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ガイシャが行きつくその先は。 ~ナナ・クラークの馬車の中の一日 後編~
ごと、ごと。二秒毎に訪れる揺れが、脳髄を、私の体を揺らす。
どこか、別世界に訪れてしまったような感覚。
しかし、夢に入る時のように心地よくは、けして、ない。
前にもこの感覚、どこかで味わったような。
デジャヴを思い出そうとした時に、先の方から一閃の光が差して、私の意識は覚醒して。
目の前は、薄汚れた荷台の中だった。
手首に巻き付くロープ。私の前、すでに起きて話し始めている少年少女。
それを見て、瞬時に今までの記憶が蘇ってきた。
解けないロープ。教科担任からの言葉。直前、奇妙な薬を飲まされた記憶。
「あ、あれ……。私、確か攫われて……?」
きょろきょろと、辺りを見回しながら、私は実感する。
昨日のことは、夢なんかじゃない。
確かに私達の身に起きた、現実なんだ、と。
そして、それが現実だという事実が、私達の身に悪い方向に及ぼす影響が多い、ということ。
昨日、私達が目覚めたのが、何時だったかは分からない。
荷台の隙間からわずかに光が差し込んでいたから、日の出のあとというのは確実で、七時ぐらいか、八時ぐらいか。それとももっと後か。
昨日一日中、結局なにもないまま、私達は荷馬車で運ばれていて。
確か、アイラ先輩と話している最中に眠気が襲ってきて寝てしまったのだろう。
気がついたら、朝になっていた。
荷馬車という特殊な状況だったこともあっただろう。昨日一日、私達が空腹感に悩まされることはなかった。
事態が、それどころではなかったから。
でも、今日は違う。
くううう、と。
私のお腹は確かにその音がなって。
その音で、アイラ先輩とシャテン先輩が振り向いた。
「あ、ナナちゃん、お腹っ!」
と。
その拍子にアイラ先輩のオレンジ色のポニーテールがはためく。
そう。いくら緊張で空腹を感じなくなったとはいえ、それにだって期限がある。
元々、最近爆発が起きたことで、ただえさえ緊張や非常事態に慣れているのもいけなかった。
一日ほど荷馬車で時を過ごした私達には荷馬車の状態が正常になってしまって。
――【正常】な空間に過ごしていたら、誰だって、【日常】を求める。
普通のベッドで寝たり、ご飯を食べたりする【日常】に。
まあ、前者は爆発のせいでこの一ヶ月、叶えられていないけれど。
私を心配するアイラ先輩をよそに、シャテン先輩はどこか諦めた表情をしていた。
「心配したって、どうしようもないと思うがね。」
と。
園芸部で活動し始めてから、そんな様子の彼を度々見ていた気がする。
――テストの後とか特に。
どこか諦めて、それでも縋りつくことは諦めず、泥臭く。
そんな瞳を。
彼の瞳が、【能力】のせいでそうなっている、と私もどこか気がついた節がある。
その問題が、何なのか。シャテン先輩は話したがらなそうだったから、私も詳しくは聞かなかったけれど……。
今回の瞳は、別な理由がため、色を変えたのだろう。
「おれたちを攫った人達だって、朝夕ここに来て、おれたちに水や食料を与えるどころか、様子すら見に来やしない。……耐えられるよう、知恵を振り絞ったほうがマシだね。」
と。
確かにそれはそうだ。
私達を閉じ込めた人が一体、なんの目的があって、こんな事をしているかはわからないけれど。
一日中、丸放置、という結果を見ると最悪に備えて覚悟もしたほうがいいかもしれない。
と、私が納得しかけたときだった。
くうう、と又間抜けな音が聞こえて。
「……シャテン先輩?」
私は音の出元である、シャテン先輩の方を見た。
バツが悪そうに、下を向くシャテン先輩。
「……。」
シャテン先輩、少しプライドが高いところがある、というか。
素直に認められないのだろう。
「空いていたんだねっ!!シャテンも、お腹っ!」
と、快活に言うアイラ先輩。
「……んなっ。おれは、ちが……。」
困惑した表情のシャテン先輩に、
「ま、アタシもだけれどさっ!」
と。
くうう、とアイラ先輩の腹もなった。
なんの食料もなく、あったとしても食べられるような状況ではないのに、お腹ばかりが減っていく。 私達の敵は、空腹で。
そんな敵との戦いに、手を差し伸べてくれる誘拐犯はいない。
孤立無援。軽く、四面楚歌だ。
いっそ、誘拐犯は私達の存在を忘れてしまっているのではないかと思う。
……いっそ、誘拐犯が私達の存在を忘れてしまっていたほうが、気が楽ではあると思うけれど。
――もしかして、そんな展開あるのではないだろうか。
「次、食べられるのいつでしょうね?」
二人の方を見て、恐る恐る言った。
微妙そうな表情のシャテン先輩、アイラ先輩は苦笑して。
「大丈夫だってっ!!……爆発後の騒動に比べればっ!」
と、軽い口調で。
その言葉で、私達は忘れかけていたあの地獄を思い出す。
爆発で、圧倒的に物資が足りなくなったファンティサール。
フォンティーヌ家の尽力で、三食、一個ずつパンがもらえるとはいえ、人間、それだけでは生きていけない。
結果、足りなくなった物資を巡って、騒動が起こり。
最初の一週間は、水などを手に入れるのに、特に地獄の日々だった。
水魔法を使えて、水を出せる人だって、その日一日、数人分の水しか出せなく。
普段は水を売ってくれる商人さんから買えばいいものを、その商人さんすらいないというわけだから、手に入れる方法も当然、分からなくて。
「……あ、はは……。」
と。
無意識に私の口から乾いた笑いが漏れる。
普段から山の近くの湧き水を使っているという、山間に住んでいるミュトリス学園の友達がシンプルに羨ましかった出来事だ。
「……おれもあの光景を思い出したくないね。」
シャテン先輩も、色々思うところはあったのだろう。
声を落として、そう、ため息を付いて。
それっきり、誰も何もいえず。
「「「……………。」」」
辺りに気まずい沈黙が広がる。
その、沈黙に耐えかねて、私が、荷台の薄汚れた床を見たその時だった。
「わっ!」
――刹那、私の視界が揺れた。
否、視界だけではなかった。
私の体が、アイラ先輩の体が、シャテン先輩の体が、私達の乗っている荷馬車そのものが、宙へ浮かび、私は奇妙な浮遊感に包まれる。
荷馬車に乗っていた、全ての荷物が、浮いて、私の体感時間がずっと長くなり。
宙に、漂い、旋回する、様々なものを眺めながら。
――それも、一瞬のことだった。
次の瞬間、私の体感時間はもとに戻り、馬車の荷物達が下へとものすごい勢いで落ちていき。
体の向きを変えないと、と危機感を持った瞬間にはもう遅かった。
だん、と大きい音とともに。
私達の体は、荷台の床に叩きつけられ。
全身が痛みを訴え、落下した影響で私の長い髪が、一部、顔にかかる。
それを、振り払いたいが、生憎私の両手は縄で縛られていて、まともに動かせるはずもなく。
床に体全体がついたこの体制だと、状況が、把握しきれないから、私は腹に力を込め、上半身だけ起き上がった。
「な、何なんでしょう、あの音は……。」
辺りを見回すと、アイラ先輩はすでに起き上がっていて。
