らな子?」  十一歳ぐらいで、見たこともない子だ。  「随分悪い目覚めだなー。」  と、斜め前から聞きなれた声がして、アタシは振り返る。  そこには、セージグリーンの髪に菜の花色の瞳をした少年__シャテン・ブルーマーの姿があった。  目が覚めると、知らない女の子に、シャテンも一緒。  不思議な状況だが、驚きはそれだけではとどまらない。  「そして、気がついたら意味不明な場所っ!ここ、どこっ?!」  __と。  アタシのいる場所は、やけに天井が低い、小さな部屋みたいなところ。  周囲には荷物がたくさん置いてあり、荷物とか、壁とか天井とか全体的にすすけていた。  「ッ!シャテン先輩、それと……。」  と、茶髪の少女がこちらに気が付き、アタシの顔を見た。  「ねえ、君、ここがどこだか分かる?」  「えっと、いえ、全然……?」  茶髪の少女は、困惑した表情で、首を振って。  「はぁ。人に聞くのはやめたほうがいいと思うけれど。こんな拘束されている中だと、回る頭も回らないね。」  「ってか、アタシ達、拘束されているっ?!」  慌てて両腕を見ると、確かにアタシの腕は縄で縛られていて、動かせないようになっていて。  先ほどまでは、壊れた店の修理をしていたはずなのに。  もはや、ここまでくるとホラーである。  「……それを目覚めたとき気づいてほしい。」  「仕方ないじゃんっ!眠かったんだし。」  ぶう、とアタシは口を尖らせた。  「じゃあ、シャテンはここがどこだか分かる?」  「はん。今の状況でおれに聞く?」  「わからないってことー?」  「……じゃないですかね。シャテン先輩、少しそういうとこあるから。」  と、茶髪の少女が代わりに答えた。  「といいますか、シャテン先輩と知り合いなんですか?」   「?うん。アタシ、アイラ・シャーロットっていうの。シャテンとはクラスメイト。――君は?」  「ナナ・クラークです。園芸部で、シャテン先輩と所属する部活が一緒なんです。」  と。  「そっか!共通点がシャテンぐらいしかないけれど……よろしくね!」  「はい!」  にっこりとナナちゃんは笑って。  そこから、アタシたち三人の荷馬車の中での二日間は始まった。  それから話は少し進んで、この荷馬車から脱出する方法になって。  三人が、いい方法を思いつかないとき、ナナちゃんがぽつりとつぶやいた。  「私、帰ってこない姉を探しに夜に学園に行ったんですけれど、学園を捜索していたら、後ろから人に布で口をふさがれて……。その布の上から息を吸ったとたん、意識が遠のいて、ここにいます。……多分、薬草だと思いますけれど。」  「なるほど……。おれも同じだ。」  と、シャテンが。  「こまったね。おれも、薬草……植物全般には結構かかわっているけど、そんな植物、まったく知らないね。すこし吸っただけで気絶、なんて種、あったら悪い奴らに高値で取引されているだろうに。アイラ君は?」  「へっ⁈アタシ?」  身に覚えのない話と、植物の種類という聞いただけで軽く眠気が出てきてしまう話が出てくるので、軽く聞き流していたのだが。  「ああ。もしかして、アイラ君も。」  「えッ⁉違うよ?普通に。夕方、店の改修作業を手伝っていた所から、記憶がないんだよね……。まあ、何かあったんだろうとは思うけれど。アタシもさっぱりわかんない!」  実際、最後の記憶は父さんが店の壁を見て、何かを言った所だった。  あの時、父さんが言った言葉はアタシには聞き取れなかったけれど、とにかく、それいこうアタシの記憶は真っ暗闇の中で。  ドヤるアタシを二人は苦笑して見つめていた。  「堂々と言い切っちゃうんですね。」  「……その記憶でよく今までこのテンションでパニクらずにいられたね。」  「……っていうか、それならシャテンだって、普段と違うじゃんっ!普段はもう少しおひとり様~って感じなのに。」  シャテン・ブルーマーは、一匹狼だ。  いつどんな時も。