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その孤独を導けたなら。~レオ・フェイジョアの願い~
「えっ……ライアンと、ジョシュアの二人が、裏山に行ったまま帰ってきてないのか?」
と、俺は目の前の少年__否、そういうのもまだ、はばかられるような。
五歳の子供を見た。
アレクサンダー・グルピェーツ。
俺、レオ・フェイジョアの近所に住んでいる子供で、休日や俺が小学校から帰ってきた後は、よく一緒になって遊んでいる。
アレクサンダー__アレクは、大きな瞳を、目いっぱいうるませて、大きくうなずいて。
不安なのも、無理はなかった。
大人たちはこの時間、まだ働いているし、夕方__いつもなら、すぐに帰ってくる時間にライアンたちが帰ってきていないのだ。
まだこの年齢の子供だと、そのこと自体が無性に不安だったりするのだろう。
「うん。みんなでどこ探してもライアンくんと、ジョシュアくん見つからなくて……。」
「そう、か……。」
俺はうなずきながら、その言葉を反芻した。
ライアン・フェイジョアは、俺の弟だ。
わずか七歳にして、しっかりしていて。真面目な奴だと思う。
門限にはしっかり帰ってくるし、親の言いつけはきちんと守る。ライアンの友達のジョシュアだって、幼いころに遊んだことがあるから、真面目な奴だと知っている。
どちらも、門限ギリギリになってまで帰ってこないことなど、あり得なく。
つまり、これはあの二人に何かあった、とアレクが想像して俺のほうに来たのだろう。
ここらへんの子供の中で最年長の、俺に。
……それにしても。
「もう夜も早いのに……。大人たちは、帰って来ていないのか?」
大人たちが働きに出ている、といってもそろそろギリギリの時間帯だった。
ぎりぎり、というのは一部の親たちが帰ってくる、という意味で。
俺の住んでいる地域は、あまりお金に恵まれていなく、村に住んでいる大人たちはたいてい町に働きに出ている。
その間、子供たちはみんなで遊んでいるし、それがこの村の一種の慣習的な側面すら持っている。
ただ、それにも例外があった。
幼い子供を持つ親は比較的早く帰ってくる傾向がある。いくら年上の子供が、面倒を見ているとはいえ、夕方になったらその子供達だって疲れてねてしまうことが多い。どれだけ体力が余っていても、所詮は小学校に通う前の子どもたち。元々、それほど体力があるわけではない。
だから、この時間帯には、すでに幼い子どもたちの親の大人たちが帰ってきているはずだ、と。
「ううん、まだ、仕事があるからって……。」
しかし、アレクは眉を下げて、そう言って。
「そうかぁ……。」
時たま、大人たちがその時間になっても、帰宅しない時期が、二か月に一回ほど、訪れるのは理解していた。
だから、今日がたまたまその日だったんだろう。
アレクの不安を流して、このまま時をすごす、というのも考えはした。
けれど、俺自身、直感的にどうしても解せない部分もあった。
ただ、ライアン達が帰ってこないんじゃない。それ以上の違和感――何かが、起こっている、と。
「よし、アレク!俺が探しに行ってくるから、大人達にはそう伝えてくれないかっ!」
「えっ、レオ兄、行っちゃうの……?」
アレクが不安そうに瞳を揺らして。
それを打ち消すように俺は力強く自分の胸をたたいた。
「ああ、いつも帰ってくるライアンが、帰ってこねーんだ。俺も心配だし。」
「ええっ!じゃあ、僕も行く!レオ兄と一緒っ!レオ兄助ける!」
ギュッと拳を握りしめ、アレクは嬉しい提案をしてくれた。
ただ、シチュエーションがシチュエーションだった。
「えっ、でも、諦めてくれ。探しに行くのは、俺一人だ。」
「ふええええ。なんで?!僕、すこしはレオ兄の役に立つよ!」
「悪いな。でも、アレク、まだ、裏山に一人で登りきった事はねーだろ?」
「うぅ……。」
顔を下にうつむかせるアレク。
元々村の中でも年の割には聞き分けがいい子と言われていたし、俺の言っている意味も、いいたい事も、わからない訳ではないのだろう。
ただ、アレクの瞳の中の光はその程度で簡単に諦めるはずがない、と語っていて。
「裏山はあぶねーぞ。ましてや、夕方だ。一人で登りきった事がないアレクサンダーだと、土地勘が分からなくて、怪我しちゃうかもしれねーだろ?」
うちの裏山には、六歳になるまで、子供は一人で登ってはいけない、という決まりがある。
単純に危険だし、裏山とは名ばかりの、実質森がそこに広がっていて。平時、小さい子供一人では迷ったり怪我したりした時に困るからだ。
ましてや、今は夕方だ。空も少し、オレンジ色に色づき始めている。十数分後、夜の空気が辺りを闇に包むことは容易に想像できて。
そんな中、俺が付き添っているとはいえ、アレクが同行した裏山でケガをしたりしない保証はどこにもない。
「でも……僕役にたつもん!たつもん!――大体、それを言うならレオ兄だって!裏山危ないでしょ!」
声を張って、俺に警告するアレク。
「大丈夫だ、俺は運動神経がいいし、夜目も効くんだぜ!夜の裏山のちょっとやそっと、へっちゃらだよ。」
「……うん。」
「俺を助けたかったら、アレクサンダーが大きくなって……俺がアレクサンダーの力を必要とした時にまた、頼るからさ。」
「……分かったよ。」
ぶうう、とふくれるアレク。
アレクが俺にあこがれているのも、将来俺みたいになりたい、と言っていたのも知っているし、こんな状況でなかったら、アレクも連れて行きたかった。
ただ、今回は状況が状況だ。
アレクの身を危険に脅かすのは気が引けて。
「ああ。じゃあ、俺がライアンとジョシュアと一緒に帰ってくるまで、待っていてくれねーか?」
俺がアレクの肩にポンと手をやると、アレクは顔を上げて。
「うん!」
