一人、凍えるようなこの世界で。~ハスミ・セイレーヌの孤独~

1/1
前へ
/35ページ
次へ

一人、凍えるようなこの世界で。~ハスミ・セイレーヌの孤独~

 ハスミ・セイレーヌら一行三人が、霧に姿を隠されて迷い始めていたところ。  ファンティサールのとある秘境に、魔術具を操る人物がいた。  裾の長いローブが人物の体を覆っており、その顔すら確認できず。  ただ、手に持っている魔術具は相当強く光り輝いていて。  そのことが、その人物の持つ魔力の強さを示していて。  魔術具はその特殊な造形により、元より高い値段がつけられているが、魔術具の中でも明らかに他の魔術具より高そうな造形をしており、その魔術具に取り付けられている球体がゆっくりと回転し始める。  その魔術具が青色に発光し始めると、フードの人物は口を緩めた。  「ふふっ……。そろそろ、迷い始めている頃でしょう。__否、もう、別なところにたどり着いている所でしょう。」  奇麗な声色にかかわらず、人物の言っていることは果てしなく不気味で、不可解で。  その場を通ったものは皆首をかしげただろう。  __もっとも人物のいるところに、今、人などいないのだが。  でなければ、自分もこんなことしないだろう、と人物は自嘲をしながら。  「__これで、格段に【こちら側】が有利になれます。」  と。  人物は口角を頬の位置まであげて見せた。  誰か、その人物の笑みを見たら、たちどころにこういうだろう。  ただ、『不気味だ』と。  「貴方たちには悪いですけれど、こうでもしないと【こちら側】には勝率が見えないのでね。___なにせ、【運命の天才児】に、王族の血をひくものまでいるのですから。」  くるくる、と回転する球体には、三つの魔力信号がある。  青色、オレンジ色、バーミリオン。  近くにいたそれぞれが点滅し。  __やがて、球体の反対側、遠く、離れ離れになる。  人物はその光景を見て、ははは、と笑みを漏らした。  「頑張って宝石を取り戻そうとするのでしょうけれど、貴方たちの努力は、無駄でしょう。」  人物が、その手に持っているのは魔術具だった。  特定の人物の居場所を変更させるもので、それも、すごく高価な。  今では販売を禁止されている、危険なもので。  「だって、こっちは___。」  魔術具に取り付けられている、薄く青みがかった球体が、一層、輝く。  その光景を見ている人は誰ひとりいなかった。  ◇◆◇  目の前の、真っ白な霧が薄れていく。  私は、それを目視で確認しながら、きょろきょろと辺りを見回した。  「あれっ?ここ、どこ……?」  眼の前には、茶色こけた地面に、わずかに生えたくさ。  まだ、全てが見えるわけじゃないけれど、一寸先も見通せないような先程の状況よりかは幾分マシだろう。  ――問題は、その後だ。  私は、先程まで空のかなり高いところにいたはずなのに、今、足元には地面が広がっていて。  もしかして、ただ、箒で飛んでいる間に高度が下がっていたのかもしれないし、それでも体に全く抵抗は感じなくて、つまるところ。  ――何か、変だ。  それに、この場所だって先程まで飛んでいた所のましたとは到底思えない。  ミュトリス学園の付近って……もう少し、道も整備されていた気がするし、人もたくさんいたような。  今だって霧のせいで周囲が見えるわけじゃないが、辺りからは人の声なんか一つも聞こえやしないし。  不安に思って、私は、箒から飛び降りて、箒を手に持ち、歩き始めた。  霧は、先程よりかは薄くなっていて、数メートル先までなら、見通せて。  それでも、依然として先輩たちの姿は見えなかった。  最初は、霧の中で互いの姿が見えなくなったのだろう、と思っていた。  ――でも、何か、変だ。  霧が少し薄まった今も、アデリ先輩達の姿は見えず。  大体、霧で互いの姿が見えなくなったなら、互いに、居場所を確認し合うために声をあげるのに。  否、アデリ先輩なら、私達の姿が見えなくなっただけで声を上げそうなものなのに。  「アデリ先輩、レオ先輩、いますか?いるんなら、返事をしてください!」  口元に手を当てて、声を張り上げる。  が、無反応。  そのことに、一抹の危機感を覚えて。  「あ……れ?」  と。  私は首をかしげた。  あたりはしんと、静まり返り物音など一つしない。  それが、状況を克明にしていて。  ――もしかして、はぐれたのでは、と。  この数分間、場所も移動していないはずなのに。納得できないことや胸に渦巻く疑問は多々あるが。  唯一、分かるのは、この場所に、私以外、人はいない、ということで。  「さっきまで、アデリ先輩達と一緒にいたのに……。」  ポツリ、とつぶやいた声すら、薄まった霧に消えていってしまいそうで、怖かった。  また、一人になってしまうのか、と。  トラウマから逃げ出すため、きゅ、と目をつぶった時だった。  ――__これで、格段に【こちら側】が有利になれます。  「――っ!!」  突然、男性の声が頭に流れ込んできた。  成人済みの、低い声が。  何事か、と身構えた瞬間、脳裏に映像も流れ込んでくる。  人のいない場所、建物の裏側に腰を落とした、裾の長いローブを着た人物が、魔術具に魔力を与えている映像が。  その人物の顔はローブのフードによって隠されていて確認できなかったが、反射的に感覚的に、私はこの人物が、声の主だとわかって。  人物は、フードからわずかに見える口角をあげて、魔術具に魔力を与えている手を動かす。  ――貴方たちには悪いですけれど、こうでもしないと【こちら側】には勝率が見えないのでね。___なにせ、【運命の天才児】に、王族の血をひくものまでいるのですから。  くるくると回転をする、魔術具に取り付けられた球体に。  私は、呆然と、事態すらつかめないまま。  この出来事は、私の目の前で起きたことではないはずなのに、その場の空気感、匂いすら感じられて。  まるで、絶対隷従を使ったときみたいに。  どことなく、そういった感想を抱いた時だった。  男が、魔力を与え続けている魔術具の球体部分が青色に発光し、それと同時に男の姿が歪み始めたのは。  「――っ、――っ!!」  驚く間もなく、視界は白くなり始め、段々とその場の音も、匂いも質感も。  ありとあらゆる事が薄れていって、数秒後、はっと気がついた時には既に私が存在している景色が広がっていて。  「なん、なの、……いまの?」  しばらく間を置いて、つぶやく。  まるで、非日常的な体験を、その場にいるかのように。  先程の感覚は、私の魔法――絶対隷従を使ったときの感覚と似ていて。  ただ、私はこの魔法を使った覚えがないのと、この魔法は、呪文を唱え、集中しないと発動しない。  なら、先程まで感じた、あの魔法に似た感覚はどういう事なのか、と。  