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この世界が、嘘濡れだとしても~ファルト・ナーツワーグの変身~
フェール・ナーツワーグの穏やかな日常は、一抹の悲鳴によって、壊されてしまった。
それも、自分の妻によって。
その日もいつものように魔法警察の職務の結果を書類に書いていた時だった。
「ああああああっ!狼ッ……!狼がぁッ……!」
と、二階で息子であるファルト・ナーツワーグの世話をしていたはずのドロミーが大声を上げたのは。
フェールは、魔法警察のそれなりに、偉い立ち位置の人物であった。
街にはその名声は伝わっており、魔法警察内では誰もが知っている、というレベルの。
年齢にしては異例の大出世、フェールは元々の人の上につく素養に加え、魔法警察の任務に人一倍打ち込んでいたため、それが評価されたのだろう。
もっとも、フェールの出世をよく思わず、フェールを左遷しようと思うものも少なからずいたが、そこは割愛する。とにかく、フェール・ナーツワーグは、その理不尽がまかり通る魔法警察内ですら、フェールは正攻法で、それを突破したのだ。
故に、フェールの給料は高く、その家は広く、人の悲鳴など簡単に響き渡らないはずだった。
しかし、なぜかドロミーの悲鳴は、フェールの耳元で聞こえたと錯覚してしまうほどには大きいもので。
フェールはその異常事態を察知して、座っていた椅子を蹴るようにして起き上がり。
「ッ!」
そして、すぐさまドロミーのいる方へと向かっていく。
「すぐに行く!ドロミーッ!!」
フェールは魔法で全てを制する、と言われているほど魔法に優れていて、魔法警察内では、それにかなうものは誰もいないとされているフェールだが、その運動能力だって、劣ったものでは決していない。
むしろ、魔法警察内の平均では早いほうだろう。
フェールはその足で一度も立ち止まったり息切れることなく、広い家の中を駆け抜けて、ドロミーのいる部屋へと到着する。
そして、勢いよく扉を開けた。
「あああああああああああ!!」
ドロミー・ナーツワーグは、今も叫んでいた。
先程よりかは声がかすれているものの、その緊迫は、彼女の中の恐怖は、全く恐れることなどなく。
彼女の手にあった、血のついているそれを見て、フェールは驚愕した。
「――何を、しているんだ?」
それは、血のついたナイフであった。
かつてフェールが護身用にと、ドロミープレゼントし、ドロミーがそれ以来肌身離さず持ち続けていたもの。
そして、そのナイフの先には、一匹の狼がいて。
その狼は、銀色の毛に、黄色の瞳をしていた。そして、フェールの子供である、ファルトのものである産着を着用していて。
一発で分かった。
この狼が、自らの血を分けた息子であること。そしてドロミーが、息子に、嫌悪を抱いていることを。
衝撃で、フェールはドロミーを呆然と見つめ。
その視線に気がついたドロミーに、動揺が走る。
「この子がッ!狼にッ!この、化け物ッ!」
ドロミー・ナーツワーグが最初にしたのは、自己弁護であった。
ファルトを心配するものではなく、己の汚点をかばうもの。
その行動に、ドロミーに対するフェールの感情は、一気に疑念と失望に変わった。
ああ、この女は、自分の子供のことなどどうでもよく、最初から自分のことしか見ていないのだ、と。
「やめて……そんな目で、見ないでよ。あなた。私は不倫なんてしていないわ。ちゃんと、貴方の子を生んだのよ。それなのに、この、狼が。」
ドロミーは、恐怖に顔を引きつらせながら、恐る恐るファルトを指さし。
その反対側の手に、今だ、護身用のナイフは握られており。
その震える手に、まだ、彼女はファルトを殺す意思があるのだ、と理解して。
「……ドロミー、ファルトは。」
「全部ッ!全部ッ!この、狼が悪いのよ!この狼のせいで!私は、私は……!」
ドロミーは、髪を勢いよくかきむしり、ヒステリックに叫ぶ。
もはや、そこに理性などない。
あるのは我が子の変身によって気を狂わせた、一人の女で。
フェールはドロミーの先__ファルトのほうを向いて。
ファルトは、銀色の毛皮から紅の血を流して、苦しそうに倒れていた。
生まれて一年も経っていないファルト__目の前の子狼は、もはや死の際のような顔色をしていて。
刹那、その体が光に包まれる。
「な――は?」
フェールは身構え、その光景に唖然とした。
子狼は、見る見るうちにファルトの姿に戻っていき。
ファルト・ナーツワーグは冷たい床に倒れていた。
「ファルトッ!」
フェールは慌ててファルトのほうに駆け寄る。
なぜか、傷はなかった。
しかし、フェールは慌ててファルトを抱きかかえる。
息子の無事を、一刻も早く確認したくて。
しかし、その息子の感触に、否、体温に違和感を覚え。
かつて抱きかかえた息子とは、別人と思えるほど、その赤子の体温は低く。
慌ててファルトの方を見、フェールは確信する。
赤子は寝ているときは大きく肩が上下するはずなのに、それがない。
そして、なにより、赤子がする、心地よい息の根が、全く聞こえず。
「――息が、ない。」
赤子は__死んでいる。
フェールは赤子を抱き上げたまま、愕然と立ち尽くす。
ショックで到底、動けそうにない。
「わ、わ……私は悪くないわッ!!それに、あんな狼、殺したほうがましじゃない。」
フェールから少し離れたところからドロミーの震える声が聞こえ、刹那、彼女の駆け出す音。
彼女がファルトが死んだという事実に恐怖を感じて逃げ出したのだが、フェールにとっては、そんなこと、構う余裕など、なく。
その時だった。
すうすう、と何かが聞こえ始めたのは。
「?」
最初は限りなく小さかったそれは、だんだんおおきくなり、やがて赤子の吐息へと、変化する。
どういうわけか、赤子は、息を吹き返したのだった。
「ファルトッ!」
フェールは歓喜の声を上げた。
「無事か。良かった。」
仕組みなど、どうでもいい。
ただ、息子が息を吹き返した事実がうれしく。
「――でも、息は確かにしていなかったのに。どうしてだ?」
少し、疑問に思ったが、今はどうでもよかった。
息子が死んではいなかったのだから。
今、重要なことはそれだけだ。
「これからは、俺が守るから。」
両腕で、しっかりとファルトを抱える。
先ほどまでは狼に変身していたとはいえ、こうして抱えると、本程度の重さであり、握ったら簡単につぶれてしまいそうな赤子。
自分を生んだ母親にすら嫌われてしまったが、せめて、自分だけはファルトを守ろうと思った。
何があっても。
◇◆◇
ぼく、ファルト・ナーツワーグの朝は早い。
近くの山で軽く運動をしてから、朝食に入り、そして魔法警察のファンティサール支部へと仕事のために足を運ぶ。週のうちの半分以上がこの日課なため、結果として休日も早く起きてしまい、今のファルト・ナーツワーグが出来上がったわけだ。