シャテン先輩はというと、起き上がるのに苦戦していた。
――昨日の夜、アイラ先輩と話していた時に、アイラ先輩が運動神経がいい、みたいなことはなんとなく察していたけれど、本当だったとは。
「アタシもわかんないっ‼……でも、なんか嫌な予感しかしないっ‼」
と、アイラ先輩も目を見開いて。
私達が目覚めてから、ずっと走り続けていた馬車が止まってしまった。
荷台から振動は感じることなく、もう馬車でまったりくつろぐこともできるはずなのに。
一日ほど、揺れる馬車の中にいたからであろう。
その状況が、逆に私の不安感を煽る。
「やな予感、というよりこれは__。」
シャテン先輩も、上半身を起こしながら、つぶやき。
その時だった。
2人分の足音のようなものが、こちらに近づいてきたのは。
「「「――っ。」」」
突然のことに、私達は皆、体をこわばらせる。
なんの確証もなく。
ただ、悪夢が近づいてくると。
私の本能が鐘を鳴らしていた。
「センパイ、攫った子供たちっていうのは?」
荷台の壁を通して聞こえるため、くぐもった、男の声。
日常の中で聞くそれと、なんら変わりはないはずなのに、その声を聞いたとたん、私の身の毛がよだった。
この人は、危ない存在だと。
それに、私達の事も知っていて。
ごくり、と私達はつばを飲む。
「ああ。そこで間違いない。」
先程の男とは違う、もっと低く、くぐもった声。
――私達の場所を、知っている。
荷台の壁を隔てた先、私達を誘拐した人がいる。
私の心臓は早鐘を打って、脳はありとあらゆる最悪の状態に向けてシュミレーションを始める。
その傍ら、私はどこかで願っていた。
誘拐犯が、これ以上私達に近づかないよう。
昨日までは誘拐犯に交渉して、ここから出してもらおうとしていたはずなのに。
いざ、誘拐犯を前にすると、たとえ荷台の壁越しとはいえ、戦慄がやまなくなり。
私はぎゅっと目をつぶって。
ドン、と。
目の前から聞こえてきた大きな音に、私は恐る恐る目を開く。
丁度、その時だった。
大きな音とともに、馬車のドア部分が外れ、荷台の床に落ちたのは。
「「わひっ‼」」
私とアイラ先輩が同時に息を呑み。
「っ‼」
と、シャテン先輩も目を見開いて。
荷台のドア部分には、二人の男が立っていた。
全身真っ黒で固めて、真っ白のスカーフとネクタイが印象的の、ここらへんではあまり見ない格好で。
腕に薔薇の入れ墨が入っていたのが、印象的で。
金髪の、スカーフのほうがニヤリ、と下品な笑みを浮かべる。
「よぉ。起きたか、クソ餓鬼ども。」
「えーと、誰なんですか、貴方は。」
突然の登場に。
あれほど怖がっていた誘拐犯にも関わらず、私は平坦な声で伝え。
――否、それは、腹の奥底から湧き上がる恐怖を抑えるための、一種の逃避行動だった。
目の前の人物が、交渉が通じる相手か、話が通じる相手か、確かめるため、という名目で。私は不安から逃れるために。
「アタシ達をここになんで閉じ込めたんですかっ⁈今すぐ出してっ‼」
と、アイラ先輩が大きい声で続ける。
アイラ先輩は、おそらく、本心で言っているのだろう。
本心で、誘拐犯を糾弾していて。
ち、と金髪のほうがもう一人__黒髪の、ネクタイの男のほうを見た。
「センパイ、結構かみついてきましたけれど、どうします?」
若干戸惑っていることが見て取れる金髪に対し、黒髪の人は、表情を微塵も変えることなく、いたって冷静で、
「構わん。全て話せ。」
と。
それが、この状況における、彼の異質さを一層放っていて。
普段、犯罪者とかかわりを持っていない私でも分かった。
この人__明らかに、おかしい。
私のそんな視線に気が付いているのか、いないのか。
金髪が、困ったようにガシガシと髪を掻いて話し始める。
「えー、というわけで話すけれど、俺らはマフィアで、予想通り、ガキども__お前らを誘拐した犯人だ。」
「「「……。」」」
マフィア、と。
金髪の男は確かにそういった。
巷で噂を聞く、大陸からやってきた犯罪組織。
その暴虐も、周囲に対する非情さも。
噂を通じて、私はしっかりと知っていて。
だからこそ、私の二人の誘拐犯を見る目は冷たくなった。
__否、私だけじゃない。
アイラ先輩や、シャテン先輩も、無言で冷ややかな視線を二人に送っていて。
軽蔑、というよりかは拒絶だ。
これから何があったって、貴方たちと同じにはならない、と。
金髪は数秒黙った後、目尻を下げる。
「反応、薄ー。ちょ、流石にここまで来れるときついっすわ。センパイ。」
と、黒髪の、金髪より背が低い男性のほうを見て。
……いや、反応が薄いのは、貴方たちがマフィアだからだし、そもそも誘拐犯っていうのは、荷馬車の壁ごしに貴方たちの会話を聞いた時から、うすうす察していたし。
と、金髪の男性に向かって突っ込む私。
黒髪の男性は、よろよろと泣きついてきた金髪の男性に向かって、
「いや、知らんし。」
と、一言。
黒髪の男性に投げ飛ばされた金髪の男性が、宙を舞って、数メートル先にどさり、と落ちる。
……マフィアの怪力、怖い。
黒髪の男性だけかもしれないけれど、どちらにしろ、私たち三人が何の抵抗もなくあっさり攫われてしまった理由も、わかりそうな気がする。
これほどの怪力の人材がいるマフィアなら、ラマージーランド王国が禁止している危ない植物だって、手に入るのだろう。
「うわぁぁぁん。俺の心今完全に折れましたぁー!」
と、落下ダメージなどまったくないかのようにすぐさま地面から起き上がり、こちらに向かってくる金髪の男性。
その涙目に、少し、哀れに思ってしまって。
「ご、ごめんなさい。誘拐なんて、されるの初めてだから、どう反応したらいいか分からなくて……。」
金髪の男性は、いや、俺の方こそごめんね。今すぐ開放する気はないけれど、と。
「ナナ君、そこまともに答えなくていいシーン。」
と、シャテン先輩の鋭い突っ込み。
えーと、両親に相手に悪いことをした、と思ったらすぐ謝りなさい、という言葉のとおり、すぐ謝ったのだけれど、何か悪いことが起きたのだろうか。
シャテン先輩のほうを見ると、心底呆れた、という風に先輩はため息をついて。
「……?」
意味が分からず、私は首をかしげる。
何かよくわからないけれど、私とシャテン先輩の認識の間に十分深い溝があることは十分に理解できた。
荷馬車の壁に手をつきながら、黒髪の男性がこちらを見る。
真っ黒なメガネ__【さんぐらす】、と外国では言うらしい__を付けているせいもあり、それが余計威圧感を増している。
「いや、ていうかお前ら、俺たちが誘拐した理由とか、今からどこに向かうか聞かなくていいの?今のうちだけだぞ?聞けるのは。」
「…妙に安心感のない誘いだ。」
「えっ、じゃあ、どうしたらアタシ達をここから出してくれますかっ⁈」
「ははーん。そう来たか。ごめん、答えらんない。」
べー、と舌を出したのは金髪の男性の方。
先ほどの落下は何だったのか。その瞳は明らかに生き生きとしていて。
先ほどとはまた別の意味で金髪の男性が心配になった。
……この人、生物の構造的に大丈夫なのだろうか。
ていうか、この人たち、何気にうそをついていない?
