嵐が過ぎるまで~ロカ・フォンティーヌの憂鬱~

1/1
前へ
/37ページ
次へ

嵐が過ぎるまで~ロカ・フォンティーヌの憂鬱~

私のお母様は、もうフォンティーヌ家に帰っていない。  もう、二年ほど。  きっかけは、公務の際、訪れた僻地で体調を崩したことだ。  その僻地にて、お母様の大病が発覚し、以来お母様は寝たきりの状態で、動くことすらままならないのだとか。  それを聞いた当初は嘆き悲しんだものの、今となっては、お母様の分まで私がファンティサールを守らなきゃ、と割り切っている。  私__ロカ・フォンティーヌは、2年ほど、母、ヴィルマ・フォンティーヌとあったことがない。  それ自体は別によくあることだ。  貴族の世界は、お互い足の、引っ張り合い。社交界でもあろうものなら、隙を見て食べ物に毒が仕込まれる。  毒に耐えられなく、と親をなくした子も結構いて。  あの時、ハスミちゃんたちと四人でお茶会をしたときだって、私は嘘を付いた。  【母と父は王都に出かけている】と。  貴族ではないハスミちゃんたちが、その嘘を見破れることはなかった。  __お父様は本当に、王都にいたけれど。  あまり知られていない事だけれど、通常、貴族は王の戴冠式や集まりでもない限り、一つの家の夫婦が一緒に家を開けることはない。特に、貴族領を持っている貴族は。これといった決まりはないが、夫婦どちらかが常に領内にいるのが常識だ。  罪悪感は、感じなくはないが、一般人のそれからすると微々たるものであろう。  だって、貴族にとって、嘘は魔力だ。  付くことが出来なければ、自身を、身内を、家を、守ることすらできないから。  ……それでも、時々、サソリに出会ったときの嘘すらつけなかった自分のことも思い出すけれど。  私はうそをつける身になったことを後悔はしていない。  だってその分、武器が増えたのだから。    ◇◆◇  朝起きたら、私の眼鏡が割れていた。  ヒビは奇麗に入っていて、ガラス片だって大きい。  いつも、ベッドから起き上がったらすぐに眼鏡をとるはずなのに、その日は、上手くそれが取れたような感覚がしなく。  起き上がって、眼鏡のほうに触れて、やっとその惨状に気が付いた次第だ。  ……ここまでは、ごくありふれた、どこにでもありそうな日常風景だった。  それにしても、  __視力の悪い私が、なぜ?  私、ロカ・フォンティーヌの視力の悪さは伊達じゃない。  若干四歳にして眼鏡をかけ、そこからずーと眼鏡だ。  眼鏡がないと、文字どころか人の顔すら認識ができない。  陰でこっそり、デコ眼鏡デコ眼鏡言われているが、おそらく次期当主なのに眼鏡なのが悪口ポイントなのだろう。(まあ、視力は私の回復魔法超復耀(リクォゼラティオ・フリゴーレ)を使っても視力は治せないのだが……。)  __なぜ、そんな私がこの惨状を目視できているのか。  なぜ、眼鏡が割れている、という事実を目視できているのか。  この不思議な現象に、私の頭は思考停止していた。  これでは、まるで私の視力が戻ったみたいじゃないか。  そんなわけがない、と私ならわかる。  人の視力は、それこそ特別な儀式をしなければ戻らない。__禁断とされているレベルの。  並の治療魔法や、魔方陣では効果が出ない。  では、なぜ。  こくり、と首をかしげて、耳元をなでる不思議な感覚に気が付いた。  首筋にかかる髪が、頭が、今日はやけに重い。  不思議に思って、髪をつまむと、その長さは腰ほどまで伸びていた。  ……一夜にして。  「…………?」  これほど不思議な現象はあるものなのだろうか。  慌てて後ろの方の髪を触ってみると、そちらはちゃんと肩ほどまでの長さだった。  つまり、伸びているのは横髪だけ。  この現象が、もっと不思議に思えてきた。  髪だって、一夜にしてこれほど伸びるわけではない。  伸ばすのにだって、魔法陣が必要だし、ここまで部分的な魔法って……大量に魔力が必用なんじゃないかしら。  それを、わざわざ私を狙って行うとは……あまり、考えられない。  