が、その日は違った。
どういうわけか、ファルト・ナーツワーグが起きたのは午前七時過ぎだった。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
ぼくの布団の近くで、エルが跳ねる。
こうやって兄になつく姿は可愛いが、エルも七歳でもう立派なレディである。
むやみやたらに兄とて男の部屋に入ってはいけないよう教えなければいけない。
……いや、やっぱりかわいい。
もう少しだけエルを見ていたいし、注意は今度にでもしようか。
頭の中でそんなことを考えていると、エルがぽん、とぼくの布団をたたいた。
そしてぽんぽんぽん、とたたき始める。
「起きて起きて!朝だよ!」
と。
エルは茶髪で、茶色の瞳、一見おとなしそうに見えるが、実のところは元気っこである。
もっとも、そんなギャップ、可愛い以外の言葉が見当たらないが。
ぼくはエルの小さい拳に、慌てて体を起こした。
「ああ、エル。ごめん、少し悪い夢を見てて。」
「え?悪い夢?」
きょとん、とエルは首をかしげる。
その純粋な瞳は、世界にはこびる悪を知らないのであろうことを理解させ。同時に、見るものに守ってやらねばという庇護欲を想起させる。
「うん。とっても悪い夢。」
原因がわからない、というのは嘘だ。
本当は、心当たりなど、大ありだ。
今日見た、君の悪い夢。それに違いない。
内容は__かつて、お父さんが、ぼくを殺そうとしたこと。
そのまんまで。
「お兄ちゃん、元気ない?だから、寝過ごしたの?」
エルの心配そうな顔に、僕は首を振った。
「ああ。でももう大丈夫だよ。」
エルを心配させるわけにはいかなかった。
それに、ぼくはあの事を割り切っている、とまではいないがずるずると引きずってまではいないのは事実で。
エルの顔を曇らせる程ではなかった。
「分かった!じゃあ、朝食を食べたら一緒に遊ぼうね。」
満面の笑みで、語りかけるエル。
ぼくもそれに、笑顔でうなずき返した。
「うん。」
お父さんも、お義母さんも、どこかぼくに対してよそよそしかったり、利用したげだったりした。
エルだけが、本当のぼくを受け入れてくれる。
エルだけが、ぼくが狼に変身できると分かっていても、ぼくを怖がらない。
だからぼくはエルが、エルといるこの時間がいとおしい。
なんとしてでも、守りたい、大切なものだ。
◇◆◇
時は、七年程前にさかのぼる。
丁度、ぼくが十歳になりたてのころだった。
ぼくは、そのころ外の世界に憧れていた。
幼いころから、父に自分は狼に変身するのだと、言い聞かせられていた。
そして、通行人を襲ってしまうから、外出できない、と。
しかし、その当時の自分には狼に変身している際の記憶がなく、それゆえ、半信半疑だった。
実際、ぼくは十歳の時まで家に閉じ込められていて外に出してもらえた試しがなく、生涯のほとんどをこの家で過ごしてきて、正直もう飽きていたのだ。
変わらない世界に。
つまらない世界に。
もっと、世界に変化が欲しいと思って。
それゆえ、欲してしまった。
【未知】を。【桃源郷】を。
「お父さんは、もう、寝た、よね。」
父の寝室のほうを確かめながら、ぼくは部屋から持ってきた本を廊下に積み立てる。
廊下にある、ぼくの背丈の一・五倍ほどの窓。
そこだけだった。
家で唯一、ぼくが登れそうだったのは。
ほかのぼくの背丈ほどの窓は、父が念のため、ということで取り払ってしまったし、玄関は魔方陣によって、そもそも父が魔力を込めないと開かない仕組みになっている。
しかし、父も予想だにしないないのだろう。
ぼくが、部屋にある本を使って窓から脱走しようとするなんて。
それほどまでに、ぼくは長年父の言いつけを守る模範的な子供だったのだから。
それゆえ、本を足場にして窓のとってを掴むのも、それを開けるのも、簡単だった。
別に、ただ、反抗したいわけじゃない。
「今日こそ月を、見てみたい。」
ただ、それだけだった。
絵本でしか見たことがない夜の月。
窓がないので、それすら見ることが叶わなく。
ぼくは窓の取っ手をつかみ、身を乗り出す。
「えいっ……と。」
大きく開いた窓からは、風が吹いていて。
ぼくは夜の匂いに胸を弾ませながら、月を見ようと、前を向いて。
「――わぁッ!」
思わず、声を上げた。
真っ白な月は、夜空に煌々と輝いていた。
その神聖なる光に。
魅了されないはずがない。
絵本でしか見たことがなかった月。
それが今、目の前にある。
その事実がただ、感動的で。
もっと、月に触れようと、ぼくは手を伸ばして。
その時だった。
「――――なん、で。」
ぼくの視界が、急に黒塗りになったのは。
その疑問を探る暇もなかった。
ぼくの感覚は、ゆっくりと遠のいていき、手を離してしまった窓から、ぼくはゆっくりおちる、落ちる。
意識を失っていくぼくの耳元で、どこからかウオーン、と狼の鳴き声がした気がした。
◇◆◇
次に目が覚めたのは、外の、どこかであった。
具体的にどことは言わないけれど、家の中とは明らかに匂いが違った。
ぼくは、生まれつき五感が他の人より鋭い。
そのせいか、誰かの話している声で、ぼくは目覚めた。
鼻を突き刺したのは、血の匂いと、大勢の人間の匂い。それから、父の匂い。
意識はもうろうとしていたけれど、その匂いを感じるだけで、少し、安心できて。
「――が、――で、――だから。」
「――く、被害の全貌を確かめないことにはなんとも。」
と、父の声。
状況は、まったくわからなかった。
あれから自分はどうなったのか。いえにいたはずなのに、なぜここにいるのか。
そしてそれを考えられる頭でもなく。
「もう、殺してしまったほうがいいのではないですか?」
もう一人の誰かが、そういった。
その瞬間、頭だってまわらないはずなのに、潜在的にそれが自分を指しているのだと感づいて。
「いや、それはやめておいてくれ。」
「――ッ!」
その言葉に、ぼくは息をのんだ。
やはり、お父さんはお父さんだった。
外に出ることを禁止したりはするけれど、それだってぼくのためなはずで、いまでもぼくのためを思って言っているのだろう。
その言葉に、ぼくの胸は熱くなり__
「兵器として、使うことができる。」
__そんなわけなかった。
父の言葉は、どこまでも冷たく、どこまでも可能性を切り捨てて。
「――――」
ぼくは朦朧とした意識の中、その言葉を聞いて。
「これほどの戦力、このまま殺してしまうなど勿体ない。」
ただ、__絶望した。
お父さんは、ぼくを兵器としか見ていないのだ。
ぼくを外に出さなかったのも、周囲の人が危険にさらされるからではない。
兵器の存在を、周囲に知られないため。
お父さんは、最初から、ぼくのことを愛してなどいなかった。
その事実が、無性に辛くて。