聞けるのは今のうちだぞ、って言っておきながら。
そのことに猜疑心を覚えながら。
「嘘はいけませんよ。」
と。私の言葉に、金髪の男性は目を見開き、黒髪の男性の方も、【さんぐらす】がかかっていなく、確認できる眉を高く上げて。
「ちっちっち。お嬢ちゃん、俺たちゃ、嘘なんてついていないよ。」
と、金髪の男性は指を振り振り。
「?」
……意味が分からなかった。
この二人は『聞けるのは今だけだぞ』と、確かに私たちを質問させておいて。
それなのに、アイラ先輩が質問したときは答えられない、と嘘を言っておきながら、挙句、それが嘘じゃないなんて。
いくら犯罪組織だからって、信じられない。
ひとは、嘘をついてはいけないものなのだ。
それとも、犯罪組織では、これが普通なのだろうか。
私が首をかしげていると、
「っ!!そういうことっ!!」
と、アイラ先輩が大きな声を出して。
「……アイラ先輩?」
「ナナちゃん、分かったよッ!!この人、【聞かなくていいの?】って、聞いただけで、別に【答える】とは言っていないからッ!」
「な、なるほど……!」
記憶の中を思い返してみるとそうだ。
この人たちは、何度も私たちに聞くよう促していただけで、一言も、『答える』なんて言っていない。
なんて思わせぶりで、卑怯な手、と思った。
でも、それは仕方がないかもしれない。
この人たちが、マフィア、という悪い人たちだから。
人に騙されたとき、いつの日か父が言っていた言葉を度々思い出している。
世の中の、大部分はいい人だ、と。
別に、大したことはない。
今回はその、悪い部分を引き続けてしまっただけで。
お姉ちゃんも、学校の友達も、悪い人なんかいない。
「ってか、後ろの緑髪のそいつは――」
と、金髪の男性がシャテン先輩を指さした。
「セージグリーンだ。」
「失敬。セージグリーンのそいつは、何か言わないのか?」
……シャテン先輩が口下手なせいか、金髪の男性との認識の溝が生まれてしまったのは、気のせいだろうか。
「……別に。おれはあんた達みたいなのに興味はないんで。」
シャテン先輩は、二人のマフィアを人にらみする。
「ふん。小生意気な。」
と、金髪の男性は機嫌を悪そうにして。
「まあいい、絶望しろ。お前らを誘拐したのは、上司の命令なんだ。マフィア・ローゼンって知っているか?」
「「「――ッ!」」」
世界一の、マフィア。
最近、ラマージーランドに拠点を置きつつある、という犯罪組織は。
もしかして、このままだと、私たちは助からないかもしれない、と。
今更だけれど、私はそんな悲観めいた事を考えて。
私たちが顔色を変えたせいだろう。
金髪の男性は、上機嫌な表情をして。
「話は早い。俺達が命令を受けているのは、その上層部からなんだ。」
「上層……部?」
その言葉を復唱する。
昨日、私たちが攫われた理由は、色々考えたが結局わからずじまいで。
まあ、犯人が誰かわからなかったため、選択肢を絞り込めなかった、というのはあるのだろうけれど。
犯人が分かっても、その目的は一向に分からなかった。
なにせ、私はマフィアと無縁の生活を送っているのだから。
朝起きて姉におはようを言い、朝食を作り、学校に行き、学校から帰ったら家事をして、勉強をして、姉にお休みを言う。
その生活のどこに、マフィアが絡んでいるというのだろう。
シャテン先輩だって、アイラ先輩だって同じだと思う。
シャテン先輩は多少、マフィアのことを知っていたとはいえ、それはマフィアにかかわっている、という確証にはならないし。
なによりも私が彼はそんなことをしないと信頼しているし。
だからこそ、その言葉を飲み込むのは難しく。
__一度、どこかでマフィアには向かった少年が殺された、という噂があった。
噂によれば、少年はただ、殺されたのではなく、マフィアによって体を引きちぎられて見るも無残な姿にされたのだという。
その噂は、巷に比較的知れ渡っているもので、親たちが子供にマフィアの怖さを言い聞かせるために最適なもので。
だからこそ、私もどこか、軽くとらえていて。
噂によれば、少年はマフィアとけんかになった後の夜、マフィアに呼び出され、マフィアによってしばかれたのだとか。
__マフィアとは、関わってはいけないし、逆らったら、ひどい目にあう。
おちまで知りながら、私は何一つ行動を変えようとしなくて。
その、危機意識の低さだったと思う。
私自身、知らず知らずのうちに危機感というものが抜けていて、マフィアの上層部を、不愉快にしてしまい、今、しばかれるために呼び出されている。
その流れしか、考えられなく。
「ああ、【ダイヤモンド】様直々の命令だ。」
突如、頭の中の凄惨な想像から一転、金髪の男性の口から奇麗な宝石の単語が飛び出して、私の脳は、思考停止して。
私の言葉に、金髪の男性は、大きくうなずく。
「ダイヤモンド……?宝石の名前ってことですか?」
ずいぶん珍しい名前に思えたが、きっと大陸のことだ。
こことは、文化が違うのだろう。
「いや、マフィア・ローゼンの上級幹部は、それぞれ、【ダイヤモンド】【ルビー】【エメラルド】【サファイア】と称号みたいなのがついているらしい。……最も、【サファイア】は現在は廃止されているみたいだけれど。――確か、マフィアのボスの次に偉い役職で、マフィア・ローゼンの構成員は上級幹部に逆らえない……という話だった気がするね。」
と、シャテン先輩が口をはさむ。
流石、シャテン先輩、というべきか。私の知らない情報を知っている。
……ていうか、幹部ってかなり上の地位じゃないかな。
ごくり、と私は固唾をのんで。
「随分と詳しいじゃないか。セージグリーン。さては、マフィア・ローゼンに知り合いがいたりするのか〜?」
「……いや、ただ、噂を聞いただけですけれど?」
シャテン先輩は軽い口調で話しかけてきた金髪の男性から顔をそむける。
「ふん、まあいい。」
と、機嫌を悪くする金髪の男性。
……シャテン先輩は軽いノリが苦手だから、仕方ない、かもしれないけれど。
それを知ってもらうためには、マフィアの人たちと、私たちが交流した時間はあまりにも短くて。
「……ッ!」
突如、私の隣にいたアイラ先輩が、目を見開いて。
「アイラ先輩、どうしたんです?」
先輩の頬には、汗が垂れていて、心なしか、呼吸のペースも荒くなっているような。
