巡り蘇るその先は〜ルーイン・リヴネスの反芻〜

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巡り蘇るその先は〜ルーイン・リヴネスの反芻〜

 アビス・グーラ。  深淵の暴食者。目の前の少年少女に鎮座している魔獣の名前で、大陸の言葉ではたしかそういうはずだった。  __そんなもの、どうでもいい。  魔獣は、魔獣だ。  人の住処を荒らし、あげく命すら奪う害獣。  一々付けられた名前で呼んでやる必要もない。  否、それよりも今気にするべきなのは。  自分__ルーイン・リヴネスは、魔獣のほうにもう一度目を向けた。  魔獣は口から暗黒色の光を放っていて、その向きは、目の前に突っ立っている、三人の少年少女に向けられている。  __もうすぐ、魔獣渾身の一撃が、来る。  その前に、ぬかるみに足を取られて動けないでいる少年少女たちをかばわなければいけない。  「己と争え。そして、消滅せよ。――シャドウストーカー。」  呪文を唱えると、真っ白な月あかりに照らされて出来ていた魔獣の影が立ち上がり、魔獣の出した暗黒色の光に立ち向かう。  シャドウストーカー。  相手の足から出た影を自在に操り、相手を攻撃する呪文。  影の濃さによって、コピーした影の防御力も変わってくるが、その影は相手の能力をコピーすることができるので、戦闘では心強い。  今は満月だとは言え、昼間ほどの光はないため、影の防御力だって貧弱なはずだ。  だが、それでいい。  今、第一目標は相手を倒すことではない。  __この三人を、守ること。  魔獣の暗黒色の光が当たると、魔獣をコピーした影はさああ、と消えてしまい。同時に、魔獣が出した暗黒色の光も、宙に消える。  __魔法の相殺だ。  それを確認してから、魔獣に杖を向けた瞬間だった。  「――え?」  と、後ろから声がして自分は振り返った。  みると、灰色の髪にターコイズ色の帽子をかぶった少年が、こちらをみながらあんぐりと口を開けていた。  それも当然かもしれない。  自分の使う魔法は、かなり特殊な系統にあるから、たぶん、それだろう。  それにしても、見たことのない顔だ。  ここ三週間ほど、自分が見回りを強化している間に入った新人か。(といっても、魔獣討伐ギルドに入って半年も立っていない自分も新人といえば新人だが。)  もしくは、自分の所属しているギルド__魔獣討伐ギルドに無関係な人間か。  A級魔獣を見てもあの反応、ということは後者の方が可能性としては高いだろう。  「ということは、あなた達は非ギルドメンバーですか?」  「あ、あの、ここ危ないので下がったほうが……!」  灰色の髪の少年が、自分のほうに手を伸ばす。  「いえ、ポンドさん、もしかして、この人――。」  隣にいた、青と紫のオッドアイの少女が、そう言って。  自分はその言葉に、大きくうなずいた。  「ええ、そうです。自分は魔獣討伐師です。今からこの魔獣を討伐します。」  「えぇっ?!でも、あんた何言っているか、わかんないんですか?A級魔獣一匹、倒すのには魔獣討伐師が数人必要だって……!」  意味が分からない、という風に告げたのは水柿色の髪の少年だった。  確かに、少年の言っていることは、一理ある。  A級魔獣が、魔獣討伐師複数人が束になっても、時には全員を殺してしまうような残虐さと力を持っていることも。  しかし、それには例外もある。  例えば__ミュトリス学園に所属していたころからA級魔獣を刈っていた自分の存在、とか。  「ええ。ですけれど、心配は、無用です。自分一人で、この魔獣は倒せます。――倒さないと。」  倒さないと。  憎々しい魔獣は、殺さないと。  「あっ!ちょっと!」  誰かの叫びを無視して、自分は駆け出した。  魔獣はこちらを認識したとたん、その巨躯で、長い脚で、自分を踏みつけにかかってくる。  それは、閃光を思わせる速度。  一つ、相手の手を読み間違えたら、明らかにこちらは踏みつぶされていると思うほどの。  しかも、地面は地質のせいか、ぬめっており、こちらだって無造作に、無意識的によけれているわけではない。  「随分と小癪な手段を用いるんですね。それでは、こちらもそれに応じましょう。」  魔獣の四肢による斬撃が一瞬止んだ隙に、自分はそこから転がりだし、杖を持ち直した。  「この棘で、痛みと共に後悔を。――リグレット・ソォーン。」  魔獣の巨躯を棘が持ち上げ、絡み上げ、魔獣を痛めつける。  リグレット・ソォーン。  自分の半径十メートルいないにある地面から自由自在に棘を出すことのできる呪文。  地面から出た棘は、魔法の発動後も残るし、回避方法は空中に逃げるしかない。  ぼたぼたと、魔獣の巨躯から真っ黒の液体が大量に垂れてくる。  血液、ということか。  自分の魔法は、確かにA級魔獣に大ダメージを与えたようで。  杖を魔獣のほうに向けて、必殺技を打とうとした時だった。  「っ!」  自分のたっていた地面が、半径一メートルほどくりぬかれて持ち上がり、地面ごと吹き飛ばされる。  ドン、という世界が震えていたのではないかと錯覚させるような衝撃音に、ぱらぱらと散る砂埃。  自分は先ほど立っていた所から、十数メートルほど飛ばされて、落下したみたいで。  とっさに受け身をとることができたのと、落ちた場所が、比較的土が柔らかかったのもあって、ケガだけは何とかしていないようで。  立ち上がり、手元を離れた杖をつかみながら魔獣を見た。  そのショッキングピンクの瞳が怪しげに光っているのを確認しながら、自分は、怒らせてしまったな、と。  魔獣__特に、A級を始めとしたハイランクの魔獣は、一度死に際に追いやられないとその本気を出さないという。  普段は防衛本能により、その力を隠してあたりの魔力を食らっているのだという。  そのこと自体は数えきれないほど魔獣を討伐して、理解しているつもりだった。  __ただ、地面を動かす魔法を使ったのが予想外だった。  見たところ、この魔獣は人で言う光属性の系統の魔法を使うと思っていたから、そちら方面の警戒は、かなり目にしていたが。  否、今考えるのはそれではない。  自分は、自分よりずっと近くにいる少年少女三人に声をかけた。  「貴方達は下がっていてください!気が立った魔獣がいつそちらに襲ってくるか分からないので!」  魔獣の怒りの先には、自分がいるのであろう。  A級魔獣は知能を持っていて__ていうか、そもそも魔獣は知能を持っていて、それがハイクラスになるごとに凄くなるのだが__自分のされた理不尽の原因が、ルーイン・リヴネスにあると分かっている。  だから、魔獣はおそらくこちらにかかってくるのだろう。  __だが、その攻撃に三人が巻き込まれないとは限らない。  魔獣は良心など持っていないような生き物だ。  