なら、一体どうしたものだろう、と。  くるくると髪をもてあそんでいた時、ふいに窓から差し込む朝日に気が付き、慌てて着替えをし始める。  ハスミちゃんたちと旅をしていた時は着替えどころの騒ぎじゃなかったし、あの数日で着替えの癖がうっかり抜けてしまったようだ。  ……というか、今思えばよくお父様に旅の内容をバレずに行くことができたと思う。  一応、家に帰って準備をしている間に父あての手紙をシアンに預け、その手紙にも、ミュトリス学園の貴重品を取り返そうとする旨だけ書いたけれど。  なにせ、相手がお父様だ。  一学園の貴重品のために体を張ったと知れば、三人の交流がたたれるかもしれない、と三人の事については触れていない。  いけないことだとは、自覚している。  けれどもあの旅は貴族で周囲への警戒が必須な私にとって、気を抜くことを許された唯一の時間だったから。  かつて、サソリと話していたときのように。  ネグリジェからワンピースに着替えていると、ドンドン、と部屋のドアが叩かれ一人の女性が引きつった形相で入室してくる。  「!お嬢様!お嬢様!お目覚めですかっ、お嬢様!」  と。  二十代後半の彼女は、幼い頃から私に仕えているメイドのシアンだ。恐らく、私がこの時間に起きていないことを不審に思って起こしに行ったのだろう。  もちろん、彼女にもハスミちゃん達との冒険は伝えていない。  数日前、私がこの家に帰って来たときも、出先でトラブルに見舞われたと伝えれば彼女はそれで納得した。  実際、フォンティーヌ家に生を受けるということはそういう事だ。  いつもは彼女に起こされる前に自分で起きて、身支度を整えるから、彼女に起こされるのは小学生以来か。  私は、支度する手を止めて、シアンの方に向く。  「シアン、ごめんなさい。手間をかけさせてしまったわね。」  ……そういえば、今はシアン一人が屋敷を支えているため、何かが起きても私を起こしに来ることはめったにないだろうに。  私が首をひねると、シアンが私の肩をがしりと掴んだ。  「お嬢様……いつも六時には起きられているので、シアンは何かあったのかと……!」  シアンは、よく行動が思考を先走ってしまうタイプのメイドで、本人自体に罪はない。  今回は、私が支度の手をとめていろいろ考え事をしていたせいで、百パーセント私の落ち度だろう。  ……罪はないだけで、つかまれた肩はとても痛い。  「そういえば、お嬢様眼鏡は?普段、眼鏡がないと人の顔だって判別できないはずでは……?」  「えぇっと、どういうわけかわからないけれど、なぜか割れていたの……。」  ぽりぽり、と頬をかく私。  そういえば、部屋に入るときにシアンが驚いたような顔をしたが当然かもしれない。  四歳のとき、高熱にかかって以来、私の視力はずっと悪い。  「それに、御髪も!」  シアンが前髪と後髪の間、不自然に伸びた二房を指差す。  「……シアンの目から見ても、伸びている、わよね……?」  どうやらこの非日常的な出来事は、現実であって。  私の回復した視力は本当、と。  長年、魔法については人より深く学んでいるつもりだが、この現象は興味深い。  「……とりあえず、これは置いておきましょう。」  「お嬢様!お嬢様は天然だから……!」  シアンが目を瞑って、額に手を当てた。  時々、家の使用人はこういった反応をするのだが、もしかして使用人の間で流行っているのだろうか。  「それで、シアン。いつもは少し寝坊しても起こしに来ることはないのに、急にどうしたのかしら?」  と。  まして、今は屋敷を取り仕切るメイドはシアン一人だ。  およそ一か月前の原因不明の爆発によって、ミュトリス学園を中心に、ファンティサールは壊された。  お父様が王都に行っていたのも、それが原因だろう。  その爆発だって、使用人も被害に遭う。  爆発の影響が都市にずいぶんあったことで、実家や家が被害に遭った使用人もずいぶんいた。  お父様は、その使用人達に実家などを片付けるための特別な休みを与え。