かつて、魔法警察として家の外で働く父を尊敬していたことがある。
ぼんやりと、将来の選択肢に魔法警察をいれていた。
外に出たことがないから、その実態は分からなく。
故、それを幻想的に見ていた。
それの本性も知らず。
本当の魔法警察なんて__こんなものなのだ。
「そんな……お父さんまで、なんで………。」
朦朧として、なお消えかかっている意識の中、ぼくは問いかける。
その問いに、答えなんかなく。
ぼくは、絶望したまま意識を落とす。
そこに、弁明も、釈明も、何一つ存在せず。
次の日からだった。
ぼく、ファルト・ナーツワーグが人を__大人を信じられなくなったのは。
◇◆◇
その日、フェール・ナーツワーグは珍しく残業もなく、家にまっすぐ帰宅した後、もろもろの事を終わらせてから眠りについたはずだった。
フェールはそれなりに充実した眠りについていたが、それを壊したのはまたしても誰かの叫び声だった。
「ああああああっ!」
と。まるでこの世の終わりみたいに。
それは、フェールに十年前の夜を思い出させた。
かつて、ドロミーがファルトを襲ってしまった夜を。
あの夜の後、フェールは狼に変身したとはいえ、実の息子を襲ってしまった
ドロミーに愛想をつかし、離婚をした。
故、このような叫び声は、本来は聞こえないはずだが。
「助けてくれ!狼が!狼が!」
その言葉に、フェールは飛び起きる。
ファンティサールに、狼など生息していない。つまり、狼という言葉が示すものは、一つしかなく。
「ッ!」
フェールは剣を持つと、寝巻から着替えずにまっすぐに家を飛び出した。
「――ファルト!」
狼になった、我が子を止めるため。
悲鳴は、外門から聞こえ、フェールはそちらへ勢いよくかけていく。
以前とは違い、其の悲鳴は複数あって。
否、それもフェールが駆けつけている間に、少しずつ途絶えていて。
フェールがその光景を目にしたときは、ファルト__銀色の狼は、まさに魔法警察の制服を着ている自分の部下に襲い掛かろうとしていた。
「――ッ!」
刹那、その部下との間にフェールは滑り込み、狼の瞳をじっと見つめる。
その狼に、理性はなかった。
その瞳には、いつものファルトの意志も、感情も感じられなく。
フェールは察した。これは、ファルトが狼に変身してしまうがゆえに起きた呪いで、厄災だ。そこに、ファルトの意志は存在しない。
同時に、ファルトの意志が存在しないということは、いくらフェールが説得しても、ファルトは殺しをやめないということで。
狼の、血にぬれた口元をフェールは見つめ。
先ほどまで、誰かに助けを求めていただろう人々は、狼の後ろで、全員肉塊になって、血だまりの中に浸っていて。
狼が、フェールに向かって噛みついてくる。
その瞳には、ただ、一つ。フェールを殺すという目的があって。
次の瞬間、フェールは狼に向かって剣を向けていた。
もはや、この狼が息子だということはどうでもよかった。この狼は、人を殺したのだ。
それがすべてで、それがとるべき対応で。
狼は、フェールの剣の先を目掛け、うなり声をあげ、フェールに向かってかかってくる。
そして、フェールも狼のほうに向かって飛び出した。
戦いは、そう長くは続かなかった。
いくら狼は強かったとはいえ、所詮は子供が変身したもの。その体格も、成長しきっていなく。
魔法警察として特殊な訓練を受けたフェールにとって、その程度、造作もないことだった。
結果、戦闘が始まって五分もする前に狼は、フェールの剣に貫かれて絶命した。
が、見る見るうちに狼はいつものファルトに戻ってき。
その際、フェールが剣によって付けた傷もきれいさっぱり消えていて。
フェールの部下が、その光景を見て安心したのか、フェールのもとに駆け付けてくる。
「上官!無事でしたか!」
「……ジャス。お前は……。」
部下の腰についている剣は血にぬれていなく、狼を前にへっぴり腰を発揮したことが分かる。
ジャス・オパールはフェールのいるところまでくると、フェールに向かってまっすぐに頭を下げた。
「申し訳ありません!狼に怖がってしまい、足が動かなく。」
と。普段なら、フェールはジャスを𠮟りつける場面だった。
普段から訓練を受けているのに、何たる失態だ、と。
「――狼が、あまりにも凶暴で、人を沢山殺して。だから。」
そういうジャスの声は震えていて。
「そうか。」
フェールは、うわの空で返事をする。
実のところ、フェールはそこほどまでジャスの態度を気にしてはいなかった。
__頭の中で、別なことを考えていたからだ。
「?上官、いつものように叱りつけないんですか?」
「ああ、いや。狼について少し考えていてね。」
「狼、ですか………。」
ジャスもフェールの言葉に、改めて少年のほうを見た。
先ほどまで、狼だった少年。それは何の変哲もない人で。
なんなんだ、と、ジャスは小さくつぶやいた。
「どれぐらい、人が死んだんでしょうね。」
「とにかく、被害の全貌を確かめないことにはなんとも。」
「ほんっと、おっそろしいですよね、あいつ。なんで死ななかったんだろ。__もう、殺してしまったほうがいいのではないですか?」
「いや、それはやめておいてくれ。」
ジャスの言葉に、フェールは右手で制して。
「?」
ジャスはきょとんと首を傾げ。
にやり、とフェールは笑って。
「兵器として、使うことができる。」
と。
実のところ、フェールにも、ファルトが息子だから守りたい、という気持ちがないわけではなかった。十年前のフェールだったら、きっと純粋にこの気持ちで言うのだろう。
しかし、今のフェールは違った。
純粋に、達成したい目的があって。
そのために、殺しても殺しても死なない、フェルトの戦力が欲しかったのだ。
「これほどの戦力を持っているのだ。殺して捨ててしまうには、おしいくらいだ。」
「ですが、上官、少年の身柄は、」
「ああ。この少年は、俺の個人的な知り合いなんだ。あとで身柄は確保しておくよ。」
と、少年を指さしながら。
フェールは、自分の目的のためにファルトをどうやって使おうか、頭の隅で考えながら。
「ジャス、今日はもう夜も遅い。さきに帰っていなさい。」
「はい。ですが、上官、死体の処理は?」
「ああ、そのことなんだが、俺に任せてくれないかね。」
「えっ?」
「安心したまえ、俺の地位なら、なんてことなく隠してしまえるから。」
そうだ。ファルトを兵器として使うには、ファルトが無意識のうちに殺してしまった数人の人が問題だった。
ラマージーランドでは、このレベルだと、終身刑として執行されかねない。
ゆえに、フェールはその殺人すらも隠し通す。
丁度、ラマージーランドにはこびり始めた害虫を__マフィア・ローゼンを使って。
「わかりました。では、お言葉に甘えさせていただきます。__それでは、お先に。」
フェールに頭を下げ、ジャスはファンティサール支部の建物に戻っていく。