それは、魔獣を討伐していく中で目にした沢山の被害からしても言えることだった。  魔獣はこちらが倒れていないことに気が付くと、そのショッキングピンクの瞳を見開き、きえええ、と金切り声を上げる。  __刹那、自分のほうに向かって暗黒色の閃光が向かってきて。  「っ!」  「「「魔獣討伐師さんっ!」」」  三人の呼ぶ声。  先ほどまで、その片鱗すら見せないのだから。  自分は、その閃光が自分にあたるその直前のところで、体を伏せ、閃光をよけきって。  __時間にすれば、五秒にも満たない。  一瞬の油断が、命を落とすのにつながる。  A級魔獣と対峙していると、つくづくその技には驚かされる。  「間一髪、というところでしたね。相手がA級魔獣だからこそ、できた芸当でしょうけれど。」  魔法を発動ギリギリまで隠し持っていたのも、その異様な発射速度も。  目の前に対峙している化け物は、暴力の使い方を知っていた。  「次で本当の本当に終わりにします。」  杖を一振りすると、その杖の先に、幾本の黒い矢が現れた。  全長二メートルほどの、刃先が鋭いそれは、全て禍々しい魔獣のほうを向いていた。  例え、数本避けきれたにしても、すぐに魔獣はやられるだろう。  この無数の矢を受けながら、受けるダメージを少なくするなんて――笑い話もいいところだ。  「黒きこの矢、今、お前を貫く。――レイブンアロー。」  呪文を唱えると、びゅんという風切り音と共に、魔獣に次々と矢が放たれた。  周囲に舞い散る砂埃。  ぐあああ、と悲鳴のような奇声をあげ、魔獣は倒れる。  ずしん、と地面が振動する音で、それが確かになる。  「……と、完了、と。」  魔獣というのは、常識が通じない希有な生き物だ。  時間がかかればその分抵抗するし、こちらを唸らせるような手の内も見せてくる。  ましてや、相手は、A級魔獣。魔獣討伐師とはいえ、命がかかっているのだ。  早いうちに力押しで方をつけてしまったほうが早い。  幸い、自分の魔力は一般人の五倍ほどある。こうした力押しの戦法も効くというわけだ。  パンパン、と汚れた手を払いながら、自分は、三人の方に呼びかける。  「もう出てきていいでしょう。近くに魔獣の気配もありません。」  自分の特技の内の一つが魔獣の気配を感知すること。魔獣が近くにいると、何となくそれがわかってしまう。  周囲に気を配ってみても、魔獣がいるような雰囲気は見つからず、安全、といってもいい状態だろう。  「終わった……のか?」  ひょっこりと水柿色の髪の少年が岩の奥から顔を出した。  いつの間に、そんなところに隠れていたのだろう。  「あのA級魔獣を三発の魔法で仕留め終わるなんて……。」  続けて顔を出した、青と紫の瞳のオッドアイの少女が、口に手を当てて、驚いた表情をして。  「――ていうか、それより。」  最後に岩から顔を出したのはターコイズ色の帽子を被った灰色の髪の少年だった。  「「「ありがとうございました!」」」  三人に一斉に頭を下げられ、自分は首を傾げた。  いつ、どうやって、お礼を言う展開になったのだろうか。  「?」  首をかしげている自分に気が付いているのか、いないのか。  三人は自分のほうに駆け寄って手をつかみ、目を輝かせ、お礼を言う。  「あの、本当に助かりました!」  と、水柿色のの髪をハーフアップにした少年が。  「荷物を失わずにいたの、君のおかげだよ!」  と、ターコイズ色の帽子をつけた少年が。  「あなたのおかげで誰一人ケガを負わずにすみました!」  と、青色の髪をハーフツインにした少女が。  ここはお礼を言う流れなのだろうか。  魔獣討伐師になって、あまり時間がたっていない自分としてもわからない。  というか、魔獣討伐師になる前までは、人がいるところで魔獣討伐をしたことすらなかっただろう。  「……あの、なんでみんなこの人に敬語使っているの?」  帽子をかぶった灰色の髪と黄色の瞳の少年が首をかしげる。  「えっと、魔獣討伐師って、十六歳からなんですよ。なれるのが。ですので、自然と敬語を使うように…って。」  正式には、十六歳じゃなくてもなれるけれど。  それでも、正式に魔獣討伐ギルドに入れるのは十六歳からだ。  十六歳未満の人物は魔獣討伐をすることができるけれど、正式なギルドメンバーでない分、魔獣の死体の取引も不利になるし、魔獣討伐の際の保険も下りない。  非正式の魔獣討伐師の扱いなんて、そういったものだ。  皆、正式な試験を受けた魔獣討伐師は崇拝するものの、その資格がない魔獣討伐師は魔獣の血に穢れていると非難する。  自分は魔獣討伐を始めてから魔獣討伐師になるまで、全ての魔獣を全滅させることを念頭に置いてきたため、あまりコミュニティらしきものに入っていなかったが、もしそんなものに入ってでもいたら非正規魔獣討伐師時代は大変だったのだろうな、とは思う。  「しかも、難しい試験を突破しないと、なれねーんだよ。敬意を払うのは、当たり前だぜ。」  と、水柿色の髪の少年。  魔獣討伐師になるためには、A級魔獣をまだ魔獣討伐師になっていない人達が三人一組で制限時間以内に倒さなければいけない。  もちろん、討伐中に死亡することもあるし、ケガをする場合もある。  A級魔獣が討伐された際生き残った者が全員魔獣討伐氏になれるとはいえ、そこを考えると応募者自体が少ない狭いもんなのだろう。  「魔獣討伐師がいないと、この国は数百回滅んでいた……って言いますし。この国の人達は魔獣の怖さも、魔獣討伐師のすごさも知っていますので!」  と、青色の髪をハーフツインにした少女が言葉を次いで。  __魔獣討伐師がすごい、か。  本心を言えば、自分が尊敬されているかどうかはどうでもいい。  ただ、人と接するときにその人に対していい人、と思われていたらいいなくらいの感覚だ。  魔獣は恐ろしい存在だから。  自分は、魔獣に対して復讐をしなければいけないのだ。  そのことと比べれば、周囲の自分に対する印象など、些細なことだ。  「う……そ。レオ君が十五歳でぼくと同い年なのに、こんなに身長高いから、てっきり魔獣討伐師さんもぼくと同い年なのかと思った……。」  灰色の髪の少年が、引いたようにつぶやく。  「レオ先輩は、三年生の中でも、高身長ですから。」  青色の髪をハーフツインにした少女が苦笑した。  「いや、ラマージーランド独特のなんかそういうのじゃないの?」  素っ頓狂な声を上げる灰色の髪の少年。  「普通に平均身長はもっと低いですね……。」  「敬語、ですか。自分はどちらでもいいんですが……。」  「じゃあ、本当にタメですよ?」  何度もこちらを振り返り、確認する灰色の髪の少年。  「……えっと、そこは確認するところなのでしょうか……?」  はっきり言って、そこまで確認する理由が分からない。  なにかあったのだろうか。  「がくっ…。」  