と。今度は元気よくうなずいて。
俺はその手をアレクの肩から離し、額をこすると。
「よし、行ってくる!みんなに伝えといてくれねーか?」
と、裏山の方を向いて。
特にそれを大きく捉えることはなかった。
きっと、二人共裏山で遊んでいてまだ時間に気がついていないだろう、とどこか楽観的に捉えていて。大した覚悟すら持つことなく。
それが、後々招く悲劇も知らずに。
「分かったー!」
と、アレクは腕を広げ。
俺はアレクに留守番頼んだぞ、と言うと駆け出した。
「……魔獣だって出るかもしれねー。さっさと、助けてやらねーと。」
うちの村の周辺は自然に囲まれており、その分都市部にあるミュトリス学園よりかは魔獣が出やすい。
ていうか、夜はほぼ毎晩のように周辺に魔獣が出ている。夕方だからまだ、ぎりぎりセーフだが、夜はそう、待ってはくれない。
今のうち、二人を探しだだねば、と。
二人は箒魔法だって習い始めたばかりだし、杖の振り方だってままならない。ましてや、魔法陣なんて使えないだろう。魔獣と遭遇した時に、二人が頼れるのは己の運動神経のみで。
魔獣というのは子供の運動神経なんて易易と凌駕してしまうのだから、本当に恐ろしい。
裏山に入ったとたん、俺は走りながら叫び始めた。
二人に俺の声が聞こえるように、と。
「ライアン、ジョシュアー!どこだー!答えてくれー!」
右手を口元に当てながら、腹の底から声を出す。
ライアンはいつも俺が裏山で呼びかけたら、すぐに返事をして駆けつけて来るのに、今は物音一つしなく。
其の事に首をかしげながらも俺は必死に二人の名前を呼び続けた。
何かが、決定的に変だと感じたのは、いつもライアン達がよく来ている秘密基地についてからのことだった。
裏山の中の、小さな小屋ほどの秘密基地。
子供たちがトタンを集めて、自分で作って、そして俺も手伝って。
遊ぶのは主に俺より一回り小さい子供達だが、俺も時々一緒になって遊んでいたし、何かあったとき、ライアン達は必ずと行っていいほど、そこに来ていて。
それが、今は橙色の空を背景に、もぬけの殻で。
中に入っても、人っ子一人おらず。
「……いつもの秘密基地にすらいねーなんて。絶対おかしい。」
秘密基地のドアを閉じて、再び俺は二人の名前を叫んだ。
「ライアンー!ジョシュアー!」
俺の大声が、逢魔時の裏山に、虚しくこだまする。
十数分ほど、裏山を走り回って、大まかな場所は全部回ったが、二人の姿を確認することはできなかった。
あとは、俺でもいかないような危険な場所かマイナーな場所のみとなる。
俺は、マイナーな場所を捜索している途中、ふと、立ち止まって、
「……もしかして、裏山にはいねー、とか?」
と、首を傾げて。
ありえない話ではない。
というか、むしろこっちのほうがよほどいい。
俺が二人を捜索している間に時間に気がついた二人と行き違って、二人は何事もなく家に帰っていた、と。
ライアンはフェイジョア家次男であるフレドと違って、取り立てて好奇心が強かったり、危なっかしかったりするわけでもない。だからマイナーな場所にもいることはないだろう、と。
俺がその場を離れようとしたときだ。
「兄貴!」
と、聞き覚えのある少年の声が俺の耳をつんざいた。
否、聞き覚えのあるどころではない。
毎日俺が耳にしているそれは。
「……この声、まさか――?」
場所は、もといた地点からそれほど遠いわけではなかった。
正確な場所がわかったわけではない。
ただ、弟――ライアン・フェイジョアの声に並々ならぬ事情があった事は容易に想像できて。
「ライアンっ!」
俺は声の位置を確かめるため、弟を呼び返す。
「兄貴!こっちだ!来てくれ!」
ライアンの声に再び俺は走り出した。
「――っ!」
木々が何度も視界をよぎり、枝が俺の服に引っかかり、服がほつれ。
「ライアン、ジョシュアっ!」
俺はたしかに、声のした場所に行ったはずだった。
――しかし、視界に確認できるのは木々ばかりで、ライアンやジョシュアの姿は確認できなく。
目の前には切り立った崖があって、真逆そこにいるわけでも、ないだろう、と。
「あれ……いない……どこにいるんだ?」
俺がきょろきょろと辺りを見回した時だった。
「兄貴!ここ!した!」
と、崖の下から声が聞こえ。
まさかとは思いながら俺はその崖を覗いて。
「――っ!」
――その、まさかのまさかだった。
二人の少年が、崖の下からこちらを除き返していて。
「ライアンと落ちたんだ、レオ兄!」
と、臙脂色の髪の少年が、声を上げる。――ジョシュア・マッカーソン。俺の弟、ライアンの親友で、よくライアンと二人で遊んでいて。
その隣で、俺とよく似た水柿色の髪を、短く切った少年――ライアン・フェイジョアと、その友人である、ジョシュアが緊迫とした表情でこちらを見ていて。
二人共、目立った傷がなさそうで安心したが、その頬には泥の汚れがあり、服には木々の枝が引っ掻いたと見られる傷ができている。
「俺達なりに這い上がろうとしたんだけれど、できないんだ!兄貴、頼む!助けてくれ!」
そのライアンの言葉に。
「分かった!お兄ちゃんに任せろっ!!」
と、俺は返したあと。
「えい、とっ。」
と、地面に手をつき、崖から滑り降りた。
俺が着地した近くの地面には、直径一メートル程、楕円形に謎の地面が削れているところがあり。
「兄貴……。」
「レオ兄……。」
二人が、少し、安心したような、けれども状況が状況で緊張しているような。そんな複雑な表情をして。
「それにしても、随分な着地跡だな。」
俺は足元の謎の地面が削れているところを指さした。
「えっと、魔獣に追いかけられちゃって……。逃げれたんだけれど、偶然落ちちゃった、ッていうか。」
ジョシュアの魔獣、という言葉に俺は息を呑んだ。
