誘拐された少年少女の行動録~ナナと馬車の中の一日・全編~

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誘拐された少年少女の行動録~ナナと馬車の中の一日・全編~

 ガタガタ、と耳馴染みの悪い振動が、体に響く。  意識がはっきりして、一番最初に感じたのは木の腐ったような匂いと汗臭い匂い。  ミュトリス学園の静かな夜の匂いと断然違うそれは、私の意識を一気に覚醒させる。  ここは、ミュトリス学園ではない。  昼寝で目が醒めかけても、再び寝てしまい昼寝時間がやたら長いことで有名な私だが、今は再び意識を手放そう、なんて思っていない。  いつもと違う匂い。  私の危機感が、それに強く反応していて。  「ん……あれ?ここは、どこ……?」  うっすら目を開け、つぶやく。  私の眼の前には、たくさんの煤けた荷物が、積み上がっていて、今にも倒れてしまいそうだ。  否、眼の前だけじゃない。  空間全体、ありとあらゆるところに物が置かれていて、その隙間を縫うように、私は置かれていた。  置かれていた、という表現は違うのかもしれないが、実際、私は手に縄が縛られていて、身動きの取れる状態ではなく。  目が冷めた時、壁に私の頭が添えられているような状態だったけれど、あれは壁に寄り添って眠っていた、という訳じゃない。  空間自体、縦幅と高さが少なく、横幅がやたら広い。  広い、っていってもせいぜい二メートルぐらいだろうけれど。  なぜ、私はこの意味不明な場所に来ているのだろう、と。  ここで目が覚める前の記憶を思い出した。  「私は確か、お姉ちゃんを探しに行って……。」  そう、私――ナナ・クラークは人を探しに行ったのだ。  もう、一週間も帰ってきていない姉を。  あの、忌まわしい爆発からもう少しで、一ヶ月が経とうとしている。  最初こそ、姉はバイト先の修理をしてくる、とちょくちょく家を空けていたものの、ちゃんと二人で暮らせていたはずだ。  私達の家は爆発で崩れてしまったから、無事、野宿に近い状態だけれど。  それでも姉は、その日の食料を持って帰ってきて、爆発の後も慎ましいながら私達姉妹は暮らせていたはずで。  状況が急変したのは、一週間ほど前のことだった。  突然、姉が急用ができたから、と家を空けて、そこから一週間、姉が帰ってきていない。  心当たりのある場所は全て探した。  幼少期、姉が行きつけていた図書館。姉の友達――ロカ・フォンティーヌ嬢は家。八百屋。パン屋。本屋。ミュトリス学園。  それらどこにも姉の目撃情報はなく。  困窮していた私にある情報が降ってきたのはその時だった。  夜中、ミュトリス学園である取引が行われている、と。  それが、真実なのか、そうでないのかは私にもわからない。  ただ、今までの私は安全のために昼にしか姉の捜索をしたことがなく、夜に、ミュトリス学園に行ったら何かあるかもしれない、とミュトリス学園に足を踏み入れたのだ。  正直、色々な危険もあった。  ましてや、爆発のせいでまともに魔法警察が機能していないというのに。  夜に子供一人で、行くなんて、と。  それでも私は姉をどうしても探したかったのだ。  姉は、両親がいなくなったあと、様々な工夫をして、私が生きていける術を見つけてくれた。  爆発が起きる前だって、いつもバイトをして生活費を稼いでいた。(バイトの後はボロボロに傷つている事も多かったけれど、姉のことだ。どうせ、色々不器用だったのだろう。)  私が女売りで姉の負担を減らそう、と提案すると姉はその提案を退けて、ナナちゃんは、勉強さえしていればいい、と。  少し、嬉しかった。  姉はいつも私のことを一番に思ってくれて。  でも、それが姉の中で負担になりつつあるのも十分にわかっていて。  せめて、姉の負担を減らそうと、私はいつも家の家事などをすべて行っていた。  姉を見つけたい理由はもう一つあった。  嫌だったのだ。  一人の夜が。  単純に、爆発のせいで一ヶ月が経とうとしている今もやることはたくさんある。  そのおかげで、昼間は姉がいなくなったことを考えなくても生活することはできる。  問題は、夜。  何も無い時間が嫌だった。  両親がある日、消えていったことを思い出すから。  姉も、両親と同じであの日から、音沙汰もなく。  