もう終わりかけとはいえ、夏なのだ。暑さゆえの汗、ということもあるのだろう。
ただし、私にはどうしてもそれが冷や汗に見えて。
それに、今まで気が付かなかったが、あの夏の暑さにもかかわらず、荷馬車の中はひんやりとしていて、快適だった。
現在、扉が開け放たれているとはいえ、荷馬車の中にいるアイラ先輩が、急に汗など、かくのだろうか。
アイラ先輩は、私の視線を受けて、はっとしたような表情になって。
「……ううんっ。どうもしていないよっ!!たぶん、アタシの気の所為っ!!」
と、勢い良く首を振った。
「……?」
その様子に、少し、疑問に感じるも。
私はそれを流す。
アイラ先輩とは、昨日知り合ったばかりなのだ。私が彼女のすべてを知ったわけじゃない。
「そう、それでなんでなんだっけ。」
私たちの会話がひと段落着いたのを見て、金髪の男性が困ったような表情をする。
「えっと、上級幹部の【ダイヤモンド】って方の命令が何とかってとこから。」
「ナナ君、それ、まともに答えなくていい質問だって……。」
シャテン先輩の、はぁぁ、とため息の音。
「えっ!?そうなんですか?」
私がシャテン先輩のほうを向くと、シャテン先輩と、金髪の男性は、なぜか黙って。
「「……。」」
シャテン先輩に至っては、やれやれ、という風に目をつぶっていて、もし手が使える状態であれば、すぐに額に手を当てていたことだろう。
…何がいけなかったのか、わからないけれど、とりあえず周囲の状況をもう少しくみ取れるように頑張ろう、と思った。
「そうそう!ダイヤモンド様のとこからだった。」
と、金髪さんが声を出す。
表情が明るいようで良かった、と安心したところで、この人がマフィアであることを思い出した。
……まあ、いいや。
困っている人を助けなさい、という両親の教えは守った。
後のことは、後で努力するとして。
にひり、と金髪の男性は嗤った。
「ダイヤモンド様の言うには、お前ら三人を、名指しして、連れてこいってんな。」
「「「……っ!」」」
私たち三人、というところに奇妙な感覚を覚える。
私たち三人のうち、いずれかならまだ納得できる。
たぶん、知らず知らずのうちに、【ダイヤモンド】と出会って、恨みを買ってしまった、と。
しかし、それも三人ともなると。
恨みを買った以上のことがありそうで、何とも恐ろしかった。__これも、何の根拠もない直感だけれど。
それとも【ダイヤモンド】は、私たちのずっと近くにいて、私たちが気が付いていないだけなのだろうか。
「すごいね、ガキ共。ダイヤモンド様が子供を名指しすることなんて滅多にないからな!相当恨み買ったんだろうなわっはっはっ。」
黒髪の男性が、腹を抱えて、大笑いする。
……拘束されているこちら側からすると、明らかに笑うシーンじゃないと思うんだけれど。
「クククッ……でも、センパイ。ダイヤモンド様もまだ子供ですけれど…っ。プ……ククク。」
と、腹に手を当てながら、金髪の男性。
こっちのほうがやや、重症そうだ。
「わっはっは。子ども同士の恨みあいでもあったんじゃね〜の。」
……全然面白くない。
第一、こちらも身に覚えがないというのに。
先輩たちの方を見ても、先輩たちは、首を振って。
__あらぬ、濡れ衣を着せられたのだろうか。
「えっプ……ハハッ!ちょ、流石にこいつらかわいそうくないですか?子ども同士の恨みとはいえ、上級幹部に呼び出されたら、勧誘か、実験か、殺害か。大抵ろくなことないじゃね〜っすか。」
「「さ、殺害ぃっ?!」」
思わぬ発言に、私とアイラ先輩は、声を上げ。
二人、目を合わせる。
アイラ先輩の瞳には、私達に対する心配、マフィアに対する反骨心、絶対なってやるもんか、という強い意志、複雑な感情が渦巻いていて。
__私も、同じ気持ちだった。
私も先輩たちが心配だし、マフィアの言っていることなんて、聞きたくないし先輩たちにも聞いてほしくない。
まだ、お姉ちゃんを見つけていないのに、むざむざつかまってたまるか、という気持ち。
そして、そんなことになったら、お姉ちゃんが心配しちゃうから絶対に阻止しよう、とも。
昔、まだ私が両親の消失を受けいられなかったとき、お姉ちゃんが祭りに連れて行ってくれたことがある。
その祭りで、お姉ちゃんに沢山気を遣わせてしまったし、今でもそれは申し訳ないと思っていて。
だからこそ、そんな失敗、二度としたくない。
大切な家族なら、一方的に支える、支えられる、の関係ではなく、対等な__【支えあう】関係でありたい。
だから、私たちはマフィアにむざむざつかまったままではいけなくて。
私はマフィアの二人を思いっきりにらんで。
冷めた声が聞こえてきたのは、その時だった。
「……だと思った。だからおれは嫌だったんだよ。」
「シャテン先輩?」
この状況を嘲笑うかのような表情の先輩を、ゆっくり見る。
「手の縄を見てから、なんとなく虫の知らせみたいなものがあったんだよ。……その頃にはすっかり手遅れになっていたけれど。」
と、手の縄に視線を落とすシャテン先輩。
シャテン先輩は、こういう人だ。
いつもやや、突き放した言い方をして。
けれどもシャテン先輩はこれぐらいの状況で簡単にあきらめるような人でもないこともわかっていて。
ただ、今は先輩の突き放したような言い方がさみしかった。
数か月間、園芸部で話し込んできて、先輩のことをそれなりに分かっているつもりではいたけれど。
それでも、私の先輩に対する解像度はまだ、低かったかもしれない、と。
っははは、と不愉快な笑い声が聞こえてくる。
「わっっっははぁ。おい、みろよ、トム。こいつら肩震えてやんのっ!あ~。未来(笑)ある子供たちがこれからまさにマフィアに喰われるってんだよなぁ。あ~、かわいそ。」
私たちの方を見て、腹を抱えて笑う、黒髪の男性【二回目】。
元々は絵になるような恰好をしていたはずなのに、笑い声のせいでそれが見る影もなくなってくる。
私はといえば__確かに、黒髪の男性の言うように、これから来る恐怖に肩を震わせていて。
殺害も、人体実験も、勧誘も。
全部怖くて、全部来てほしくない。
いくらお姉ちゃんを見つける前まで、マフィアの手に堕ちない、と決意したとはいえ、それが怖くて、何もする覚悟が付いていない。