授業で班活動が必要な時にすら、遊んでいる人(シャテン談)とは組まず、それどころか淡々と班活動を進める。  その姿勢を一年生のころから貫いているせいで、シャテンには一人も友達らしき人がいなかった。  「……ああ、なんとなくわかります。」  と、ナナちゃんが同調する。  「クラスの時もさ。アタシ、二年間一緒なんだけれど、放課なんて誰かと喋らずにずっと一人でいるし。」  「普段は園芸部の先輩二人と私しか話している相手見たことないです。」  「えっ?!シャテン、部活でもそんな感じなのっ?!」  アタシの言葉に、ナナちゃんが驚きながらもうなずいて。  「……なんで二人はおれの情報を共有しているのかね?」  「ええ、教室でもそんな感じなんですか?」  「うんッ!なんか、一年の四月にアタシが話しかけても、しれーっとした対応でッ!――部活でも友達とか、いないのかなッ?」  「なんか、植物が友達だって……。」  なんか意外な概念が出てきたけれど。  「えッ?それ、本当っ?!」  「はい。」  大真面目に、ナナちゃんがうなずく。  「……なんで二人はおれの情報を共有して盛り上がっているのかね。」  はぁぁ、とシャテンがため息をついた。  「「……。」」  アタシたちは苦笑しながら、顔を見合わせ。  「盛り上がるのなら、せめておれの順位の高さとかにしてくれ。」  「……そこはいいんですね。」  「順位?シャテン、なんか高かったっけ?」  テストの記憶を思い出そうとするが、順位が張り出されたときも、シャテンは順位が高い位置にいなかったと思う。  「グハッ!」  と、シャテンが痛そうに顔をゆがめながら。  ……ていうか。  「なーんか、ほとんど平均値近かった気がするけれど……。」  アタシの言葉に、シャテンが再び顔をゆがめ。  「グハッ……!」  「シャテン先輩、さっきから顔色悪そうですけれど、大丈夫ですか?」  「…あんたに温情があるのなら、今は話しかけないでくれない?」  と、シャテンは死んだような声でナナちゃんに応えた。  「分かりました……?」  呑み込めないような表情で、うなずくナナちゃん。  「でも、シャテンこれってクラス対抗魔術合戦で大ダメージ食らった時並みの顔色の悪さじゃない?」  「アイラ君はそれを思い出させないでっ!」  顔色が悪いながらもアタシを睨んだシャテンに、ナナちゃんが首をかしげて。  「?」  「……だから、体の傷じゃないんだってば。」  それを見たシャテンが、はぁぁ、とため息をついた。  「――で、何話してたんだっけ。」  「わるかったな、普段と違って。おれは利害関係が一致すれば、普段興味ない奴らともつるむんでね。」  「むっ。興味ないってっ!ちょ、シャテン酷くないっ⁈」  いくら、普段一人でいるとはいえその言い方はないのではないか。  アタシが頬を膨らませると、シャテンはため息をつく。  「別に、あんたのこととは言っていないけれど?」  「んむ~~~っ‼」  と、アタシは頬を膨らませる。  その時は、本気で怒っていたつもりだったけれど、そんなものが冗談で済まされる、とわかったのは、すぐ後だ。  なにせ、マフィアにその命を危険にさらされるのだから。  日が明けて、アタシたちも荷台の生活から解放される時が来た。  一日目はなれない環境というのもあって、お腹はすかなかったものの、流石に二日目だ。  うっすらお腹がすいてきたところ、アタシたちの荷台のドアはあっさりと誘拐者に。  「まあいい、絶望しろ。お前らを誘拐したのは、上司の命令なんだ。マフィア・ローゼンって知っているか?」  と、マフィアは名乗り出て。  「「「――ッ!」」」  三人、息をのむ。  マフィア・ローゼンといえば、語るまでもない。  大陸から来た悪党組織で、関わったら最後、どうなるかわからないと。  アタシたちの表情を見て、マフィアはにやりと、笑って。  「話は早い。俺達が命令を受けているのは、その上層部からなんだ。」  「上層……部?」  と、ナナちゃんが繰り返した。  