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この奇跡も魔法も君となら~アデリ・シロノワールとファンティサールの一日~
「__というわけで、すみません。アメリア先生。宝石、盗まれて、壊されてしまいました。」
ハスミちゃんの、うなだれたような声。
ミュトリス学園、校長室(跡地)にて。
私たち四人はアメリア先生に宝石の経過について報告しに行った。
報告のころには既にもう、夜は明けていて、朝の空気がやけに寒々しく。
アメリア先生は目を見開いて、
「……ぉやま。」
とつぶやいて。
一瞬悲しそうな顔をしたものの、すぐに微笑みを顔に浮かべた。
「あらまぁ。気にすることなんてないのに。私も、貴方たちに少し危険なマネをさせすぎたわね。」
「いえ。これぐらい全然!」
レオ君が胸をたたいた時、隣にいたハスミちゃんの顔が目に映った。
ハスミちゃんは、ぼんやりとどこかここではない虚空を見つめているようで。いつも、人の話をきちんと聞くような彼女が珍しいものだな、と。
「……ハスミちゃん?」
私が呼びかけると、ハスミちゃんは視線をこちらにうつした。
「……すみません、少し、考え事をしていたみたいで……。」
「それで、私達は、この後も宝石を追おうと思うのですが……。」
「そう、追ってくれるのね…。」
私の言葉に、アメリア先生は意味深にうなずいた。
それが、宝石が壊れたショックを受けきるためによるものなのか、危険にもかかわらず私たちが引き続き宝石を探すことによる関心によるものなのか、私は分からなかった。
「では、これからも旅をする皆さんに一つ、忠告しておくわ。」
アメリア先生は唇に人差し指を立てて。
私たちを見つめる瞳が、やけに鋭くて、私はそれに吸い込まれるようで。
「多分、これからますます荒れていくと思うけれど、覚悟しておいてね。」
「「「「?」」」」
と。
何ともつかない言葉を残して。
「――もちろん、私の方も、」
それがどういう意味なのかを問いただそうとした時には、アメリア先生はすでに別の話題に移って雑談を開始していて。
数分程、その雑談に付き合ってから、
「それじゃあ、私達は宝石を取り戻しに行ってきますから。」
と、ロカちゃんが区切りをつけた。
「あらまぁ、もう行くのね。それじゃあ、気を付けて。」
私たちに手を振るアメリア先生。
私たちも振り返す。
こうして、私たちの冒険は再び幕を上げた。
フォンティーヌ家で公務をするというロカちゃんと別れ、私たち三人は箒にまたがった。
目指すは宝石のあるところ。
「よーし、じゃあ早速、どこに行こうか、レオくん、ハスミちゃん!」
びしり、と天にこぶしをあげる。
「どこにって、サソリさんが行ったところは……ギルドがある場所だから、そこ、ですかね。」
ギルド、とは主に魔獣討伐を中心に活動している組織だ。
ファンティサールの辺境、あたりに魔獣出没地帯が沢山ある場所に本部を置いている。
確かその辺りは、空地も多い。
空地が多いところで、マフィアの取引は行われると前にハスミちゃんが言っていた気がする。
「じゃあ、出発だな!」
「レッツゴー!」
ハスミちゃんの言葉に、私とレオ君が同時にうなずいて、箒を走らせて。
「あっ、ふたりとも!待って下さいッ!」
と、ハスミちゃんが慌てて追いかけてきた。
「……うーん、サソリさんが途中で道を変える可能性もあるのに……。」
私の箒のペースに追いついたハスミちゃんが、箒のペースを落としながら顎に手を当てて、考え込む。
ハスミちゃんはおそらくこの中で一番頭がいい。
ふと、前を見ると前方が真っ白い靄におおわれていた。
先ほどまで港の方の景色まで見えたはずなのに、今はそれが白みがかっている。
「あれ、なんだか先の方があまり見えないような……。」
私が目を凝らすと、ハスミちゃんが、
「霧ですね。港の方に出るのは珍しいけれど。……念の為、周囲の建物に衝突しないよう箒の高度を上げて、ゆっくり進みましょう。」
と。
私たちはそれに倣って高度を上げる。
それにしても。
「うーん、さっきまで星空が見えていたのに、変なの。」
霧は晴れている日より、曇りの日に出やすい。
前、近所のおねーさんが言っていたことだ。
それに、霧は本来山のほうに出るはずなのに、どちらかと海に近いここら辺に出るなんて……なにか、おかしい気がした。
「……そうでしょうか。」
ハスミちゃんは私より知識を持っているから、もしかしたら例外とかも知っているかもしれないけれど。
それでも私の直観は納得するようではなくて。
「そうそう!エミリー先生が花壇の花を自ら枯らすぐらい変だよッ!!」
エミリー先生はミュトリス学園の先生で、花壇の花を世話している位花好きな先生だ。その先生が、平常時に花を自ら枯らすなんて、ゼッタイあり得ない。__つまり、今回はそれぐらいおかしいということだ。
……私の直観によると。
「……なんか、地味にリアルな例えだな。」
「実際、宝石が壊されたのも、気象に影響しているかもしれないですね。……魔力や精神力を保つためにも、ここからはなるべく喋らないでいきましょう。」
ハスミちゃんの言葉で、周囲にぴりり、と空気が張り詰めた。
これからのためにも、行動には十分気を付けないと。
……おしゃべりな私は、そんなことすぐ忘れちゃうかもしれないが。
皆が黙ったまま箒を進ませて十数分。
異変が起きたのは、その時だったと思う。
「……なあ、これ結構やばくねーか。」
と、レオ君。
指さす先には、真っ白な霧。
それも、先ほどまでより濃さが増していて、目測で確かめられる範囲も先ほどよりかは短くなっている。
そして、高度を上げた影響もあるのだろう。
足元ですら、真っ白な霧に包まれて、今私たちがどこを飛んでいるのか。私たちが向かおうとしたギルドの方向がどちらなのかすらわからない。
「明らかに深まってきているだろ、霧。」
「……高度を上げたのが、間違いだったのかもしれません。」
ぎゅっとハスミちゃんが唇をかんだ。
「大丈夫だって!霧があったって、このまま突っ切ればいいよ!だって目的地は変わらないでしょ?」
思いっきり声を張り上げる私。
いつものように、今回もうまく行くと思う。
自分のことを信じて、できるだけのことをすれば。
道はきっと、開けるはずだと。
この時の私はまだ思っていて。
「アデリ先輩、そういう問題じゃないんです。だって、霧は――。」
と、その時だった。
突然、ハスミちゃんの言葉が聞こえなくなったのは。
「……ハスミちゃん?」
最初、ハスミちゃんが言葉に詰まったのか、と思った。
そんなわけない。
彼女は私よりかは頭がいいはずだし、飛び級だってしている。