少年は、自分の言葉にがくりと肩を落とした。  __意味が分からない。  「じゃなくて!」  と、勢いよく姿勢を戻して。  「あの、本当の本当にありがとうございました!」  と、再び青色の髪をハーフツインにした少女がお礼を言った。  「えっと……?」  「?どうかしました?」  文脈が読めない。彼女はいったい、何を伝えようとしたのだろう。  自分はこくり、と首を傾げた。  「そうですか……?」  と、青色の髪をハーフツインにした少女も首をかしげる。  「「「……?」」」  双方、無言で、首をかしげて。  特に何の意味もなさそうな沈黙が、十数秒続いた。  __ていうか、今はそんなことをしている場合じゃない。  自分は魔獣の見回りに来ていたのだ。  自分は体の向きを変えると、三人に向かって、一礼した。  「あの、じゃあ自分はこれで。」  と。  数歩、歩き始めて。  「あっ!待ってください……!」  後ろから、声がかけられて自分は振り向いた。  先ほどの、青色の髪をハーフツインにした少女だ。  少し慌てたような表情で。こちらに手を伸ばして。  「?」  何かあったのだろうか。  「あの、よかったら何かお礼をさせてください。」  と。  そういえば、今までも魔獣討伐師として目の前にいた人を助けた時、そういわれたことが何度かあった気がする。  人とは常に礼をしたがる生き物だ。  もっとも、十歳の自分も、目の前から来た魔獣討伐師が魔獣を討ってくれたら、勿論礼はするのだろうけれど。  それでも受けなれていない側としてはいささか不慣れなところもある。  「……そう言われても。自分は魔獣を倒せれば……全滅させないと。」  自分は憎き魔獣を討伐するために十歳からこの六年間を過ごしてきたといっていい。  そのために、コミュニティに属したりすることを後回しにしても。  その生き方を今更変えることも出来なかったし、変える気もなかった。  魔獣は、この世界に存在してはいけない生き物だ。  「そうとは言わずに!」  と、灰色の髪の少年が、自分の後ろから話しかける。  「ごちそうしますから!」  と、さらに水柿色の髪の少年が。  自分は三人に囲まれ、詰め寄られ、動きのとれない状態になった。  慌てて抜け出そうとするが、抜け出せない。  __何かの罠なのだろうか。  「これは……何かの作戦なのでしょうか。抜けられない。……次の魔獣討伐の時に参考にします。」  十歳の時、魔獣を恨んでから魔獣を倒すために知能のあるA級魔獣にも効きそうな作戦の乗っている兵法書や、戦略本を片っ端から読んだが、こんな作戦のっていなかった。  となると、三人がこの短時間で作ったのだろうか。  恐るべし、この三人、といったところか。  自分は両腕をあげ、降参のポーズをとった。  「そこでそんな発想するっ?!」  と、灰色の髪の少年。  「?自分は魔獣を全滅させたいので。四六時中、そのことを考えるのは悪い事、なのでしょうか。」  なんか凄い驚かれているようだが、そんなことをした覚えがない。  「魔獣討伐脳!」  と、灰色の髪の少年。  なにか驚くことでもあったのだろうか。  まったく思い当たらないが。  「あ、あの――!」  と、青色の髪をハーフツインにした少女が自分に話しかけた。  「はい……?」  「フレンチトーストを、朝食べるつもりで、色々用意していたんです。もし、お嫌じゃなければ、今からごちそうしますけれど、どうですか?早めの朝食。」  フレンチトースト、という言葉に一瞬あたりの時が止まったように感じた。  わざわざ説明する必要もない。  だが、あえてその素晴らしさをたとえるのなら、一国の年間予算なみの価値があるにもかかわらず、安価で食べられ、しかも夢のような体験ができる。  まさに、この世の宝、というべきか。  「フレンチトースト……世界一おいしい食べ物ですね。なるほど。丁度、時間も空いていますし。」  そういえば、この後特に予定もない。  このまま青色の髪をハーフツインにした少女の言葉に誘われ、フレンチトーストを食べるのもいいだろう。  「いや、顔っ!!」  灰色の髪の少年が何かを突っ込んだ気がするが、気にしない。  フレンチトーストはそれほどにまで素晴らしい食べ物なのだ。  「えーと、魔獣討伐師さんはフレンチトーストが好きなのか?」  と、水柿色の髪の少年がとぼけたような声をあげる。  「レオ君の天然が珍しく的を射ている!」  と、灰色の髪の少年の突っ込みが聞こえた。  「わかりました!じゃあ、私達についてきてください。」  と。  自分たちを先導し始める。  「えーと、降参といえ、と……?」  王宮騎士団のようにしっかりとしているな、と思いながら自分は首を傾げた。  ちゃんと、降参といえ、と。  「いや、なぜそうなるんですか?」  青色の髪をハーフツインにした少女が素っ頓狂な声を上げた。  意味が分からない。  先ほど自分を囲んだのは、てっきり戦略の一つかと思ったのだが、違ったのだろうか。  「えっと、違うんですか……?」  とりあえず、自分と三人の間に、なにか大きな隔たりがあるのは認識できた。  「この人もさっきから微妙に空気読めてないよね?」  後ろから、どこかどん引いたような声を上げるのは、灰色の髪の少年。  なるほど、最近、同年代の間には空気に含まれている魔力量を憶測する遊びが流行っているらしい。  __奥深い。  確かに、空気に含まれている魔力量や瘴気を観測できるようになれば、魔獣討伐師の多くが魔獣の居場所を感知できるようになり、魔獣討伐の効率も上がるだろう。  近頃の子供はなんと先進的なことか。  __いや、自分も十六歳だし、あと一年ほどは子供なのだが。  「ポンド、悪い、さっきから何が起きているかよくわからねーんだが、教えてくれねーか。」  と、後ろから水柿色の髪の少年が言った。  「ぼくもよくわからないけどねっ?!みんな会話が、微妙に噛み合っていないし!」  会話は嚙合わせるものなのか。  初めて知ったが、奥が深いと思った。  数分程歩けば、野営地はすぐそこだった。  元々、野営地から起きた直後に三人は襲われたため、それほど遠くまでは逃げていなかったらしい。  移動途中の会話で掴んだ情報だ。  「えっと、ここが、私達の野営地です。」  と。  焚火の後を示しながら、青色の髪をハーフツインにした少女が。  「なるほど。ここが貴方達の野営地なんですね。」  たぶん荷物は見当たらないが、どこかにあるのだろう。  自分はうなずいて。  「…………。」  「 …………。」  二人、沈黙の時が続く。  虚無が耳に痛いが、特に話すことがないので仕方がない。  青と紫のオッドアイの少女は、えーと、と眉を下げた。  「え、えっと、荷物が見当たらないって思ったんでしょうけれど、荷物はA級魔獣に襲われた際に壊されないようにここに隠していて……。」  