まさか二人が命の危機に晒されていたとは。抵抗できる状況でないし、平日には裏山に人もいない。なんとか逃げ延びたのは、幸運だったようだ。
「兄貴、俺達兄貴みたいに運動神経いいわけじゃないから、登れなくて。」
「なるほどな。」
俺は崖の上を見上げた。
高さはせいぜい三メートルほど。足場の凹みは小さいものの、ところどころにあり、なんとか上まで登れそうだ。
――が、これは俺の話だ。
七歳のライアン達からすれば、この崖はほぼ壁、と言っていいだろう。
発達途中のその体では、足場から足場に移動しながら上に登るのはもちろん、崖の足場を掴み続けることすら難しいのは想像できる。
つまり、二人は崖に登れなく、そのせいで移動することもできずに困っていた、と。
暗い顔でこちらを見る二人に俺は親指をつきたてる。
「大丈夫だ、俺が何とかして見せる!」
と。その言葉を聞いて、二人は口角を上げた。
――しかし、問題は、それだけでは終わらない。
「とはいえ、どうしたものか……。」
俺が顎に手を当てて考え込んでいると、後ろからライアンが話しかけてきた。
「兄貴、その崖、登れるか?」
と。
「ああ!ちょっとやってみる!」
俺は膝を曲げ九十センチほど、跳躍し、崖についている、突起した岩を掴み、もう片方の手で近くの岩をつかんで。
最初に岩をつかんでいた腕を離し、崖の地面に向かって振り上げる。
手のひらに岩の冷たい感触を感じるとともに、俺は反対の方のてを岩から離して、崖の上に手をついて。
「えい、やっと。」
腕に勢いよく力を入れると、体を持ち上げ、俺は崖の上に行くことができた。
崖の下の方を見て、下で待っている弟達に手を振った。
「問題なくいけたぞ!」
「レオ兄、そっから、助けを読んできてくれ!」
と、ジョシュアが手を振り返して。
「……助け、か。」
俺は数秒、考え込んだ。
数分あれば、村のと裏山を往復することもできる。
十分あれば、――もし帰ってきていたら力を持った大人を呼べばいい。
ただ、問題は、その間二人から目を離すこと。
近くに魔獣が、出た事もあって、俺は若干その決断に不安に思い。
「いや、俺はここを動かねー事にする!魔獣がでたら、少しでも人数が多いほうがいいだろう!」
俺の言葉を聞き、二人は、目を見開いて、しかし、うなずいて。
「「――…っ!う、うん…。」」
魔獣が出るからって、特に何かができるわけではない。
杖も持っていないし、魔獣のクラスにもよれど、対抗するための魔法だって使えそうにない。
けれども、人数は少しでも多いほうがいい。
それに、例え助けを呼ぶためとはいえ、弟達を山奥に置き去りにするのも、はばかられた。
「俺もそっちへ降りるぜ。」
と。
俺は地面に手をついて、一気に崖の下まで飛び降りる。
ずざざ、と途中崖の壁に足がつき、崖の壁が崩れる音。
それでも俺は途中、体勢を変える事なく、崖の下までたどり着いて。
改めて崖を振り返ると、真っ平らで足場など殆どない。
「足場がねーから、流石にライアンとジョシュアを抱えて登るのは……。」
二人を順番に一人ずつ抱えたところで、そこまでだ。いくら体力自慢の俺とはいえ、自分の体重と子供一人分の重さを背負ってあの崖を登れるか気はしない。
第一、掴める足場が少なすぎるかもしれなく、途中で俺達の体重に負けて足場が崩れたり、俺自身がその重さに耐えきれず、足場から手を離してしまうかもしれない。
そうなった時、一番被害を受けるのはライアン達だ。
「兄貴、どうするんだ?」
俺の隣にやってきたライアンの言葉に俺は答えられなかった。
「……、――。」
数秒、口をまたたかせ。
しかし、頭に何もアイディアが思い浮かんでこない。
「悪い、思い浮かばねえ。」
「そんな……。」
「レオ兄、遠周って元の場所に行くっていうのは?」
くいくい、とジョシュアが俺のニッカボッカの裾を引っ張って。
「いや、あまり勧めてねーな。もう暗いし、足元だって普通に、見てられねー。うっかりさらに落ちてしまったら……、それこそ、魔獣がやってきて取り返しのつかねーことになるかもしれねーだろ。」
「……。」
ジョシュアは困ったように、下を向いて、うつむいて黙ってしまった。
ただえさえ来ないような場所なのだ。
どこをどう行けば元いた場所に戻れるのか。わからないし、迷わないためにはまともに歩くこともできない。
第一、今は日もおちて、辺りもだいぶ暗くなっているのだ。
杖さえあれば光を灯せるが、それも勢い余ってここに持たずに来てしまった今としては、それも使えない。
「ここにいようぜ。よほどのことが、ない限り。」
と、俺は地面に腰を掛けた。
それを見て、二人も真似をする。
「どうしよう、お腹すいちゃったね、ライアン。」
ぽつり、とジョシュアがこぼした。
「ジョシュア、俺もだ……俺もお腹が空いている。はぁ~。こんなんならおやつ食べときゃよかったな。」
「仕方ないよ。迷ったのなら、迷ったんだし。」
ジョシュアの言葉に、場は沈黙に包まれる。
どうしようもない空気感、やる気を喪失させる空腹。二人の表情からはそれらの気配を感じさせるものがあって。
「兄貴は?」
と、ライアン。
「ああ、俺は別に大丈夫だぜ!」
慌てて二人の方に笑みを見せた。
俺はお腹が空いていないのもあったが、一番はただ、その場にいる二人を安心させたかったのにあった。
いきなり子供三人で明かりもない中こんなところでじっとしているのでは、きっと、不安は募るばかりだろうから。
「兄貴、この状況、いつまで続くんだ?」
と、ライアンが俺の方に視線をやる。
「分からねー。……ひとまず、ここで夜を過ごそう。夜が明けたら、辺りを探索して、帰り道があるなら、見つかるかもしれねーし。」
俺だって、どうしたらいいか検討がつかない。
ただ、この場にいる少年二人を守らないと。
その決意は胸にあって。