その後ろ姿を眺めながら、フェールはぽつりとつぶやいた。
「ああ。__ファルト、お前も、言いつけを破るなんてな。」
ファルト・ナーツワーグは言いつけを守るほうの子供とだけ思っていたが。
「__それでも、これであいつの仇をとることができる。」
それでも、フェールはファルトが言いつけを破ったことを悪くは思っていない。
訓練を受けていない子供一人で、ここまでできると分かったのだ。
それなら、死んだ親友の仇だってとることができよう。
ファルト・ナーツワーグを抱えながら、フェールは不敵に笑って。
その様子を、フェルトは知らないし、今後、知ることもなく。
真っ白な月が、歪な関係になりつつある二人を見守っていた。
◇◆◇
初めて月を見た日の次の日。
どういうわけか、ぼくは自分のベッドに戻されていた。
あれは、夢だったのだろうか。
否、夢ではない。
あれは、夢よりもずっと五感がさえわたった感覚なのだから。現実に違いない。
じゃあ、誰がやったのだろう。
そのことも疑問に思ったが、とりあえず一旦朝食のために一階に降りることにした。
朝食の席には既に父がついていて、食べ始めていた。
「ファルト。」
名前を呼ばれ、思わずドキリとする。
昨日、約束を破った罪悪感があったからだ。
「おはようございます、お父さん。」
「……。」
父は、不機嫌ではないものの、無表情で、朝食を食べていて。
それが無性に、怖くって。
「あ、あの、昨日は……。」
「昨日、外に出ようとしたそうだな。」
その言葉に、心の底が冷ややかになった。
父は、全てを見透かしていた。
多分、ぼくをベッドに戻したのも父なのだろう。
「……はい。」
ぼくは、小さくうなずいて。
「夜、外で寝ている姿を見かけ、保護したからよかったものの、ファルト、お前は狼に返信出来て、それがまだ制御できていないのだ。__人でも襲ってしまったらどうするんだ。」
「すみません。」
ただ、胸が痛い。
外に出たら危険だって、頭ではわかっていたはずだ。
「ファンティサール周辺では、見かけないから自覚がないかもしれないが、狼だって十分人を殺す可能性があるんだ。今後、外に出たくでも、むやみに出ようとしないように。絶対だ。」
その言葉に、ぼくは昨日のことを思い出した。
昨日、父はぼくを兵器に使うように言って。
ぼくに聞こえているのを知らずに言ったであろうその言葉が本心だなんて、ぼくもとっくに気が付いていて。
ゆえに、ぼくは絶望した。
父は、表面的には、ぼくに親しい態度を取りながら、裏ではぼくをだましているのだから。
いっそのこと、全て表に出してくれればまだ、マシだった気がするが。
「はい。もう、二度と約束を破りません。」
「そうか、分かったのならいいんだ。」
フェールは満足げにうなずいて。
「俺も普段からファルトに無理をさせている承知はあるんだ。そうだ。普段から狼に変身しないよう、訓練を一緒にしてはどうかね?訓練をして、ある程度狼にならないよう制御できたのなら、俺も外出を許可しよう。」
「そうですね、お父さん。俺も、早く外に出られるように、頑張ります。」
ぼくも表面上はなんてことのない風を演じていたが、裏では絶望していた。
◇◆◇
朝食を食べ終わった後だった。
「お兄ちゃん、今日は久々に山に行こうっ!」
と、エルが声をかけてきたのは。
エル・ナーツワーグはぼくの妹だが、妹ではない。
ぼくとエルは血がつながっていないのだ。
七年前、父が再婚して、その時の妻の連れ子というのがエルだった。
といっても、ぼくの家族の中で一番家族らしくしているのはエルだと思うけれど。
「そうだね。山に行くのは、二週間ぶりか。」
山は昔、魔法警察になる前に特訓でよく行っていて。
そのころから、エルはそれにつきあっていてよく山に行っていた。
「うん。最近お兄ちゃん、仕事が忙しいっていうからー。」
ぶう、と膨れるエル。
ふくれっ面もこれまたかわいい。
エルの様々な表情を描いた画集を発売すれば、このよから犯罪は一割ほど減るだろう。
魔法警察として、断言する。
「其のところは一人にさせちゃって、ごめんね、エル。」
「だいじょーぶ!お兄ちゃんが今日遊んでくれるんだし。」
「今日も山でお兄ちゃんと一緒に魔法警察ごっこするんだ!」
「あははは。エルは……純粋なんだね。」
「うん!お兄ちゃんみたいな魔法警察になるんだ!」
エルはそう、大きく腕を広げて。
多分、エルがまだ小さいから現実を分かっていないのもあるのだろうけれど。
「そっか。ありがとう。でもそれは少し、照れちゃうな。」
「んも~。そんなこといっていないで、早く行こう!」
エルは勢いよくぼくの腕をつかんで、引っ張る。
エルはかわいい見た目に反して、元気系だ。
ぼくと一緒に山に行くときもよく山で走り回っている(帰りは疲れて寝てしまうが。)
エルと一緒に、一階に行こうとした時だった。
父に呼びかけられたのは。
「ファルト。少し、いいか?」
「?はい。」
と。
エルに、少しだけ待っていて、と目くばせし、腕を離す。
エルはうなずくと、先に靴を履き始めて。
ぼくはそれを確認すると、父のほうに体を向けた。
「向こうで話があるんだが。」
父は、書斎がある自室を指して。
その話は、ある秘密の集まりだった。
なんでも、ファンティサールの一部の魔法警察だけ集まるものだから、公にはできない者らしい。
「……今日の夜、ですか?」
「ああ。港に来れるか?そこで少し、魔法警察の集まりがある。」
「わかりました。」
父の言葉にうなずいて。
「ですが、理由を聞いてもいいでしょうか?また、なにか事件でも起きたんですか?」
「そんな感じだな。くれぐれも、組織内の秘密だから、エルにも漏らすなよ。」
「わかりました。」
父の言葉は、絶対だ。
ぼくは心の底に感じる疑念を呑み込んで、その場から離れる。
同期と比べて出世が速いのは理解していた。
しかし、疑問もあった。
ぼくはそういった秘密の集まりに呼ばれるほどの身分じゃない。
そのことは、分かっていて。
「……どこか、妙だな。」
「じゃあもう帰っていいぞ。」
首をひねりながら、父の書斎を後にする。
玄関までやってくると、エルが抱きついてきた。
「お兄ちゃん~!」
「わっ!エル、いきなり飛びついたらダメって言っているだろ?」
「うぅ……。ごめんなさい。でも、少し寂しかったんだもん。」
しゅんと肩を落として、エルはそういって。
「わかってくれたんならいいよ。それじゃあ、早速山に行こう。」
ぼくはドアにある魔方陣に手をかざす。
すると、魔方陣が光り、ドアが開いた。
エルは嬉しそうに顔を輝かせ。
「え⁈今日は行ってくれるの?前みたいに、集まりがあってとかいって抜け出さない?」
前みたい、ってところに一瞬申し訳なく思った。
魔法警察は、その激務故、時々休みの時でさえ、緊急の招集が入る。