そして、木々の近くに隠された、三人分の荷物を示した。  「ほら。」  すぐ近くに来るまで、わからなかったほど。  いい隠し方だといえるだろう。  「なるほど。魔獣にあった時、被害を出さない心がけは素晴らしいと思います。」  目の前にA級魔獣がいるのに、これほど冷静なのはほめられたことだ。  たいていの人は目の前にA級魔獣がいれば、とりみだし、荷物を放置し、あげく、A級魔獣に荷物を荒らされる。  魔獣討伐師でないのに、この選択をした三人に、ただ、感服する。  それ以降、続く言葉がなくて、自分たちは再び沈黙のループに突入する。  再びになるが、沈黙は仕方のないことだ。  会話することがないのだ。  魔獣討伐ギルドのメンバーは誰かと話していると、沈黙を嫌がるが、自分にはその感覚は分からない。  中学時代、ミュトリス学園に所属していた時ですら魔獣討伐のためにありとあらゆる休み時間を割いていた自分なのだ。  それなりのコミュニティに属したことは、ない。  ゆえにその感覚が分からない。  「…………。」  「…………。」  青と紫のオッドアイの少女も、困ったようにこちらをちらちらと伺いながら。  「いや、さっきから二人共会話らしい会話していないよね?!」  灰色の髪の少年の鋭い突っ込みが入った。  「ハスミ、会話らしい会話ってなんだ?」  と、水柿色の髪の少年が。  「ふぇぶっ?レオ先輩っ?!あ、あの……。」  水柿色の髪の少年に話しかけられ、赤面する青と紫のオッドアイの少女。  もしかして、熱でもでたのだろうか。  あわあわと両手を動かし、相当慌てているのか。  「ハスミも知らないのか。なるほど、これは新しい概念か?」  水柿色の髪の少年は神妙な表情でうなずいた。  「いや違うから!誤解するのやめて!」  と、灰色の髪の少年が突っ込む。  自分も、会話らしい会話という概念が分からない。  というか、三人とも、突っ込んだり動揺したりして元気そうだ。  「……なるほど。これがトモダチなんですね。いつの日か、【トモダチ】という存在が温かいと聞きました。こうやってボケツッコミを飛ばし合っていれば、確かに心拍数が上がるかもしれません。」  誰かが話をするたび、誰かが過大な反応をして、その影響で心拍数が上がる。  運動不足を解消する場合にはいいかもしれない。  「魔獣討伐師さんがあらぬ誤解を……!」  と、灰色の髪の少年の突っ込みが聞こえた。  「っていうか、こういう事している暇ねーんだったよな。フレンチトーストを作らねーと。ハスミ、ちょっとこっち来てくれねーか。俺はタネを作るから、焼く準備をして欲しい。」  「はいっ!」  その言葉で、僅かにだが青と紫のオッドアイの少女の耳が、赤くなる。  先ほどからだんだんとおさまっていた熱がまた上がったのだろうか。  「それにしても……あの少女は顔が少し赤いのですが、熱でもあるのでしょうか?」  「えぇ、本当の本当にわからないパターンじゃん、これ。」  はぁぁ、と、灰色の髪の少年が自分の隣にやってきて、ため息をついた。  なにか自分はそんな発言をしたのだろうか。  まったく自覚がないのだが。  「えーと、だから!あれに決まっているよ!女の子が誰かの名前を呼ばれて頬を染めたら、それは……ってこと!」  きゅっと目をつぶりながら、腰に手を当て、帽子をかぶった少年は、もう片方の手で人差し指をしきりに振る。  「……すみません。何が言いたいのかさっぱりわからないです。」  名前を呼ばれたら、頬を染めてしまう。  魔獣の攻撃方法にも、魔法にもそんなものはなかったので、まったく見当がつかない。  それほど多くの人が周知している事実なのだろうか。  「がくっ!」  帽子をかぶった少年は勢いよく肩を落とした。  「本当に、みんな鈍感なんだよねぇ……。」  しみじみという帽子をかぶった少年。  鈍感、と言われたのは意外だが、そういわれないためにも、今まで以上に特訓にかける時間を長くして、魔獣の攻撃にもすぐ反応できるようにしよう。  それにしても__なぜ、魔獣を討伐した時の話が今更ながら出るのだろうか。  自分はよくわからないが。  「まあ、温かく見守ろうよ。ハスミちゃん達のこと。」  「……心拍数は上がりますか?」  先ほどの掛け合いとは違い、見守るだけでは心拍数は対して上昇せずに、運動不足も解消できないように思う。  「君は本当、それだよね。」  呆れたように、帽子をかぶった少年がつぶやいた。  それ以外、何があるのだろうか。  「魔獣討伐師さん、ポンドさん、フレンチトースト焼き上がりましたよ。」  自分が首を傾げたとたん、荷物の方__火が焚かれていて、料理をされているほうから青と紫のオッドアイの少女の声がかかる。  「早くみんなで食べようぜ!」  と、そちらから水柿色の髪の少年が手を振っていた。  「さ、行こっ!」  「はい。」  そちらを指さす帽子の少年に自分はうなずいて、料理をしている二人のほうに駆け出す。  そういえば、誰かと食卓を囲むのは何年ぶりだろうか。  十歳のころから、数えるほどしか行っていない。  灰色の髪の少年についていきながら、ふと、そんなことを考えていた。  「「「「いただきます!」」」」  ぱちん、と四人分の手が合わせられる音。  フレンチトーストはそれぞれ四枚のお皿に一枚ずつ載せてあり、それまた焦げ目が程よくついているため、見ているだけでお腹がすいてきそうだ。  否、実際に見ているだけですいてくるのだが。  手を合わせてすぐ、自分たちはフォークを差してフレンチトーストをその口に運ぶ。  一口、それをかみしめて。  程よい砂糖の加減に、牛乳がしっかりしみ込んでいる生地。  かみしめるたびに、世界が少しずつ優しくなると思わせる程のそれは。  これこそが、真のフレンチトーストであり、王道であり、そのことを何よりも思い出させてくれるものだった。  「うんまぁ……。たまらん。なにこれ。最高……。」  トンド、と呼ばれただろうか。  帽子をかぶった少年が頬に手を当てて目をつぶる。  流石、このフレンチトーストの良さに気が付くとは。  彼だって、それなりの舌を持っているのだろう。  「はい。やはり、フレンチトーストは世界一の食べ物ですね。」  自分はそれにうなずいた。  「さっきここに来る時も歩くペースが早くなっていたけれど……好きなの、フレンチトースト。」  「はい。フレンチトーストは世界一美味しい食べ物です……そして、母さんが作るフレンチトーストは世界一……いえ、宇宙一美味しかった。」  最も、そのフレンチトーストは、もう食べられないけれど。  それでも自分の一番好きな食べ物はフレンチトーストだった。  「そんなに美味しかったんだ。――ていうか、美味しかった、ってまさか……。」  トンドさんが目を見開いて、口を手で押さえる。  