ソレが無性に嫌だったのだ。  まるで、姉まで私を置いてどこかに行ってしまったみたいで。  それで、私は勇気を持って夜のミュトリス学園に忍び込んだ。  明かりは手元の魔術具のみ。  ありとあらゆる場所で、姉を探していた、その時だった。  背後から、何者かが近づいてきて、私の口に布を当てたのだ。  夜の中で気が付かなかったのだろう。私はその布の上から息を吸った事で、意識を失い、私に布を押しつけた人物の腕の中で倒れてしまって。  「そうだ!思い出した!その時、誰かに連れ去られたんだっ!」  思わず思考をそのまま声にしてしまう。  幸い、というべきか。  今、私の口元には布はつけられておらず、声は発せるようで。  私をここに連れてきた人は、一体どんな目的があるのだろう。  なぜ、私を倉庫まがいの場所に閉じ込めたのだろうか。  もう一度、辺りを見回した所で、隅のほうに、人のようなものが、二人倒れていた。  「人……っ?」  まじまじと、その方を見る。  間違いがない。  肌の色も明るい、健康的な、普通の人だった。  というか、そのうちの一人は見知った人だった。  「えっと、シャテン先輩と……誰だろ。」  二人のほうを見ながら、私はつぶやく。  倒れている一人目の人は、シャテン・ブルーマー。  ミュトリス学園の二年生で、私と同じ園芸部所属の先輩だ。  セージグリーンの髪に、真っ白なシャツ。あいにく、彼は今気絶しているようで、話ができるようではないけれど。  もう一人の少女は、知らなかった。オレンジ色のポニーテールを背中のほうまで伸ばした、快活そうな短ズボンの少女。  同じミュトリス学園出身なのかすら、定かではないけれど。  ただ、私たちと同じぐらいの年で、彼女もシャテン先輩と同じく気絶しているようで。  二人とも、両手を縄で縛られている状態で。  二人のほうに身を乗り出した時、がたん、と地面が揺れた。  「ていうか、ここ、どこ……?揺れていて、しらない……。」  天井のほうを見上げ、私はつぶやく。  こんなに頻繁に定期的に揺れているってことは、ここは地面にある倉庫じゃないんだろうな。というか、こんなに揺れるものを私は一つしか知らない。  「……馬車ってこと?」  私たちは普段、移動手段として箒を用いている。  早くて、軽くて、便利だけれど、大きな荷物を運ぶとなると、それなりに魔力が必要になってくるので、箒で大きい荷物を運ぶ人はいない。  代わりに何で運ぶのかといったら、馬車だ。  魔獣じゃない普通の動物を、前に着けて車を引かせる。  魔力はかからず、大きい荷物を運ぶのには効率的だろう。  たぶん、揺れの感覚からしても、ここは馬車で、沢山荷物が置いてあるから荷台ではないだろうか。  私たちは、ここに、荷物のついでとして置かれたのだろう。  「なんで、ここにいるんだろ……。」  人さらいにさらわれたのか。  それにしては、荷台に積まれている人数が少ない気もするけれど。  もう一人の少女はともかく、シャテン先輩が荷台に乗っているのが不思議だった。  シャテン先輩はザ・アウトローって感じで、周囲との交流も断っているし、警戒心も強い。  やすやすと人さらいに攫われる人ではないとおもうけれど………。  私の考えすぎだろうか。  首を傾げた、丁度、その時だった。  んー、んー、と。  オレンジ色の髪の少女が眠たそうに目を開ける。  少女は開口一番に、  「ん……。あれっ?知らな子?」  と。  そして私のほうを興味深そうに見た。  その大きな深い青の瞳に見つめられ、少し、緊張していると。  「随分悪い目覚めだなー。」  と。  シャテン先輩も小さくあくびをしながら目を覚ます。  いつもどおり、そのマイペースさに、異端な場所ながら少しほっとしたものだ。  夜の学園で、姉を探していたら知らない人にさらわれてしまって、ここにきて。  内心、ずっと怖かったのだ。  知っている人がいてよかった。  「ッ!シャテン先輩、それと……。」  オレンジ色の髪の少女のほうに再び目を移して。  「ねえ、君、ここがどこだか分かる?」  と。  オレンジ色の少女は、私に尋ねてきた。  その跳ねるような明るい声に。  「えっと、いえ、全然……?」  いきなり問われた言葉に、私は戸惑いながら。  「はぁ。