私の図書館で読んだ本の記述にある限り、ああいう効能をする魔術具はないはずだし、そもそも私の近くに魔術具なんてなかった。  「たぶん、絶対隷従…だよね。暴発した……のかな。」  となると、魔法の暴発しかない。  人っていうのは、時々、魔法を使わないと溜まった魔力を体がガス抜きするために、勝手に魔法が発動してしまうことがある。  だから、魔力が活発になる6歳以降、人は杖を持たされ、魔法が勝手に発動して、大事にならないよにするのだ。  私はスラム街に住んでいたときはそこまで管理が行き渡っておらず、私も杖すら持っていなかった子供の頃はしょっちゅう操炎舞(フランム)や、絶対隷従を暴発させていた覚えがある。  多分、今回のもそれだ。  先程まで、箒魔法を使っていたし、魔力的にストックも上限までいっていないのは、不可解ではあったけれど。  今の私に重要なのは、そこではなくて。  「嫌だなぁ。一人なんて。」  ポツリ、つぶやいた。  絶対隷従を暴発させたせいで思い出してしまった、スラム時代の事。  あの頃だって、一人を寂しく思いながら、時を過ごして。  けれども、ロカさんに出会って、アデリ先輩に出会って、レオ先輩に出会って。  一緒に旅をしていくうちに、少しずつ私は孤独から離れていった。  私は一人ではなくなった……はずだった。  「なんだろう……。前だって、一人も、見捨てられるのも嫌だったのに。【仲間】を見つけたら、それもなくなるかなって思ったのに。」  前は、誰かが欲しかった。  自分のことを見てくれる誰かが。  ロカさんも、アデリ先輩も、レオ先輩も。  ちゃんと私のことを仲間として扱ってくれて。  以前の私は、そういう扱いさえされれば、自分の悩みも、胸の空洞も消せるのではないか、と錯覚していて。  今は、違う。  「そうじゃないんだよね。……もっと、もっとさみしいよ。」  仲間と離れたら、それだけで心配になる。  旅で濃密な時間を過ごした三人は、私の中で大切な人で。  まるで、日常の一部が失われてしまったみたいだ。  私は、胸にきゅっと手を押し当てた。  せめて、この胸の不安が、少しでも収まりますように、と。  ◇◆◇  時は、数時間前に遡る。  私達が、諸々の経緯を話しながら、アメリア先生に宝石を割らしてしまった、と報告をした後。  アメリア先生は私達に、箒を持ってきてくれた。  これを、新しい箒代わりに、と。私達四人に差し出して。  「アメリア先生、これ、下さるんですか?」  私は、箒を首をふってアメリア先生に返す。  荷物が盗まれてしまったのは、私の落ち度だ。  にも関わらず、アメリア先生に甘え、箒をもらうのは気が引けた。……ロカさんや先輩達は私のせいで箒をなくしてしまったようなものだけれど。私は違う。  せめて、私の分だけでも、と。  アメリア先生は、出された新品の箒を受け取って、目を見開いて。  「あらまぁ。何を言っているの?元はといえば私の依頼で失わせてしまったのよ。賠償するのは当然だわ。」  「……でも。」  「それほど気になるのなら、せめて、箒や荷物を取り返すまで、私に甘えてみたら〜?」  アメリア先生は、小さくウィンクして。  私はそれで気がついた。  私のミスは、私だけのミスじゃない。  あの時……サソリさんとの対峙だって、箒があればもっとうまくいく所は何個もあったし。  きっと、次サソリさんから宝石を取り返す時が来ても、――否、私達が次に対峙するのは、サソリさんの言う【ボス】かもしれないが、――どちらにしろ、確実に勝てる、と言い切れる状況ではない以上、勝率は少しでもあげておいたほうがいいかもしれない、と。  再び、私に箒を手渡したアメリア先生に、私はうなずいて。  「……はい。」  箒自体の重量はそれほど重くないはずなのに、私の手からは箒の重みがずっしりと伝わって来る。  絶対、大切にしよう。絶対、壊さないようにしよう。  そしていつか、取られた荷物を取り返した時に、アメリア先生にこの箒を返すのだ、と。  一人、言葉にはならずとも決意をして。   「他にも、失ったものがあれば。」  「いえ、いかせて下さい。」  首を振ったのは、レオ先輩だった。  「あらまぁ、フェイジョアさん、急にどうしたの?」  「国の魔力源が盗まれるなんてピンチ、黙ってみているわけにはいきません。――なあ、そうだよな、みんな。」  と、私達の方に目を向けて。  数秒、あることを考える。  私の大切なもの。ミュトリス学園とか、孤児の子たちとの時間とか、色々あるけれど、一番は……この旅でできた仲間で。  仲間のレオ先輩がそう言っているのだから、きっとそうだ。  「……は、はい。」  もちろん、私の中には国や日常が、ピンチなのだから、という思いもなかったわけじゃないけれど、決定的な思考プロセスはそれだった。  人には、捨てられないように尽くさないと。  考えを、同じにしないと。  私はこんな時ですら、誰かに捨てられるのが怖かった。  「うん!できる事は、できる内にやらないとだしね!」  アデリ先輩も大きく頷く。  「あらまぁ。そうこなくっちゃ。――そうしたほうが、こっちにも、都合がいいしね。」  小さい声で。聞き取れないほど。  「?アメリア先生、何か、おっしゃいました?」  「あらまぁ、セイレーヌさん、空耳かしらあ。」  穏やかな笑みを浮かべ、頬に手をつくアメリア先生。  「えっと……?」  もしかして、私の聞き間違いだったのだろうか。  「セイレーヌさんは年齢のこともあって、疲れているんじゃないかしら。セイレーヌさんだけでも休んでいったら?」  穏やかな笑みを浮かべられ、私は途方に暮れた。  「えっ……。えっと……。」  色々、飲み込めないこともあった。  それに――。  私は、ロカさんと先輩達の方を見る。  先輩たちが、宝石を取返す意志があるなら、私もそれに賛同したい。  できるだけ、先輩達にいい人に思われて、見捨てられる確率を減らしたい。  人生で、初めてできた、仲間なのだ。  「――いいえ、アメリア先生。私は休みません。それより、サソリさんの宝石を取り返さないと。」  「そう。私の考えすぎだったようね。」  アメリア先生は視線をそらして。  ……刹那、その顔が翳ったのは、気の所為か。  「――それで、出発はいつにするの?」  「そんなの……決まっていますっ!!」  アデリ先輩が元気よく返事をした。  「今すぐにっ!」  「……あらまぁ。もう少し、ゆっくりしていってもいいんじゃないかしら?」  「いいえ。きっと、大切なものだから。」  「セイレーヌさんは、」  と、アメリア先生が、こちらを見て。  「私も……人任せにするわけにはいかないです。」  「あらまぁ。みんな……成長したのね。」  アメリア先生は関心したように目を細めたが、そうではない。  私は、ただ、アデリ先輩に合わせたかったのだ。  ――心の奥底で四六時中感じてしまう、捨てられる恐怖から、逃れるために。  