アイラ先輩の瞳を見ているに、アイラ先輩はそんなこと、微塵も怖がっていないのだろう。肩だって、震えていないし。
私も、アイラ先輩ほどの心の強さがあったらいいのに。
そしたら、マフィアに反抗する決心も、何もかもつくのだろうか。
私のそんな悩みや、アイラ先輩の犯行すら、マフィアにとってはどうでもいいものなのだろう。
二人は、互いに顔を見合わせ、笑いながら。
「ちょ、センパイもマフィアじゃないっすか。」
「いや、それ言うなって、余計腹がよじ……ぶふっ。ひひ……ハハハッ!」
それでも、マフィア二人の私たちを肴にした笑い話が。
だんだんと、私を現実に導く。
「っ!?そんな、殺害なんてっ……。」
アイラ先輩が、語尾を奔放に言いながら。
「どうなっても、あんまりいい方向には向かないんですよね……。」
と、私のうなずいて。
もはや、どちらが手綱を握っているかは明らかであった。
反抗したいのは山々だけれど、その手段すらない。否、奪われてしまった。
この時のための、縄だったのか、と思う。
脱出されないためなんかじゃない。マフィアにあっても、杖を使えなくするため。対抗されないため。
ぎひひ、と黒髪の男性のほうが歯を見せて。
「だから言っただろう、お前ら。【絶望しろ】、と。」
絶望、其の二文字がまじかに迫っている。
「いや、だ……。」
私はそれを、首を振って、拒否する。
いつの日か、両親が説いていたものだ。
希望さえ持って、努力を続ければ、それは必ず、実を結ぶ、と。
それは本当だ。
私は今まで努力をして、様々なことを得れてきたと思うから。
今更、努力できるのに努力しないなんて。
両親に顔向けできないようなことはしたくない。
私の言葉に、黒髪の男性はイラついたように顔をしかめて。
「お前らには、後にも先にも、絶望しか残ってないんだよっ!!」
と、私に怒鳴り散らして。
__それが、なによりも嫌だった。
両親の教えてくれた信念を否定されるのが。
「やめてッ!!」
吠えるような、大声が聞こえる。
私の声ではない。
威勢がよく、一層、その場の空気ごと張り裂けてしまうのではと錯覚するそれは。
「ああ?」
と、黒髪の男性が、その声のほうに振り向く。
声の方には__アイラ・シャーロットがいた。
今までに見たこともないような形相で、マフィアの二人を睨んでいて。
その形相は、同じ被害者の立場の私ですら、息をのむほど恐ろしいもので。
だから、マフィア側のショックもそれなりのものだったのだろう。
たじたじと、マフィアの二人は数歩、引き下がり。
「今すぐ開放してくださいッ!!アタシ達をっ!!早くっ!!」
怒鳴る、などとそんじょそこらのことばではあらわせないほど。
アイラ先輩の言葉は荒々しく、明らかに私たちに危害を加えようとしたマフィアに対する棘が含まれていて。
まるで、先ほどとは別人のようなふるまいに。
私だけでなく、シャテン先輩も驚いたような表情をしていて。
アイラ・シャーロットは、優しく、明るく、気さくなミュトリス学園の二年生だったはずだ。
__そのイメージが、今、崩れ去ろうとしている。
アイラ先輩の怒りは、S級魔獣もひるむもので。
__アイラ・シャーロットは、優しく、明るく、気さくで、【つよい】。
実際の戦力の問題じゃない。
アイラ先輩が醸し出す雰囲気に、この場にいる人はだれ一人残らず飲まれていて。
「――ああ、急に目つきが変わりやがって。」
と、悔しそうに歯噛みする黒髪の男性。
その言葉にも、アイラ先輩はひるまない。
じっと、一点、マフィアの二人のほうをこれでもかというぐらい睨んでいて。
「今のお前に何ができるんだ、……そう思いますよね、センパイ。」
アイラ先輩から目をそらしながら、金髪の男性が、つぶやくように。
実際に、目を合わせる程の勇気がないのだろう。
私だって、彼女の目の前に立ったら平気で目を合わせられる自信がなく。
「……ッ!!」
きっと、アイラ先輩は、さらに眉間を寄せて。
まるで、いつか、消してやる、というぐらいの怨恨を思わせる程のそのにらみは。
「……アイラ先輩?」
先ほどまでのアイラ先輩がいなくなってしまったようで、私は思わず、声をかける。
その声に気が付いたようで、アイラ先輩は、こちらを向いて、苦笑して。
先ほどの彼女がうそだったように。
目の前には、元の気さくな先輩の笑顔があって。
私は、先輩になんて声を掛けたらいいかわからなく。
「ま、せいぜい増長しているといい。――ところで、なんでここでお前らの様子を確かめたか、知っているか?」
マフィアの声で現実に引き戻される。
アイラ先輩の睨みが終わったからだろう。マフィアも、元の威勢を取り戻していて。
それは、これから身に不幸が起こる私たちにとってはいいことではないのだろうけれど。
マフィアの言葉に、嫌な想像が、脳をかすめた。
「――っ。」
私たちに、手を拘束しておきながら、一日中放置していたマフィア。
今更、水なり、食べ物なりをめぐんでくれる、という都合のいい話はないだろう。
となれば、残る答えは一つに思えて。
その答えを脳で導き出せた瞬間だった。
「ナナ君、アイラ君、気をつけなっ!!」
と。
シャテン先輩が、珍しく、声を張り上げて。
「――ここが、ダイヤモンド様が指定した場所の近くだからにきまっているだろう?」
黒髪の男性が、そういったのと同時だった。
刹那、私たちの手を縛っていた縄をつなぐ、縄のようなものが、縄に着けられて。
その間、僅か一秒未満。
きっと、ダイヤモンド様、という人に私たちを受け渡すときのためのものだろう、とそれを見ながらなんとなく思って。
「…………。」
アイラ先輩とシャテン先輩も、腕を縛っている縄を見ると、確かに新しい縄のようなものがつけられていて。
それは、黒髪の男性に、私たちが敗北したも同然で。
きっと、ダイヤモンド様に私たちを受け渡すときに、この両手を縛っている縄につけられた一本の縄を引っ張られるのだろう、と他人事みたいに思って。
黒髪の男性が、私の腕を縛っている縄とつながっている、一本の縄をぐい、と引いて。
「さぁ、ここからは――っ!?」
と、思いっきり息を吸ったその時だった。
たったった、とどこからか足音が聞こえる。
マフィアの二人は、走っていない。私たちだって、荷台に拘束されていて、走れるという状況ではない。