「ああ、【ダイヤモンド】様直々の命令だ。」  悠々と、マフィアの金髪の男性は告げた。  「……ッ!」  そのときだったのだ。  アタシの胸に、なにか、強烈な違和感が走ったのは。  まるで大人に褒められた子供みたいにあるいみ自慢げにそれを告げる彼に、アタシは今まで感じたことのない説明のしようがない感情を感じて。  「アイラ先輩、どうしたんです?」  と、ナナちゃんがこちらをみた。  ほんとう、色々気が付く子だと思う。  荷馬車の中でも、いろんな変化を発見できて。多分これが、気が利く、ということだけれど。  「……ううんっ。どうもしていないよっ!!たぶん、アタシの気の所為っ!!」  アタシは勢い良く首を振って。  「……?」  ナナちゃんは首をかしげたが、それ以上突っ込まなかった。  「ダイヤモンド様の言うには、お前ら三人を、名指しして、連れてこいってんな。」  「「「……っ!」」」  と。  その言葉に、アタシたちは息をのむ。  やれダイヤモンドやらルビーやら宝石の名前でややこしくて頭が付いていかなかったが、それでも話的にヤバいのは理解できて。  く、くく、と黒髪のマフィアが笑いだした。  「すごいね、ガキ共。ダイヤモンド様が子供を名指しすることなんて滅多にないからな!相当恨み買ったんだろうなわっはっはっ。」  「クククッ……でも、センパイ。ダイヤモンド様もまだ子供ですけれど…っ。プ……ククク。」  「わっはっは。子ども同士の恨みあいでもあったんじゃね〜の。」  「えっプ……ハハッ!ちょ、流石にこいつらかわいそうくないですか?子ども同士の恨みとはいえ、上級幹部に呼び出されたら、勧誘か、実験か、殺害か。大抵ろくなことないじゃね〜っすか。」  「「さ、殺害ぃっ?!」」  その言葉に、アタシとナナちゃんは声をそろえる。  「っ!?そんな、殺害なんてっ……。」  「どうなっても、あんまりいい方向には向かないんですよね……。」  危害どころじゃない。  このマフィアは、アタシたちを今から__  「だから言っただろう、お前ら。【絶望しろ】、と。」  にやり、とマフィアの残酷な笑みに。  「いや、だ……。」  ナナちゃんは小さく首を振って。  「お前らには、後にも先にも、絶望しか残ってないんだよっ!!」  マフィアが弱い者いじめをしたい、とばかりにナナちゃんにそう怒鳴った時だった。  また、あの形容しがたい感情__義憤以上の感情を感じてしまったのは。  「やめてッ!!」  次の瞬間、アタシは声を上げていて。  「ああ?」  と、マフィアは眉を上げて。  「今すぐ開放してくださいッ!!アタシ達をっ!!早くっ!!」  怒鳴りながら、アタシは理解した。  ああ、アタシはこの人たちが憎いのだな、と。  アタシたち三人に危害を加えるのなら、消えてしまえばいいと思っている。  その感情に、気が付いてしまった。  かといって自分自身に嫌悪感はなかった。  だって、マフィア・ローゼンは元々恨まれるようなことをやっていたような連中なんだから。  「――ああ、急に目つきが変わりやがって。」  ぎりり、とマフィアはアタシを睨みつけ。  「今のお前に何ができるんだ、……そう思いますよね、センパイ。」  金髪がそういうが、アタシの意志は変わらない。  「……ッ!!」  消えてしまえ。消えてしまえ。  貴方たちなんか、消えてしまえ。  消えてしまえ。消えてしまえ。  「……アイラ先輩?」  と、ナナちゃんの声がして。  アタシの思考は一旦停止して。  アタシはなんでもないよ、とナナちゃんに笑いかける。  別に何も、この思考を知られる必要はない。  しかし、ナナちゃんの言葉に一度、頭を冷まされたあとも、アタシの考えは変わらなかった。  アタシたちに害を及ぼすようなマフィアなら、消えてしまえばいい。  「ま、せいぜい増長しているといい。――ところで、なんでここでお前らの様子を確かめたか、知っているか?」  と、マフィアの男性がアタシたちの手を縛っている縄を手にして。  