多分、以前の私なら、きっと本心でうなずけただろう。  誰かに見てほしくても、その時の私は失うものなどないから。  けれど、今は違う。旅で【仲間】えられた以上、私はそれを失いたくなかった。  もう二度と、孤独も、惨めさも、感じたくなかった。  ――段々、自分の意見にみんなの意見が混ざってきた気がする。  それでも、それは関係ないと思った。  見捨てられさえなければ。  【仲間】さえいれば、私はいいのだから。  「……極限状態できっと、みんなの絆が深まったのね。」  自分の手を握りしめ、穏やかにそういうアメリア先生。  「はい、そう……です?」  私は思わずうなずいて。  ……あれ、でもそんな展開、図書館で読んだ心理学書には書いていなかったような。  「……そういうものなんですか、先輩?」  「ごめん、私気がついたら親友になっているタイプなんだよねー。」  てへり、と目を閉じるアデリ先輩。  「えぇ……。」  図書館の本である程度の知識は学んでいると思っていたが、実は私の知らない知識があったのだ。  取り敢えず、旅が終わったら、新鮮な気持ちで知識の採集に、挑んでおきたい。  「では、これからも旅をする皆さんに一つ、忠告しておくわ。」  アメリア先生は唇に人差し指を立てて。  いきなりのことで、私達は息を呑んだ。  「多分、これからますます荒れていくと思うけれど、覚悟しておいてね。」  「――?」  と。  ファンティサールの事を言っているのか、事態を言っているのか、分からなく、私はただ、静止するしかなくて。  「――もちろん、私の方も、」  「「「「?」」」」  と。  私達が不思議そうな顔をしても、アメリア先生はその意味を答えてはくれなく。  その後、数分ほどその話題とは関係のない雑談をした。  アメリア先生は、私達が盗まれた荷物の代わりに、寝袋なり、杖なりを持ってきてくれて。  私達はそれを受け取った。  ……といっても、私達の盗まれた荷物を見つけるまでの間なのだが。  雑談の終わり、ロカさんがそろそろ、時間も押していますことですし、と。  「それじゃあ、私達は宝石を取り戻しに行ってきますから。」  話しすぎたことに気がついたのだろう。アメリア先生は、ごめんなさいね、と肩をすくめ。  「……私は公務のため、フォンティーヌ家に残っていますが……。」  「あらまぁ、もう行くのね。それじゃあ、気を付けて。」  アメリア先生は、私達の方に手を振った。  その穏やかな笑みは、到底悪さを企んでいるように思えなくて。  ――ふと、サソリがいつか言っていた話を思い出した。  この学園は、腐っている、と。  サソリさんの記憶を見たから、この国の政府が腐っていることは、本当だと気がつけて。  それでも、学園の真偽についてはまだ、分からない。  私達生徒に嘘をついているのか、いないのか。  サソリさんの記憶に答えがあった訳じゃない。  あの記憶を見て、サソリさんが嘘をつくような人には到底思えなかったけれど。  其れでも、アメリア先生の笑みを見ていると、学園がそんなことをしているようにも考えられなくて。  アデリ先輩達よりゆっくりと箒を進める私に先輩が、振り返る。  「ハスミちゃん?どうしたの?」  「いえ、なんでも……。」  私は慌てて箒を進める速度をあげた。  学園のことは気になるけれど、今はそこじゃない。  私たちは、宝石を取り戻さないと。  __それにしても。  前方で、箒にまたがる二人の先輩を眺めながら、ふと思う。  「本当に、これで、よかったな……。」  一緒に宝石を探してくれる人がいて、よかった。  一緒に依頼を受けてくれる人がいて良かった。  これだけは、一か月前には思いもしなかったことで。前を行く三人が、大切だと。  大事にしよう、と改めて思って。  「?ハスミちゃん?」  私の声に、アデリ先輩が首をかしげ。  「いえ、何でもないです。」  三人に、いうほどではないけれど。  「__絶対、失わないようにしなきゃ。」  小さく口の中でつぶやいた。  今失ったら、二度と得られないのかもしれないのだ。  失うことがないように、心に重く受け止めて。  その後、ロカさんと別れて、三人だけでサソリさんのもとに向かって。  その時だったと思う。  真っ白い霧が私たちの視界を覆ったのは。  それは、時間にしては一瞬だったと思う。  数秒、私たちは互いの姿が見えなくなって。  それからだった。  気が付いた時には、違う場所を飛んでいたのだ。  ◇◆◇  霧が完全に消えた無人の土地で。  私は一人、突っ立っていた。  今すぐに、箒に飛び乗って、先輩たちを探した方がいいことは頭では理解していた。  けれども、体は動かなかった。  そんな気分じゃなかった。  __否、運悪く、嫌なことを思い出してしまった。  「ははっ……。なんで一人になっちゃうんだろう。私、運、悪いなぁ……。」  先輩たちは、今頃何しているのだろうか。  まさか、私のことを忘れている……なんてないでほしい。  自分がそれほどに価値のない人間なんて、三人にまで認定されたら、私はどうすればいいかわからない。  先輩たちがそんな考えをしないなんて、頭ではわかっているはずだ。  私が盗まれた荷物を探していなくなって、かなりの時間がたった際、追いかけてきてくれたのはアデリ先輩だった。  私が王族専用の奇妙な魔方陣に吸い込まれて、消えてしまったとき、探してくれ、救ってくれたのはロカさんだ。  レオ先輩だって、瓦礫から私のことを守ってくれたし。  あの三人は、たとえ、私が役立たずでも、そんなこと言わないのだろう、と。  それぐらい優しい人格を持っている人だって、旅の最中で確信できた。  けれども、一人、というのは怖い。  その確信すら、揺るがしてしまう想像をしてしまうのだから。  際限のない、悪夢。  それが、孤独だ。  「貴方ももう、動かないし、光らないね。結局、あれは都合のいい妄想だったのかな……。」  私はポケットの中に手を入れて、ストラップを取り出す。  私を主人と認定して、杖の代わりに魔法を放ってくれたもの。  この子のおかげで、私はサソリさんに抵抗できたのだ。  とはいえ、あの後、杖はすぐに片手より小さいサイズに戻ってしまった。  魔力がなくなったのか、寿命が来たのか。私よりも貴族専用の魔術具に詳しいロカさんも説明が付かない現象で。  一応、箒を小さくする魔術は三年生で習うが、ロカさんに調べてもらったところ、箒にその術式はのっていなかったようで、箒を元に戻す魔法を使っても、箒は戻らない可能性が大きい、とロカさんは言っていて。  もう、この子は触れても以前のように魔石を青色に発光させることもないし、感情のこもっていない声を出すこともない。  そのことが、無性に寂しかった。  