(実際に実家が被害に遭っていない使用人も休みをとらされたが、それはこの特別な時期、ということもあってだろう。ただえさえ町の状況が普通じゃないのに、ファンティサールを取り仕切るフォンティーヌ家の緊急体制は特に厳しいものだからだろう。)  結果的に、フォンティーヌ家に残ったのは、メイドのシアン一人と、護衛の騎士二人と、秘書一人。  シアンは一人で大きな屋敷を回さなければいけないため、こんなことに時間など使っていられないはずなのに。  きっと、よほどのことだろうと憶測出来た。  「ええ、それですが、旦那様がお呼びのようで……!」  「お父様が?」  フォンティーヌ家に帰宅して数日。  父の王都での公務も終わり、父は昨日フォンティーヌ家に帰ってきた。  「なんでも、ファンティサールが危機的状況に陥っているとか……!」  危機的状況、という言葉にどきりとする。  ファンティサールを守る、フォンティーヌ家ではめったに使わない単語。それだけ、事態が深刻だということだろう。  疾る胸を抑え、私はシアンに尋ねる。  「そう、それはすぐにいかなければね。お父様は、どこへ?」  「地下の、儀式の間です。」  シアンの言葉が聞こえると、私はすぐ儀式の間へと向かう。  ファンティサールの危機的状況なのに、ゆっくりなどしていられない。  地下の儀式の間、とは文字通りフォンティーヌ家のものが代々、地下で儀式の練習をする間であり、それなりのスペースが設けられている。  儀式、とはファンティサールにかつて訪れた忌々しい黒龍が二度と来ないよう、神に祈る儀式で。  今も、五年に一度、奉納舞としてファンティサール当主が踊っているものだ。  __というのは、名目で。  現在はファンティサールの魔力状況をはかる魔術具の置き場所とされている。  理由は言わずもがな、地下の儀式の間では、魔力が漏れにくいし、敷地も部屋数も多いこの家は舞を踊るための場所など、ほかにいくらでもある。  お父様は、私の足音が聞こえると、魔力版__ファンティサールの魔力状況をはかる魔術具__に手を置いたまま、こちらに顔を向けた。  「お父様……!」  「おお、ロカか。よく来た。」  父の指先は、ほんのりと光っている。  __魔力を出している時特有の不自然に明るい光だ。  魔力盤は、初代当主が当時の最高技術職人と一緒になって作った作品で、フォンティーヌ家の血が流れているものにしか反応しない。  フォンティーヌ家の血が流れているものが、魔力を注ぎながら魔力盤に触れることで、初めてその効果を表す。  ファンティサールの地形図がぼんやりと幻想として現れ、ファンティサールの現在の魔力状況を色に置き換えて、一目で教えてくれるのだ。  正常は、青、少し足りないのが水色、魔力が足りない地域が、緑。  そしてだんだんと魔力が減っていくごとに、色は赤色に近づいていく。  最近は、ファンティサールが原因不明の魔力不足に陥っているせいで、魔力盤に表示されている魔力は、ほとんどが水色。緑色や黄色の地域もあった。  「お父様、緊急事態って、一体何が起きたんですか?」  「ああ。それについて説明しなければな。」  お父様は魔力盤から手を離し、腕組みをした。  「実は、ファンティサールが原因不明の魔力不足に陥っているのは知っているか?」  「ええ。魔獣に含まれる魔力が減ってきているのですよね。」  ファンティサールの魔獣に含まれる魔力が減っている。  それは、三年ほど前から起きている緊急事態だ。  ファンティサールの土地が含む魔力量が少しずつ減少しているが故に、このようなことが起きてしまったのだろう。  ファンティサール以外の領の情報はあまりないが、少なくともファンティサールは魔獣に含まれる魔力量がガクンと落ちている。  魔獣討伐ギルドに三年ほど前からそれを報告されている。  お父様も度々調査をしていたが、根本的な原因も、解決策も何一つとして、釈然としていない。  ただ、どちらも今のところ生活に害するレベルで被害が出ていないので、諦観するしかなく。  