猛烈に、嫌な予感がして、アタシは頭の中で再び繰り返し始める。  消えてしまえ。マフィアなんて、消えてしまえ。  それからは、色々あった。  魔法警察官が来て、アタシたちは再び荷台に閉じ込められた、とか。  アタシたちの存在に気が付いた耳が生えている奇妙な魔法警察官が、アタシたち三人を助けようとしたけれど、マフィア・ローゼンの中級幹部のリオ先生と戦いになって、こちらまで手が回せなくなってしまった、とか。  そうこうしているうちに金髪と黒髪が、アタシたちの手を縛っている縄を引いて、アタシたちを【ダイヤモンド】という人の元に連れていくことにした。  距離自体は、それほど長くなかったと思う。  せいぜい歩いて十分か二十分程度。  いつものランニングを思えば、なんてことのない距離だ。  ただし、マフィア・ローゼンの二人がアタシたちの生殺与奪を握っているせいで、その場の空気は糸が張り詰めたようになっていて、その場所についた時には、学期末の数学のテストを解いた時よりもへとへとになっていた。  【ダイヤモンド】が待っている、という部屋は、四方が真っ黒に塗りつぶされた、奇妙な部屋だった。  部屋にはすでに三人の少年少女がいて、二人は腕を拘束されて、椅子に座らされているが、もう一人__銀髪の方は、椅子に座ってもいなければ、拘束されてもいない。  というか、むしろこんな状況でも悠然と歩いている。  一発で、【ダイヤモンド】が、誰なのかわかってしまった。  そのまんまるい瞳を好奇心に輝かせながら、少女はアタシ達の手を縛っている縄を握っている男性と飄々とコミュニケーションをとる。  それは、まるで親しい間柄の友人にでも接するような。いたって普通で、どこにだって存在しそうな動作で。  だからこそ、アタシはどこか、恐ろしかった。  さきほどまで、アタシたちの前では、強気だった、黒髪の男性がしおらしくなってしまうほど。  具体的には形容しづらいが、彼女は何か、場をゆがめるような潜在力を持っていたのだと思う。  「そそ。ほぉーんと、二人っとも遅いんだから。僕、待ちくたびれちゃった!」  明るい口調で腕を広げながら、【ダイヤモンド】は、そういって。  その様子は、マフィアすら想起させない、どこの街角にでもいる、普通の少女のように思え。どこかで見たように錯覚があったが、それも多分気の所為だ。  それでも、アタシは【ダイヤモンド】に好感を持ったわけでは断じてないと思う。いくらマフィアらしくないとはいえ、アタシたち三人を誘拐し、二日ほど呑まず食わずにさせたのは、この少女が元凶だ。  ただ、一つ、普通の少女らしくないところは、ダイヤモンドの瞳が、少し、濁っていた事か。  こちらに気が付いたのか、椅子に座らされていた少女がこちらを振り返る。  よく見慣れた青い髪のハーフツイン。  彼女はアタシと同じクラスの、天才少女、ハスミ・セイレーヌ。  ハスミちゃんはアタシ達の顔を見て、驚いたように目を見開いて。  「あっ……アイラさん、シャテン君⁈それに、向こうの女の子は……ナナさん、だよね?」  と。  「ハスミちゃんッ!……なんで。まさか、ハスミちゃんも?」  ハスミちゃんは、爆発の原因の調査をしているはずなのに。なぜここにいるのだろう。  それに、隣の水柿色の髪の少年も。  ここに拘束されている理由も、アタシ達には検討がつかなかった。  ダイヤモンドは、アタシ達を狙ってここまで攫わせて来たって言っていたけれど、それはハスミちゃん達もいっしょなのだろうか。  同じく、ダイヤモンドに狙われて、ここに来た。  だとしたらやばいことになりそう。  心の片隅で、何となくアタシはそう思って、  「そこの君たちもっ!なんでここに連れてこられたか、気になるよねー。教えてあげよっかなー。あげないかなー。」  というか。  「あのひと、ミュトリス学園の二年生だった気がするっ!」  どこかで見た【気がする】ではない。  