この子は、人ではないけれど、いつからか、私の声に応答するこの子を、私は無意識に【人】として認識しちゃったのかもしれない。  ストラップ大になった杖は、以前のようにずっしりとした重さもなく、手に持ったって、自分のバランスも気にする必要もない。  この杖を妄想だと疑ってしまう原因はもう一つあった。  アメリア先生が、この杖の存在に気が付かなかったこと。  アメリア先生が杖を貸してくださった際に、私は、『この子を使うから大丈夫です』と、ストラップ大になった杖をもって、断ったはずだ。  しかし、アメリア先生は、  「セイレーヌさん、何も持っていないんですけれど、……この子って、どこの子?」  と、首をかしげて。  ロカさんたちは杖を認識しているのに、アメリア先生は認識していないのだ、と。  それが、少しショックで。  もしかしたら、私が杖で魔法を使ったことも、本当は嘘で実はメルトを使った影響が、早々にして治ってしまったのかと考えて。  もしかしたら、この杖が小さくならなければ、まだ、話せる状態なら、何か変わっていたかもしれないな、と思う。  きっと、杖と話しながら、足を進めて。  そうやって、湧き上がる孤独感から逃れることも、今はできない。  「私、本当に一人っきりだぁ……。」  ぽつり、とつぶやいた。  認めたくない事実。認めなければいけない事実。  「嫌だなぁ。思い出したくないことも、思い出しちゃうじゃん。」  __本当はもう思い出しているのに。  いつの日か、友達だと思っていた子も。  まだ、私がスラムにいた時だ。  体も弱く、しょっちゅう魔力の暴発をする私を不要だとみなしたのだろう。  その時、子供たちの集まりにいた私はある日突然、私を追い出した。  お前は不要だ、と。次の日からは自分で食料を取ってきて、自分で勝手に生きていろ、と。  それは、それなりに___いや、かなり嫌な出来事だった。  そのころはまだ字を知らなかったため、知識もなく。魔法も使えなかったので、私は年の割には何もできなかった。  唯一出来ることといえば、肉体労働。  しかも、それですら体が弱いせいで、同い年の男子の四分の一の成果が得られればいいほうだ。  義理ということだろう。  少年少女たちの集まりのリーダーは、私をそれでもおいてくれて。  私も自分なりに、それにこたえようとした。  三歳のころ、その集まりに拾われて以来、その集まりは私の家代わりのようなもので。  そこにいる少年少女に、勝手に家族に近しい感情を抱いていて。  けれども、私の努力すら、しょっちゅう熱を出す虚弱体質にあっさりと散らされてしまった。  メンバーの一人がいうには、スラムではあまり見ない青色の髪をみるに、親はスラム以外の出身で、わざわざ私をスラムに捨てに来たのだろう、と。  そして、親がスラムで育っていないことで、私の体にはスラムにはこびる病気の抗体がないのだとか。  その集まりには、誰かが風邪をひいたら誰かが世話をする役割があったが、私は世話をする頻度より、世話にかかる頻度が大きかったらしい。  元々、成果もあまりいいものでなく、お荷物だった、と。  私を捨てるとき、リーダーは告げたのだ。  __私は、役立たずと思われるのが嫌だ。  なぜなら、役立たずは【いていい】事にならないから。  【いていい】事になるためには、周りに精一杯尽くして、役立たずじゃなくなればいい。  まだ、十歳にもなっていなかった、あの日。  私は家族だと思っていた人たちに捨てられて。  ほかにもまだまだ、思い出したくない記憶はあった。  そのグループから抜けて、しばらく一人で生活していた時。  苦しいながらもなんとかそれなりの生活を保つことができて、しばらくしたころ。  孤独に飢えた私に、始めて友達ができた。  私と同じスラム暮らしの子で、私とは違って、親がいる子。  その時からお手伝いやを始めていた私は、作業の間にそのこと話すようになって。  初めて、人生で色が付いた気分だった。  お手伝いやの作業終わりに、毎回その時間を楽しみにしていて。  しかし、そんな日々にも終わりが来る。  彼女の親が、彼女に借金を押し付けようとしている、と彼女から聞かされたのだ。  借金を子供がおったら、どうなるか。  それはスラム育ちなら誰しもわかっている。  借金取りは返す保証のない子供につらく当たり、早く借金を返させようとするし、女売り__体だって、売らせるだろう。  たった一人、借金を抱えて、苦しい生活をする彼女を見たくなくて。  私はうっかり彼女の借金の代理保証人の欄にサインをしてしまって。  __彼女は、次の日以降、私に顔を見せなくなった。  どこに行ったのかやら。  彼女のうわさすらスラムで聞くことがなくなって。  借金は全部私が返済して。  返済しきった瞬間、彼女に捨てられたんだ、と認識した。  たった一人、スラムで友達だと思ったのに。  最後まで、彼女は戻ってくることはなくて。  __私は、誰かに捨てられることが嫌だ。  生まれて間もないころ、母親、もしくは父親に捨てられたことを思い出すから。  もし、母親が私を捨てなければ、この孤独感もなかったのか。  この空腹も、すこしはマシになるだろうか。  私は、もっと幸せだったのだろうか。  時間があるたび考えて。  捨てられるたび、幼いころスラムで感じた虚無感を感じるから。  歯を食いしばり、手の中のストラップを握りしめる。  手の中の杖は、もう何も答えてくれない。  「……歩き出さないと。箒に、のらないと。」  何を考えていたのだろう。  先輩たちは、今だってサソリさんから宝石を取り返すために、動いているかもしれないのに。  私は三人の役に立つといったのに、何一つ役に立っていないし。  __また、役立たずと思われるかもしれないのに。  そうして、捨てられるのは絶対嫌で。  せめて、なにか、行動しないと。  箒に乗って、サソリさんのいるギルドのほうに飛び始めてからももやもやした気分は尽きなかった。  嫌な思い出が、また、一つ一つよみがえってくる。  スラムにいたころ、親に売られそうになった子の身代わりになったことがある。  その子だって、いつか借金を私に押し付けた子と同じように、帰ってこなくて。  たまたま、魔法警察が近くに通りがかったから助かったけれど、でなければ、売られていた。  自分でも、身代わりになるなんて、バカげていると思っている。  いくらその女の子が魔法警察を呼んでくる、といったって、その発言が本当である保証もないし、スラムならなおさら疑ったほうがいいはずだ。  でも、私にはそれができなかった。なぜなら__  __私は、誰かに存在を認識してもらえないことが嫌だ。  誰でもいいから、存在を認識してほしかった。  私に価値がある、と証明してほしかった。  そのためだったら、何でもやっていた。  親に捨てられ、互助会に捨てられ。