その時は、エルにだってさみしい思いをさせただろう。
「うん。大丈夫、お父さんも何も言っていなかったから。」
と、ぼくはうなずいて。
「わかった!わーい!お兄ちゃんといっぱい遊べるぞぉ!」
エルは、元気いっぱいに飛び跳ねた。
◇◆◇
「上官、ファルト・ナーツワーグ、今到着いたしました。」
ぼくの父は魔法警察官であり、ぼくより上の階級にいた。
ゆえに、ぼくはこういう時は父を普通の上司として接する。
「ああ。」
と、父は答え。
周囲を見まわし、ぼくは不審に思った。
魔法警察の集まりなのに、周囲に父以外魔法警察が見当たらない。
父が新米だったのならまだしも、魔法警察の中でそれなりの地位についているはずだ。
それなのに、父の部下が一人も来ないのは、少し、おかしく。
「あのう、上官、他の魔法警察の方は……?」
「ああ、それは、もう少しでつくからまちたまえ。それよりも、ファルト。__あれを見見てくれ。」
そして、父はある一方向を指さして。
「?どれ、ですか?」
首をかしげながら、ぼくはそちらを見る。
初めて家を抜け出した夜__あの時のように、真っ白い満月があった。
煌々と輝くそれを見たとたん、ぼくの意識は、五感は、だんだんと遠のき始める。
「__っ!」
声を上げたいが、それすらできないほど、ぼくの感覚は奪われていって。
「__さて、そろそろ付くころか。」
お父さんのその言葉を最後に、ぼくの意識はシャットアウトさせる。
刹那、ウオーンと、狼の鳴き声が聞こえたような気がしたが、ぼくにそれを確かめる術はなく。
ぼくの意識は深く、深く降りて行って。
◇◆◇
ファルト・ナーツワーグの意識がとだえると同じ時期だった。
港のほうに、真っ赤な色のドレスに着飾った女があらわれたのは。
その女は、真っ赤な瞳に、ドレスだけじゃなく、靴や装飾品まで赤に固めていて。
しかし、どこか安っぽい感じがあり、その首には真っ黒の薔薇の刺青があって。
高慢に、女は手に持っていた扇子を仰ぐ。
「はん!我が名はルビー!誰じゃ、私をここに呼び寄せたのは!名乗らぬとは、我が千に引きちぎってやっても良いが?」
マフィア・ローゼンの上級幹部を名乗る彼女が、その【本物】でないことぐらい、フェールも見抜いていた。
本物の幹部は、戦闘を想定して、常に動きやすい服装をしているし、そうでないときは、首を駆られないように、近くに腕の立つ部下を置いている。
彼女が動きにくそうな格好をしているにもかかわらず、たった一人ということは、つまり、そういうことだ。
が、フェールにとって、彼女が【本物】を名乗る理由など、どうでもいい。
彼は、親友の仇を殺せればいいのだから。
【自称ルビー】は、きょろきょろと辺りを不可解そうに見回して。
__その周囲には、当然誰もいなかった。
当たり前だ。
狼を使うにあたって、周囲の人間は、危険なため一度避難させるのだから。
あたりに残るのは、狼に殺されてもいい相手だけで。
自称ルビーは、月のほうを見て、愕然する。
「おん?__あれは、なんじゃ?」
そこには、銀色の毛皮をもつ、一匹の狼がいた。
体長は五メートルほど。その高さは、三メートルほど。
少女である自称ルビーには、いささか大きすぎる程。
「あ、狼?」
自称ルビーは、その狼を見て、唖然として。
なにせ、ファンティサールに狼はいない。事前の資料でそう確認したはずなのに。
狼男は、ルビーの方に気が付くと、ぐるる、とルビーに向かって牙をむく。
そして、ルビーに向かって襲い掛かり。
ルビーは歩きにくそうな服装で、一目散に逃げ出した。
「わぁぁ!我は、我は……狼だけは、無理なのじゃぁぁぁ!」
彼女のしている化粧も、今は彼女の涙に濡れてぐちゃぐちゃになっている。
「誰か、助けてくれぬかっ!我は、我は、__六代目のルビーぞ?」
ルビーは誰かに向けて、手を伸ばし__そのだれかすら、ここにはいないのだが。
狼男は、ルビーの悲鳴など構わず、彼女の腕に食いつき、むさぼり始めた。
「ぬぁぁぁ!殺されるぅっ!」
その圧倒なまでの無力に、屈辱に。
自称ルビーは涙をまき散らす。
狼男は、ルビーのそんな命乞いすら聞き入れない。
なぜなら、狼男には意識などないから。
狼男__ファルトが訓練を積んで、狼の変身をコントロールできても、ただ一つ、コントロールできない変身があった。
それが、満月の夜に月を見る、というもの。
それをすると、ファルトは必ず狼男になってしまい、その時の記憶はない。
そのことに気が付いたフェールはその変身を利用することにした。
満月の晩に、本来魔法警察には相手できないような相手を呼び寄せ、狼男に殺させる。
狼男は理性などなく、敵味方の区別などないから。目の前にいるものを、手あたり次第攻撃する。
当然、それに慈悲などなく。
「わたし、狼、嫌いなんだってばぁ!」
自称ルビーが素を出した時が、最後だった。
次の瞬間、狼男の爪によって、自称ルビーの首は派手に吹っ飛んで。
その様子を見て、フェールは息を吐いた。
「……ようやく死んだな。」
そして、自分の杖を狼男のほうに向ける。
「……いまだぞ。」
その合図に、いつの間にかフェールのほうに駆け付けいた魔法警察達が狼男に魔法を打ち始める。
狼男の厄介な点は、一度変身してしまったら、気絶するまで戻らないこと。
それゆえ、フェールたちは狼男が民間人を襲う前に、狼男を気絶させる。
幸い、一般人なら即死レベルの魔法を注いでも、狼男は死ななかった。
狼である限り、死なない。これもまた狼男の美点で、フェールたちが狼男を何回も使う理由でもあった。
狼男は、数多の魔法攻撃にやられ、気絶し、人間のファルトに戻る。
フェールはファルトのもとまでくると、ファルトの頭に杖を当てて、呪文を唱える。
刹那、ファルトの頭の付近が白い光に包まれて、フェールはその光景を見て一安心した。
__記憶消去魔法。
今ファルトにかけたものはこれだった。
フェールはファルトを殺人に利用しているが、それを本人にバレるのを好ましく思っていなかった。
それゆえ、狼男を使った後には、必ず記憶を消す。
その様子を見たフェールの同僚たちは次々と家や、職場に戻ってくる。
皆、狼男を気絶するためだけに集められ、そのことを口外することを禁止され。
それゆえ、この一夜の出来事はフェールと、同僚たちだけの記憶にしか残らない。
何の記録にも。
もちろんマフィアの不変死は、魔獣に襲われたせいだ、と報告書には書くが。
「これでまた、あいつの仇に一歩近づける。」
フェールは気絶したファルトを抱きかかえながら、そんなことをつぶやく。
◇◆◇
それから、数か月ほど過ぎたころだった。
あの、奇妙な爆発が起きたのは。
それについては説明などいらない。
ただ、ファンティサールに起きた忌まわしい災厄で、多くの人の生活を壊し、なおも今その被害をさらし続けている。
一種の悪夢のようなものだ。