この人は、以前クラス対抗魔術合戦に参加したとき、アタシ達を倒そうとしてきた他クラスの少女。  確か、エミリー先生に宿題出していないのを見つかって、あっさり退いていったけれど。  それ以降、学園内でも目にすることはあまりなかったけれど、覚えている。  あのときは全てが戦なようなものだったから。  「…えっ。」  ナナちゃんが隣で声を上げた。  「そそ、アイラっちすごーい!その観察力はほめてあげる。そう、僕はミュトリス学園の二年生に雲隠れしているマフィアなんです。」  ドヤ、と彼女は腰に手をついて。  その様子に、アタシは一層嫌悪がこみ上げた。  あれほどひどいことをしていて、何なのだろう、その態度は。  ていうか、アイラっちて、アタシのことっ?  「名乗り遅れちゃったね!僕はシェイミー・セコンダレム。もう知っている人もいると思うけれど、今から幸せになっちゃう悲劇のヒロインなんだ!」  シェイミー、と名乗った少女はパチリ、とウィンクをかまして。  その、なれた様子に。  こなれたセリフに。  「……悲劇のヒロインというのは少々買いかぶりすぎだと思うけれど?あんたはマフィアだし、この世界はそんなご都合主義で出来ていない。出来ていたら、――。」  と、言葉を発したのはシャテンだった。  が、何かを思い出したように口を止め、言葉を飲み込む。  「?」  今まで見たことのないようなシャテンの様子に、アタシは首を傾げた。  今まで、シャテンはイヤミな奴だった。  才能を持っているものには毒を投げたり、そうじゃなくてもその場にふさわしくないと思った人や物には案外遠慮なく毒を投げていたと思う。  別に、シャテンが誰かを傷つけたいとかそういうことではなく、単純にシャテンの見ている景色が歪んでいるってだけなんだと思うけれど。  それでも、今までシャテンが誰かに鋭い言葉を投げかける時は、最後まで言葉の端々にキレがあったし、言いよどむことなんてなかった。  それが、今は一瞬でこうなってしまっている。  ――少し、シャテンの様子が変な気がした。  「いいや!僕は、悲劇のヒロインだし、この世界はやっぱりご都合主義だよ!……だって、今から取引されるものは、世界を自由に動かせるものなんだから!」  「?」  と。  まるで、物語の説明文のようなセリフに。  「ご都合主義って……そんな、物語みたいな。」  と、となりのナナちゃんが呟いた。  「そもそも!ナナちゃん、ナナちゃん、――ナナちー。君はさ、自分の生きている世界が本物だと思っているの?自分の見ている事象全てが本物だと。」  ナナちー、というのはナナちゃんのあだ名だろうか。わざわざ3回呼ばなくても、わかるような気がするけれど。  ……ていうか、言っていることがよくわからない。  【事象】ってナニソレ美味しいの?  「?そうなんじゃないですか?過去も、未来も、これから先も。世界がどう変わろうと、私はそれを全て知ることはできないし、だとしたら私から見える全てが私の世界……以外の解釈が必要ですか?」  と、ナナちゃんは首を傾げた。  話のレベルが高すぎて、すでに話についていけていないけれど、荷馬車内の言動でアタシが賢いと見込んだナナちゃんは、ちゃんと会話についていけているらしい。  ……頑張れ、ナナちゃん。  アタシの変わりになにか会話でつかんで来て。  アタシは影で応援しているから。  「違うんだよね。長い長い人生は続くくせに、僕達は、その確証すら持たないまま、存在を続けなければ、いけないんだ。」  と、シェイミーちゃんは腕を広げ。  「過去も、未来も、記憶しかその存在を保証してくれるものはないし、その記憶ですら、確証が持てない……ってことだよね?」  と、以外にもハスミちゃんが答えた。  「そそ!ハスハス、わかっている〜!」  と。ハスミちゃんと、シェイミーちゃんは見えている世界が、少なくとも被ってはいるのだろう。  「私も……誰の記憶にも残らないってことは怖いと、思っていたから。」  と、ハスミちゃんは珍しく、低い声で。  