私の価値は、【いていい】は、どこにもないから。  「ひとり、ひとり、私は一人。」  箒を前に飛ばしながら、小さくつぶやく。  一応、地図を見ているとはいえ、今私が箒を飛ばしている方角はざっくらばんとしていて、もしかしたら間違っているかもしれない。  どこか、遠くの場所にたどり着いてしまうかもしれないけれど、それでいい。  今はただ、現実から逃げ出したかった。  私に、価値がない、という現実に。  「愛されない。誰からも、愛されない。__愛されるように、しなきゃ。」  空はいつか、灰色の雲が一面を覆っていて、うす暗くなっていて。  少し、肌寒さを感じ、私は箒を飛ばすスピードを速める。  周りの景色など、もう見ていなかった。  五分ほど、箒を走らせたところだったと思う。  ドン、と箒が誰かにぶつかったのは。  「あっ……すみません……っ。」  人込みの中で、箒は使ってはいけない。  私は慌てて箒を掴んで、ぶつかった人に謝って。  「__」  「__っ⁉」  ぶつかった人は、私に目もくれず、忙しそうに去っていって。  __私が一番嫌いな、存在を認識されないこと。  その人だけじゃない。周りにいる人全員が、周囲など構わない、と忙しそうにしていて。  それが無性に殺伐としたものを感じさせて。   「この中で、生き延びないと。」  口の中で、小さくつぶやく。  誰も私を認識していないその空間は、ただ、存在するだけで辛くて。  手の中の箒を握り締めた、その時だった。  「あれ、あんた、なんでこんなところにいるの?」  と、少し遠くの方から声をかけられたのは。  「___っ。」  誰かに存在を認識してもらえたことがうれしくて、私はその人のほうを勢いよく不利前って。  ふと、その人物が見知った人だと気が付いた。  真っ黒に近い怪盗衣装に、紫色の髪の毛をポニーテールにして。こちらをにらんだ__風の顔つきをした少女は、確かに私たちの通う学園から宝石を盗んだ人物で。  「さ、サソリさん……?」  まじまじとその人物を見ながら、私は彼女の名前をつぶやいて。  サソリさんはぶう、と不満そうに頬を膨らませた。  「何なのよ、その反応は。せっかく人が分かりづらい迂回コース立てたのに、あっさり見破るから。完敗したよ、あんたの知能に。」  「よかったぁ……。」  何か、彼女が発言しているような気がするが、詳しく聞けていなかった。  私の存在を認識してくれた人。その人に会えた喜びの方が大きくて。  私はほっと肩の力を抜いて。  サソリさんはこっちに来なさい、と人混みがないほうを指さして。  その場所にあった大樹によりかかるとサソリさんはまたぶつぶつとつぶやき始めた。  辺りで、お昼ご飯を求めて売店に殺到する人たちを背景に、  「ったく、何が天才児なんだか。普通に見誤ったんですけれど?私の妹だって、頭悪くないはずだし、そんな子が近くにいながら。……盲点だったわ。」  と。  「……サソリさん?」  「なんで、私は、情報通なのに。」  ぶうう、と頬を膨らませながら。  「それ、関係ある?」  「あるって。大怪盗は、天才なんだし。」  ドヤ、と腰に手を当てるサソリさん。  「なる、ほど……?」  なんか話が脈絡もないような気もしてくるが、気のせいなのだろう。  ……というか、天才って何の天才なんだろう。  サソリさんの言っていることは証明がすんでいないことも多い。  「……いや、サソリさんは少し勘違いをしているけれど……。普通にサソリさんを探していたら霧に巻き込まれて、気がついたらここの近くにいたっていうか。時間も、3時間ぐらい過ぎているし。」  私が、霧が晴れてから五分ほどしかたっていない。  それなのに、辺りから聞こえてくるのは、お昼ご飯を求める声。  __おかしい、と。  少し考えた末、私は時間が勝手にたってしまった、と考えて。  一人だったとき、スラムの嫌な思い出を思い出していると時間がたってしまった……というのも考えたが、それもよく考えれば違う。  同じ姿勢で長い時間を過ごせば、当然肩は凝るし、筋肉は痛む。  私の体には、その痛みはなく。  ふと、サソリさんのほうを見ると、顎に手を当てて、誰かを殺したいほど、恨むような表情をしていて__否、眉がつっているのはデフォルトだから、たぶん、真剣に何かを考えている表情なのだろう。  「…………。」  「サソリさん?」  私が話しかけると、サソリさんは、はぁぁ、とため息を一つついて。  「ごめん今ショックを消化しているとこなんだって。」  「……えぇ?」  何か、ショックを受けるようなことがあったのだろうか。  会話を思い返してみたが、サソリさんがショックを受ける理由がちょっとわからない。  「よし、消化終わり!」  こぶしを握るサソリさん。  「……早くない?」  「残りのショックは明日の私が受け取ってくれる。」  「分割式!」  借金の分割払いは利息が多くなるけれど、ショックの分割払いはどうなのだろう。  サソリさんが、足を進め始め、私も慌てて追いかける。  幸い、というべきか。  サソリさんの進む方向は私の向かっている方向と同じで。  「サソリさんも、そっち?」  「いや、取引先がさ。そうだ、あんたも一緒に行く?」  「うええっ!?本気で言っているの?私達、敵同士だよ?」  敵にそんなことを教えてしまっていいのか、と。  戸惑う私の表情を見てだろう。サソリさんはニヒルに笑って。  「あんたはどっちみち仲間と合流できなきゃ、私に勝てないし、私の近くにいると、仲間と合流してから私を探す手間が省ける。……いいアイディアでしょ?」  「いや、そうだけれど……。サソリさんは、それでいいの?」  まるで私たちの方に有利な提案に。  私は少し、疑問を抱いた。  サソリさんは、この国のいくすえより、自分の気持ちを優先する人だ。  だからこそ、今回の提案は、まるで、私たちに捕まえるチャンスを与えているかのようで。  「うん。アンタたち四人かかってきても私に負けるっていうのが証明できたし。それに、今回は私も一人援軍を呼んでいるから。」  「……それって軍っていうべきかな……。」  私に向かってガッツポーズを立てるサソリさん。  その意味深な援軍、という言葉に。  私が一抹の不安を抱いた時だった。  「うええええん。うええええん。」  幼い声が、その空間をつんざいた。  まだ、小学校にも通っていないのだろう、という年齢の子供の。  世界を悲観するような、そんな泣き声。  声のする方を見ると、二つ結びの少女が目に大粒の涙をたらしながら、ひたすら声をあげていて。  あたりに親と思われる大人はいなく、周囲の大人たちは女の子をいないもののように扱っていて。  それがただ、むなしい、と思った。  ……スラム時代の、誰にも助けてもらえなかったときのことを思い出したから。  「さ、サソリさん。向こうに、」  サソリさんの方をながめ、女の子を指さす。  