「……うん。」
「……分かったよ、レオ兄。」
「……。」
俺の言葉に、少年達が黙り、再び沈黙が訪れる。
そのことに一抹の不安を俺は覚えた。
いつも、大きな声で騒いでいる二人だ。
この状況がそれほどストレスなのか。
お俺が二人を慰めるため話しかけようとした時だった。
くすん、くすん、とジョシュアが泣き始めたのは。
「ひっく、ひっく、お父さん、お母さん……会えないよぉ……。」
ボロボロと涙を流しながら。
俺が声をかけようとした時、くすん、とライアンの方からも鼻をすするような音が聞こえ。
「うぅー。デイジー。今頃、無事かなぁ……。」
デイジー、とは俺の妹だ。一番年下で、今年三歳になったばかりの。
「「うええええん。うええええん。」」
と、その言葉を皮切りに、二人は泣き出した。
「な……!二人ともっ!」
二人の背中をさするが、一向に泣き止まない。
それもそうかもしれない。
二人はまだ七歳にも関わらず、ここまでしっかりした態度で俺に接していて。
裏山で二人、知らない場所に来て、元の道に戻ることもできず、不安なのは少し考えればわかることだったのに。
きっと、今まで押し込めていた不安もあるのだろう。
「大丈夫だぜ。家族には、必ず会えるって。」
二人の背中をさすりながら、そう声をかけるが、二人の嗚咽は一向に大きくなるばかりで。
なんとかして二人の気分を少しでも晴れやかにすることはできないか、と。
頭の中で、ふと、以前話した物語を思い出した。
王国一の腕持つ王宮騎士が、王国の姫と、身分違いの恋をする物語。
昔図書館で読んだ本を、そのまま語ったものだが、男心に刺さったのだろう。
ライアンたちには大うけで、もしかしたら、この物語を話せば、二人の涙もおさまるかもしれないと。
「…落ち着いてくれ、ほら、前言っていた物語の続きを話すから……な。」
「「…………。」」
二人は一瞬泣き止み、こちらを見つめて目を瞬かせて。
俺は腕を広げた。
「えーと、魔獣から生き延びるために、辺境に逃げたお姫様は、どうしたと思う?」
数秒、二人は黙り込んで。
「「う、うええええん。」」
と。
再び、大声を上げて泣いてしまって。
「……うそ、だろ……?」
俺はその様子を見て、呆然としてしまった。
普段はいともあっさり子供をあやすことができるのに、今はそのことすらできない。
二人の不安を、拭ってあげられない。
それがすごく悔しくて。
「落ち着け……、大丈夫、大丈夫だ……。」
何度も二人の背中をさすりながら。
「何でもしたいのに、何もできない。……クソ。俺が無力なせいで。」
空を見上げると、皮肉なほどに真っ白な月が煌々と輝いていた。
俺は引き続き、この夜は長くない、と二人を励ました。再び、家族に逢うこともできる、と。
二人を励まし続けて。
二人は、それでも泣き止まなかった。
「せめて、杖さえあれば……つえさえ持ってきたら、光を灯せるのに。」
唇を噛みながら、俺は必死に二人の背中をさすり続ける。
少し、両親のことが頭に思い浮かんだ。
すぐに戻れる、と思っていたのに、こんなことになって。俺はいまだに連絡すらしていない。
両親は__否、村の大人たちは心配しているだろうか。
だとしたら、悔しい。
大人たちの__誰かの役に立ちたかったのに。
少し、二人の背中をさする手を止めて。
再び、二人のほうを見て。
二人はもう、泣き声をあげていなかった。
すうすうと、静かな、整った息をしていて。
「寝ちまった、か。」
二人のほうを見て、笑みをこぼす。
それは先に体力の尽きてしまった少年たちのあどけなさに対する苦笑か。それとも、少年たちを最後まであやせなかった俺に対する苦笑か。あるいは、どちらもか。
「俺だけでも、起きていよう。」
二人の少年の首を、起きた時に痛まないように寝かせながら。
俺は魔獣にすら聞こえないような声でつぶやいた。
俺も寝てしまったら、魔獣が来た時にみんな食べられてしまうかもしれない。
空はいつか、暗黒色になっていて、その上を砂をちりばめたように星々が輝いていた。
それから、一時間ほどがした時だった。
「おーい!おーい!」
と、崖の上の方から誰かの声が聞こえてきたのは。
「っ……。この声は……。」
大人の、男性の声。
こんな時間に、裏山に来る人なんて珍しいが、構っている場合じゃない。
俺は口元に手を当て、声を上げる。
「すみませーん!助けてくださーい!」
その言葉が終わるとともに、がさがさ、と崖の上にある茂みから音がして、二十代と思われる男性が顔を出した。
「あ……君かね、三人の、行方不明の少年の内の一人というのは。」
と。
男性は崖の下を見下げながら、尋ねて。
「?」
「ああ、村で色々話題になっていたよ。真面目なはずのフェイジョア家の長男と三男が、帰ってこないってね。――村から捜索依頼が出されたんだ、」
「――っ。ということは、貴方は?」
男性は俺の問いかけに、にひり、と笑い、立ち上がる。
真っ白い月からもれる月光を背景に、その凛々しい制服は。
真っ白な月あかりに照らされた、少し、誇らしげな表情は。
「ああ。魔法警察さ。少年、君たちを助けに来たよ。」
「――!」
男性の声に、俺は視界が開けたような感覚がして。
もしかして、この状況を打破してくれる人があらわれたかもしれない、と。
「あ、あの……!俺、この二人を助けに入って……!でも、抱えきれなくて!今、二人、寝ちゃっているんですけれど!」
実際、町中で見かけたことはあるけれど、ちゃんと話したのも、ものを頼んだのも初めてかもしれない。
この状況を何とかしよう、という焦りと、失敗してはいけない、という緊張で、俺は口をもごもごとさせて。
「慌てなくていいよ。大丈夫、魔法警察は君が思っているよりすごいのだから。」
ぱちり、と目を閉じる魔法警察の男性。