何かあったのだろうか。  首をかしげると、水柿色の髪の少年が皆に話しかけた。  「そういえば、自己紹介がまだだったよな。この機会に、やらねーか?」  そういえば、フレンチトーストを一緒に食べたのにもかかわらず、互いの名前を知らない状態であった。  「いいね!魔獣討伐師さんの名前も知りたいし。」  「そうですね。」  「……いいのではないでしょうか?」  「よし、じゃあ、まずは俺から。」  と、水柿色の髪の少年が自身を指し示した。  重要な所では指示を出しているし、もしかしたら三人の中ではこの少年がリーダー格なのかもしれない。  「俺の名前は、レオ・フェイジョアです。ミュトリス学園の三年生で、今旅をしています。」  と。  ミュトリス学園といえば、去年まで自分が通っていた私立の学校だ。  となると、水柿色の髪の少年__レノさんがそういった。  ていうか、旅をしている、なんて。  あの爆発の後に珍しい行動だとは思った。  __いや、あの爆発の後に魔獣討伐師になった自分が言えるようなことではないのかもしれないが。  「ハスミちゃん、次。」  と、トンドと呼ばれた少年が青と紫のオッドアイの少女の肩をたたいた。  「わっ!これって、私なんですか?」  「そうじゃないの?順番的に。」  「なるほど……。」  カスミと呼ばれた青と紫のオッドアイの少女は、顎に手を当てて、数秒、何かを考えるように。  しかし、やがて顔を上げた。  「私の名前はハスミ・セイレーヌです。同じくミュトリス学園の二年生で、今は旅をしています。」  青と紫のオッドアイは理知的な光を放っていて、なんとなく、三人の中で一番賢そうな印象があった。  「ぼくのなまえはポンド。ポンド・クロネージュ。しがない旅人で、今は一時的に二人の旅に同行しているんだ。」  トンド、と名乗った少年はターコイズ色の帽子を始め、この辺りでは見ないような恰好をしている。  もしかして、他領から来たのか、それか、ファンティサールではそういった格好がはやり始めているのか。  「それで、あんたのお名前は……?」  レノさんがこちらを向いた。  「ここは名前を言う場面なのでしょうか……?」  自分が首をかしげると、そろいもそろってうなずく三人。  なるほど、ここは名前を言う場面なのか。  「自分の名前は、ルーイン・リヴネスです。魔獣の全滅を目標に、魔獣討伐師をしています。」  「さて、大方みんなが自己紹介し終わったところで。色々気になった人もいるだろうから、質問タイム!今から十分間は好きな相手に好きなように質問していいぜ!」  「…す、好きな……相手?」  ぽっと顔を赤らめるカスミさん。  何かあったのだろうか。  ていうか、  「ここは、みんな質問をしたがるのでしょうか……自分にはよくわかりません。」  ただ、名前を名乗っただけなのに、誰かに興味を持つ、という事象が理解できない。  自分が周囲との交流を迷っていたからだけかもしれないが。  「いや、この二人の反応の後、ぼくがどう反応したらいいか……。」  トンドさんがさらりと突っ込んだ。  「じゃあ、俺からだ。ルーインさん、宇宙一美味しい味のフレンチトーストって、どんな味がするんですか?」  「あっ、レオ君、その質問は……っ。」  トンドさんがレノさんのほうに手を伸ばしたが、自分はそれに被せて。  「――そうですね。温かくて、優しくて、食べたらどんな悩みも忘れられるような、素敵な味でした。――母さんは、亡くなってしまったので、もう食べられないんですが。」  「……あっ。」  三人は目を見開く。  「す、すみません……。いきなりこんなこと聞いちゃって……。」  眉を下げるレノさん。  「えっと……?」  突然、謝る意味が分からない。  レノさんに自分は何かをしたか。  「レオ君、ルーイン君も大丈夫みたいだし。」  「そ、そうです!次行きましょう。次。」  と、トンドさんとカスミさんがフォローを入れて。  「――ていうか、私【好きな人】の意味を、あんなふうに勘違いしちゃうなんて……。」  と、頬を染めるカスミさん。  「……?」  その意味がいまだにわからない。  困惑していると、今度はカスミさんが手を上げた。  「えっと、次の質問、私いいですか?」  と。  「結局、何だったんでしょうか、あれ。ここは確かに安全地帯だったはずなのに、いきなりA級魔獣があらわれて……。――魔獣討伐師さんからして、何かわかることとかってありますか?」  __安全地帯。  魔獣は本来、瘴気が濃いところに現れる。  それは、二か月に一回ほど魔獣討伐ギルドが瘴気の濃さを魔術具で計っていて、定期的に調べられており、そのデータは折り紙付きだ。  瘴気は濃ければ濃いほどハイランクの魔獣があらわれやすく、低いほど低ランクの魔獣があらわれる。  そして、安全地帯は一番ランクが低いEランクの魔獣すらあらわれない瘴気の濃さの地点だ。  魔獣はその性質により、自分が生まれたところより瘴気が濃すぎる所も薄すぎるところも行くことができない。  正確には、行ってしまったら消えてしまう。  ましてや、瘴気の濃いところでしかあらわれないA級魔獣が、瘴気のほとんどない安全地帯にあらわれて、生息しているなんて。  論外中の、論外だった。  否、正確にはその【はずだった】。  「さぁ。自分にもさっぱり分かりません。ただ、最近は多い気がします。安全地帯に魔獣が――それも、ハイクラスのものがあらわれることは。」  最近、多いのだ。  それも、二~三年ほど前から、そういうことが起こりえるのは。  以前はちょくちょく起こる頻度ではあったものの、あの爆発の後からその頻度はそれこそ爆発的に増えた。  「二ヶ月まえの地質検査からも、確かにここは安全地帯だったはずです。」  それは定期的に魔獣討伐師としてファンティサールの資料を確認している自分だからこそ言える。  「最近、魔獣の質が低下して、量が現れるようになったことで、ギルドはその対応に追われていて、この原因を調査することすら、満足にできていません。」  魔獣自体の強さが減ることはいいことだが、それでも魔獣は人を傷つけ、殺すし、その生活を蹂躙する。  しかも、量が増えたというならもっと悪質だろう。  それならいっそ、量など増えず、一部の魔獣が極度に強いままだったら、と願ってしまうほどには。  「魔獣の質の低下……。」  カスミさんが口元に手を当てた。  「自分が、こうして安全地帯を回っているのは、ギルドの方針ではなく、個人的な活動です。少しでも魔獣の被害にあう人たちを減らせるように。」  六年前の、自分のように。  憎々しい魔獣を減らせたら。  ギルドはこんな事態ということもあって、入りたての自分にも何の仕事も割り振られていない。  「ルーインさん。一つ、思ったんですれど。」  と、カスミさんが手を上げた。  