そんな人物が、霧の説明に、言葉を止める理由があるのだろうか、と。
首をひねったところで私はあることに気が付いた。
先ほどまで私の近くにいたはずの、ハスミちゃんと、レオ君の姿が見当たらない。
前にも、後ろにも、右にも、左にも。
あたりにはただ、残酷なまでに真っ白な霧が立ち込めていた。
「あ、あれ?二人とも、先に行っちゃったとか?」
私の声が、霧の中に、むなしく響く。
「ハスミちゃんー!レオくんー!いるんなら返事してー!」
声を上げても、二人は返事どころか、顔すら見せない。
それが逆に、私の心をざわめかせた。
これは、ゼッタイに違う。
何かが、おかしい、と。
「…うぇぇ?思っていたのと違うよッ……。」
霧は、だんだんと濃くなっていた。
もう、一メートル先も見えるかどうか怪しい。
ハスミちゃんたちの姿も、この霧に紛れてしまったのかもしれないけれど。
流石に声すら返事がないのはおかしい、と。
「……もしかして私、迷子?」
つぶやいた瞬間だった。
急に眠気が私を襲ってきたのは。
「……ッ!」
抗えない眠気に、私はその目を閉じそうになる。
箒を持つてが緩んでいく。
昨日は寝なかったからなのだろうか、と思う前に。
私の意識はシャットアウトしかけていて。
「あ、れ……。なにこれ。変なの…………。」
その言葉が最後だった。
真っ白な霧の中、私の意識は虚空のほうに行ってしまった。
目を開くと、すぐそばに草むらが見えた。
肌に触れている草むらの部分が、冷たい。
先ほどまで私を悩ませていた霧はどこへ行っていたのか。
かけらも見当たらず。
手元にあった箒を見て、私は思わず飛び上がった。
「ッ!」
多分、私はあの霧の中で落ちてしまったのだろう。
ここは、どこなのか。
きょろきょろと辺りを見回すと、鑑賞用と思われるさまざまな植物が、辺り一面を覆っている。
あたりに人っ子一人見当たらず。
「ハスミちゃんは?レオくんは?どこッ!?」
先ほどまで旅をしていた仲間はどこなのか、と。
もしかしたらここら辺にいるかもしれない、と私は植物群の中を歩いていた。
しかし、一向に二人は現れない。
もしかしたら、あの霧の中で地上に落ちてしまったのは私だけかもしれない。
とすれば、少し大変になる。
私は二人とはぐれてしまったってことになるし。
「……あれ、ここ、家?」
しばらく植物群の中を歩いていた時に。
植物群の中から大きめの、屋敷、といったほうがいい家を見つけた。
「大きい……綺麗、一体誰の家なんだろう。」
外観は奇麗な装飾が入っていて。
思わず、二人を探している途中の私でも、見入ってしまうほどで。
ふと、私の中に名案が浮かんだ。
「よし、家の人に住所を聞いちゃえ!」
この家の人に、ここの住所を聞いてしまえば、というもの。
もしかしたら、ハスミちゃんたちもこの家の庭に落ちてしまって、先にこの家に入っているかもしれないし。
その家のドアは、すぐに見つかった。
家自体が大きくて、見つけるのに結構苦労すると思ったんだけれど、ラッキーだろう。
「えいッ。」
それなりの力を込めて、ドアを数回、思いっきり叩いてみる。
無言。
物音一つしない。
聞こえなかったのか、とさらに大きな力を込めて、ドアを数回。
無言。
まるで私に気がついていないようで。
「あっるえ〜?何回叩いても誰もでてこないのかな?留守かも!」
私はそう予想して、ドアの方から離れることにした。
「……でも、あまりすることないんだよなぁ。」
この場所がわからないなら、ハスミちゃんたちと合流しようがないし。
ギルドがどっちなのかわからないから宝石も負えない。
手を後ろに組んで、とぼとぼと歩いていた時だった。
ふと、足が何かの凹みにあたって。
気が付いた時にはもう遅かった。
「うわぁっ!!」
と。
私は地面の石に足を取られて、盛大に転んで。
トン、と後ろの方__屋敷の方から音がして、私は立ち上がりながら振り返る。
たった今、当たった石が地面へと落ちていくところだった。
「……!」
多分、私が転んだ影響で、飛んでしまった影響なのだろう。
屋敷の壁には、傷一つついていなく。
「そうだ。これなら……!」
もしかして、この方法で音を立てれば、この屋敷の住人も、私の存在に気が付くかもしれない、と。
淡い期待を抱いて、小石を手に持った。
「えいッ……!」
もう一度、屋敷の壁に向かって投げると、小石は見事屋敷の小窓に命中して。
窓の先をはばめていた書類がどかされる。
もしかして、屋敷の人が気が付いたのか、と。
まじまじと窓のほうを見ると、そこにはよく見知った人物がいて。
水色の髪に、紫紺の瞳。
なぜか眼鏡がなくて、髪の毛の一部が長くなっていたけれど。
「あ!ロカちゃんだ!……でもなんでここに?」
その人物は、つい先ほどまで一緒に旅をしていた相手、
ロカ・フォンティーヌだった。
ロカちゃんは、私をみて、驚いたような表情をして。
ひょっとして、彼女ならこの場所を知っているかもしれない、と。
「おーい!ロカちゃん!おーい!」
私は声を大きくして、彼女のほうに手を振ったが、ロカちゃんはきょとんとした表情のまま。
「……もしかして、聞こえていないのかな?」
私は口をわかりやすく、動かして、
「あ、け、て!ロカちゃん!」
と。
ロカちゃんは私の伝えたいことに気が付いたのか、すぐはっとした表情になると、どこかに走っていって。
「……!」
……もしかして、ドアのほうを開けに行ったとか。
こっちは窓を開けて、といったつもりで頼んだんだけれど、とにかく知っている人物に出会えて、ここの情報がもらえるに越したことはない。
ロカちゃんが、私をフォンティーヌ家に入れてくれたのは、そのあとすぐのことだった。
「いや~。一時はここはどこかって迷っちゃったよ~!」
結局。
ロカちゃんの話によれば、ここはフォンティーヌ家で、先程私がいたところも同じくフォンティーヌ家の庭だという。
フォンティーヌ家は広いから、少し別な場所に行くだけで、まるで違った場所にいるみたいに思える。
私は目の前のお茶に口をつける。
私達の存在に気がついたメイドさんが出してくれたものだ。
味は――薄い感じもしなくもないが、きっとこれが【高尚】な味わいというのだろう。
……庶民の私にはよくわからなかった。
お茶の隣りにあるショートケーキも一口食べただけだけれど、生クリームがすぐ口の中にとけ、とっても美味しかった。
「……フォンティーヌ家に入ったことないシロノワール先輩は、外観だけでは分からなかったのかも知れませんね。」
「ほんとそれ!庭だってすごく広かったし!」
私は思いっきり腕を広げた。
それから、話は私がここに来た理由のことに移った。