俺は意味が分からず、思わず首をかしげて。
魔法警察の男性は、にっこりとほほ笑む。
それから先は、語るまでもなかった。
魔法警察の男性は魔方陣を取り出して、魔方陣の上にライアンたちを載せて、風魔法を使って、安全に崖の上まで二人を届けた。
数えれば、たった数秒。
息をする間の出来事。
俺が数時間かけても解決できなかった問題を、この魔法警察の男性は一気に解決して。
「すげえ……。」
息をのんでいる俺に、魔法警察の男性は、言っただろ、と。
「魔法警察は、君が思っているより凄いんだって。」
今までの俺の考えていた次元を、はるかに超えた存在に、初めて逢って。
俺の胸はかすかに高鳴っていた。
数時間後、ライアンたちは無事、探し出した村の大人たちに無事、保護され、家に戻された。
俺はというと、ライアンたちを助けた魔法警察の男性の同僚達に、事情聴取をされていた。
森に現れたという、魔獣について。
おそらく、この後討伐する予定なのだろう。
とはいえ、俺は実物を見たわけじゃないし、実物を見て、逃げてしまったライアン達を助け出そうとした、と答えると、大人たちはあっさり事情聴取を終えて。
俺は魔法警察の手によって、両親に引き渡された。
両親が戻ってきた俺を見るなり、したことは𠮟責__ではなく、心配だった。今まで門限を破ったこともなければ、家でもしたことない俺が夜をライアンもいるとはいえ、子供だけで明かした事に驚いたようで、何か嫌なことはあったか、などと聞いてきた。
俺はその質問に首を振って、両親は今度から何かあったら、まずは親に報告しなさい、という言葉を添えて、俺を解放した。
もう、時間は朝といったほうが正しく、空もだいぶ明るくなっていて。
寝るのもばかばかしくなってきた俺は外に出て、近所を散歩し始めた。
なんとなく、むしゃくしゃしない気持ちだった。
__俺がちゃんと、ライアンたちを守れなかったこと。
極限下で、泣いているライアン達を、どうもできなかったこと。
魔獣がいつ襲ってくるかもわからない中、ろくな対策もできなかったこと。
ライアンたちがいなくなったときに、杖も持たずに出てしまったこと。
様々な後悔が。
俺の弱さが。
脳をよぎっていて。
いつも俺は落ち込んでいるときはダンスをして嫌だったことを忘れるが、今はそんな気分でもない。
それほどまでに先ほどに起きたことは衝撃的で、それは、ふだん体力の塊と言われている俺ですら、何も手につかなくなるほどで。
ちょうど、いつも早朝、踊りをしている空地に来た時だと思う。
先ほど俺を助けた、風魔法使いの魔法警察官が見えたのは。
その奇麗な白髪が、みずみずしい朝日に映えるようで。
俺がその様をまじまじと見ていると、魔法警察官がこちらを振り返り、微笑んだ。
「少年。いい所にいたよ。」
と。
魔法警察官の男性はこちらに手招きをして。
俺はそちらに駆け寄って。
「さっきは助けていただき、ありがとうございました。」
「気にするなって。魔法警察のすべき事をしたまでだ。」
とん、と拳で自身の胸をたたく魔法警察官。
「……?」
その割には誇らしそうなのは、多分俺の気のせいだろう。
「取り調べを受けていたのかい?」
「…はい…。」
取り調べ、という言葉を聞き、俺は思わず頬をひきつらせた。
結局、あの時、俺は何もできなくて。
誰も守れず、結局魔法警察の助けにすがって。
それがどうしようもなく、嫌だった。
俺も俺一人の力で、誰かを守れるようになりたい。
__だが、それすら俺の力ではできない。
その事実が、ただ、悔しく。
俺は地面をじっと睨んで。
「そんな顔を暗くしなくても。――大丈夫だよ。小さい少年達はふたりとも、かすり傷のみ。夜の森では、幸いな方だ。話を聞いたら、少年、君がそこにとどまるよう判断したのかい?」
「はい。」
「大したものだよ。おかげで捜索が随分楽になったものだ。」
俺は魔法警察官の言葉で、顔を上げ、魔法警察官のほうを見て。
__まるで、俺の悩みを見透かしたように。
否、それは違うのかもしれない。
もしかしたら魔法警察官は俺の悩みなど関係なく、ただ、思ったことを伝えただけか。
それでも、魔法警察官は、確かにあの土壇場の状況で、俺が精一杯、守れたものを伝えてくれて。
少し、視界が晴れた気がした。
俺の、あの状況での判断が、誰かの役に立ったのだ、と。
これからも……。
__もっともっと、誰かの力になりたい。
今度は、村の大人たちが魔法警察を呼ぶまでもないような。
「じゃあ、僕はこれで。」
魔法警察官は晴れやかな笑みで、俺のほうに手を振って、体の向きを変えて。
彼が一歩、歩き出そうとした時だった。
「……あのっ!」
「うん?」
魔法警察官が、立ち止まり、こちらを振り返る。
「俺も……俺も、いつか、貴方みたいに強くなって、みんなを助けられるようになりたい!」
「……。」
いつか、目の前の魔法警察官みたいに強くなって、一人でもどんな問題もあっさり解決できるようになって。
それで、周りの誰かの、役に立ちたい。
それが今の俺の願い事だった。
魔法警察官は、俺の表情を見て、困ったように肩をすくめ、苦笑した。
「これはこれは。驚くばかりだよ。魔法警察を、目指すということかい?」
「はい!大切な人達を……弟たちを、守れる俺でいたいです!」
「……楽な道じゃあないよ。」
魔法警察官の声は今までにないほど厳しく、冷たく。
しかし、俺はそれに怖気づかなかった。
「構いません!大切な人達を守れるなら!」
どんな苦労だってかまわない。
大切な人たちを守るためなら、そんなもの、些細なものだ、と。
「……そうかい。」
魔法警察官は、先ほどよりやや、ぬめった声で答えて。
そして、まっすぐと俺を見つめ返した。