「なんすか、あの音は。センパイ。」
金髪の男性が、きょろきょろと辺りを見回しながら。
__つまり、あの足音は、私たち以外の、誰かが出している、と。
刹那、私の胸に希望がわいた。
もしかしたら、その人が私たちの置かれている状況に気が付けば、助けてもらえるかもしれない、と。
「さあ、通行人か?事前の情報では通らないって話だったのに。」
ち、と黒髪の男性が、舌打ちをして。
その瞬間、通行人に対する一種の不安が襲った。
その人が、もしかしたらマフィアかもしれないとか、そういったものではなく。
もしかしたら、その人もマフィアに害されてしまうかもしれない、というもので。
足音は一人分で、こっちには、マフィアが二人。
……通行人がこちらに気が付いたら、通行人のほうが逆に危ない、ということに。
それなのに、なんで私はそんなことを願ってしまったのだろう、と。
「――っ。マズイ、隠れろ!また馬車を走らせるぞ!」
黒髪の男性が、顔色を変えて、私の腕につながっていた縄を離す。
「センパイ、コイツらは?」
「こうするっ――ええいっ。」
どがん、と、雑な音共に再びドアが荷台に取り付けられる。
本当に、雑で、触ったら今にでもこちらに崩れてきそうな。
マフィアの二人はそんなことに構わずに、とっとと御者台のほうに戻っていて。
「トム、御者台に戻るぞ、急げぇっ!」
「はいっす!」
たったった、とマフィアの二人がかけていく音。
先ほどまで、命の危険を意識していたからだろう。
命の安全が保障された私は、安心してしまったのか、ぼうぜんと、それを聞いていて。
「……。」
がたん、と二人が御者台に飛び乗る音の後だった。
「ナナちゃん、大丈夫?」
と、アイラ先輩がこちらの様子に気が付き、声をかけた。
「すみません、ちょっと色々ショックで。アイラ先輩こそ、さっき……。」
先ほど、まったく違う様子だったじゃないですか、という言葉を飲み込んだ。
目の前の先輩は、先ほど異様な空気を出していた人物とは思い難く。
先輩に、そんなことを伝えていいのか、という迷いもあった。
「ん?ごめんっ!!ちょっと、何をいいたいか分かんないから、詳しく言ってくんないかなっ!?」
困ったように苦笑いするアイラ先輩。
「……あ、いえ。なんでも。」
私はぶるぶると首を振った。
「まあ、取り敢えず、目先の危機は回避したところか。――ただ、全てが解決した訳じゃない。新しくえられた情報を活かして、少しでもこちらが有利なように――脱出できるように今のうちに、作戦を立てておいたほうがいい。」
シャテン先輩が、取れかかっているドア部分のほうを見る。
腕が使えれば、持ち上げて今すぐにでも脱出できるけれど、今は無理そうだ。
頑張れば、足を器用につかって……ということもできなくはないが、危険だと思う。
金属製のドアがどけた際に落ちてくる可能性もある。
「そうですね。できることは、できる時……にっ!?」
刹那、声が聞こえた気がした。
男の人の声で、ここより少し離れたところから。
距離のせいか、あまりにも小さく、よく、聞こえなかったけれど。
それでも、空耳というには、その声はあまりにも近くて。
荷台の床に手をついて、突如無言になった私を、先輩たちが、私たちの事を不思議そうな瞳で見る。
「ナナちゃん?どうかしたのっ?」
と。
その声に、もしかして、先輩たちに、聞こえなかったのかな、と。
一人、予想して。
「いや、いま、人の声のようなものが……。」
その言葉を聞いても、先輩たちは釈然としない表情で、やはり、私の予想は当たっていて。
もしかして、一日、何も食べなかったことによる空耳かと、自分の中であきらめかけた時だった。
声が再び、鼓膜を震わせる。
「どうして……?ここらへんに、いるはずなのに。」
今度は先ほどよりも、大きく。内容もはっきりと聞き取れて。
「「「――っ!!」」」
三人、息をのむ。
「いま……確かに聞こえた、な。」
と、シャテン先輩が、
「男の人の声だったよねっ!?」
アイラ先輩も、動転しているときの三倍くらい動転しながら。
「近くに人がいた、って言っていたし、その人の声かもしれません。ちょっと、大げさだったかも。すみません。」
そうだ。
多分、先ほどの足音の人、声の正体はきっとその人で、気にすることも何ともない。
「そう、おれたちが注目すべき点はそこじゃない。」
眉を寄せるシャテン先輩に、
「今、聞いた声はたぶん関係ない声ってことでっ!みんな、話し合い、話し合いっ!」
と、アイラ先輩がそう、うなずいた時だった。
荷馬車の壁を伝って、
「……援軍、なかなか来ないっすね。」
と、金髪の男性らしき声が聞こえたのは。
「仕方ないよだろ。【サファイア】の部下なんだ。そりゃ、遅れるわ。」
「……先輩達。」
二人の先輩の瞳を順にみて、たがいにうなずきあう。
今は雑談だけれど、なるべく静かにしよう、という意思を込めて。
もしかしたら、私たちの縄のときかた何か大切なことを話すかもしれないから。
「えっ?【サファイア】っ?!それって確か、なくなった称号じゃ?」
金髪の男性の驚いた顔が目に浮かぶ。
【サファイア】。
先ほど、シャテン先輩が話していた上級幹部の称号の一つ。
私たちは息をひそめて。
「お前、ほんっと馬鹿だな、トム。最近、新しく【サファイア】を名乗る幹部がいるって聞いていないのか〜?その援軍も、そいつから派遣されているみたいだからな。」
援軍、という言葉に私の胸はドキリとはねて。
ただこの二人の行動にすら困らされているのに、さらに援軍がいるのか、と。
__出来れば、その人が来る前に、誰かに見つけてもらわないと。
私たち三人が助かるのは難しそうだ、と。
「そいつって……。」
「いいんだよ。今はまだ、俺のほうがそいつよりかは上の立場だし。称号だって公認じゃないんだ。……ま、最近は、みるみる部下も増やしてきて、勢力も拡大してきているから、気ぃ抜いていたら、いつの間にか公認になっての立場だって抜かされそうで怖いなっ。わはははは…っ!」
「は、はは……。」
金髪の男性の乾いた笑いに。
「その援軍、何がすごいかって、【絶対に魔法警察であろうと、正体を見抜けない】んだとよ。噂に聞いていたけれど、腕も確かなものだし、俺も一度、殺りあってみたいってんだな。」
「……まさか、それって……。」