人に聞くのはやめたほうがいいと思うけれど。こんな拘束されている中だと、回る頭も回らないね。」  と、シャテン先輩がため息をついた。  彼はいつも、こういう人だ。  いつも少し遠いところから俯瞰している。  オレンジ色の髪の少女は、シャテン先輩のほうを向いて、  「じゃあ、シャテンはここがどこだか分かる?」  と。  「はん。今の状況でおれに聞く?」  眼鏡の奥で、菜の花色の瞳が細められる。  「わからないってことー?」  「……じゃないですかね。シャテン先輩、少しそういうとこあるから。」  ここ数か月ほど、シャテン先輩を相手にして分かったことだ。  「といいますか、シャテン先輩と知り合いなんですか?」  と、オレンジ色の髪の少女に尋ねた。  「?うん。アタシ、アイラ・シャーロットっていうの。シャテンとはクラスメイト。――君は?」  深い青の瞳を活発そうに輝かせるオレンジ色の髪の少女。  クラスメイト__ということは、私の先輩で、同じミュトリス学園の出身か。  アイラ先輩は、私のほうを見て、にっこりと口角を上げた。  「ナナ・クラークです。園芸部で、シャテン先輩と所属する部活が一緒なんです。」  「そっか!共通点がシャテンぐらいしかないけれど……よろしくね!」  「はい!」  私が元気よく返事をして、数秒が経過した。  「……で……この状況って……。」  私が、私達の腕を縛っている縄の存在に目を向ける。  奥の方に出口らしきものがあるが、生憎そこまで有象無象のものがあって、行けそうにないのと、そこは徹底的に封じられていて、手に縄が巻かれている為、そこまで行けても開けてるかどうか。  どうすることもないこの状況に全員が顔を見合わせた。  「うーん、縄がなかなか解けないんだよねッ!」  身を捩って、なんとか縄を解こうとしながら、アイラ先輩が言った。  「あんた達、杖とかは?」  シャテン先輩が、困ったように私たちの方を見た。  「アタシはポケットの中に。」  「私も、ポケットにあります。――でも、どうして。」  「おれもポケットにある……この中に、炎魔法を使えるやつ?」  「……私は風魔法です。」  「アタシも、使えないけれど。」  私とアイラ先輩の回答に、シャテン先輩ははぁ、とため息をついた。  「おれもだ。使えるやつが居たら炎で焼き切って貰おうと思ったけれど、よくよく考えればマフィアのやり手には炎魔法を使っても燃えない縄を用意している奴もいるとか。」  この世界の魔法は、主に二種類ある。  一つは魔方陣を使う魔法。  これはその属性の素材さえあれば本来適応出来ない属性の魔法も使うことができるもので。  もう一つが、杖を使ったものだ。これは元々本人が持っている魔力適性によって使える魔法がきまる。  ベストな発動条件は杖を握っていることだけれど、杖を持っていなくても、一応、魔法は使うことができる。  今回シャテン先輩が頼ろうとしたのはこれだった。  一応、私も【春雨の斬風(ウェール・ウェンティ・インペテゥス)】という、風魔法を使えるけれど、あまり期待はしないほうがいいだろう。  風魔法というのは、繊細で杖がないとロクに操れない。うっかり先輩達にケガをさせてしまったら、と思うと冷や汗が出る。  「えっと、マフィアって、最近有名になってきている、大陸の犯罪者組織だよねっ?」  「なんでシャテン先輩がそれを知っているんですか?」  マフィア。その名前を聞いたことがあっても、具体的な活動は知らない。  確か、悪いことをしている組織だって、噂されていて。  具体的な事はわからないけれど、腕に薔薇の紋章をつけている人達が多いとか。  「……いや、なんでもない忘れて欲しい。」  シャテン先輩は、そう、顔をうつむけて。  「「?」」  私達は、顔を見合わせて。  数秒、気まずい沈黙が流れる。  「えーと、取り敢えず、ここから出ることを、優先しよ!ね!」  明るい声で、アイラ先輩が言った。  そうだ、私達は脱出しないと。  私はお姉ちゃんを探さないといけないし。  それに、二人にだって何かしらの予定なり事情ががあるはずだ。  「……でも、出るって言ったって、杖は無いし縄で縛られていますよね?入口も空いていないみたいだし。」  「ううっ……そこまで考えていなかったし、それはまあ、そうだけれどさ。」  