「?どうかしましたか?」  「あの、魔獣の見回りって大変じゃないですか?それこそ、こんな朝早くから。業務でもないのに。」  朝、というか正確には夜が明ける直前ではあるが。  「……肉体にかかる負荷が大きいのは、事実です。」  いくらそのために肉体を作っているとはいえ、ダメージがないわけではない。  あの爆発の後ということもあって、魔獣討伐ギルドの方も魔獣討伐師を支援する準備が万全なわけではないし、金額だけ見れば、やらないほうがいいのだろう。  __金額だけ見れば。  自分には、もっと大事なことがある。  「しかし、自分は魔獣を全滅させることが目標なんです。だから、これぐらいなんでもありません。――実際、少し徹夜しても、無理をしても、他の人と違って何も感じませんから。」  十二歳の時に魔獣討伐を始めてから、肉体が進化したのか、それとも別な原因か。  自分の肉体は魔獣討伐を当たり前のように受け入れていて。  魔獣討伐師に正式になる前もA級魔獣にてこずって徹夜を何回も行っても、案外体には影響がなかった。  ほかのギルドメンバーが話している所を聞いたところ、徹夜をした後はものすごく眠いのだそうだが、自分はそういったものは全く感じなかった。  だからこれは自分の特異体質なのだろう。  「「「――。」」」  三人はそれっきり何も言わなかった。  「すみません、俺からも一つ、いいですか?」  と、口を開いたのはレノさんだった。  「はい。」  「素人が、A級魔獣を倒せることってあるんでしょうか?」  「?」  その疑問に自分は首を傾げた。  なぜ、そんなことを。  A級魔獣というのは複数人の魔獣討伐師がいても、倒せないこともあるのに。  「先日、俺と仲間の二人で、A級魔獣を倒せたんです。かなり、ボロボロだったけれど。その時のことが不思議で、今でも夢を見ていたみたいで。」  と。  「なくはない、ですね。」  その事例自体はなくはない。  魔獣討伐ギルドの資料にだって、数件だったが、訓練を受けていない一般人がA級魔獣をはじめとするハイランクの魔獣を討伐できた、という事例はあった。  「「――っ!」」  自分の言葉に、カスミさんとレノさんが息をのむ。  「僅かですが、そういう事例もあるにはあります。」  だが、目の前にいる人物がそれを成しえた、ということがにわかに信じられなかった。  「――ただ、本当に少しの奇跡。空に光る数多の銀河の中から、たった一つの星を見つけるぐらい難しいこと。」  十数年続く魔獣討伐ギルドの歴史の中で、確認されているのは、たった数件。  ファンティサールにはあれほどまで住人がいるにもかかわらず、だ。  それほどまでに低い確率で。  そう簡単に、倒せるものではない。  「また倒せるとか、対応できるとかはおもわないほうがいいと思います。」  自分はあえてきつい口調で言った。  魔獣討伐師でないもので、ハイクラスの魔獣を倒したもののうちのかなりが調子に乗って魔獣を討伐し始め、そう遠くないうちに魔獣討伐によって殺されている。  実際、ギルドの資料もたった一人を置いて全員、ハイクラス魔獣を討伐した人は調子に乗って別なハイクラス魔獣に殺された、と書かれてある。  人間は、自分が諦めている分野に才能があると勘違いすると、必然的に高揚感に包まれてしまう生き物なのだ。  __実際には、銀河の中からたった一つの幸運をつかみ取っただけで、その人の実力は関係ないのに。  「「…………。」」  地面のほうを見て、ばつが悪そうにするカスミさんとレノさん。  なぜカスミさんまでばつが悪そうにするかはわからなかったが、とりあえずこれでレノさんに魔獣討伐の危険性は伝わったのだろう。  「じゃあ、私と、アデリ先輩のA級魔獣討伐も。」  と、カスミさんがつぶやいた。  一年に二例も、一般人がハイクラス魔獣を討伐するなんて。  今年は流星の命運に愛された年なのかもしれない。  「魔獣討伐師の試験は、ご存知の通り複数人でチームになってA級魔獣を討伐する、というもの。――その試験を受けた魔獣討伐師ですら、A級魔獣に破れ、命を失う時もある。」  「………。」  カスミさんはごくりと唾をのんだ。  「奇跡、というのは現実に何度も起きるほど生易しいものではありませんね。」  何度も起こるのなら、きっと自分は今、ここにいないし、魔獣討伐もしていないだろう。  だって、もし奇跡があったのなら。  __奇跡は、母さんを見捨てなかったはずだから。  だから、自分は奇跡を信じないほうだ。  一般人を貪り食う魔獣の目の前に、おなじく一般人である母さんは抵抗できず、討伐することもできず、死んでしまった。  もし、奇跡があったのなら、母さんは魔獣を倒していただろうから。  無力な人間を前に、奇跡は通じず、そこにはただ、無残が転がっているだけだ。  だから、自分は魔獣が嫌いだった。  無力を前に、横暴をするのだから。  「「「……。」」」  三人は、黙り込んで。  自分は、過去のある日を思い出していた。  魔獣をこれでもかと恨み、完全討伐を決意した日のことを。  ◇◆◇  その日は、特別打ち付けるような雨でもなければ、朗らかな晴天でもない、ただの曇り空の、なんてことのない日だった。  __はずだった。  その日、自分は母さんにフレンチトーストをねだり、家に材料がない、と母さんは売り場まで材料を買いに行った。  元々、自分の家は都市とは少し外れたところまであったし、売り場までは少し遠かった。  だから母さんの買い物はいつも長くなったし、その間自分は心を弾ませながら母さんの帰りを待っていた。  待ち時間が苦痛に感じたことはない。  その時間も、自分はずっと母さんの作る宇宙一のフレンチトーストを楽しみにしながら。  まだかな、と窓のほうに顔を寄せて家の外の景色を眺めていた。  __その窓の外に、母さんの姿が映ることを祈りながら。  母さんは、いつまでたっても帰ってこなかった。  二時間たっても。三時間たっても。  四時間たっても。  流石におかしい、と感じたのは、母さんが買い物に出かけてから四時間半が経過したところだろうか。  いくら買い物の途中で他の物をついでに買ってしまう母さんとはいえ、これほどまで自分を待たせたことはなかった。  何かがおかしい、と胸騒ぎがして、自分は家を飛び出した。  母さんの【死体】を見つけたのは、家を出て三十分ほど歩いたところにある雑木林でだった。  母さんは、フレンチトーストの材料を買った帰りに、無残に魔獣に襲われたのだ。  母さんの腕に下げていた鞄から卵が割れ、飛び出し、地面が汚れているのが印象的だった。  「母さん……母さん……何で……。」  それを見て、自分は声を漏らさざるをえなかった。  後で知ったことだが、その雑木林の付近は結構に瘴気が濃く、母さんは魔獣除けの香水をつけて買い物に行ったという。  