「ああ。噂通りさ。――【空虚な冷徹】だ。」
その言葉が、何なのか、と。
先輩たちと視線を合わせた時だった。
「あのう、すみません。」
と、二人の声とは違う声が壁を伝って聞こえてきて。
「ちょっとお時間よろしいですかね?」
「あぁ、あんだお前、魔法警察か?」
「ええ。ファルト・ナーツワーグです。」
その、丁寧な受け答えに。
魔法警察、という言葉を聞いた時、私たちの胸は確かに小躍りした。
この現状に気が付いてくれるかもしれない、と。
幸い、魔法警察といえば結構強いらしい。
もしマフィアの二人と戦闘になっても、壁越しに聞こえる声の主なら、あっさり打倒してしまうだろう、と。
「最近、マフィアが御者に紛れて違法物資を運んでいるとのうわさがありまして。失礼ですが、少しほど、荷台を確認させていただけませんか?」
「ああ。なるほど__お前が、【空虚な冷徹】だな。」
「?えっと……?」
戸惑う魔法警察__ナーツワーグさんの声。
その空虚な冷徹、という言葉に一抹の嫌な予感を覚えながら。
「えっと、どういうことですか……?話が勝手に進んじゃっている。」
「アタシの見た限りだと、声の魔法警察、一人で活動しているっぽいよねっ?」
「えっ、あ、はい……。」
「爆発の後、魔法警察は治安維持に走っているのにっ……。おかしいって、思わないっ⁈」
「……っ‼」
「それに、魔法警察の制服も、その要因の一つだ。」
「せい、ふく?」
「魔法警察の制服を着ていれば、『この人は魔法警察だ』、と思い込んでしまって、無意識に疑いをかけなくなってしまうから。……思い込みは、愚かしいほどこの上ない。」
「なるほど……。」
先輩たちの話に納得しながら。
それでも、私はどこか、すがらざるをえなかった。
お願いだから、二人と話している魔法警察の人が、マフィアでは、ありませんように、と。
「__何言っているんですか?」
と、刺すような声。
その声に、私たちは顔を上げて。
「ぼくは、魔法警察です。そんな二つ名も、持っていない。そして、マフィアでもない。」
その言葉に、三人同時に息を漏らす。
「__それでも、思わぬところでその足を掴むことができました。」
と、流石、魔法警察官、というべきか。
犯罪者を前にしても、声はひるむことなく。むしろ、堂々としていて。
「貴方たちは、マフィア・ローゼン。その荷台だって、きっとフェイクでしょう。」
その言葉に、私たちは顔を見合わせる。
__私たちは、幸運だ。
【ダイヤモンド】のところに連れられる前に、魔法警察官に発見されたのだから。
「今まで仲間もさんざんに困らされてきたんだ。……今日こそは、逮捕します。」
「へぇ。やれるもんなら、やってみろ。」
「そうですか。生憎僕は取り調べに忙しいので。」
と。
その言葉と共に、足音がこちらに向かって聞こえて。
どん、と荷馬車のドア部分が開けられる。
外から入ってくる眩しい光に、目を細めながら。
「__人⁈」
と。
私たちの方を見た銀髪の魔法警察官は黄色い目を見開いて。
生えた耳と、尻尾の存在に一瞬仰天したけれど、そんなことはかまっていられない。
その姿を見、助けを求めるのなら今だ、と。
「あ、あの!私たち、あの人たちに捕まえられていてっ!」
ナーツワーグさんは数秒、固まったままだったものの、すぐに顎に手を置いて。
「なるほど、そういうことですか。……本当に、犯罪者というのは、どいつもこいつも。」
「……?」
きょとん、と首をかしげる私たちに、ナーツワーグさんは懐からナイフを取り出して。
縄を切ってくれるのだろう、と。
「貴方たちは、心配はいりませんから。調査、の後、すぐ、解放___っ⁈」
ナーツワーグさんは言葉をすべて言い切ることはなかった。
私の縄にナイフを伸ばそうとしたときに聞こえた、足音。
音からして、かなり近くから来たもので。
一気に嫌な予感がした。
……そういえば、マフィアが言っていた【援軍】が、来ていない。
まさか、その人ではないだろうか。
「この足音は、一体……?」
ナーツワーグさんも眉を顰め、足音のする方を疑り深い目で眺めて。
すっと。視界にある人物が入ってきた。
水色の髪に、紫紺の瞳。
長い髪を一つにまとめたその男性は、確かに、昨日、私たちが話をした教師で。
「リオ・マーティン。それが俺の、名前です。」
「?」
意味が分からない、という風に首をかしげるナーツワーグさん。
「「リオ先生っ‼」」
私とアイラ先輩は、同時に叫んで。
言葉通り、私たちを探しに来てくれたのだろう。
いい先生を持った、と感慨に浸ったその時だった。
「申し遅れました。マフィアの中級幹部__【空虚な冷徹】とは、俺のあだ名です。」
と。
__何を言っているか、意味が分からなかった。
リオ・マーティンは園芸部の副顧問だ。(元々は顧問だったものの、その地位をエミリー先生に取られた、とのことだが、この際それはどうでもいい。)
私が体験入部に来た時から、優しく諭してくれた人で。
そんな人すら、マフィアだったのか、と。
「貴方は、いったい……?」
低い声で、ナーツワーグさんがいう。
その手には、剣があり。
それが私たちを現実に引き戻していて。
「うそ、だ、リオ先生がマフィアなんて……。」
「違いますよねっ⁈先生っ‼」
私とアイラ先輩が必死に否定を求める一方で。
「……そういうことだったんだな。」
と、シャテン先輩が低くつぶやく。
リオ先生は私たちの問いかけには、答えず、
「マフィア・ローゼン。それ以外の説明がいるでしょうか、魔法警察さん?」
と、ナーツワーグさんに向かって不気味な笑みを見せて。
「……っ!」
それが、なによりもの答えだった。
「こ、この人たちの拘束を解いてそして、荷台の中身も全て見せてくださいっ‼」
ナーツワーグさんは、懐から手錠を三つ取り出して。
マフィアの二人と、リオ先生の分。
この人は、三人を逮捕するつもりで。
「……できるわけないでしょう?」
リオ先生は、懐から薬品の入った瓶を、複数取り出す。
授業で使うそれは、たしか、劇薬が入っていて。
たぶん、ナーツワーグさんに抵抗するために用いるのだろう。
「っ……‼」
ナーツワーグさんが悔しそうにこちらを一瞥して、再びリオ先生のほうに向きなおった。
「貴方の相手は、俺です。__部下たちの計画の邪魔なんか、させません。」