目を瞑るアイラ先輩。  「とりあえず、片っ端から試していこう‼」  が、すぐに復活する。  「な、なるほど……。」  「例えば………ふんぬううぅ。」  と、アイラ先輩は、歯を食いしばって、腕に力をいれる。  ……何をしているのだろうか。  私とシャテン先輩が首を傾げると。  「あ、あれッ⁈この縄、なんでほどけないの⁈」  十数秒たって、予想外だ、というふうにアイラ先輩が、驚いた声を上げる。  もしかして、縄を筋力で壊そう、という考えだったのだろうか。  アイラ先輩の発想が予想の斜め上過ぎた。  「えっと、言いにくいんですけれど、縄って、ちょっと力を込めたぐらいでは壊れないから縄であって……。その太さのものは、もう諦めたほうがいいかと。」  ていうか、アイラ先先輩は筋肉に希望を抱きすぎた。  そもそも、縄は壊れないから、縄なのであって、これ以上細くても力を込めても壊れないし、植物に日頃触れている私とシャテン先輩は誰よりもそのことを理解している。  「えぇッ⁈アタシ、細めの縄なら力任せで壊せたことあるんだけれどッ⁈」  手が縛られた縄の方を見て、目を白黒させるアイラ先輩。  「何なんですか、それは……。」  アイラ先輩が縄を壊している光景が、逆に気になってきてしまった。  「…普通に考えたほうが速いと思うけれど。」  と、シャテン先輩。  アイラ先輩が眉を下げる。  「えぇっ……。」  「あ!私、思いつきました!」  「本当?」  「はい!ここの人に話しかけるとか。」  どうせ、ここには、他に私達の縄を外せそうな人もいないし、それなら馬車を運転している人に、掛け合ってみよう、という話だ。  馬車の性質上、無人というのはまずない。  動物を走らせるという複雑な動きをするには、膨大な魔力と複雑な魔法陣の術式が必要になるからだ。  「あっ!!それ、いいっ!!天才じゃん!!」  アイラ先輩が、跳ね上がりそうな勢いで、そう言って。  「やめといたほうがいいと思うがね。」  と、一言を挟んだのはシャテン先輩だった。  「……シャテン先輩?」  私達はシャテン先輩をまじまじと見つめて。  シャテン先輩の菜の花色の瞳が、薄暗い荷台で輝いている。  「どういう理由であれ、俺たちを閉じ込めたやつは、おれ達を縄で縛った……ということは、おれたちに動かずにこのままここにいてほしい可能性が高い。そんな相手に、縄をほどいてもらうための交渉なんて。」  「「……。」」  何も言えなかった。  確かに、考えてみればそうなのだろう。  今までここから出ることばかり目を向けていて。私はその先の悪意に目など、向けてこなかった。  「少なくとも、おれはしたくないね。」  再び、3人の間に気まずい沈黙が訪れる。沈黙を破ったのは、またしてもアイラ先輩だった。  「……えーと、別の案を考えよっか‼」  と。  「そうですね。そうしましょう。」  「えーと……。」  二人とも、思考に移って。  そこまでだった。それだけだった。  頭から、それらしいアイディアが思い浮かばない。  「な、なかなか思い浮かばないよね……。」  アイラ先輩は目尻を下げて。  「やっぱり、ここから出るなんて、無理なのかな…。」  と、私はため息を付いた。  手には縄があり、魔法だって使えそうにない。  荷台はものに囲まれて、扉まで向かうなんて絶望的だ。  私たちは、いつここから降りれるかわからない。  それがすごく不安に思えてきて。どうじに、私の活力を奪っていった。  今はただ、お姉ちゃんを見つけることが希望なのに。それすら出来ないなんて。  「そ、そんなことないと思うよ‼みんなで力を合わせればっ‼きっと、何とかなると思うよっ‼」  アイラ先輩が、私のほうを見て。  そういって。  その言葉に、少し、救われた気がする。  今、何もなくなって、頑張っていい理由を見つけた気がして。  はぁ、とシャテン先輩が息を吐いた。  「……ま、現実問題、ナナ君の考えの方が正しいよ。おれたちはここがどこかも、馬車を操っているのが誰かも、なぜ集められたかもわからない。……異論はある?」  「……ない、です。」  集められた人たちの共通点といえば、ミュトリス学園出身、くらいしかない。  シャテン先輩は、割と現実的なのだから、この状況が絶望的、というのはもはや覆しようのない事実で。  