私はハスミちゃん達と旅をしている間に、濃い霧が出て、ハスミちゃん達とはぐれることになってしまった事をロカちゃんに伝えた。
話を一通り聞いた後、
「……で、ハスミちゃんたちの行き先は?わかりますか、先輩。」
と、ロカちゃん。
「それが〜わからないんだって!」
「えぇ……。」
私がいったとたん、引いたような目をしてきたのは気の所為だと思いたい。
「いや、分かるよ、最終的な目的地は。サソリちゃんはギルドの方に行ったから、そこに向かおうって、話したはずなのに。……でも、途中でどこの上空かわからない地点ではぐれちゃったから、」
「……。」
ロカちゃんは、顎に手を当てて、黙り込む。
最初の目的地がわかっているからと言って、それを信用できないのがこの旅だったりする。
最初、サソリちゃんの目的地がファンティサール以外だったにも関わらず、最終的にファンティサールに戻ってきたりしたように。
旅の途中、行方不明になったハスミちゃんとロカちゃんが、私達より早くサソリちゃんのところに向かっていたように。
「あの二人が今どこにいるかも、何をしているかもわからないよ。」
杖を失った私達が連絡を取り合える方法は、殆どなかった。
否、杖を持っていても、取れるかどうかすら怪しいけれど。
遠くの人と連絡を取るには、魔法陣を描くか、魔術具を使うか、ぐらいしか手段がない。
魔術具は元々高価すぎて手が出ないし、魔法陣も高等魔術学校という才能を持った人しか入学できないところでしか習えない。
それでも宮廷魔術師レベルになると、違ってくるのだろうけれど。
「……あー、いっそのこと宮廷魔術師にでもなれたらなー。」
はぁ、とため息を付くと、ロカちゃんがハスミちゃん達は魔法陣を持っていないから、どのみち連絡が取れない、といった。
それもそうか、と思う。
宮廷魔術師に、【なれば良かった】じゃなくて、宮廷魔術師で【いればよかった】と、願ったらよかった。
宮廷魔術師レベルだと魔術具も手に入るかもしれないし。
……と、そこまで考えたところでロカちゃんの髪に目が移る。
いつの間にか二房だけ長くなっていた彼女の髪。
「…そういえばさ、ロカちゃん、その髪どうしたの?眼鏡もなくなっているよ?」
「それは、実は事情がありまして……。」
ロカちゃんは、そのうちの一房を触りながら答えた。
「…へえ、魂の封印か!聞いたことないなぁ。」
「まあ、魔獣も一部の人間に対してしか行わないようで、あまり広まってはいないかもしれないんですが……。」
「ロカちゃんはさ、眼鏡って今後も掛ける予定?」
私の質問にロカちゃんは意外そうに目を見開いた。
「…今後、かあ。」
そして、虚空を眺める。
「……考えたことなかったです。ファンティサールの業務に押されていて。」
ぼんやりと言うロカちゃん。
そういえば、彼女はそういう人だった。
旅の間に距離が縮まったと思っていたけれど、いずれこの土地の領主となる人に、私は領民。
そもそも、住んでいる世界が違ったのだ。
だから、こちらの常識は通用しない。
何気ない日常会話なのに、そんな事に気付かされる。
それでも、距離があったらその分歩み寄ればいいだけなんだけれど。
「少し考えてみます。」
と。
ロカちゃんの言葉でその話は終わって。
それからは、【犯人】の話になった。
ロカちゃんは、ファンティサールの次期領主ということもあって、勉強をたくさんしているのだろう。話の概要はつかめなかったが、たぶんサソリちゃんと宝石を取引する人のことだろう、と。
ロカちゃんの手を取り、出発しようとした時だった。
丁度、ロカちゃんの後ろに人影が見えたのは。
「……ロカちゃん、後ろッ!!」
彼女の後ろには、一目で立派なものとわかる服を着た男性が、背筋を伸ばし、かしこまったまま立っていて。
それが少し、恐怖を覚えなくもなかった。
「はじめまして、アデリ・シロノワールです!ロカちゃんとはミュトリス学園で知り合いました。」
勢いよく手を上げると、目の前の男性が微笑んだ。
「……二回目の自己紹介だね。」
「あはは……。」
と、私はそれに苦笑しながら。
先程、ロカちゃんは執務室へと出ていってしまって。今この場には、彼と二人っきり。
――ロカちゃんの父親と。
眼の前には先程メイドさんに出された紅茶とショートケーキ以外に、新しくロカちゃんの父親――領主様が出された、クッキーがある。
眼の前にショートケーキがあるのに、新しくクッキーを出すのもどうかと思うけれど。
……ひょっとして、これも貴族の慣習、とやらなのだろうか。
「私の名前は、ルーカス・フォンティーヌ。知っているかもしれないが、ファンティサールの領主だ。」
領主様は、そういった。
「そんな!誰だって、知っていますって!そんな事!だってファンティサールって――私達の住んでいる土地ですよ!」
むしろむしろ、ロカちゃんの後ろに立っていた時は恐怖すら感じてしまった。
だって、物音一つ立てずに、いきなりロカちゃんの後ろに立っていたから。
実際にその姿を見たことがないとはいえ、よくよく観察すれば、ロカちゃんと同じ髪色で、領主様と気が付く機会は十分にあったはずだ。
……なんて、本人の前では口が裂けても言えないけれど。
「話が早いようで良かったよ。それで、君とロカはどういう関係なのかね?」
「?普通に友達っていうか……。」
私の答えに、領主様は数秒、考え込んだ。
そして、ケーキを食べている私の皿を指さす。
「ふむ、フォークの持ち方が違うね。フォークはもう少し腕を傾けて持つと芸術的だ。それから、背筋をピンと伸ばす。」
「……すみません。」
慌てて姿勢を伸ばし、フォークの持ち方を正した。
ファンティサールの領主になると、そんなことも注意しなければいけないのか。
……恐ろしい。
領主様は、視線をお菓子の皿のほうに向けたまま、尋ねてきた。
「ふむ、君のご両親は中産階級かね。」
「ええっと、そうですけれど……。」
なぜ急にそのようなことを聞くのかと。
それとも、貴族ではこれが常識なのだろうか。
私は領主様のほうをまじまじと見た。
「成程。道理であまり見たことない食べ方なわけだ。」
納得したような、領主様。
顔がほてるような思いだった。
自分なりにマナーはちゃんとしていたけれど、貴族様にはやはりお粗末に見られていたらしい。
とりあえず、サソリちゃんから無事宝石を取り戻すことができたら、マナーを全力で練習してみようと思った。
再び、お菓子を食べようとしたところで、領主様がお菓子の皿に目線を置いたまま、動かずにいて。
「……。」
「どうかしました?」
もしかして、領主様もお菓子を食べたいのか、と。
そういえば領主様が出したお菓子、領主様はまったく食べていない気がするけれど。
……遠慮させちゃっている、……とか?