それにより、なにか大きな事態が起きている、というわけでもなかった。  ……いうならば、魔法を使うときに少し燃費が悪くなったのだが。  それだって、ほんの気持ち程度だ。  なので、ファンティサールの土地に含まれる魔力量がだんだんと減ってきている、というのはフォンティーヌ家含めて、ファンティサールの上層部、一部の貴族たちしか知らない情報だ。  「ああ。側近の情報によると、他の領でも起こっているらしいが、ファンティサールが一番ひどい。それが__大きく進展したのだよ、ロカ。」  「まさか?」  いやな予感がしながら、私は父に聞き返した。  「ああ。ここ数日前から、魔法盤から検出される魔力量が大きく減っていて__回復の兆しを見せない。」  「……ッ‼」  驚きのあまり、息が止まりそうになる。  魔獣は瘴気から生み出され、周囲の魔力を持った植物や動物、はてや人間まで食べるが、倒された後は、最後、食べた文かそれ以上の領の魔力を天に放ってどこかへ消えていく。  そうして、この国の魔力は守られ、循環している。  しかし、ファンティサールの魔力量が減ったところで、魔獣の害は止まらない。  魔獣が周囲の魔力を取り込む現実も、魔力が減っている現実も。  それでも、ファンティサールには魔獣討伐士がいて、魔獣の害が決定的に大きくなることはなかったはずだ。  それが、何らかの原因で、もしくは。  私の知らない全く別のところに理由があるのかもしれないが。  お父様の陰からのぞいた魔力盤は、ファンティサールの殆どが黄色に染まっていて。  中には、わずかだが赤く染まっている土地も見える。  ――もう、魔力が枯れている土地がで始めている。  「何をしよう、原因が分からないので、今のところ、手の施しようがないんだ。正直、私も勝手に舞を踊って魔力を戻そうとしたが、それも上手くいかなかった。側近をふくめ調査にあたっているが、何かを覚悟する事態にはなるかもしれない。」  「……。」  勝手に舞を踊っていたという思わぬ告白が聞こえたが、それは今突っ込むべきところじゃない。  きっと、このままファンティサールの魔力の減少が続けば、領主の行動に不信感を抱いて、私達フォンティーヌ家を仕留めようとするものが現れるか。  それか、いつか忌々しい黒竜が来たときのように、全員がその命を覚悟しなければいけなくなるか。  前者に比べれば後者は比較的マシとすら言えるという状況だが、それでも避けるに越したことはない。  ファンティサールを奪われた後、奪った輩がファンティサールにすむ人々を幸せにしてくれるとは限らない。  「今この状況を領民に知らせると、暴動が起きかねないので黙っているのだが、やはり自体が長引くと、領民の生活にも影響が出て、今回の災いに気が付くものがいる。__手は、早いうちに回さないとな。」  こんな状況でも、顔色一つ変えず、やるべきことをやろうとするお父様は、ファンティサールの顔で、領主にふさわしい。  そして私はお父様を尊敬していた。  「ええ。私も、何か気が付くことがあり次第、すぐにお伝えします。」  「それで、今回の件で少しばかりファンティサールを抜けることになる。その間、フォンティーヌ家の番をロカに任せる。」  「承知しました。」  私とシアンは同時に頷いた。  お父様は頷いて、数秒。  私の目元をおずおずと指差す。  「…それで、ロカ、ずっと気になっていたが、なんで眼鏡がないのかね。」  そういえば、ファンティサールの魔力のゴタゴタですっかり忘れていたが、いきなり眼鏡が割れていて、視力が良くなっていたんだっけ。  「……普通に、起きたら、割れていて。」  「ここに来るまでの間、倒れなかったようだが?」  「ええ。視力が良くなったようで。」  お父様は黙ってしまった。  高等魔術学校を卒業し、私より魔術に造詣の深いお父様でも、解せない謎のようだった。  「なんか、髪も……。」  「横だけ長くなっていますね。」  私が言葉をかぶせ、今度こそお父様は黙ってしまう。  「…………。」  「…………。」  