しかし、相手が悪かった。  C級魔獣には魔獣除けのグッズが効かない魔獣が数多く存在し、当時、自分の【目の前で】もぐもぐと母さんを食べていた魔獣もそれだった。  もぐもぐ、という擬音は似合わないのだろうが、実際にはそれを使うしかなかった。  その魔獣は、母さんのことを、完全なる食料としてしか、見ていなかったのだ。  自分が、普段、ご飯を食べるように。  何の変哲もなく、疑問もなく、ただ、【もぐもぐ】と。  味わうように。  いつも自分に笑いかけ、フレンチトーストを作ってくれ、愛情もいっぱいかけてくれた母さんは、こいつにとっては、ただの、食料でしかない。  母さんの生きざまも、何もかも、こいつには関係ない。  ただ、食べられればいいのだ。  __母さんを、母さんの生き様を、蹂躙された。  真っ先にそう思った。  母さんが死んだショックで、自分は現状を正しく認識しているかすら怪しかったが、その中ですら魔獣に対する敵意は自分の中で芽生え始めていた。  今まさに食われている、母さんの死体を見て呆然と立っている自分に魔獣は気が付き、自分のほうを向いて、うなり声をあげる。  べちゃり、と魔獣が食していた母さんの腕が__否、肉塊が地面にたたきつけられ、母さんの血液が、辺りに飛び散る。  「……う、あ……。」  と、自分があげたのはそんな声だった。  恐怖なんかじゃない。自分は、魔獣に食べられることを何とも思っていない。  __なぜなら、もっと大きな事があるから。  その恐怖すら、感じていなかった。  【母さんが死んだ】  魔獣が母さんの腕を地面にたたきつけたことで、その非現実的な現実は、一気にこちらにやってきた。  魔獣がこちらに迫ってくる。  逃げなければいけないのは頭でわかっているのに、逃げられなかった。  母さんが死んだ事実を、認識したくなかった。  自分は、取り返さなければいけません__何を?  もう、母さんは死んでいて。  自分は、戻らなければいけません__どこに?  父さんも病死していて、帰る家には、誰もいない。それに、母さんの死体を放置したまま、自分に帰れ、と。  自分は、求めなければいけません__誰に?  ただ、思考はぐるぐると旋回していて、それを認識することすら、困難なような。  母さんが死んだショックで、何をすればいいか、わからない。  何を選択したら、正解なのか。  ただ、一つ。  自分の意志の中ではっきりしていることは。  魔獣の牙が、顔が、目の前に迫ってくる。  血走った目。強靭な爪。血に汚れた牙。  【死】が、自分のほうにやってきた。  自分は、受け入れなければいけません___。  ___嫌だ。  母さんが死んだことは何よりもショックで。  受け入れがたい、事実だった。  しかし、魔獣が目の前に来たことで、自分は、その事実と嫌でも向き合うこととなる。  感情が――溢れた。  もう二度と、母さんが笑いかけてくれない悲しみ。  もう二度と、母さんに合うことはないという虚しさ。  もう二度と、母さんは生きない。  ――こいつのせいで。  眼の前の魔獣のせいで。  「魔獣が、憎い。」  小さくつぶやいた、その瞬間だった。  体が突然熱くなって、何かを口が勝手に詠唱したのは。  そこからは、怒涛だった。  自分の身から放たれる暴力に、理不尽に。  魔獣は抗うすべも、逃れるすべも持っていなかった。  数分もしない間に、地面は再び地で濡れ、汚れ。  今度は魔獣の闇黒の血によって。  自身だって、止めるすべを知らないし、暴力にさらされる魔獣を、止めようとはおもわなかった。否、それすら思えなかった。  突然自分の身をのっとった衝動によって、自分は、一時期、それすら考えることを許されなかった。  どれほど立っただろうか。  肝心の、魔獣は気がつけば眼の前に倒れていて、自分の服には魔獣の真っ黒な返り血がついていた。  それを認識したときには、あの、魔獣をも惨殺する衝動は消えていて、自分は、母親の方を見た。  無様に倒され、その身を食いちぎられた母さん。  自分のねだったフレンチトーストの材料を買いにいった帰りに魔獣に襲われ、殺された。  ――、――。  ――魔獣さえいなければ、自分も母さんとの日常を変わらず営むことができたのに。  そう思った瞬間だった。  自分の中で膨らまんでいた、魔獣への憎しみが、一気に大爆発したのは。  憎い。憎い。  全ての魔獣が。  この世に存在するあらゆる魔獣が。  魔獣は存在してはいけない生き物だ。  「いつか、倒せるようになる。全ての魔獣を。」  自分は、小さくつぶやいた。  その時には、自分の頭は魔獣を倒す道標に専念していて。  自分はぎりぎり、と拳を握りしめた。  ◇◆◇  話は現在に飛ぶ。  自分達はその後いくつか質問を交わしあったあと、再び自分の番が来た。  「そういえば、貴方達は別れて旅をしていたのですか?」  先ほど、トンドさんの自己紹介からずっと気になっていたことだ。  「そうそう!元々は、ミュトリス学園二人が中心だったんだけれど――。」  と、うなずくトンドさん。  「――ていうわけで、ハスミちゃん達、そこまでの経緯を説明お願い!」  「わかりました。あの爆発があってから、私達は、――、――。」  カスミさんは離し始めた。  あの爆発の後、盗まれた宝石。  逃げた怪盗。  なぜか霧の中に消えてしまった仲間。  二人が旅をしていると、巡り合い、意気投合して一緒に来ることになったトンドさん。  「――そして、一緒に来ることになったポンドさんと野宿した際、魔獣に襲われた、って感じですね。」  と。  カスミさんは締めくくった。  「なるほど。この国の魔力源の宝石、ですか……。」  三人がものすごい事情を抱えていることは取り敢えずわかってしまった。  それに、マフィアのことも。  自分は、犯罪者を軽蔑している。  善悪の区別がつかない人は……愚かだ。  それに、今回は、国をも巻き込むなんて。  怪盗に対する蔑視が自分の中で広がっていく。  「あっ、あの!折り入って頼みがあるんですけれど……。」  カスミさんがこちらに向かって、声をかけた。  「?」  「宝石を私達が取り返すまで、私達の事を護衛してくれませんか?」  と。  向こうが持ちかけてきたことに少し驚いた。  なぜなら、自分は、――。  が、再び一考する。  カスミさんの話では、単純に戦力が足らなくて、怪盗に負けてしまった。  つまり、自分という戦力を足せば、宝石だって、取り返しやすくなる。  それに、ないとは考えたいが、旅の途中、三人がA級魔獣に巡り合うという可能性もなくはない。  確実にS級魔獣までを仕留められる自分がいたほうが、何かと確実だ。  「そうですね。国の一大事なんですよね。自分も協力します。」  「良かった。」  と。カスミさんは胸をなでおろした。  