「いや、なんでもないよ。」
と、領主様は微笑んだ。
「それで、シロノワールさんのご両親はなにか階級を持っていたり、地位を持っていたりはしないのかな?」
「いえ。どこにでもあるような、ありふれた中産階級ですけれど……どうかしました?」
「いや……ね。」
数秒、領主様は考えこんだ。
「そうだ。私は予定も押しているし、もう席をあけるよ。それじゃあ、お先に失礼するよ。」
領主様が立あがり、ロカちゃんが向かった【執務室】の方に体を向ける。
「はい。」
領主様は私に軽く頭を下げると、執務室のほうに足を進めて。
「……不思議な人だったなー、領主さん。噂からは考えられないやー。」
領主様の姿が見えなくなった後。
私はしみじみとつぶやいた。
ファンティサールの、領主様の噂。
それは、領主様は目的のためなら領民の損害もいとわない、冷血人間であること。そして、その地位を利用して、数多の領民を踏みにじっている、と。
最近、町でそんな噂が流れていた気がする。
それでも、私と話していた領主様は気さくな方で。
まるで、噂と別人みたいだ、なんて。……私が考えすぎたのだろうか。
いや、ファンティサールの領主様って、いい人だと思うんだけれど。
かたん、とフォークを空になったケーキのさらにおく。
隣のお菓子の皿も、先ほどすべて食べ終わってしまった。
「……お菓子、全部食べ終わっちゃったけれど、食器、どうしよう。」
私は空になった二つの皿と、ティーカップを見て、再びきょろきょろと屋敷の中を見回す。
近くにメイドさんはいなかった。
「ロカちゃんはお嬢様だからメイドさんが、取り下げてくれるのかな?でも、ここにはメイドさんはいないよね……。」
たしか、何かの物語で読んだことがある。
私が実家にいた時は、自分の食べた皿は自分で洗い場まで持って行ったけれど、流石に他の家でそれをするのは違う気がする……かな。
今まで読んだ物語と、おねーさんの話しかあてにならないけれど、少なくとも自分の食器を自分で片付ける来客は読んだことがない。
……じゃあ、どうすればいいか。
刹那、頭の中を閃光が瞬いた。
「あ!ひらめいた!これ、自分で洗い場まで持っていけってことなんだ!フォンティーヌ家はきっと新しい価値観を取り入れているから!」
何もかも新しくてお金持ちのフォンティーヌ家はきっと、新しい価値観を取り入れているのだろう、と。
数分の黙考の末、私はそう結論付けた。
食器などを持ち、いざ洗い場に行こうと立ち上がり、踏みとどまる。
「……といっても、どこに洗い場があるかわからないんんだよねー。」
__洗い場の場所がわからない。
ただえさえ広いフォンティーヌ家なのに、初めて足を踏み入れた私が洗い場の場所など、わかるはずがなかった。
しかも、ここは貴族の家。貴族の家の洗い場は私たち庶民の家のようにわかりやすい場所についているわけじゃなかったはず。
どうしよう、と私はうなる。
「よーし!こうなったら、この家を探検しながら洗い場を探そう!丁度気になっていたし。」
即決だった。
本音を言うと、少しだけフォンティーヌ家の構造が、気になっていなくもなかった。
皿を持っていくついでに探検ができるのではないかと。
その時の私はうかつにも考えていた。
たったった、とフォンティーヌ家の階段を駆け下り、一階に到着。深紅のいかにも高級そうな絨毯を踏みしめながら、私は洗い場を探し始めた。
「ふんふふ~ん。ふんふーん。」
気分は完全に探検者だ。
誰の許可もなく、道を探る楽しさ。
私の心は完全に弾んでいて、私は鼻歌を歌いだした。
鼻歌を歌いながら、廊下を十メートルほど歩いた時だった。
私の耳に、何か、ものすごく小さな物音が聞こえた気がした。
それはまるで__
「……?あれ、今、人の声が聞こえたような。」
両手に食器などを持っているため、手を耳に当てることはできないが、私は代わりにきょろきょろと首を動かす。
もしかして、聞き間違いだったのだろうか。
歩き出そうとしたとき、再び私の耳に、声が聞こえた。
今度は少し大きく。女性の、かすれた声で。
た。
す。
け。
て。
と。
「た、す、け、て……?【助けて】って言っている!」
意味を理解したとたん、私は自分でも驚くような大声を出して。
次の瞬間には、駆けだそうとしていた。
その声の主のもとに。
何かわからないが、その声の主を救い出さなければいけない気がした。
__その声の主の正体も、何に困らされているかもわからないくせに。
「助けに行かないとっ……!」
が、踏みとどまる。
その声の主が、どこにいるか、わからなく。
しかたなく私は脳の声を反芻しながら。
ゆっくりと、その声の主の場所を把握しようと。
私が音に神経質になりだしたとたん、声は再び聞こえ出した。
た。す。け。て。
た。す。け。て。
一文字ごと、声はとぎれとぎれに。
数メートルほど歩いたところで、その声が一番大きく聞こえる場所を発見した。
フォンティーヌ家の廊下。
部屋と部屋の間の壁。
「ここだっ……!」
と、私は勢いよく壁に触れた。
「ここから声が、聞こえている!」
ドアも窓もないけれど。
この先に、声の主がいることが分かって。
壁を少し強く押した瞬間だった。
「わっ……!」
ぼろぼろと、壁が崩れ始め、中から部屋が現れる。
四方を真っ白に囲まれた部屋の中心に、絹で作られたベッドがおかれていて。