「私、帰ってこない姉を探しに夜に学園に行ったんですけれど、学園を捜索していたら、後ろから人に布で口をふさがれて……。その布の上から息を吸ったとたん、意識が遠のいて、ここにいます。……多分、薬草だと思いますけれど。」  私がその話をすると、シャテン先輩が、はた、と顔色を変えた。  ……何かあったのだろうか。  「なるほど……。おれも同じだ。」  やはり、シャテン先輩もそうだったのか、と。  あの布から息を吸ってから、数秒もしないうちに気絶した。それなら、私より警戒心が強そうなシャテン先輩がここにいる理由もなんとなく説明が付く。  「こまったね。おれも、薬草……植物全般には結構かかわっているけど、そんな植物、まったく知らないね。すこし吸っただけで気絶、なんて種、あったら悪い奴らに高値で取引されているだろうに。アイラ君は?」  知らない、というかそういった薬物は上の人の方で秘密にされていて、私たち一介の学生のもとまでは降りてこないのだ。  「へっ⁈アタシ?」  アイラ先輩が素っ頓狂な声を上げた。  「ああ。もしかして、アイラ君も。」  「えッ⁉違うよ?普通に。夕方、店の改修作業を手伝っていた所から、記憶がないんだよね……。まあ、何かあったんだろうとは思うけれど。アタシもさっぱりわかんない!」  ……というか、知らなかった新事実。  もしかしてだけれど、記憶がないのは布にしみこませられている薬草のせいかもしれない。  私たちに布を嗅がせた人が使っていたような薬草は、時々、薬草が利きすぎて、意識どころか記憶が飛んでしまう人もいるらしい。  もしかしたら、私やシャテン先輩は普段から園芸部として植物に触れていたから耐性があったけれど、アイラ先輩は植物に触れていなかったから、ということなのかもしれない。  「堂々と言い切っちゃうんですね。」  「……その記憶でよく今までこのテンションでパニクらずにいられたね。」  「ありがとう‼アタシ、元気だけは自信あるし!」  照れ笑いをするアイラ先輩。  ……うーん、シャテン先輩はどちらかと言うと、皮肉の意味で言ったんだと思うけれど……まあ、いいやも。  「……っていうか、それならシャテンだって、普段と違うじゃんっ!普段はもう少しおひとり様~って感じなのに。」  「……ああ、なんとなくわかります。」  シャテン先輩は、園芸部にいる時もあまり話を頻繁にするような人柄ではない。  まあ、植物茶をごちそうしてくれる時なんかは話しかけてくれるけれど、雑談とか、するタイプではないな~と思う。  ここ数ヶ月、シャテン先輩との雑談は全て私の方から行った。  ……まあ、それほど植物が好きなんだろうけれど。  「わるかったな、普段と違って。おれは利害関係が一致すれば、普段興味ない奴らともつるむんでね。」  「むっ。興味ないってっ!ちょ、シャテン酷くないっ⁈」  「別に、あんたのこととは言っていないけれど?」  「んむ~~~っ‼」  アイラ先輩が大きく頬を膨らませた。  「まぁまぁ、落ち着いてください。先輩方。」  私がそう呼びかけると、バツが悪そうに黙り込む先輩達。  「「……。」」  気まずい沈黙が、辺りに流れる。  「えぇっと……。」  その突き刺すような視線に、私が耐えかねて、足を弄んだ時だった。  かたん、と右足に何かが触れる音がして、次いで、ころころ、と何かが転げ落ちる音。  「わっ……!」  慌てて足を引っ込めたが、遅かった。  何かが足に当たった感覚は、依然として消えず。  代わりに私は荷物から転がってきたもののほうを見た。  「なに、これ……。」  こぶし大のガラス玉が、私たち三人の丁度真ん中にあって。  どういうもの、という問題ではない。  なぜ、これがここにあったのか、そのことだけで脳に疑問がひしめいていた。  「水晶だ。……こんなの、あったんだな。」  シャテン先輩がぼそりとつぶやいた。  私だって、存在は知っている。  占いなどで使用する魔術具。  ほかの魔術具より比較的安価に手に入るとはいえ、十分高価なはずなのに。  あまり状態のいいとはいえない荷台に、衝撃を加えればすぐ移動するような雑な管理方法をなぜしているか。  魔術具を大切にする信念を持っている私からは少し信じられない。  ……ていうか、水晶玉を発見したことで、ますます疑念に思ったのが、この馬車は何を運んでいるのだろう、ということ。  魔術具を運ぶ馬車なら、もう少し豪華だったり、奇麗だったりするのに。  それに、水晶だってまとまって保管されているのではないのか、と。  そこまで黙考したとき、アイラ先輩が声を上げた。  「ねえっ!見て!光っているッ‼」  水晶のほうを振り返ると、確かに水晶は真っ白な光を出して発光していた。  先ほどまでは、発光していなかったのに。  その光のあまりの眩しさに、私は目をつぶりながら。  「ほんとだ___わッ!」  刹那、光は消えてしまって、私はおずおずと目を開ける。  視界には、先ほどとなじように薄暗い荷台の中だった。  否、先ほどと違うところが一つだけある。  水晶から、水色の光が出ていて、荷台の天井のほうに広がっていて。  水色の光は、くるくると形を変え、瞬く前に、青みがかったある人物の姿を映し出す。  「__リオ先生?」  と。  「___っ。___っ。」  水色の光には、どこかへ向かって、必死で走っている我らが教科担の姿があった。  水色がかっていながらも。確認できる、瑠璃色の髪に、紫紺の瞳。  その息遣いまでもが、水晶を通り越して、こちらに響く。  きっと、水晶を通して、どこかとつながってしまった、ということだろう。  この感じだと、通信魔術か。  それにしては、近くに魔方陣はないし、水晶に魔鉱石がつけられていない。  これほど精工にリオ先生の顔を映せるのだから、魔鉱石は絶対に必要だ。  近くに光っている魔法石を見ないけれど、それにしても、これはどういう仕組みだろう。  「もしかしたら声が聞こえるかもッ‼」  考えを巡らせていると、アイラ先輩の言葉に、はっとした。  「ッ!」  今までなぜ気が付かなかったのだろう。  実際に見たことはないけれど、通信魔法は、相手の声がこちらに聞こえる代わり、こちらの声も、相手が聞くことができる、と。  授業で習ったではないか。  私たちは確かめるまでもなく、  「「「リオ先生っ!リオ先生っ!」」」  と、声を上げて。  「___ッ!」  生徒三人の呼びかけに気が付かない教師などいない。たとえ、何かに集中している最中であるとはいえ。  教師をしていると、【先生】という言葉に敏感になる、と園芸部顧問のエミリー先生が言っていた。  リオ・マーティンは立ち止まった。  「この声は__どこから?」  と、きょろきょろと辺りを見回して。  不意に、リオ先生はしゃがみ、地面を覗き込む。  否、そこは地面などではなかった。  おそらく、周囲の景色から見るに、どこかの水辺。  多分、その水面に私たちの顔が映されているのだろう。  「……なるほど、どこかの水晶とつながったんですね。」  リオ先生も、納得したように、うなずいて。  それから何を考えたのか、再び顎に手を当てて。  「リオ先生!聞こえますか!リオ先生!」  私は先生に向かって呼びかける。  「えっと、貴方たちは、シャテン君にアイラさん、ナナさんですね。一体どうしてこんな回りくどい手段を__。」  回りくどい、というか私たちも気が付いたらリオ先生と連絡を取ろうとしていたっていうだけなのだけれど。  「わかりません。水晶が勝手に起動して。」  シャテン先輩が淡々と言った。  「?」  「あ、あのッ……‼アタシたち、今縛られて、動けない状態なんです‼先生、助けに来てくれませんかッ!」  「……そうか。___なるほど。」  リオ先生は、ぶつぶつと、一言、二言、つぶやいて。  小さすぎて何を言っているのか分からなかったけれど。  「……先生?」  私が首をかしげると、  「わかりました。その画面の揺れはもしかして、馬車ですか?貴方たちは、攫われた、と。」  と。  リオ先生は、教師陣の中でも特段に頭がいいらしい。前にエミリー先生が言っていた。  きっと、その頭脳ゆえだろう。  リオ先生は、私たちの縛られた腕も、どこか不安げな顔も、薄汚れた背景も、伝わる振動も、全て見抜いて。その上で結論を出した。  瞬くような神業だったと思う。  その場の三人とも、リオ先生の芸当に息をのんで。  「はい!そうです。この馬車がどこに向かっているかも分からなくて……。」  「そうですか。」  「先生、おれ達を助けるって……少し、無茶な気がしませんか。