あの爆発が起きてから魔法警察はあの爆発の原因解明にその力の多くを注いでおり、現在治安維持に力を注げていない。
幸い、爆発にての死傷者はおらず、爆発も再度起きていない。
しかし、どれほど仕事がしたくても、その仕事が爆発の原因究明という先の見えない捜査作業なのだから。
そして、そこがぼくの懸念点でもあった。
今、町はどうなっているのだろう、と。
一応、勤務時間外は時々街に出て取り締まりを行っているけれど、それでも普段に比べて犯罪の件数は圧倒的に多い。ぼくがいなくなってからの街の様子が、すこし心配ではあった。
とはいえ、魔法警察に憧れて魔法警察になったというわけではない。
一時期憧れていたような時期もあったが、それにはちゃんと、終わりがあり、結末があり、現実があった。
結局、魔法警察になったのは、己の罪滅ぼし的なものもあったのかもしれない。
さらさらと調査書に文章を書きながら、そんなことを思う。
【今日のところ、とくに発見はあらず】と。
この作業内容に不満があるわけではないが。
それでも疑問に思うことはあった。
魔法警察は、人々の治安を守る組織だったのに、こんなことになってしまって良いものか、と。
それでも、父は言う。
これも、エルのためだ、ファンティサールのためだ、ラマージーランドのためだ。
エルの幸せのためならば、目先の疑問など、飲み下してしまったほうがいい。
ぼくがはたと手を止めた時だった。
こんこん、と部屋の扉をたたく音がした。
「……ファルト、いるか。」
父の声だ。
ぼくは姿勢をぴんと正す。
「何でしょうか、上官。」
ここは、魔法警察ファンティサール支部、執務室。
先ほどの爆発の原因捜査から戻ってきたぼくは、報告書を書いていた。
もっとも、あの爆発から三週間以上はたっているのに、ずっと同じ調査続きだが。
ちなみにぼくの同期は、同じく捜査に駆り出されている。
父は入るぞ、という言葉と共に部屋の扉を開き、こちらを見た。
父の話では、もう少し調査のために周辺を見て回るといっていたのに、ずいぶんと速い帰りなんだな、と思った。
ぼくは椅子から立ち上がり、父のもとまで向かう。
魔法警察ではこういう時は立場がしたのものが上官のもとに出向くのだ。
「ファンティサール外でマフィアの活動が見られたそうだ。こちらに来るとは思えんが、見つけ次第、取り押さえろ。そして、殺せ。」
その言葉に、一瞬息を止めた。
マフィア・ローゼン。語るに恐ろしい極悪組織だ。
近年、ファンティサールの港をのっとっているという話だったが、ついにファンティサールの外にまで来たか、と。
父の言い分も、わからなくはなかった。
マフィア・ローゼンの輩は犯罪を息を吸うようにする。
当然、殺しもいとわない。
故に、ファンティサールでの犯罪を防ぐには、奴らを全滅させるのが、正解で、王道だった。もちろん全滅は、殺人を行ったほうが、収監されたマフィアが、看守を買収させる心配も、収監したマフィアを助けに来るためさらにマフィアが来る心配も、なくなるのは理解できた。
しかし、どうにも納得できないところもある。
そのマフィアだって、極悪人とは、限らない。
生活が苦しくて、やむなくマフィアにならざるを得ない人たちがいることも、ぼくはしっていて。
それゆえ、そんな人たちまで無条件に殺すのはどうかと思った。
「ですが、上官__殺しは。」
ぼくの言葉に、父はぴくりと眉を動かし。
しかし、何も言わなず。
「分かった。じゃあ、取り押さえるだけでいい。しかし、尋問はお前が行え。どんな手を使っても、ボスの情報を徹底的に吐かせるんだぞ。」
その言葉に、ぼくは少し、黙って。
「……。」
反対なはずがなかった。
殺しはさすがにためらうとはいえ、元はといえば犯罪組織だ。
尋問程度、行うには罪悪感もない。
ただ、どこかで__話が少し、ほころびている気がして。
「まさか、嫌だというのか?」
ぼくが黙ると、決まって父はこういった。
その声に、胸をわしずかみにされたような不快感を、恐怖感を感じて。
「これも妹のためだ。今現在、ファンティサールではマフィアが闊歩していて、暴力などいとわない。エルだって、いつマフィアの気まぐれで殺されるかわからないんだぞ。」
「……わかりました。」
どこか会話が一方的だったが、気が付かないふりをした。
父は時々、ぼくが命令を聞かないと、今のように脅してくる。
エルを理由にして。
あの夜から、父はぼくには特に変わった様子で接してくることはなかった。
いつもの優しい父親として。
時々、今のように脅してくることもあるが、それは、あくまで、穏やかさの延長線上にあって。
あえてそれがぼくにとっては怖かった。
あの夜の言葉だって、空耳ではなかったはずで。
それならば、父は、きっとあえてそれをぼくに隠しているのだろう。都合が悪いから。
逆らう、なんて手段はなかった。
逆らえば、もしかしたら父が魔法警察としてマフィアを裁くように処刑されてしまうかもしれないし、そうなったら残るのはエル一人だ。
仮にもあの夜ぼくを殺そうとした人にエルを任せようなんて、思わなかった。
ぼくのうなずきに、父は即座に満足そうな表情をする。
「そうだ。それでいいんだ。」
脅しをしてくるときは、能動的な命令だけではなかった。
例えば、マフィアの情報を不法に手に入れた事を黙っていろ、とか。
そういった命令もエルの命を肴にされてきて。
「そういえば、今夜、少し呼び出しをする。場所は__港だ。」
父は、珍しくそんなことを命令してきた。
普段はしない命令に、何かあるのか、と首をかしげながら。
「?わかりました。上官。」
ぼく、ファルト・ナーツワーグはそれにこたえる。
そして、その日、ある一匹の狼によって、マフィア・ローゼンの現幹部である、【三代目ルビー】は殺されてしまった。
そしてぼくがそのことを知ることになるのはずっと先のことである。
数日後、ぼくはいつも通りマフィアの資料を調べていた。
新たに業務が入ったのだ。
二日前、失踪した少年少女の捜索願。
彼女らを見つけるためだ。
アイラ・シャーロット。シャテン・ブルーマー。
親御さんから特徴は聞いている。
どちらも、二日ほど前、家を出たきりに帰ってきていない、と。
一通り探したものの、見つからず、もしかして、マフィアに連れ去られたのでは、と思いマフィアの資料を探していたのだ。
が、そんな都合よく情報はこちらに来るわけがない。
二人の目撃情報はおろか、誰かを連れているマフィアの情報も、まったく入っていない。
あるのは、魔獣討伐ギルドに向かうマフィアの数々の目撃情報。
それらの資料を見比べていたとたん、ふと、ある予想が頭をよぎった。
少し、バカげた予想。
マフィアは、ラマージーランドのものと大陸のものを交換したり、買い取ったりする貿易をしている。