「嘘か、どうか分からないこの世界。その存在を保証してくれるのは、記憶だけ。――だったら、自分の好きなように作り変えちゃえばいいんだもん!この世界はやっぱりご都合主義だよっ!」  と、シェイミーちゃんは力強く言い切った。  …アタシはそうは思わないけれど。  むしろ、それを理由にシェイミーちゃんは悪いことをしているから。  「ここに君たちを集めたのは、今から一世一代の大取引をするから!この近くに、マフィアのボスがもうすぐ来るんだ!それに合わせて、ちょっといい【見世物】を用意するためにね!」  「【見世物】だと⁈そのためにこの五人が…。」  水柿色の髪をハーフアップにした少年が歯を噛んだ。  「えッ?今からアタシ達、サーカスにさせられちゃうのッ?!」  なんか思っていたものより残酷ではないが、それでもヤバいのは変わりがない。  ていうか、想像がつかない分、こちらのほうがよほど恐ろしい。  「いやなぜそうなる。」  冷たい瞳でアタシを見るシェイミーちゃん。  「だって、見世物って言ったから……。」  サーカス、というのは聞いたことがある。  他領で見世物をする旅をする集団だって。ラマージーランドでは、珍しいけれど、大陸では比較的来る、って。  アタシは見たことがないけれど。確か、大陸の文化の影響で、ラマージーランドにも一個か二個あるという話だ。  「だからなぜそうなるって話。」  「えぇっ?違うのっ?」  じゃあ、逆にどういった意味でいったのか気になるけれど。  アタシは、しばらく黙考して。  やがて、ひらめいた。  「……じゃあ、マフィアのボスと取引をするため、アタシ達を呼んだとかっ?ハスミちゃんは頭いいし、ナナちゃんもしっかりしているし、向こうの人もなんかありそうだし、シャテンもなんか……すごく冷静だし、アタシもお菓子が作れるから……?みんなの長所を合わせて、的な?」  この場所には、色んな人がいたから。  「マジで僕をどういうふうに見てるの?」  眼の前のシェイミーちゃんの、呆れた瞳。  「あっるえ〜?」  本当の本当に、彼女の言いたいことが分からない。  「……?」  「そうじゃなくて。君たちは、純粋に取引を見せられる側なんだよ?ただ、【魅せられて】見ることしか、【出来ない】哀れな観客なんだよ!――僕の物語はいつだって僕が主人公だから!そこを勘違いしないでよね?」  マジで何を言っているのか、何を言いたいのかすら分からない。  アタシ達が観客だなんて。  「……みんな、僕に、跪けば、いいや。」  シェイミーちゃんはどす黒い声で、低く、小さく、呟いた。  先程までとその声音は変わっており、それは彼女の本心か、本質か。  あるいはただの聞き間違いかもしれないけれど。  「今に見ててよ。自分の見てきた世界が壊れるところ。理想が、崩れるところ。__愉しんでよ?」  くけけ、と彼女は不気味に笑った。  それが誰に向けられた言葉なのかは分からない。  ハスミちゃんか、水柿色の髪の少年か、ナナちゃんか、シャテンか、それともアタシか、もしくはここにいない誰かなのか。  分からなかったが、その銀色の瞳は悪意に満ちて光っていて。  ――誰かを傷つけることだけを、楽しんでいる人の顔。  きっと、彼女は、人を傷つける事を、箒で飛ぶことと同じくらい手軽に思っており、なおかつ身近に思っている。  そして、そこには一抹の罪悪感すらない。  その瞳を見て、一瞬で理解できて。  アタシは彼女を、顔が千切れてしまうと錯覚するほどに思いっきり睨んだ。  ただ、許せなかった。  目の前の存在が。  「――ッ!」  今、目の前にいるこの人なんて。  ――どうなってしまってもいいや。  だって、アタシ達に危害を加えようとしたでしょ?  シェイミーちゃんはアタシの視線に気が付かなかったが、アタシは彼女をにらみ続けた。  ずっと、ずっと。
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