私はその状況に、一瞬たじろいだものの、壁によって隠された部屋に一歩踏み出した。
助けを求めていた女の人に、逢うために。
が、その部屋の中は予想だにしないものであって。
「な、なにこれ……。」
と。
部屋の中にはクローゼットなどはなく、人の隠れる隙間もない。
部屋の中心に、白を基調としたベッドが置かれていて、ただ、それだけ。
そのベッドにたった一人。
女性が死を思わせるように横たわっていて。
ほかにこの部屋に女性はおらず、助けを求めていたとすれば、ベッドに横たわっている女性だが、そのことが限りなく不思議に思えた。
__女性は、眠りについていたから。
胸につけられた深紅の宝石を怪しく光らせながら。
しかし、彼女は宝石と反してまるで力を加えたら折れてしまいそうなほど繊細な印象があって。
この女性が、しゃべれるはずがない。
その彼女の流れるようにきれいな透明の髪を眺めながら。
「綺麗な女の人……。どことなく、ロカちゃんに似ているような。」
どことなく、その面影がロカちゃんを思わせることを、私は気が付いた。
顔の形とか、輪郭とか。
成長したロカちゃんといわれても、違和感がないくらい。
「私に気が付かないで、目も覚まさないままなのかな。……すごい、痩せているし。」
女性の腕は、私の杖よりも細いのではないかと思うほどで。
ちゃんと栄養がとれているか心配にすらなる。
その腕の痛々しい様子に目を向けてられず、私は彼女のドレスに目を向けた。
彼女がつけているドレスは丈が短く、ところどころキラキラと光る布が使われていて、そのデザインも精工なもので。
彼女は、ロカちゃんと同じぐらい立場が偉い人だと一目でわかるもので。
私はまじまじと、彼女のドレスを見る。
「綺麗なドレス……ロカちゃんのお姉さんとか?……いや、いるわけないよね、ロカちゃんは一人っ子だし。」
大体、彼女の髪は透明で、ロカちゃんとは違う。
姉妹だったら、同じ髪の色だろう。
「――もしかして、ヴィルマ・フォンティーヌさん、なんて。」
なんとなく、つぶやいた時だ。
女性の胸についている宝石が大きく発光したのは。
「――っ!」
慌てて女性のドレスから顔を移して、崩れた壁のほうを見た時、杖を持った領主様と目が合った。
急いでいたのか、髪は乱れていて。
「……すみません。お邪魔していて。」
私が頭を下げても、領主様は唖然とした表情のままで。
「見たのか?」
「えっと……はい?」
「……この状況を、見てしまったんだね。」
領主様は、懐から真っ赤に光らせた杖を取り出して。
「?」
その姿を見て、私もようやく何かがおかしい、と感じ始めていた。
フォンティーヌ家の中に明らかに身分が高そうな人が、寝込んでいて、しかもその存在を隠されていた。
……こんなの、おかしいに決まっているのに。
領主様は私のほうに杖を向けて、
「荒野に永遠に眠りて、黎明を迎えるな。――ディーム・アエテルヌム」
と。
ウ文字が領主様の杖から飛び出し、私のほうに向かっていく。
逃げよう、と思ったが、何分場所が悪かった。
その場所の近くには女性が寝ているベッドがあって、右手は壁。
逃げる場所など、既に決まっていて。
足を進めたとたん、その文字が私の体をがんじがらめにする。
「ッ……!」
逃げたほうがいい、と本能が告げていたが、それはできなかった。
それほどまでに文字の拘束力は強固で。
それどころか、文字は私の力を勝手に奪っていったのか。
だんだん、文字に抵抗する力が抜けていく。
「なに、これ、体が、勝手に。」
ぱたり、と。
すべて言い切る前に私は倒れてしまって。
かすむ意識の中で、領主様がこっちにやってくる。
「いざというときのために先程出した菓子の中に薬草を混ぜておいたんだが、まさかこの魔法を本当に使うことになるとはね。」
「――、――。」
何か言おうとしたが、のどに力が入らない。
あのクッキーが全ての原因だったとか、領主様が領民に異常なことをしだしたとか以上に、今はただ、ロカちゃんのことが心配だった。
一緒に冒険をした仲間。
彼女も、領主様に何かされていないかと。
同じ部屋にいる、女性のように。
領主様は、ついに私の目の前にまで来て、足を止めた。
「……悪く思わないでくれ。これもそれも全て稀代のためなのだ。」
私の意識が薄れる寸前、領主様のねっとりとした声が耳に残った。
「…――、――。」
頭が、ぼんやりとする。
どこからか、音がする。
「――、――――。」
人の声みたいで、聞き取れない。
ここがどこか、どうしてここにいるか、思い出せない。
「――!――!」
声の主は、二人いるようだ。
二人は、会話をしているみたいで。
内容は、水の中にいる時みたいに上手く聞こえないけれど。
「――、秘密を、だ。」
と。
その言葉を機に、先ほどまで水の中にいたような感覚が抜けて、周囲の音が聞き取れるようになった。
同時に、先ほどまで私が何をしていたかも。
……領主様に眠らされてしまったんだっけ。
ふと、目の前を見ると自信満々に杖を持っている領主様と、ショックを受けて表情をしたロカちゃんがいて。
ロカちゃんの足元には、魔鉱石が下についている、不思議な長い棒が転がっていて。
……杖、であっているよね?
あんな杖、見たことないけれど。
……ていうか、ここはどこだろう。
私、領主様に連れてこられたのかな?