「……助けないと。」  私が少女の方に一歩、踏み出したとたんだった。  「無視するよ。」  と、彼女の方からは冷たい返答が帰ってきて。  「えッ⁈」  その返答に、私は声を上げた。  「あったりまえじゃん。子供が泣いているなんて、よくある光景でしょ。」  はんっ、とサソリさんは鼻で笑う。  その持論自体は、よくわかった。私も、スラム街出身だ。  泣いている子供なんて、たくさん見てきた。  ただ__  「は、母親がいないんだよっ?」  一人、泣いている子供を見捨てることなんて、到底できなく。  「はぐれたかでしょ。ほっときゃ見つかるって。」  以前、彼女は私を孤児だから、優しくする、といった。  つまり、逆を取れば、彼女は孤児以外に冷たい、ということ。  孤児にやさしい理由は、なんとなくわかる。  彼女だって、親の面で苦労した部分があるから、恵まれない環境にいる人たちには、理解がある。でも、幸福な人たちへの理解を、彼女には求めてはいけない。  サソリ・クラークはスラム街でよく見る考え方をしていた。  __自分の関係のない人たちが困っているとき、その救いを、片っ端から切り捨てる。  私もスラム街出身だから、その考え自体が悪いとも思えないけれど__  「それに私、子供嫌いだし。……嫌いなものの面倒を、どうしてみなきゃいけないの?」  サソリさんは、ただえさえ寄っている眉間をきゅっと寄せて。  その表情を見て、サソリさんを頼ることは難しそうだな、と判断して。  「あー……。私、いっているから!」  私は泣いている少女のほうに飛び出す。  泣いている子供を見ると、私は思わず駆け寄ってしまう。  その子供が親を持っているか、否かなど関係なく。  __スラム時代の私を思い出してしまうからだ。  親を持っていなかったら、そのぶん笑っていてほしいし、親を持っている子だって、笑ってくれるに越したことはない。  だから、私は子供の相手をする。  たとえ、自分の利益にならないと分かっていても。  泣いている子供を見捨てるなんて、できない。  __だって、それはスラム時代の孤独に飢えて泣いている私を見捨ててしまうことになるから。  「ええええん。」  頬にその大粒の涙を滴らせながら。  私はその子のほうに体を向けて、膝を折り曲げる。  「あの、もしもーし。」  私が話しかけると、女の子は少し泣き止んで、目を見開いて。  「ふええええっ。」  __再び、泣き出した。  空を割くような大声に。  私は自分の手際の悪さに、思わず苦笑する。  子供の相手は何回もしているとはいえ、レオ先輩のように上手くいくわけじゃない。  むしろ、子供というのは独特の価値観を持っていて、それは時代ごとに変わるようで、過去の経験などあてにならない事が多く。  「…君、大丈夫、かな?」  私は泣いている少女に再び話しかける。  少女は泣くのをやめて、否、鼻水をすすりながら、  「ふええ。ふえ。えぶ。」  と。  「う……えっと……何があったの?」  「ぐすっ……おかあしゃんと、はぐれ、…ちゃってっ。」  そのお母さん、という響きに一瞬どきりとしてしまった。  たとえ、一瞬でも母親とはぐれたら子供はさみしいものだ。  私は子供の手を握って。  「そっか。じゃあ、私と一緒に探す?」  「……ぅ、うん。」  ちいさくうなずく子供。  「じゃあ、一緒に行こうか。」  「うん。」  私は立ち上がり、子供と一緒に歩きだす。  サソリさんはいい顔をしないかもしれないけれど、これでよかった。  泣いている子供を見捨てることなんて、出来ない。  たとえ、そのことで誰かに呆れられても。  私たちはサソリさんの待っているほうまで向かって。  「ごめん、サソリさん。結局連れてきちゃった。」  私が苦笑すると、サソリさんは大きくため息をついて。  しかし、その表情には悪感情は見えなかった。  「……はぁ。そうなると思ったけれど。あんたってなんていうか、救いようのないくらいお人よしだよね。頭のスペックいいから余計もったいない。」  と、肩をすくめて。  お人よし、とはアメリア先生にも苦笑された気がするけれど。  「ほんと、あんたって仕方のない孤児。」  少し、目尻を下げて。  そういわれるのに悪い気はしなかった。  その言葉に含まれていたのは嘲笑ではなく、どちらかというと呆れで。  それに、困っている人を助けられるのなら、なんでもいい。  「まあ、一人ぐらい増えたところで、問題ないけれど。」  サソリさんの口角が少し上がっていることに、私はほっとした。  サソリさんもこの子の存在を認めてくれたのだ、と。  私はもう泣いていない少女の手を少し強く握り締めた。  絶対あなたは私が親元に返してあげるから。  そんな決意を込めながら。  ◇◆◇    時は数時間後。  私たちは無事少女__ソフィちゃんを親元に返し終わって。  再び、雑踏の中を歩き始めた。  人込みを歩く私の足取りは軽く、自分でも羽をつけているのではないか、と思うほどで。  ソフィちゃんをちゃんと親元に返せたことが、自分的には大成功だったから。  サソリさんは気にしないようにすたすたと歩いているけれど、それも、ある意味仕方ないのかなぁ、なんて……。  私が苦笑していると、サソリさんが、  「あっ、あそこにいるの、レオ・フェイジョアじゃない?」  と、話しかけてきて。  彼女の指がさされているほうを見る。  肩ほどまでの水柿色の髪をハーフアップにしたヘアスタイルに、裾の膨らんだニッカボッカ。炎のようなバーミリオンの瞳を持つ長身の少年は、私たちと一緒に旅をしていた少年で。  「あっ!本当だ。レオ先輩だ。」  レオ先輩は、どこか遠くの方を見て、歩いていた。  手にはアメリア先生に支給してもらった箒を持って。近くにアデリ先輩がいないのが少し気になるけれど。  でも、仲間を見つけることができて。  その喜びに、私は感無量で声すら出なくなって。  そんな私の肩をポン、とサソリさんはたたいて。  振り返ると、サソリさんは冷静に怒っていた__否、たぶん顔つきのせいでそう思えるだけで、穏やかな表情をしているのだろう。  「行ってきなさい。」  と。  一瞬、その言葉の意味が分からず。  「……サソリさん、いいの?」  私はサソリさんのほうをまじまじと見た。  最初から気になっていたけれど、これは、サソリさんのほうが優勢だから余裕ぶるとかいうレベルじゃない。  明らかに、敵に塩を送る行為で。  はん、とサソリさんは鼻で笑った。  「何言っているの。私達は元々敵同士でしょ?」  と。  その言葉の意味が、一瞬わからず。  「……えっと…?」  私が首を傾げた瞬間だった。  「んじゃ、私はこれで。」  その言葉と共に、サソリさんは素早く雑踏の中に駆け出して。  瞬時に怪盗の姿は、確認できなくなって。  