「ふ、あぁー。」  途端、眠気が襲ってきたのだろうか。カスミさんがあくびをする。  「どうしたんだ、ハスミ。」  「いや、話していたらちょっと眠くなっちゃったっていうか……。」  「まだ夜ですから、なれていない方は眠くなってしまうのも無理はないです。」  もう、離し始めて一時間はたったであろう。  その時間で、眠くならないほうが不思議というくらいには。  「ぼくも、眠いのは平気だけれど、明日のことも考えて、体力は、万全にしておきたい。――異論、ある人は?」  トンドさんの呼びかけに、誰も手を上げることなく。  「じゃあ、そういうわけで朝まで一眠りしようぜ!」  と、レノさんが拳を上げた。  そこから、自分は寝袋を持っていなく、なしでいい、と言ったらカスミさんに予備の寝袋を支給されたとか、そういった事の詳細は一切省いておこう。  とにかく、自分たちの身に、恐ろしいことがこの後起きた。  それを思えば、そんなことなど些細なことだ。  自分の意識は、常に覚醒に近い状態にある。  魔獣討伐をし続けていると、いつ魔獣が来てもいいように、寝ているときですら周囲の変化に敏感になる。  もっとも、今回は魔獣ではなかったのだが。  ドタドタと、怪しい音が自分の鼓膜を揺らし、瞬時に自分の意識は覚醒ヘと向かった。  「――っ!音……。」  上半身を起こし、きょろきょろとあたりを見回すが、魔獣の気配はそこにはなかった。  あたりは薄く青みがかかっているものの、だいぶ明るくなっていて、丁度、夜明け、といったところだろうか。  「ルーインさん、やっぱり!」  と、声のした方を見ると、トンドさんも起きていて。  やはり、物音に気がついたのか。  一体何ごとですか、とトンドさんに訪ねようとしたときだった。  「あれッ!」  と、トンドさんが指さした先には、カスミさんとレノさんが何者かに連れ去られようとしていた。  複数人の男たちで、バラの刺青が腕にある。顔は目の荒い袋で隠されていたため、それは分からなかったが。  もしかして、足音の正体はこの男たちだったのかもしれない。  「やめっ……離せ!」  「やめて下さいッ!」  と、カスミさん達は抵抗しつつも、杖も持っていなく、相手に人数差で負けていたので、抑え込まれていて、腕には丁度ロープが縛り付けられていた所で。  「助けに行くよ!」  「勿論です!」  トンドさんの声に自分はうなずき、立ち上がり枕元においてある杖を持つと、勢いよく駆け出した。  「いけっ……!」  同時に駆け出したトンドさんが、持っていた傘の先を男たちに向け。  自分もそれを見て、杖の先を男たちの方に向けた。  「黒きこの矢、今、お前を貫く。――レイブンアロー。」  暗黒の矢が、自分の近くにあらわれて、閃光の速さで男たちの方に飛んでいく。  「――仲間かっ?」  自分たちの声に気が付き、男たちの一人が、こちらに振り返って。  「手出しはさせないよ。……その子達は――。」  「二人共、この人たち、何かが変です!レオ先輩の抵抗をあっさり受け流して……!」  同じくこちらに気がついたカスミさんが必死の形相で言う。  自分にはピンとこなかったが、トンドさんが隣で嘘、と叫ぶのを聞いて、状況が、こちらにあまり有利ではないことは想像できた。  ――それでも。  それでも、自分は戦い続ける。  暗黒の矢は、男たちの所に飛んでいって、次々と男たちの体に被弾する。  元々、一発あたっただけでもかなりのダメージを食らうが、今は魔力の濃度をかなり濃くしている。  一発あたっただけで、男たちは、たちまちのたうち回り、カスミさん達を縛っている縄を外すだろう。  自分はその時すぐに助けられるよう、身を少し前のめりにして。  ――そのはずだった。  自分の魔法は今まで、失敗したことがなく、故に自分は頭の中で、そんな単純な作戦を考えていて。  しかし、実際は、男たちは自分の暗黒の矢が当たっても、嫌がる素振り一つ見せず。むしろ、そんなものか、という笑みすら浮かべた。  「――運が、悪かったな。」  男の言葉に、一瞬、男の体が、否、男の体の周囲がまるごと暗闇に包まれて、男以外誰もいないように錯覚して。  しかし、数秒後には、男たちは、もとに戻って、こちらを見てニヤニヤと笑っていて。  ――見間違いだったのだろうか。  否、今はそれを考える必要はない。  自分に必要なのは、カスミさん達を取り戻すことだ。  一つ魔法が効かなかったら、別のものを試すのみ。  杖の先を男たちの方に向け直す。  「この棘で、痛みと共に後悔を。――リグレット・ソォーン。」  「えいっ……!」  自分の呪文とともに、トンドさんも傘で男たちの急所を狙う。  確かに、地面からは鋭い棘が出てきた。  ――が、男たちは無傷。  「――。」  「己と争え。そして、消滅せよ。――シャドウストーカー。」  「ええいっ!」  トンドさんの攻撃。  男たちの影を立体化させ、男たちと戦わせる。  ――が、影がいくら男たちを殴っても、男たちは痛みどころか、微塵の衝撃も受けないようで、飄々とカスミさん達をしばり終わり、そのロープを引っ張って。  「――。」  魔法を打つのに夢中で、近くに大きな馬車があることも、その荷台が開いていることも気が付かなかった。  男たちは、カスミさん達を馬車の荷台に引っ張り込む。  その、滑るような手付きに自分達は、反応するすきもなかった。  「じゃあな、お仲間。こいつらは預かっておくぜ。」  と。  ガタガタ、と馬車は走り始め、自分達は追いつけず。  自分は馬車へと手を伸ばした。  「ま、待ってくださいっ!――っ!」  それでも、馬車は止まってくれず。  結局、森の中で自分達はなすすべもなく、馬車の姿が消えるのを諦観しているしかなかった。  「……何で、そんな……。毒はすべて、分かるはずなのに。」  あの男達が使っていたもの。自分達が腐るほど攻撃を浴びせても、まったく薄れなかったんだ。あれは、魔法なんかじゃない。――痛みをなくす種類の毒なのだろう。  魔獣討伐をしてきて、ある程度毒の種類には詳しかったはずだった。  魔獣が人間に対して使う毒も、人間が魔獣に対して使う毒も。  それでも、自分は、検討一つつけられず。  「あの男たち、ぼくたちの攻撃が効かなかった。――まるで、痛みなんか、ないように。」  ポツリと、トンドさんがつぶやく。  自分達は再び、無言になった。  カスミさん達を男たちに連れ去られた。  その理由も、原因も考えられる余裕は互いの顔色を見れば、一目瞭然だった。  ――魔法の連発のしすぎ、もしくは一向に当たらない相手への攻撃で自分達は疲弊をしていて。  辺にはうっすらと敗北特有の空気が漂っていて。  自分達はそれに身を沈めるていた。
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