私の両腕は蔦が絡みついていて、動き出すのは難しそうで。
「お母様……!まさか、お母様の身に何か……?」
ロカちゃんが、はっとしたような表情になって。
「…どういう事!?」
私は思わず、身を起こした。
ぎょろり、と領主様がこちらを向く、
「……なに、薬が効いていない、とッ?」
「シロノワール先輩ッ……!」
ロカちゃんがほっとしたような、泣きそうなような表情になった。
そんなこと構わず、領主様はぶつぶつと、含んでいた成分が悪かったとか、魔方陣の書き方をミスってしまったとか、独り言を続けていて。
「なんか、私木の実とか食べ慣れているんで。野生の草ならそこら辺の子よりかは効かないと思いますけれど。」
「そんな……予想外だ。――が、まあいい。どうせ二人とも記憶を消すんだ。全て話してやっても、悪くはない。」
領主様はもう一度、私のほうに向きなおった。
「……それで、どうしてロカちゃんのお母さんをああしたんですか?」
「ッ!」
領主様が目を見開く。
あの女性をヴィルマさんと見抜いたことに対する驚きか、それともヴィルマさんをああしたのが、領主様と見抜いたことに対する驚きか。
私にはわからないけれど。
「明らかに、変でしょう。私は治療に詳しくないからわからないけれど、ヴィルマさんじゃなくても、病気の人をドアもない密室に隠すなんて、おかしくないですか?なにか、隠したいことがあるんでしょう?」
「……フフ、…フフフッ……ハハハハッ!」
私が軽く睨むと、領主様は狂ったように笑いだした。
「…何がおかしいんですか!」
「お父様、冗談を。――冗談って、言って下さい。」
ロカちゃんも、震える声で続け。
領主様はパタパタと手を振る。
「いやいや、シロノワールさんの言うことが図星をつきすぎていてね。そうだよ、ロカ。私は隠し事をしていた。そして、ヴィルマをこの状態にしたのも、私だ。」
「お父様……!」
言葉が出なかった。
私の予想が当たったとか、ヴィルマさんがひどい目にあったとか、それ以前に。
目の前に立っている人は、ありとあらゆる面で私の予想を超えていて。
「たとえ、貴方がファンティサール領主で、ここで一番強いとはいえ、こんな事して許されると思っているのですか?――もし、なにかしようとしたら他領に訴える事だってできますから。」
肩を震わせるロカちゃんを、領主様は呆れた表情で見る。
「……はは、誤解じゃないか、ロカ。これにはやむを得ない事情があったんだ。それに、シアンだって協力している。お前の味方は、誰もいない。」
シアンというのが誰か知らないけれど、領主様は一つ間違っている。
ロカちゃんの見方は、誰もいなくなんかない。
「私がいるよ!」
私だけじゃない。
ハスミちゃんだって、レオ君だって。
一緒に旅をしたから、仲間で、きっとこの状況ならロカちゃんを助けるだろう。
だから、あなたはそれほど強くない、と。
私は目線だけで領主様に伝えた。
「ああ、いるね。動きを封じられたお仲間が。」
「シロノワール先輩、すみません……。」
ロカちゃんがしょんぼりと肩を落とす。
気にする必要はないよ、と言おうとしたとき領主様が口を開く。
「三年前から続く、ファンティサールの土地に含まれている魔力が、段々と目減りしていく現象。ロカ、不思議に思ったことはないかね。」
「へ?」
ロカちゃんの指先が、ぴくついた。
ファンティサールの魔力云々は分からなかったけれど、領主様の話しぶりからして、この先あまりいい話があるとは思えなかった。
「本当に一度も、ファンティサールの住民にそのことを勘づかれないで、フォンティーヌ家はやり過ごしてきたか、と。」
「……?」
ロカちゃんは、首をかしげて。
周囲に満ちる沈黙が、ただ、痛い。
「毎月減る魔力量はごくわずかでも、それが一年貯まればそれなりの量になる。その量が減れば、領民の生活にだって障りが出てくるし、農家などがそれに真っ先に、気がつくはずだ。それはロカ、予習を進めているお前なら分かるはずだ。」
「……何が、言いたいんですか。」
疑問に満ちたロカちゃんの表情が、みるみる青ざめていく。
私だって、魔力とか、減少とか、初耳の話ばかりでなかなかついていけなかったけれど、この人が言っていることが危うい話につながる、ということは想像できた。
「それなのに、ファンティサールでは、暴動一つ起こっていない。こうも考えられるんじゃないか。――この事態を知るもの……ルーカス・フォンティーヌが、何らかの策を講じていた、と。」
「――。」
「とても公言できないような、されど減っていく領地の魔力に対しては有効な策を。」
領主様は、そこで言葉を切った。
数秒程、間があって。
「……本気、ですよね。」
ロカちゃんが祈るような瞳を領主様に向ける。
「当然だ。」
領主様はロカちゃんの質問を、鼻で笑った。
「――ヴィルマがその策だ。私はヴィルマの魔力を搾り取って、領地に還元していたのだよ。」
「――――。」
ロカちゃんは、しゃべらない。
否、しゃべれない。
しゃべれるわけがない。
いきなり自分の親が、自分の親の魔力を取って、利用していたと知ったら。
それが、領地のためであれ、将来はその領を治める事になるとはいえ、耐えられるような精神を持つ子が、どこにいるだろう。
むしろ、そんな子、いるほうが稀じゃないか。
先に口を開いたのは、私の方だった。
「……なに、それ。」
私の言葉は、いつもより、小さく、幼く聞こえて。
領主様は、私を信じられない、という瞳で見つめて。
私こそ信じられなかった。
あの部屋で見たヴィルマさんは、筆舌に尽くしがたい健康状態だったのに。
彼はあえてヴィルマさんをその状態においていたのか、と。
「ひどいっ!酷すぎるよ!ヴィルマさん、あんなにやつれているのに!」
私に怒りをぶつけられても、領主様は何一つ考えを変えようとしなかった。
どころか、眉をひそめて。
「……君は少し、黙っていたまえ。」
領主様が素早く私のほうに振り向いて、私の口元に向かって紙のようなものを投げつける。
私の口元に触れた紙は、白く発光して、突然消えてしまって。
もしかして、この紙に魔方陣が書かれていたのか、と。
気が付いた時にはもう遅かった。
「――、――!」
いくら声を出そうとしても、私の口からは、音が出ない。
ただ、私の息を吸い込む音だけが廊下に響く。
__術式だ。
私の声を封じる術式を、領主様は組んだんだ。
ロカちゃんがこちらを見て、小さく首を振った。
ただ、ごめんなさい、と。
すべてを諦めたような瞳には、その言葉だけが映っていて。
「君が先程食べたお菓子だって、領地の魔力がもっと減れば美味しさも減り、君のつけている魔鉱石のブローチだって、魔力が減った領地では、これほど美しく光るものは現れない。――つまりは、ファンティサールの為なんだ。」
「……。」