「もし君が、もう少し大きくなって、其れでも魔法警察に憧れると言うなら……僕のところにおいで。共に戦おう。――悪を滅ぼすために。弱きを救うために。」
差し出された手は、朝日に輝いて、真っ白に光っていた。
「はい!」
俺は力強くうなずいて。
はっとしたように、魔法警察官が懐の中の懐中時計を取り出す。
「おっと、そろそろ時間だね。じゃあ、僕はこれで。」
魔法警察官はあわてて彼方へと走り去ってしまって。
その後ろ姿を見ながら、俺はつぶやいた。
「俺も、強くならねーと。」
この人みたいに。
周囲の人がピンチに陥っても、それを救える人間に。
確か、この時だったと思う。
俺の中で、魔法警察になりたい、という確固たる思いが芽生えたのは。
◇◆◇
確か、三年前の事。
俺はそれから、誰かを助けられるように、特訓もたくさんして、体だって鍛えた。
ミュトリス学園一の体力を誇れるぐらいには、俺は強くなったのだろう。
だから、俺は準備万端でいたつもりだ。
いつかのように、目の前で誰かが困っても。
いつかとは違い、ちゃんと助けてあげられるように。
そして、その機会はやってきた。
___それも、俺の思わぬ形で。
「レオ先輩は……私を見捨てませんよね?」
「?」
ことり、と首を傾げた目の前の少女は、ハスミ・セイレーヌ。
俺の通っているミュトリス学園の下級生で、今回一緒に旅をしてきた仲間。
仲間の中でも頭脳とも言っていいくらい、賢くて。
だから、見間違いか、夢かと思ってしまった。
その少女が、問いかけをしてきたのは。
なにを、わざわざ問うているんだろう、と。
ハスミのことだから、とっくに理解できたと思っていたが__否、ハスミじゃなくても、これほどの時を一緒に過ごせば、誰だって理解できそうなものなのだが。
「私、何でもします。」
震える声で、ハスミ・セイレーヌはそういって。
俺はその言葉で、それがハスミの本心で、本当に問いたいことなのだと、現実を認識する。
ゆえに、わからなかった。
ハスミがなぜ、こんな問いかけをするのかも。
そもそも、こんな問いかけをする意味も。
「先輩が、言ってくれたら、どんなことでも引き受けます。嫌ってくれてもいいです。だから、私を見捨てないでください。」
俺は分からないが__それでも、目の前のハスミが、極限状態にあって、助けないといけないのは理解できた。
手の震えからも、今にも泣き出しそうな表情からも。
今まで、ハスミはこんな表情を一度だってしていないのだから。
「……一人ぼっちに、しないでください。」
「___、___。」
少女の瞳の奥を見て、俺はようやく理解した。
少女は何かにおびえている。
それが故の表情で、それが故の、発言なのだ、と。
「私を見捨てないで。」
その声は震えていて。
雨の中、一人たたずんでいる様子を思わせる。
今は雨など、降っていないはずなのに。
「存在すら認識されないのは、嫌なんです。」
思えばずっと、彼女のことなどあまりわからなかったのかもしれない。
俺は彼女の出自がスラム、ということぐらいしかしらず。
彼女がその表情をしている理由も、経緯も、何も知らない。
それなのに、俺は彼女に対して先輩面をしていたのだ。
世話をするふりをして、彼女のことを、何一つ知らなかった。見ていなかった。聞いていなかった。
だからハスミがこうなるまで、俺は何も気が付いてやれなかった。
…本当に、無力なんだな、俺は。
十二歳のあの夜から、何も変わっていない。
しかし、それでも俺が諦める理由にはならない。
目の前に、助けられそうな人がいたら、何としてでも助けたい。
それがしたくて、魔法警察になることを望んだのだから。
「……ハスミ。」
数秒、迷った末、俺はハスミに声をかけて。
ハスミは、こちらを少し、驚いたように見て。
そして、俺が次の言葉を発するより早く何かを諦めたようにふっ、と笑った。
「母親も、父親も、友達だと思っていた人達だって、サソリさんだって……みんな、私を捨てたんだ。レオ先輩は捨てないでくれますよね?」
「……え?」
一瞬、息が止まる。
ハスミ・セイレーヌの、俺が知らない過去。
今まで旅をし続けながら、彼女の家族構成にはほとんど触れなかった。
それは、俺や俺の周りほとんどがごく普通の家族を持っていたから。
ハスミが、家族に対して、ネガティブな意見を言ったことを聞いたことがないから。
俺は無意識に、彼女もスラム出身ながら、家族には困っていないのだろう、と思っていた。
それに、サソリの名前。
昨日、サソリが逃げた、とハスミがいったことと関係があるのだろうか。
いや、それは今は関係ない。
今、集中すべきは__。
「私、孤児でずっと誰からも価値をもらえなくて、見捨てられていて。所属していた集団にだって、役立たずって追い出されて。でも、先輩達が初めてなんです。ミスをしても、追いかけてくれて、心配してくれて。――一人の、人として扱ってくれて。」
あはは、と苦笑いするハスミ。
孤児だった、という事情すら初耳だった気がする。
その瞳には、大粒の涙が光っていた。
「なんで、泣いているんだ、ハスミ……?」
何を言ったらいいか分からなくて、俺が言えたのは、その一言で。
本当にかける言葉はもっとほかにあるはずなのに、それでもどこかにビビっている俺がいた。
たった今聞いたばかりの、聞きかじっただけで凄惨とわかる、ハスミの過去に。
「さぁ。わかりません。……でも、どうだっていいじゃないですか。――先輩、私をちゃんと見続けてくれたら、あとは全部、どうだっていいんです。」
その、何もかもを諦めるような態度に。
発言に。
「――な、――はっ?」
俺はただ、驚愕した。
「お願いしますっ!私を見捨てないでっ!勝手に置いてかないでっ!」
ハスミは、必死の形相で、涙を散らしながら、俺にお願いしてきて。
否、お願いなどのかわいらしいものではない。