近頃は魔法警察が取り締まったりしているせいで、減っているものの、もしかして、マフィアが新たな貿易場所を見つけたとしたら。
「もしかして、マフィアの取引場所は__。」
魔獣討伐ギルドの建物なのではないか、と。
そして、もう一つ。
「そういえば、以前の行方不明事件だって__。」
マフィアも、そこで人身売買をしているのではないか、と。
十分あり得ない話ではない。
少女の方は、言わずもがな高く売れるし、少年の方だって、科学技術が発達している大陸は、【被検体】など、大歓迎であるはずで。
故、マフィアは魔獣討伐ギルドで、取引を行って。
何でもない発想だけれど。
それでも、行かないことには確かめられなかった。
「__行きましょう。そして、確かめましょう。」
書類を整え、上司にそのことを報告しに行く。
上司は、すぐさまぼくの提案にうなずいて。
了承が得られ次第、ぼくは魔法警察のファンティサール支部から勢いよく、箒を飛ばした。
行方不明の少年少女を見つけるために。
◇◆◇
ぼく、ファルト・ナーツワーグは、困惑していた。
先ほど、声のした方をたどったら通常の経路以外の場所に、マフィアがいて、荷馬車には三人の少年少女がいて。
そのうち一人は知らない少女だったが、二人は知った顔だった。
魔法警察に失踪届が出ている二人。
緑の瞳の少女が、ぼくを見て、慌てたようにいう。
「あ、あの!私たち、あの人たちに捕まえられていてっ!」
「なるほど、そういうことですか。……本当に、犯罪者というのは、どいつもこいつも。」
本当、悪質だと思う。
一見するに、二日ほど、食事も与えず水浴びもさせないまま縄に入れていたのだから。
「……?」
首をかしげる三人に、微笑んで。
「貴方たちは、心配はいりませんから。調査、の後、すぐ、解放___っ⁈」
その直後だった。
誰かの足音が聞こえたのは。
縄を切る手を止め、そちらを見る。
水色の髪に、紫紺の瞳。
見慣れぬ人物がそこにいて。
そして、修羅の中に身を置いたものだけが分かる、実力者の独特の雰囲気が、その男性にはあった。
「リオ・マーティン。それが俺の、名前です。」
リオ先生、と少女たちが叫んで。
申し遅れました、マフィア・ローゼン空虚な冷徹とは俺のことです、とその男性は言った。
「マフィア・ローゼン。それ以外の説明がいるでしょうか、魔法警察さん?」
「……っ!」
その言葉がすべてだった。
この男性は、援軍に来たのだと、一瞬で察することができて。
「こ、この人たちの拘束を解いてそして、荷台の中身も全て見せてくださいっ‼」
「……できるわけないでしょう?」
そういいながら、複数の薬品が入ったガラス管を取り出す。
それはきっとぼくに対抗するもので。
「っ……‼」
ぼくはとらわれた三人の方を見た。
彼を無視したら、きっと彼は三人のほうに襲い掛かる否、三人をかっさらってしまうだろう。彼の身のこなしから、彼が犯罪に手慣れていることは想像できて。
かといって、彼の相手をしないと、三人が、危うい。
じゃあ、どうするか。
__手早く彼を逮捕して、三人を片付けるしかない。
幸い、最初にあった二人はそこまで荒事に手慣れている感じもなかった。
なら、彼を何とかした後に、あの二人の元に戻れば、とらわれた三人は、助け出すことができる。
ぼくはリオ・マーティンのほうを向いて。
「貴方の相手は、俺です。__部下たちの計画の邪魔なんか、させません。」
「いいでしょう。気のすむまであがいてみてください。貴方も、貴方の部下たちも、すぐ逮捕して見せますからっ‼」
その言葉を皮切りに、戦いは始まった。
リオ・マーティンはぼくに向かって、薬を投げ。
ぼくはそれをよけながら、時たま攻撃も混ぜ。
一瞬のすきも、ないような攻防が続いて。
いつの間にか、三人の姿はなくなっていた。
やられた、とおもう。
しかし、この人を簡単に倒せそうにもないのも事実で。
「先ほどから投げているのは、劇薬です。法律を思いっきりに破った。当然、それなりの値も張ります。これほどの量を無駄にしたということは、きっちりおとし前は付けさせていただきますからね。」
「ええ、ご自由に、どう、ぞ……っ!」
そういいながら、投げつけるリオ・マーティン。
ぼくはそれをよけながら。
刹那、その薬品の一つが、ぼくのすぐそばまで来て。
よけられなかったそれに、ぼくは腕を光らせて。
「っ!これは……。」
__狼化。
ぼくは腕の一部を狼にして、その薬品を耐えさせた。
じゅうう、と薬品が蒸発する音がして、悔しそうにリオ・マーティンは唇をかみ、
「狼に変身できる能力を持っていたようですね。誤算でした。」
と。
そこにぼくに薬をぶつけた事への謝罪も、そもそも色からして危なっかしい薬を扱っていることに対する弁明もない。
知っていた。マフィアというのは、そういう奴だ。
「――それが法律違反であるという自覚は?」
「ええ。ありますとも、存分に。しかし、それと行動は別です。」
そうして、リオ・マーティンは荷馬車のほうを振り返って、再びこちらを見て。
「今から貴方を消します。そうすれば、証拠も消えてしまうでしょう?俺はそうやって生きてきました。――それに、獣人と戦うのは生憎、初めてでして。どれほどの強さか、ぜひお手並み拝見といきたいものです。」
そうして、微笑んで。
背筋に何かが走ったような気がした。
「楽しみ……?人を傷つけるのが、それほど楽しいですか?」
「おっと、勘違いさせてしまいましたね。」
彼は、懐から杖を取り出しながら。
「俺が好きなのは、人を傷つけることじゃない。――この退屈を、吹き飛ばすかのような、命を削る体験。その結果、一つや二つや千や二千、消される命があってもしかたないではないでしょうか?」
「人を、殺すのが、楽しい……?」
ぼくはマフィアを睨んだ。
信じられない。否、信じたくない。
「はい。強者を手にかけるのは、この世界に残る最高の愉悦です。」
「……マフィアというのは、どいつもこいつも、腐りきった人達ばかりですね。――やはり、侮蔑に値します。」
そういいながら、ぼくは杖を取り出して。
「俺としては魔法警察として規範を守っていく生き方の方がよほど面白みもないのですが。」
「その素晴らしさなんて、貴方がたに分かってもらう必要もない。」
杖を光らせ、マフィアののほうに向ける。
「早いところ、捕まえさせていただきます。――魔法よ、すべてを凍てつくせ。アブソリュート・ゼロッ!!」
ぼくの杖から、冷たい光が飛び出して、マフィアにあたり。
アブソリュート・ゼロ。周囲を凍らせる魔法。
マフィアもそれにあたったのなら、凍っているはずで。
「……なぜ?」
しかし、目の前のリオ・マーティンは何もなかったような顔でそこに立っていて。
「ご存知でしょうか。防寒コート、というものを。」
そう、白衣をつまみながら。
「大陸の、科学技術……!」