聞くにこらえなかった。
この人は、自分の行いを正当化しているだけだ。
先ほど食べたお菓子や、私のつけている魔鉱石のブローチを人質にとって。
……少しも、ヴィルマさんにしたことを反省する素振りも、罪悪感も感じない。
それが答えだった。
この人は___ルーカス・フォンティーヌは、【間違っている】。
「しかし、そのヴィルマから奪っている魔力だって、もうじき枯れる事すら予想される。」
ヴィルマさんの姿を脳裏に思い浮かべる。
もう、何か月も食べていないのではないかと思うくらい細かった体。
あれは魔力を奪われていたからなんだ。
「ヴィルマから、魔力を奪いすぎたのだよ。――そのせいで、ファンティサールの魔力の減少は再び顕著になった。しかし、もうじきそれも終わる。」
「まさか――、」
「その、まさかのまさか、だよロカ。お前が生贄になればいい。」
領主様が、恍惚とした表情で、腕を広げる。
__何を言っているのか、少し信じられなかった。
ヴィルマさんの犠牲を何とも思っていない時点で、察するべきだったのかもしれないけれど。
__ルーカス・フォンティーヌは、噂通り、目的のためなら自分の娘だって手にかける非人道だった。
「神に誓う儀式で、お前が生贄になれば、神はファンティサールの復興を許し、魔力だって再び恵んでくれるはずだ。」
おかしい。
おかしい。おかしい。
声を出したいのに、領主様が先ほど私にかけた魔法のせいで、出せない。
この空気に、抗いたいのに、抗えない。
「幸い、今のお前の魔力の質は最盛期の稀代と同じ。それなら、神もきっと生贄に相応しいとお思いになる。」
「――ッ」
ロカちゃんの手を、領主様がつかんだ。
ロカちゃんは、きゅっと目をつぶる。
今領主様に従ったらきっと悪いことになる。
助けたくても、助けられなかった。
私の両腕は、床の魔方陣から伸びている蔦に拘束されていて。
「――さあ、ロカ。こちらへ来い。生贄になるのだ。」
ぐい、と領主様がロカちゃんの腕を引っ張り。
「――行きませんッ!」
ロカちゃんは、その腕を振り払った。
領主様の笑みが、顔から消える。
「……ファンティサールの領主はいつも高潔であるべきだって、貴方に教えてもらったから!」
ロカちゃんは領主様を睨む。
「高潔じゃない、恥を晒すことを怖がるだけの貴方は領主なんかじゃない……!――だから、私は貴方の言う通りにはしないッ!」
「――なぜだ?」
領主様は、忌々し気につぶやいた。
「何故、皆、私に逆らう?」
その杖は光っていて、私たちを害する気が手に取るように見えて。
そこにいたのは、高潔な領主なんかじゃない。
自分の欲のために動く、__化け物がいた。
「私は、体を張ってファンティサールを守ってきた!だから、私に守られているものをどうこうする権利も、何もかも全て私にあるのだ!」
領主様が杖を一振りすると、杖からウ文字が出てきて、素早い速度でロカちゃんに迫っていく。
ロカちゃんはそれを間一髪でよけながら、こちらの方を向いた。
「シロノワール先輩、逃げて下さい!」
「オッケー!」
ロカちゃんの言葉にうなずき、私は蔦に絡まっている腕を上下左右、とにかく蔦から逃れようと、体を動かして。
数秒、たった時だったと思う。
するり、と今まで私の腕を縛っていた蔦が私の腕から離れたのは。
「……ふん。私の呪文から逃れられるわけ……。」
すたん、と。
私はフォンティーヌ家の高そうな石を使った床に手をついて着地して。
「――そんな、馬鹿な。」
領主様の声に動揺が走った。
「まさか、彼女は、運命の天才児ッ!?」
と。
よく私はそうたとえられるが、私としては何とも答えずらい。
私はただ、思ったことが大体本当になるだけなんだ。
周囲の声とか、そういうのは関係なく。
私ができると思ったことは、たいていいつの間にかできるようになっているし、今回だって、その要領だ。
それを【信じる力】と言わずに、何と言おう。
だっと、誰もいない方向に駆け出した私に、領主様は杖を向けてくる。
「聖なる月の真下にて、魂胆共に縛れよ。アニミア・ムーン・レガーレ。」
「――ッ!」
杖の先から、ウ文字が私に向かって飛び出してくる。
それを、間一髪でよけながら。
「シロノワール先輩、早くッ!」
ロカちゃんが、領主様を隔てた向こう岸で、手を振っていた。
__魔鉱石が下のほうについた、不思議な形状の杖をもちながら。
一瞬で、彼女の考えていることが理解できた。
ロカちゃんも、領主様に反撃する気だ。
じゃあ、せめて時間稼ぎを、と前を見据えた瞬間だった。
目の前に、箱状の赤い宝石が付いた魔術具が見えたのは。
魔術具の宝石は、禍々しい赤い色の光を発していて。
「あ!あの魔術具!ヴィルマさんの胸の宝石とおんなじ色の光が出ている!もしかして!」
手に取り、再び走り始める。
「――まずいッ!」
後ろから、領主様の声が聞こえたのは、その時だった。
……もしかして、この魔術具は、反撃に使いやすいものだとか?
領主様の杖から出たウ文字が私のほうに迫ってきていて、私は慌てて魔術具をロカちゃんのほうに投げた。
「ロカちゃんッ!受け取ってッ!」
「ありがとうございますッ!」
胸のほうで、ぎゅっと魔術具を抱きしめるロカちゃん。
領主様が、杖の先を、私でなくロカちゃんに変える。
「やめるんだ、ロカッ……!」
ロカちゃんのほうに、私が手を伸ばすより早く、ロカちゃんが魔術具のふたを開けて、それを領主様に投げつけて。
「いけッ……!」
刹那、魔術具を中心に強い光が出てきて、私は思わず目をつぶった。
一秒、二秒、三秒ほど待っただろうか。
光はもう収まっていて。私はゆっくりと目を開けた。
「なに、これ……。」
領主様が、ロカちゃんのほうに杖を向けて、何かを言おうとしたまま、固まっていた。
まるで、石像か、銅像を思わせる程。
けれど、目の前で固まっているのはまぎれもなく先ほどまで動いていた人間だ。
「魔法は、成功したみたいね。」
ロカちゃんがぽつりとつぶやいた。
「……ロカちゃん?」
ロカちゃんは私のほうに振り返った。
「あの魔術具です。お母様が胸につけていた宝石と元々は一つの品だったんです。お父様が魔力の話をしてから、そこから魔力を取っているかもと予想しました。」
まさか動きを封じる効果まであるとはおもいませんでした、と。
「え、ぇぇ……。」
私は緊張が体から抜けていくのを感じながら、よろよろと床に足を下ろす。
とりあえず、これでヴィルマさんが死んだように動かなかった理由もわかった。
きっと、この魔術具をつけられたのだろう。
「取り敢えず、この魔術具の効果は意識と動きを封じるだけみたいですし、つけたままにしましょう。」
「……これから、どうするの?」