数秒ほど、無言の時間がつづいて。  私すら理解できないこの現象をなんと説明したらいいのか。  不意に、お父様が、  「__っ!閃いた!」  と叫んだ。  「お父様?」  いつものお父様からは考えられないような奇行に、私は、お父様を見返す。  「旦那様?連日の勤務で頭でもおかしくされました?」  シアンが慇懃無礼にお父様を心配し。  しかし、お父様は違う、と首をふった後。  「これは、たぶん魂が覚醒したのだ。簡単に言うならば、先祖返り、今のロカには稀代・マリア・フォンティーヌの最盛期と同じような状況にある。」  「覚醒?」  思わぬ言葉に、私は首を傾げた。  マリア・フォンティーヌの最盛期と同じ、と。  幼少期、あれほど劣等感に焦がされていたマリア・フォンティーヌだが、実際に自分が彼女と近づくことができるとなると、少し違和感のようなものを感じなくもない。  いくら先祖返り、マリア・フォンティーヌの転生、ともてはやされたところで幼少期感じた彼女との差は消えてなくならない。  「ああ。元々は、ロカ。お前の魂は少し封印されていたのだよ。幼いころ、B級魔獣と遭遇したときに、私が少し目を離したから。」  「……?目が悪くなったのは、幼いころ発症した高熱のせいでは?」  聞かされた昔話とはことなる話に、私は当惑しながら。  お父様は詳しく経緯を話した。  私がまだ幼いころ、お母様と家族三人で従者を連れず、町にお忍びで遊びに来ていた時だった。  その時はお父様もそれほど警戒心が強くなく、慢心をしていたという。  二十代で家督をついで、ファンティサールを治めている現実に。己の実力に。  祭りの中歩いていると、ふと目を離したすきに私がいなくなっていて。  すぐに使用人に連絡して、三十分程かけて辺りをくまなく探したという。  幸い、私は付近の森で倒れているところを見つけられたが、その近くにはB級魔獣がいて、私に魔法をかけていて、今すぐにでも私を食おうとしていたのだとか。  お父様達はすぐに魔獣と戦ったのだけれど、お父様の使える魔法が戦闘に向いていないということもあって、魔獣が私に術をかけるところを止めることはできなかったという。  魔獣を倒した後、私の体に傷や呪いはなかったものの、私は高い熱が出ていたようで。  そのあとだった。  私の視力が急激に悪くなったり、私の勉強の成績が地味に下っていたり、私の魔力が地味に少なくなっていたのは。  お父様は、その魔獣が魂の一部を封印する魔法を持っていて、それが私にかけられたと結論付けたという。  「次期当主が魔獣に魂の一部を封印されたなんて、人聞きが悪いじゃないか。」  両腕を広げ、肩をすくめるお父様。  私はよくわからないが、社交界でも抜きんでているお父様がそういうのならそうかもしれない。  「そうなの、シアン?」  と、シアンのほうに目をやると、  「はぁ、……お嬢様は天然だから。」  シアンが眉間を抑えながらため息をついた。  「視力だけじゃない。魔力や魔法の才能もほんの少しだが、封印されていてだな……。今までお前はほんのすこーし、魔法とかが出来なかった。封印を解く方法はなかなかなく、私も難儀したものだが、無事解けて良かった__本当に。」  「えぇ……。私、魔法に困ったことはないのだけれど?」  幼少期から、魔法は人一倍できるほうだったと自覚している。  だからこそ、マリア・フォンティーヌの生まれ変わりとしてかってにあがめられたりしたのだろうけれど。  「お嬢様は天然だから……。」  シアンがまたため息をついたが、私にはよくわからない話題なので、気にしないことにした。  「封印を解く方法は強力な魔力を出すモノの近くにいるか、強力な魔石の近くに行くか、特殊な魔術具を使うか、危うい近畿に手を出すか……。そんなことをしたとバレた暁には、フォンティーヌ家の家名が秒でぽしゃんだったから、封印解除には苦労したな……。」  「えぇ……。」  強力な、魔力を出すもの。  そういえば、私たちが守ろうとした宝石はまさにそれだった気がする。  