「いいでしょう。気のすむまであがいてみてください。貴方も、貴方の部下たちも、すぐ逮捕して見せますからっ‼」
その声を皮切りに、二人きりの戦いが始まる。
凄惨で、俊敏で、見ているだけでこちらが精いっぱいになる攻撃は、
「なんで…なんで…。」
今はただ、受け止めきれなかった。
親しいと思っていた人が、マフィアだった事実に。
そう、つぶやいて歯をかんでいた時だった。
「おい、ガキども。」
「わっ!」
黒髪の男性の姿が、そこにはあって。
「俺たちの存在を忘れんじゃねぇ。」
「……というと?」
「お前たちには、俺たちの計画の場所までついてきてもらう。」
「「「……。」」」
私たちはその言葉に返答せず。
否、返答する気力すら残っていなかった。
一日のまず食わずなうえに、この先、私たちを悲惨な運命が待っている。
それに、反論してもあまりいい扱いを受けられないことも、目に見えていて。
「異論は、一切認めない。」
黒髪の男性は、そう言い切って。
__絶望は、私たちを見逃さなかった。
ナーツワーグさんの実力は、リオ先生と拮抗していて。決着は一向につきそうにない。
それはつまり、私たちを逃そうとしたら、ナーツワーグさんはリオ先生にやられてしまう、と。
「黙って歩け。」
と、黒髪の男性が、私たちの腕につけられている縄をもって。
私たちは、黙って歩くしかなくなった。
その場所は、四方が真っ黒な壁に覆われていて、天井に取り付けてある薄明るい光をともす魔術具さえなければ、暗闇に来たと勘違いしてもおかしくなかっただろう。
その、部屋の中心部には奇麗な銀髪のショートヘアの少女がたっていて。
その少女の右側と左側には、それぞれ人が椅子に拘束されていた。青色の髪の少女に、水柿色の髪の少年。どちらも、私より少し上ぐらいの年で。
この人たちも、マフィアにさらわれてきたんだ、と思うと胸が痛くなる。
__問題は、部屋の中心になっている少女だった。
彼女は腕も拘束されておらず、近くにマフィアの人らしき人影もおらず。
一発で、彼女の正体に行きついてしまう。
彼女はきっと、マフィア・ローゼンの上級幹部【ダイヤモンド】。
その飄々とした表情に、燦々と輝く瞳。
彼女がこの状況を作った元凶だと。
私は少女のほうをにらんだ。
少女の方は、私のそんなにらみに気が付くこともなく、私たちの手綱を握っている黒髪の男性のほうに行くと、彼の肩にぽん、と手を置いて。
「やぁーっときたんだ。トム君にマジナルド?だっけ。」
「……レジナルドです。」
黒髪の男性はしおらしくこたえる。
「そそ。ほぉーんと、二人っとも遅いんだから。僕、待ちくたびれちゃった!」
あっはは、と。陽気にその少女は、腕を広げ。
それにより、少女に対する不信感が増す。
__この部屋に、何人も拘束されている人がいるのに、少女は関係ないという風に。
それが、ある意味彼女が上級幹部であることの示しになっていて。同時に、マフィアの上級幹部が、ミュトリス学園でよく見かけるような正確だったことに、少し驚きがあって。
銀髪の少女のほうを眺めていると、椅子に拘束されている青色の髪の少女がこちらを振り返って。
その際、首に着けている青色のネックレスが軽く揺れる。
「あっ……アイラさん、シャテン君⁈それに、向こうの女の子は……ナナさん、だよね?」
「えっと、そうなんですけれど……。なんで私の名前を知っているんですか?」
なぜ、私の名前を知っているのか。
私は彼女に名乗った覚えがないのに。
しかし、青色の髪の少女はその質問に答えず、ほっとしたような表情をして。
「気にしないでっ……。三人も、まさか、マフィアに連れ去られて……。」
と。
銀髪の少女が満面の笑みで大きくうなずく。
「うんうん!大方その解釈であっているよ!すごいね、ハスハス。頭いい子ってすぐに結論を出せるんだから。……ま、しゃべっちゃダメ、っていったの忘れちゃったのは心外だったけれど。」
「……。」
その言葉で、青色の髪の少女は、はっとしたように黙り込んで。
銀髪の少女が私たちの方を指した。
「そこの君たちもっ!なんでここに連れてこられたか、気になるよねー。教えてあげよっかなー。あげないかなー。」
「早くしてくれないかね。ここ二日で、待たされるのは飽き飽きしているんだ。」
「ふふっ。どーだろ。」
シャテン先輩の言葉に、目を細める銀髪の少女。
あっ、と隣にいたアイラ先輩が叫んだ。
「あのひと、ミュトリス学園の二年生だった気がするっ!」
「…えっ。」
アイラ先輩の方を振り返って。
先輩は、私のほうを見て、うなずいて、間違いない、と。
「そそ、アイラっちすごーい!その観察力はほめてあげる。そう、僕はミュトリス学園の二年生に雲隠れしているマフィアなんです。」
ドヤ、と。
自分を僕といった銀髪の少女はピースサインをかます。
襲ってきたのは、寒気だった。
今まで私は何の疑問もなくミュトリス学園に通っていたし、そこは安全だと思っていた。
けれども、私たちのこんな近くにマフィアがいて。
それが、ただ、私に恐怖を植え付けて。
ばっと、銀髪の少女は天井に向かって手を広げる。
「ここに君たちを集めたのは、今から一世一代の大取引をするから!この近くに、マフィアのボスがもうすぐ来るんだ!それに合わせて、ちょっといい【見世物】を用意するためにね!」
見世物、という言葉の意味を考える余裕は、今の私にはなかった。
彼女の放った言葉そのものも。
__もう、何でもいいから早く終わってほしい。
ここにいる人達、誰一人、ひどい目に巻き込まれてほしくないし、私だって巻き込まれたくない。
私はまたお姉ちゃんを見つけて、二人で暮らすのだ。
「【見世物】だと⁈そのためにこの五人が…。」
水柿色の髪をした少年が目を見開いて。
銀髪の少女は、ぱちり、と指を鳴らす。
「いえす!レオレオ。大せいかーい。」
そして、きひひ、と銀髪の少女は毒々しい笑みを浮かべて。
「今に見ててよ。自分の見てきた世界が壊れるところ。理想が、崩れるところ。__愉しんでよ?」
誰に向けているのかすら、わからない。
ただ、その明らかに敵意に満ちた発言に。
私の心はざわついた。
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