その、なびく紫色のポニーテールの毛先を眺めながら。  「っ‼___まってっ!さ、サソリさんっ‼」  私はサソリさんのほうに手を伸ばす。  周囲の人が私のことを奇妙な瞳で見つめるが、そんなことは関係なかった。  サソリさんは、私の言葉に振り返ることも、戻ってくることもなく。  雑踏の中ですら、大声を出したはずなのに。  ちゃんと、聞こえてないわけないはずなのに。  「う、そでしょ……。」  私はよろよろと地面に崩れる。  あたりを素早く歩く人々の圧が痛い。  早く人の迷惑にならないところに行かないと。  頭ではわかっているはずなのに、私の体はそれを実行することができなくて。  「行っちゃった……。」  小さく、震えた声。  元々、敵同士だったけれど、私にそんなこと感じさせないくらいには優しく接してくれたから。  だから、そんなこと忘れてしまった。  「はは、サソリさんも私をおいて行っちゃうんだ。仕方ないよね。……元々、私だって孤児なんだし。」  サソリさんの私をおいていく姿は、見たはずない母親と重なった。  サソリさんは、私を孤児だから優しくしてくれる、といったのに。  それでも私は見捨てられ。  目の前の地面が涙によって歪んでいくのを感じながら。  やはり、私は天涯孤独なのだと。  「愛され、ないと。」  小さく、深くつぶやく。  もうこれ以上、誰にも捨てられないようにしなければ。  __捨てられるのは、怖い。  ぎゅっと唇をかんで、目をつむった瞬間だった。  「ハスミ?」  誰かの、私を呼ぶ声。  「わっ!」  突然のことで、私は思わず尻もちをついて。  声のする方を見上げると、バーミリオンの瞳が、私を見つめていて。  レオ・フェイジョア。__私と一緒に旅をしていた三年生が、雑踏の中、私を見つめてたっていた。  「はは……なんだぁ、レオ先輩か……びっくりした。……でも、よかった。私を見つけてくれる人がいて。」  緊張が抜けて、気が緩んでしまったのと、それでも私は一人じゃないということを思い出して、少しほっとしたのと。  私は間の抜けた笑いをして。  「?えーと、ハスミも、謎の白い霧に包まれた後、ここに飛ばされたのか?」  「えっと、はい。…レオ先輩もですか?」  そう尋ねながら、立ち上がる。  「ああ。俺はもう少し遠くに飛ばされて、ここまでやってきたんだが……そっちに、アデリは?」  「来ていない、ですね……。」  レオ先輩の辺りを見回す限り、アデリ先輩は見当たらず。  「そうか。俺が通ってきたところは、一通り、見て回ったんだがな…。」  「そうですか……もしかしたら、三人共、別々な所に飛ばされたかもしれないです。」  もしかしなくても、あの不思議な力を持っているアデリ先輩のことだ。  私たちの近くにいたら、すぐ合流しているはず。  それができない、ということは誰かに術をかけられているか、その力も通じないほどに、遠くにいるか。  「なるほど……!そう考えればいいわけか。」  と、ぱん、と手をたたくレオ先輩。  「えっと、レオ先輩、私達が飛ばされた原因、もしかしたら、……もしかしなくても、魔術具のせいかもしれません。」  「?というと?」  私は、一人の時に見た、ある男の行動をレオ先輩に伝える。  魔術具を持った、奇妙な男。  正体は分からず、その話しぶりからして、誰かを迷わせたようで。  それが、私たちだ、という確証はどこにもなかった。  ただ、直感、というのだろうか。  私は根拠なくそう確信していて。  「――ということがあって。」  「なるほどな……。そうか、頭のいいハスミが言うならそうかもしれねーな!俺、頭良くねーから、そういう推理とか苦手っつーか。」  納得したようにうなずくレオ先輩。  「今のは、推理ではないような……。」  もしかして、この人……脳筋だったような。  「あっ!そうだ、レオ先輩。先程、サソリさんが向こうに向かっていって。追いかけましょ…………う?」  今更だけれど、サソリさんが向かったほうを指さして。  私の指の先は、人々が歩き回る雑踏。  当然、サソリさんの姿も見えなく。  「流石にこの人混みの中、箒にまたがるのはむずくねーか。」  「うぅ……。すみません。」  姿が見えなく、箒も使えないのなら、賭けとタイムアタックになる。  「まあ、徒歩でもいいから、サソリの行った方向に向かおうぜ。」  「はい。そのうち、アデリ先輩とも会えるかもしれませんし。」  そう答え、私たちはサソリさんの向かったほうに足を進める。  先を行く、レオ先輩の姿を見ながら。  「……誰かと出会えて、良かった。」  と。  霧が上がってしばらくした後、サソリさんが逃げてしまった後。  私は、世界に取り残された気分で。  それでもサソリさんが見つけてくれて、レオ先輩が見つけてくれて。  私は、世界に一人じゃない。  私は、孤独に飢える孤児じゃない。  そのじじつが、何よりもうれしく。  「――見捨てられないように、しないと。」  小さく、つぶやいた。  あの凍てつくような孤独に、戻らないためにも。  雑踏を抜けて、箒に飛び乗った私たちだが、目当ての二人は見つからなかった。  ただ、時間と風景ばかりが流れていき。  「中々、アデリもサソリも見つからねーな。」  「そうですね。……連絡が取れないだけ、余計心配です。」  少し前まで、話しかければいつでも話せた距離だったため、余計アデリ先輩が見つからないことはさみしく思え。  「まあ、あのアデリならなんとかなってそうだぜ!」  「一年生の時、同じクラス、でしたよね。」  「アデリから聞いたのか?そうだぜ。一年生の時、クラス対抗魔術合戦で色々死にかけて、それで二人協力して。多分、戦友みたいな感じだからアイツのことは自然とわかるようになったっつーか。」  「なる、ほど……。」  「死にかけ、た……?」  レオ先輩の言っている意味が分からず、私はレオ先輩をまじまじと見た。  クラス対抗魔術合戦は、どういうても使っていいし、いちおう重症になった生徒のために回復ができる教師が各エリアに設置されているが、それでも私の代はそんなに緊迫とした感じにはならなかった。  兵法にのっとってテストのトップ一位をとる女子とタッグを組んで指揮を進めていたら、いつの間にか、勝ってしまった、という感じで。  私どころか、クラスの誰も話を聞いた感じだと、そんなヤバそうな感じにはなっていなく。  レオ先輩はきょとん、としたような表情をしていて。  「そこそんな突っ込むところか?」  「いえ……。」  たぶん、レオ先輩が誇張して言っているのだろう。  クラス対抗魔術合戦はミュトリス学園のオリジナルの競技だし、小学校で安全な競技しかしていないと少し、危険に思えてしまうかもしれない。  ……私はその小学校すら通わず、ミュトリス学園に合格したわけだが。  