これはただの、縋り。
それほど、ハスミ・セイレーヌは真剣で。
そこに、少し、彼女の置かれた環境の影を見た気がした。
俺は彼女が孤児だから、どういう扱いを受けたかとか、彼女がどうして俺にすがっているかすら完璧に知ることはできないけれど。
それでも、涙を散らす彼女の様子は、ただ、喧嘩やお菓子を取られたぐらいで泣き叫ぶ子供のそれとは違って。
俺は、ハスミの目を見て。
「書き置きも残さず、勝手に寝袋を出たのは、悪かったと思っているよ。……ごめん。俺の行動のせいで、」
と。
多分、ここまで彼女が追い詰められたのは、俺の行動もあるのだろう。
両親がどうとか、所属していた集団がどうとか、サソリがどうとかはわからないが、俺が考えたままに木の実を取りに行ったせいで、ハスミ・セイレーヌは俺に捨てられたのだ、と勘違いして。
そして多分__嫌な記憶がよみがえってきた。
ハスミは一瞬目を見開いた後、
「違いますっ!」
と。
その声は辺りに振動が伝わる程には大きくて、普段の彼女とは到底考えられなくて。
「!」
ハスミ・セイレーヌは、これでもか、と小刻みに首を振る。
「違いますっ!レオ先輩は、悪くないんです!嫌いにならないで下さいっ!木ノ実採集だって、言ってくれればやりますし、魔獣除けのお香の番だって、今度はちゃんとやります!何でもするからっ!嫌な仕事だって、全部引き受けます!。だから、」
全てすべて、彼女が放っている言葉。
彼女が出来なかったこと、旅の中、誰かがやらなければ、旅が回らない雑用。
それらすべてを、彼女はやる、と。
彼女は早口でまくし立てあげて。
「――だから、ちゃんと、私のことを【見て】。お願い、します……。」
はぁ、はぁ、と息を整えながら、ハスミは俺のほうを見る。
ハスミの目には、困惑した表情の俺が映っていて。
「……ハスミ。」
俺は後輩の心の安穏を祈りながら、後輩の名前を呼ぶ。
「ハスミ、善行は、誰かに見てもらうために行うものなのか?」
ハスミは目を白黒させて、こちらを見て。
「――………。」
その口がパクパクと開き、しかし、言葉を発することはなく。
俺の突然の言葉に驚いているのだろう。
「何か、見返りを求めて、そのために【善行】をするのか?」
ハスミはその言葉にはっとして。
そして、大きくうなずいて。
「分かっています。……私が間違っているのは……!直す、直しますから……!見捨てないで下さいっ!」
__その様子に、俺は改めて彼女のトラウマの深さを知った。
てっきり、孤児として、捨てられたトラウマがよみがえって、彼女の倫理観道徳観その他価値観に一時的に影響をきたしているのかと、俺は予想していたが、そうではなかった。
彼女のトラウマは、そんな浅はかなものではなかった。
度重なる裏切りの記憶のせいで、彼女は【捨てられる】事を怖がっている。
だから、【捨てられない】ためには、たとえどんな価値観を曲げてでも、どんなことでもする。
それが彼女で。
ハスミ・セイレーヌの置かれた不幸であり。
それでこそ、並大抵の言葉では抜け出せない。
だからこそ。
「違うぜ。」
俺は、彼女の言葉を否定する。
彼女はきっと、このままでは一生、誰かに【反応】を求め続けて。
満足することも、幸せになることもない。
それを見逃すというのは、先輩としてどうも頂けなかった。
「誰かに見てもらうために、善行を行うのも、そのために、自分を押し殺すその姿勢も何一つ、間違っている。」
ハスミだって、
「それでもっ!!そうでもしないと、不安なんですっ!!いつの日かまた、一人になるんじゃないかって……っ。尽くしていると安心するからっ!私が尽くしたことで笑顔になった人達を見ていると――私はまだ、見捨てられていない。まだ、一人になることはない。まだ、この人達と一緒にいていいんだってっ……!!」
ハスミ・セイレーヌはそう、叫んだ。
「善行って、誰かのためを思って、見返りを求めないで行うから、【善行】なんじゃねーのか。」
その言葉に、ハスミは、一瞬動きを止めた。
「………。」
そして、涙にぬれた瞳で俺のことをまじまじと見つめ。
「ハスミの今行っているそれは、善行でもなんでもない。」
ただの、恩の前貸しだ。
そしてそれは、ハスミ・セイレーヌという人物の生き方に反している。
「ハスミだって、気がついているはずだぜ。報酬が確約されなかった頃から、ミュトリス学園のボランティアに勤しんでいたのは、本当に、誰かに見ていてもらいたかっただけか?」
「――そ、それは……。」
誰かの価値観に合わせようとするのなら、ハスミが、こうなる前の価値観に合わせればいい。
俺は、こんな中必死で考えたつたない策を実行しようと。
「違うはずだぜ。利益を求めていたら、きっとボランティアだって、すぐ飽きているだろ。にも関わらず、ハスミは朝から晩まで瓦礫撤去に勤しんでいた。――あのときはただ、誰かの喜ぶ顔が見たかったんだろ。」
ハスミ・セイレーヌは俺たちに瓦礫撤去を呼びかけた張本人だ。
話によると、ボランティア代が確約される以前から、瓦礫撤去にいそしんでいたと。
あの爆発があってから一か月以内にそれなりの建物が建っていたにもかかわらず、ミュトリス学園の瓦礫はほとんど片付け終わっていた。
そこには、ハスミ・セイレーヌの尽力が確かにあった。
「でも、でも……私はあの頃に戻れない……―いいえ、戻ります!不愉快なら、戻りますからっ!お願いだから、見捨てないでっ!!」
ハスミは、首を振って、俺に懇願して。
「――っ。」
俺はただ、その光景が悔しかった。
簡単に手を差し伸べても、届く距離にはいない。
それに、俺は説得の方法を、間違えていた。
ハスミはただ、【見捨てられる】事を怖がっていたのだ。
善悪以前の問題で。
それなら、彼女の気持ちに寄り添って。