「お父様の凶行を王都に報告して、お父様の地位を停止してもらって……。お母様が意識を戻す方法を考えます。――お母様は魔力を取られすぎたのが原因で目を覚まさないのだと思います。だから、復活する可能性は十分あります。」
お父様の後任に誰がつくかはわかりませんけれど、それでもファンティサールは今よりきっといい方向に動くはずだから、と。
私は何も言えなかった。
両親が魔術具に封印されて、これから身元がどうなるかわからないロカちゃんに、激励の言葉をかけるべきか、お母さんの不幸を、一緒になって嘆くべきか。
あたりを不器用な沈黙がつたう。
たん、たん、と。どこからか、突然足音が聞こえてきて。
私たちのものではない、誰かの。
私たちは顔を見合わせた。
「……話は全て聞かせてもらいましたよ。」
階段の方から声が聞こえ、私たちは振り向いた。
階段には、二十代後半くらいのメイドさんが、姿勢を正してたっていた。
この屋敷に来てから初めて見るメイドさんの姿だった。
「__シアンッ!」
ロカちゃんが、驚いた声を出す。
シアン、と呼ばれたメイドさんは私たちに全てわかっている、という風に微笑みかけた。
「私が全て王室にお話して、手続きも行っておきます。」
「なんで、貴方は私たちを裏切ったはずじゃ……?」
「裏切りなんて、最初から起きていたんですよ。旦那様__いえ、ルーカス・フォンティーヌが提案をしてきた時点で、私の忠誠心はなくなりましたよ。」
その言葉をロカちゃんが聞いて、ロカちゃんの表情が和らいだ。
シアンさんが、私たちの方に向かって歩いてくる。
「ですから、今は休まれてください。お二人とも、もう夜が訪れようとしています。旅はまた、明日出ましょう。」
彼女が指さした窓の外は、真っ暗になっていて、月が煌々と浮かんでいる。
……いつの間にそんな時間になってしまったのだろうか。
フォンティーヌ家に来た時は日が上っていたのに、時間というのは速いものだ。
「シアン……。」
「メイドさん……。」
私たちは、シアンさんのほうに足を一歩、二歩、進めて。
丁度、その時だった。
目の前のロカちゃんの足元がふらついたのは。
「ふ、わぁ……。」
ロカちゃんはその言葉を皮切りに、目をつぶったまま、床に倒れこんでしまって。
すうすう、と寝息を立て始めて。
私もその情景を見て、少し、安心してしまったのだろう。
いつの間にか、体におもりがつけられたような感覚がして。
「つ、かれたぁ……。」
と。
かすむ視界の中、私は床に倒れこんで。
__そのまま睡魔にのまれ、夜の間に目覚めることはなかった。
◇◆◇
フォンティーヌ家に、ただ一人残されたメイド__シアン・ラマージーランドは、自身の足元で眠りについている二人の少女を見て、嘆息して。
それからふっと笑みを浮かべた。
少女の一人は、ロカ・フォンティーヌ。長年、世話をしている貴族の令嬢。そしてもう一人は、ロカ嬢の友達と思しき少女。
ロカ嬢が、気が抜けて眠ってしまった、という場面をシアンは見たことがない。
それぐらい、彼女はいつも気を張っていたから。
二人の頭をなでながら、シアンはつぶやいた。
「お嬢様ももう一人の子も、眠っちゃって。本当にもう、子供なんだから。」
これから、二人の少女をそれぞれベッドに運びこみ、フォンティーヌ家で一夜を過ごしてもらうことを考えながら。
「お嬢様はルーカス・フォンティーヌのことで色々疲れているでしょうし、もう一人の子もルーカスに盛られた薬草の効果が再び出始めたようね。……早く寝かせてあげなきゃ。」
シアンは、二人の少女を同時に持ち上げた。
__身体能力強化。
数ある術式の中で、少女二人を軽々と持ち上げられるものは、巷では廃れてしまっている。
だから、だれも身元も知れない少女__かつてのシアンが、フォンティーヌ家に雇われた理由を知らなかった。
今では珍しい、身体能力強化魔法の最上位を使うことができる知識と、魔力と、ポテンシャルを持ち合わせていることも。
「……王都にすぐ連絡できるのは、私が夜逃げしてきた元王族だからってのもあるけれどね。ほんっと、元王族で、良かった。」
シアンは前髪を片手で払い、外の窓辺を見る。
窓からは青い月の光が差し込んで、シアンの額にあたっていた。
◇◆◇
「でね、ハスミちゃんと一緒に崖から落ちちゃって__、__。」
あの、悲劇から一夜が明けて。
私達は夜を明けたフォンティーヌ家を旅立とうとしている。
私はロカちゃんに、先程から箒をゆっくり進ませる傍ら、今までの冒険譚を聞かせていた。
結局、ヴィルマさんのことは、シアンさんが何とかすることにしたようだ。
シアンさんは(勝手に元領主様の書庫をあさっていたみたいで)魔術にかなり精通しているらしい。
むしろ、お嬢様たちがいると足手まといになりますし、作業も滞りますから、とっととどっか遊んでおいてください、と彼女は私たちを追い払って。
ぶっきらぼうな言い方だけれど、憎む気にはなれない。
元領主様のことを説明する流れで、旅の事はシアンさんに説明してしまったし、シアンさんはそれを応援してくれることになって。
多分、今回のことも彼女なりの優しさだろう。
宝石の行き先という懸念もあったため、私たちは彼女のやさしさに甘える決断を取った。
そうして、晴れて私たちはフォンティーヌ家を旅だてるわけだ。
宝石探しの旅に。
……晴れて、という言い方は少し変かもしれないけれど。
今、ロカちゃんに今までの冒険譚を語り聞かせているのは、ただ、ロカちゃんのことが心配だったから。
信頼していたお父さんが突然私を生贄に捧げる、なんて言い出したら、私だったら泣いちゃうかもしれない。
ロカちゃんは泣かなかったけれど、心の中まで平穏かどうかはわからない。
表情に出さないだけで、昨日のことをまだ引きずっているかもしれない。
私にできることは、ロカちゃんに話を聞かせて、一時でもその悩みを忘れさせること。
私の話を聞いて、ロカちゃんが心から笑ってくれたらなって。
話が一段落ついたとたん、ロカちゃんが
「シロノワール先輩、ありがとうございます。」
と。
咄嗟に意味がわからず、私はきょとんと首を傾げた。
「?何が?」
「これから私、ファンティサールを守ることになるけれど、それで少し緊張しちゃって……。でも、出発前シロノワール先輩の話を聞けたら元気が出たので。」
緊張、か。
ロカちゃんは微笑んでいる顔しか見たことないけれど、そういえばここ2日、彼女のほほえみを見ていない。
顔には出さなくても、彼女は、重圧を感じていたのかもしれない、と。
「ううん、全然。」
「……それじゃあキリがいいところだし……そろそろ出発しようか!」
「はい!」
微笑みをこぼすロカちゃん。
その笑みは、きっと本心からこぼれたものだろう。
夏の日差しが、眩しいほどに私達を包んでいる。
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