それにしても、と私は周囲の風景に視線を移す。  周囲には、大きな林を前に、緑の草が生い茂った草原が広がっていて。  「ずいぶんと奥地に来ましたね。」  先ほどの人が歩き回る雑踏とは、大違いだ。  周囲に建物はなく。  その風景はただ、のどかで。  「人っ子一人いねーな。」  「今回は得られる情報が少ないから、ずいぶんと賭けになりますね。……一応、アメリア先生から地図ももらったとはいえ、肝心のサソリさんのことは、あまり知らない状態だし。ルート予想もずっと難しくなると思います。」  絶対隷従でサソリさんの視界を乗っ取ったりすることもできるけれど、それだってずっと続くわけじゃないし、魔法を妨害する魔術具があれば出来ない。  なにより、サソリさんが話していた【援軍】その人の情報が分からない以上、うかつに事を進めることはできなかった。  マフィアというのは、かなり危ない組織だ。  旅に出ていた時、いきなり私を襲ってきたマフィアがいたように。  例外的に、サソリさんが穏やかなだけで。  相手は魔法が使えないとはいえ、ファンティサールの一部を牛耳っている組織なのだ。うかつに手を出したら、何をされるかわからない。  「……なにも、か。」  本当に、今回はなにもわからなかったのだろうか。  「?どうかしたのか?」  レオ先輩が、不可解な表情でこちらを向いて。  「……いえ。」  「結局、何一つわかっていなかったな。」  と。  多分、サソリさんの行方とかだろう。  「夜もずいぶん暗くなってきたし、ここで野宿しねーか。」  「はい。そうしましょう。」  あの雑踏を抜けて、箒を飛ばし始めてから、数時間が経過して、空はすでに暗くなって星が瞬き始めている。  私たちは箒から降りて、あたりの地面を整え始めた。  「アメリア先生から頂いた寝袋は、なくしてねーか。」  「はい。早速寝ちゃう感じですかね。」  と、寝袋を取り出しながら。  「ああ。準備が終わったら、どっちかは、な。__っと、香の番は。」  「私、先やっておきます。」  私は自分の鞄から魔獣除けの香を取り出して、起動させる。  ふわり、と辺りに焦げ臭い、魔獣が嫌がる匂いが広がり。  「ああ、頼むぜ。」  と、その言葉と共にレオ先輩は眠りについて。  すう、すう、と聞こえるレオ先輩の寝息を耳にしながら、私はロカさん、アデリ先輩、レオ先輩、と旅で出会った仲間を思い出して。  「……何があっても、絶対、失いたくない。」  今日、二度孤独に襲われたことで確実に確かめられた、私の思い。  誰かに見てほしい。  あんな思い__二度としたくない。  「絶対、失わないようにしなきゃ。」  ぎゅっと拳を握りしめ、決意する。  どんなことが起きても、何があっても、三人に仲間だと認めてもらえるようにしよう。  手始めに、本来は二人で分担するはずの、魔獣よけの香の番を、一夜、すべて私がやる、とか。休息の時間は取れないのがきついが、仲間と認めてもらえるためなら、仕方がない。  それに、お手伝いやのおかげで徹夜には、なれたものだ。  私は、交代の時間が来ても、レオ先輩を起こすことなく。  夜は、だんだんと薄明るくなり、確かに明けていくはずだった。  ぱちぱち、と薪がはぜる音で目が覚める。  あたりは、少し薄明るくなって。  膝に、見覚えのない毛布がかかっていて。  「ん……。あれ、私、寝ちゃって……。」  絶対に寝ない、と誓ったのに。  私の体はいともあっさり、それを裏切って。  香じゃ途切れてしまってないか、と香のほうを見て。  幸い、香はまだ匂いを途切れさせることなく。  レオ先輩がやってくれたのか、と。  レオ先輩の寝袋のある方を見て、私は動きを止めて。  「っ‼レオ先輩がいないっ‼」  寝袋には、人が寝ていたと思われる痕しか残っていなく。  レオ先輩の箒と、荷物は置き去りにされていて。  私は火を消して、瞬時に箒に飛び乗った。  「レオ先輩ーっ。レオ先輩ーっ。」  レオ先輩がどこにいるかは分からなく、私はひたすらに箒を飛ばして。  叫んでいる間にも、レオ先輩も、私を見捨ててしまったのか、という不安が絶え間なくやってきて。  それを消し飛ばすため、私は大きな声で、先輩の名前を呼び続ける。  幸い、レオ先輩はすぐに見つかった。  私たちが野営していた場所から、箒で五分ほど進んだところ。  そこに箒とリュックサックをおいて、レオ先輩はかがんでいて。  「レオ先輩っ‼よかった、そんなところに。」  箒から降りて、私はレオ先輩のほうに駆け出す。  レオ先輩は、私の方に振り返って。  その手には、いくつもの木の実が握られていて。  「ああ、ハスミか。アデリに食べられる植物を教えてもらったから、こっそり明日の朝飯のためにとっておこうと思ってな。」  と、鞄に木の実を移しながら。  「__ま、見つかったんなら仕方ねーよな。」  捨てられなかった、という安心感と。  捨てられたら怖かった、という不安感が私に広がって、私は言葉を詰まらせて。  「……ハスミ?」  何も返事をしない私を、レオ先輩は不思議そうな目で見て。  「レオ先輩は……私を見捨てませんよね?」  やっとの思いで紡いだ言葉は、こんなものだった。  「?」  「私、何でもします。」  レオ先輩は、香の番をしながら寝落ちしてしまった私を、どう思ったのだろうか。  役立たず、と思ったのだろうか。  もしかして、木のみ採集も、単なる私を置いていくための口実なのだろうか。  頭に浮かぶ悪い予想は、不安は、消えない。  「先輩が、言ってくれたら、どんなことでも引き受けます。嫌ってくれてもいいです。だから、私を見捨てないでください。」  人の血縁関係にないものとのつながりは薄く。  簡単に、見捨てられ、見捨てられる。  だからこそ、そのつながりはなんとしてでも維持をしなければいけない。  「えっと、なんのことだ?」  と、きょとん、と首をかしげる先輩に。  「……一人ぼっちに、しないでください。」  「___、___。」  レオ先輩は、口を開き、何かを言いかけたが、慌てて口を閉じて。  「私を見捨てないで。」  ただ、誰かに見てもらいたかった。  私の小さい声が、そのばに取り残されたように。  「存在すら認識されないのは、嫌なんです。」  どんなことでも、私は聞く。  だから、見捨てないでほしい。  目を見開いたレオ先輩の姿が、私を見捨てた母親、友達だった少女、互助会のリーダー、サソリさんにかさなり、最後はまた、レオ先輩に戻る。  きっと、誰でもよかった、と問われればそうなのだろう。  それでも、私は誰でもない誰かにその価値を認めてもらいたかった。  そうじゃないと、うすら寒く、気を抜いただけで凍えてしまいそうなこの世界で、生きるのは難しかった。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加