「……ハスミ、見捨てられるのが、そんなに怖いのか?」
ハスミは俺の問いかけに、ほぼ間髪入れずにうなずいた。
「そうに決まっていますっ!……私は、ちゃんと【仲間】になれたのは、先輩達が初めてだからっ!捨てられたくないっ!また、【一人】に戻りたくないっ!」
それは、ハスミ・セイレーヌの本心だったと思う。
__その言葉を聞いた瞬間、全てがつながった。
ハスミは、確かに俺たちを仲間として認めていた。
ただ、捨てられる経験が、彼女はあまりにも多すぎたのだ。
だから、傷つきたくなかった。
それゆえ、一番初めに見つけた俺にすがったのだろう。
何でもするから、見捨てないでほしい、と。
……そんなこと、する必要もない。
「――ハスミ・セイレーヌは、見捨てられない。」
しっかりと、穏やかに、しかし、したたかに。
俺はハスミに向かって言い切って。
「――ッ!!」
ハスミは訳が分からない、という風に目を見開いて。
「俺は、俺たちは、あんたの事、【仲間】だって、思っているんだ。仲間のことを見捨てないのは当然だろ。」
見捨てるわけなんかない。
ハスミは俺たちの大切な仲間で、後輩だ。
見捨てない理由が二つもあるのだ。
「俺たちは、ハスミが頭がいいのも、優しいのも知っているんだ。俺たちに会わなくて、俺たちの【仲間】にならなかったところで――きっと、どこかで居場所を見つけて、【仲間】も見つけている。」
ここまでこれたのも、頭脳役のハスミのおかげで、一番ミュトリス学園の復興を手伝ってくれたハスミのおかげだから。
「――っ。」
ぽた、ぽた、とハスミの青と紫のオッドアイから涙が零れ落ちる。
「本当、ですか?」
と。
その声はまだ震えていたが、その表情は先ほどまでの孤独に対する、怯えはなく。
「ああ、本当だ。ハスミより長い時間を生きている、俺が、保証する!」
「だからさ、ハスミ。誰かのために、自分を殺す必要も、無理やり尽くす必要もない。そんな事しなくても、俺たちはハスミのことをちゃんと、見ているからさ。」
ハスミの涙にぬれたまつげが、上を向く。
「……なんで、ですか?」
それは、本気で信じられない、という表情で。
__それは、そうかもしれない。
親の庇護がない中、子供が生きていくとしたら、やはり、どんな感情も対価が絡んでしまう、と。
これは俺が最近得た教訓だが。
「今まで私は、対価を求められて生きてきた。対価がないと、見てもらえなかった。」
ハスミ・セイレーヌが、俯いて。
「【仲間】だからだっ!」
俺は大きな声で言い切った。
「____。」
ハスミは息を止めて。
「仲間っていうのは支えて、支えられて、支えあう奴らのことをいうんだろ?そこに金銭なんかいらない。」
対価なんかいらない。
四人であの困難を乗り越えたから、俺たちはすでに仲間で、協力し合う仲だ。
「……はい。」
ハスミはどこか、悟ったようにうなずいて。
その目には、いつものように知的な光が二つあって。
「私、全部、思い出せました。最初にお手伝いやを始めたのも、アメリア先生に進んでがれき撤去を申し出たのも、こどもを助けたのも……全部、誰かの笑顔が見たかったからで。確かに、本当の【善行】には、みんな笑顔になっていたし、私自身も晴れやかな気持ちでした。」
そういうハスミの顔は、どこか、晴れやかで。
「あ、ああ。」
やはり、ハスミ・セイレーヌはそういう人間だ。
「全部、先輩のおかげです。__本当に、ありがとうございます。」
ハスミが頭を下げたところを、俺は右手で制した。
「いや、ちげーな。」
「え?」
ハスミは、きょとんと首をかしげて。
「俺はちょっと言葉をかけただけだ。それに気が付いたのも、ハスミ自身の努力だぜ。」
「……はい。ありがとうございます。」
ハスミは、嬉しそうに微笑むと、頬を赤く染め、やがて俺から顔を背けて。
「……?」
その反応に、釈然としない部分もあったが、とりあえずハスミが一番大事なものを見つけてくれて、良かった。
俺は心から、そう思って息を吐いた。
それからしばらく、二人で非常食兼朝食の木のみを集めて、それを食べて。
キャンプ地にあった荷物を片付けて、キャンプ地をたってからしばらくした時だったと思う。
俺たちが箒を飛ばす方向の反対側から、その人物が来たのは。
ここら辺では見ないようなターコイズ色を中心にまとめた服装に、重そうなボストンバッグ。ここ最近、晴れ続きなのにもかかわらず、持っていた傘はその人物の異様さを一層あらわしていて。
その人物が、重い荷物を持っているのにもかかわらず、箒を使わず、徒歩で歩いているのもまた、不思議で。
俺たちの存在に気が付くと、その人物は、黄色い瞳を大きく開き、こちらに手を振って。
「__すみません、ここら辺にお墓ってありませんでしたっけ?」
__と。
突然、それまた奇妙なことを言い出した。
「えっと?」
箒を飛び降りつつも、きょとんと、首をかしげるハスミ。
それもそのはずだ。墓参りのシーズンは過ぎたはずだし、ここは森の近くで。
墓なんて、そうそうあるはずがない。
「墓はなかったと思うが、あんたは__。」
俺も箒から飛び降りながら、疑問に思った。
この人物は、一体だれなのか、と。
「ああ、名乗っていなかったね。」
背格好や顔つきからして、年はおれたちと同じぐらいで、男子なはずなのに。
その声は、成長期を向かえていないのではないか、と疑うほどには高く。
「僕はポンド。どこにでもいる、しがない旅人さ。」
ここら辺では見ないような、奇妙なデザインの帽子に手をかけて、その少年はつぶやいて。
それが、新たなる旅の仲間、ポンド・クロネージュとの出会いだった、というのはまた、別な話だ。
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