「俺は魔法が使えるのに、どういうわけか、大陸で育てられまして。それ故、こうしたものに少し縁というものがありまして。」
うっかりこのマフィアは魔法が使えるから、こういった道具とは無関係だと思った。
マフィアなんて、大陸の科学技術の恩恵を受けているって、取り締まっているこちらが一番わかっているのに。
「【マイナス百二十度まで耐えられる】という、防寒素材。まさか、大陸以外で役に立つとは思ってもいませんでしたが。」
「盲点でした。しかし、このまま逃すわけにはいきません。――我と共に氷の牙を剥げ。フローズン・ウルフッ!!」
ぼくの杖の先から、六匹の氷狼が出て、閃光の速さでマフィアのほうに向かって。
マフィアもそれをよけながら杖をこちらに振る。
「そうですか、でしたら、こちらもお返ししませんと。」
「――アドノディス・オムニス。」
その呪文の瞬間だった。
ばりんばりん、という音と共に氷狼が壊れてしまったのは。
「ッ!氷狼達がッ!」
「――ええ、そういう事です。」
「……それならば、――貫け、氷の柱よ。アイシング・ブレイクっ!」
ぼくの呪文と共に、杖の先から氷の氷柱が出てきてマフィアに当たる__否、その直前で、マフィアはそれをよけて。
「__っ。」
こちらに、杖を振って。
「アムニス・ディソシエーションッ!」
と。
刹那、自分の何かが、壊される感覚がした。
なるほど。
__そういうことか、
「……効かない?」
「精神操作系の魔法、でしょう……?」
それ系の魔法には、強い自負がある。
否、魔法警察自体がそれに強いのかもしれないが。
「一つ、大切な人を作れば人間は無敵です。なぜなら、そのもののために頑張ればいいだけだから。」
例えば、エル・ナーツワーグとか。
心の支えがある限り、他の何を侵されようと、魔法警察は立ち止まらない。
「どんな願望を抱こうと、必ずそれは失墜するときが来るし、自身も試される時が来る。その時に頼れるものが、心の中にある大切な人の存在なんですよ。」
ゆえに、ぼくは不敵に苦笑して。
「先ほど、まっとうな道がつまらないとおっしゃっていましたが、それは、教師になって、子供たちを相手していても、そう思うのですか?」
「ええ、そうです。何か問題でも?」
少し、気になったのだ。
マフィアが素性を隠して、教師として慕われている理由なんて。
「教師なのに__子供をだまして、罪悪感はないのですか?」
「微塵も。むしろ俺が聞きたいぐらいです。それは何か、と。」
冷たい笑みを見せたリオ・マーティン。
やはり彼は、そのような人物で、温情など無縁で不要だった。
そして、リオ・マーティンはこちらに手を差し伸べる。
「どうしました?いきなり。勧誘なら喜んで。貴方ぐらいの実力の持ち主なら、すぐに下級幹部になれますよ。」
と。彼はどこまでも自分本位で、自分勝手な人物で。
周囲に迷惑などをいとわないその姿は、まさに、ぼくが嫌いなそのもので。
「ふざけないでください!ぼくは、ぜったい犯罪に加担しない……!」
ぼくの睨みを、リオ・マーティンは赤子でも見るかのように、おどけたように。
それが一層、皮肉に見えて。
「__やっぱり、貴方たちは唾棄すべき存在でしかない。」
「そうですか。それは残念でした。人を殺して、命を削る日々は大変に楽しいものでしたが。」
「貴方は――。」
「あと、失礼します。」
その瞬間だった。
ぼくのすぐそばに、ビーカーが投げられたのは。
「ッ!」
鋭い五感で一瞬にしてよけきれたから良かったものの、ぼくにあたらなかったビーカーはぱりん、と音を立てて割れ、その液体が森の植物にかかる。
植物が、暗黒色に染まる。
何かは分からないが、不法に生成したモノだということは分かり。
「この国では禁止されている類の劇薬ですね。逮捕する際の罪状が増えましたね。」
「悠長ですね。俺が貴方を殺すというのに。」
「ええ、必ず逮捕してみせます。」
「話が微妙に伝わっていないような。それに、俺を殺さなくっていいのですか?」
「――!」
その瞬間、ぼくは息をのんだ。
「一部の魔法警察はそうしているでしょう。これでも幹部ですので、敵対組織の動きは一通り把握しているつもりです。」
それは、魔法警察を確かに差しているもので。
魔法警察にだって、殺人を犯している人はたくさんいる。
そして、その中にお父さんがいる事も、知っている。
お父さんはぼくに隠しているようだけれど、それでも匂いで隠しきれなく。
ぼくは、小さく首を振った。
「ぼくはそうしません。殺すのと、憎いのは、同意義じゃない。――それに。」
が、その途中で言葉を止めて。
「ッ!この匂いは……!」
後ろを振り返って。
後ろには、赤々とした火が燃えていて。
「先程まで、なかったはずなのにっ!」
「ええ。俺の作っている薬品です。素材は大陸のものなので、もしかしたら新種の薬物かもしれませんが、ご容赦を。」
リオ・マーティンは笑みを見せると、すぐに箒で去っていく。
「ま、待ってくださいっ!!」
しかし、追いかけるわけにはいかない。
森が火事になったら、それどころではないから。
「――魔法よ、すべてを凍てつくせ。アブソリュート・ゼロッ!!」
魔法を放って、慌てて火を止める。
悔しいことに、マフィアはその動きすらも予知していたのかもしれない。
ぼくの足止めとして。
慌てて空を見ると、マフィアは、かなりの高さまで箒を飛ばしていて。
「ッ!逃しませんっ!」
ぼくは膝を屈伸させ、飛び上がる。
足を狼のものに変化させれば、幸い、筋力によって、十数メートルほどの高さにいるマフィアのところまで飛ぶことができて。
そして、杖をマフィアのほうに杖を向ける。
「――貫け、氷の柱よ。アイシング・ブレイクっ!」
「なにっ?!」
マフィアが驚いている間に、ぼくはマフィアの飛んでいる箒をつかんで。
その直後だった。
「――でしたら、こちらも。」
と、マフィアがぼくを蹴り。
刹那、体に振動が走る。
「っ!」
予想外の振動に、ぼくは一瞬手を離しかけてしまって。
その瞬間を、マフィアは逃さなかあった。
マフィアは高度を上げながら。
落ちていくぼくをわらい、
「残念ながら、俺には用事があるので、ここにてごきげんよう。」
「そんなッ――。」
と。
マフィアに手を伸ばした直後だった。
がさり、と木の上に落ちたのは。
「くっ……!」
葉っぱを取り払いながら、先ほどの攻撃を思い出す。
「大陸の、科学技術…。」
マフィアは呪文を唱えていなかったし、杖も持っていなかった。
だから、きっとそうに違いない。
それにしても、あのマフィアは、人を殺すのを楽しい、と言っていて。
それが、ぼくとしてもどうしても許せなくて。
「あのマフィア……次は必ず、逮捕します。」
一人、木の上で拳を固めて。
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