馬車がどこに向かっているかもわからないのに。」  シャテン先輩が、顔を俯け。  リオ先生は、ゆるゆると首を振った。  「いえ、大切な生徒です。必ず助け出しましょう。」  その言葉で、視界が晴れる気がした。  「「「……!」」」  腕も縛られていて、杖も使えず、なぜここに連れてこられたのかすらわからない。  そんな状況で、私たちの置かれている現状を一瞬で理解してくれるリオ先生の存在がどれほどありがたかったのか。  先ほどから、いくらか空気が明るかったとはいえ、誰もすぐ荷台の中から出られるとは思っていなかったわけで。  私たち三人は、息をのんだ。  「幸い、俺は水晶から出る魔力反応をたどる魔方陣の術式を覚えていましてね。きっと、場所を見つけるなんて、たやすいですよ。」  「……。」  それってたしか、高等魔術学校で習うものなのではなかっただろうか。  私たちが何も言えず、黙っていた時だった。  ジ、ジジ、と。  奇妙な音と共にリオ先生の幻想が、歪み、ねじれ、透明になりかかっていくのは。  先ほどまでとは明らかに様子の違う、水晶を通して映し出される幻想に。  「…あっ、先生っ‼」  私は思わず声を上げた。  リオ先生の方も、水面から写る私たちの姿がおかしくなっているのに気が付いたのだろうか。  私たちの方に、勢いよく手を伸ばす。  「大丈夫です。貴方たちのことは、必ずたすけま___。」  そこまでだった。  水晶から出ていた、リオ先生の幻想は消え、景色はどこにでもあるような薄汚れた馬車の荷台に元通りになる。  水晶は元の音も光も出ないガラス球に戻って。  私たちはたがいに沈黙しあった。  しゃべることは、なんとなくできない気がした。  リオ先生は、最後まで私たちのことを思いやってくれた。  そのことが余計に、この味気のない現実を作り出している気がした。  「先生と連絡、とれなくなったな。」  ぽつり、とシャテン先輩がつぶやいた。  「気にしちゃだめです。先生はきっと探しに来てくれるから、それまで私たちも、私たちでできることをしましょう!」  そうだ。  リオ先生の思いにこたえるためにも。  「あっ‼そうだ、アタシ今、実家のお菓子をポケットに入れているんだけれど、良かったら食べる⁈」  元気よくいうアイラ先輩。  「縄、あるの見えないのかね。」  「あっ⁈うぅ……。」  シャテン先輩の突込みに、がっくりと肩を落として。  「あはは。」  と。  その様子がおかしくて、私は思わず笑ってしまった。  「でも、シャテン先輩とアイラ先輩が一緒でよかったです。なんだかんだ楽しかったし。一人だったら、お姉ちゃんのこともあるから、耐えられるかどうか……。」  一人、ただ、不安だった。  お父さんやお母さんがいなくなってから、色々あって。  それでもそばにお姉ちゃんがいたから耐えることができたし、【嫌だった色々】についても記憶にふたをして、できるだけ思い出さないようにしていた。  けれども、そのお姉ちゃんすらいなくなって。  一人の夜、どれだけ嫌だった出来事を思い出したのか。  今だって、一人だったら嫌だった記憶をひたすら反芻するだけの時間になっていただろう。  「アタシも!」  アイラ先輩が勢い良く叫んだ。  「おれも……珍しく、女子と話しても楽しかったね。」  と、続けるシャテン先輩。  「女子と話してもってっ……。」  「女子同士のノリは嫌いなんだ。もちろん、男子のノリも。だからおれは教室でいつも一人でいる。」  「「……。」」  私たち二人は何も言えずに黙った。  「そうだっ‼退屈しのぎに、何か話さない?」  「いいですね!話しましょう!」  アイラ先輩の提案に、私は首を大きく振って肯定して。  「そういえば、アイラ先輩って、なんで実家のお菓子をポケットに入れているんですか?」  「それはね~っ!気になる?」  「はい。気になっちゃいます!」  「はぁ……。」  と、私たちが話す横でため息をつくシャテン先輩。  「さっきまでのシリアス、どこ行った。」  けだるげな言葉とは裏腹に、口調はどこか砕けたもので。  荷台には、運転手さんは到底知らない、和やかな空気が広がっていた。
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