この国の魔力源といわれている、それ。  あの宝石が割れ、フォンティーヌ家に帰った後、魔法を使ってみたけれど、何の影響もなかったことからこの国の魔力源、というのはただのうわさ話なのだろう。  けれど、あの光具合からして、おそらくあの宝石は強い魔力を放っている。  サソリからそれを取り戻すためとはいえ、宝石の近くに行ったから、私の封印が溶けたのかもしれない。  ……というのは流石にお父様に言いづらいけれど。  「それより、だ!」  ぱちん、とお父様は手を合わせた。  「お父様?」  「その姿、肖像画でみたマリア・フォンティーヌと瓜二つじゃないか!」  「…ええ。」  じりじりと、こちらに歩み寄ってきて。  また、その圧が恐ろしい。  正確にいえば、今の私の髪の後ろの方の毛は短いままなので、マリア・フォンティーヌの生き写しにはならないのだが、お父様はそんなことどうでもいいようだ。  キラキラと瞳を輝かせて、  「これなら……これなら、ファンティサールもかつて二番目の王都と言われたように、栄えるかもしれん!その姿からは溢れ出る才色を感じる。」  と、いつもの冷静さはどうしたのか。  一気にまくしたて始めた。  「……さい、しょく……。」  お父様の圧に押されながら、私は何も言えず。  「ああ。まずはロカを当主に……いや――――。」  ぶつぶつと、お父様は私たちを置いてけぼりにして、つぶやき始めた。  「……。」  ……ていうか、領主になれるのは成人年齢の十七歳だから、最低でもあと三年は待たないといけないのに。  お父様はそこをちゃんと考えているのだろうか。  その後、父は護衛の騎士を一人だけつけて、王都に向かった。  普段、出かけるときは騎士数人に従者を二人ほどつけるお父様が、これまた珍しかった。  お父様によると、ファンティサールの住民に怪しまれないように、ということらしい。  流石に数人の人を引き連れていたらフォンティーヌ家の領主として髪色でバレるものの、それが一人だと、上流階級の命を狙われやすい人には結構ありがちなことなのだとか。  玄関で、お父様の馬車を見送ったあと、私は、再び自室に戻った。  又、フォンティーヌ家に私しかいない時間が出来た。  フォンティーヌ家次期当主として、お父様がいない間も、気を引き締めねばいけない、と決意する。  お父様が出かけていった間にも、私にはお父様の手伝いとして残されている公務が山のようにある。  窓を覆ってしまうほどの書類の量。  私は机に向かい、ペンを持つ。  明後日までにこの書類達を完成させなければいけないらしい。  お父様によると、最低でも数日は家を空けるとのこと。その分の公務は、私に回ってくる。  かりかりと数時間程、書類に向かい続けたときだったと思う。  窓を塞いでいた書類は五分の一程姿を消して、少しばかり窓が見えるようになった頃。  コン、コン、と窓の外から音のようなものが聞こえた。  ペンを置き、不審に思いながらも窓に近づく。  窓の書類を完全にどかすと、庭の方で、少女が手を振っているのが確認できた。  少し濃い茶色の髪に、青みがかった灰色の瞳。数日前まで、一緒に旅をしていた彼女は私の見知った顔で。  「!シロノワール先輩……?」  窓の外から、手を振る彼女の名前は、アデリ・シロノワール。  ただ、数日前まで青かったローブの色がオレンジになっていた。  「でも、なんで……。」  彼女は、ハスミちゃん達と宝石を追いかけに行ったはずで。  確かに、一度家には入れたことがあるため、フォンティーヌ家の場所は知っているのだろうが、それだってサソリが行った方向とは反対のはずだ。  混乱で、動きがかたまる私の存在に気がついたのか。シロノワール先輩はにっこり笑うと、口パクで私に何かを伝え始めた。  「い、れ、て…?入れてって言っているわ。」  理由はわからないが、何か先輩の方でフォンティーヌ家に入らないといけない事情があるのかもしれない。  「待っていて下さい!すぐに開けますから!」  と、私は、すぐさま玄関へと駆け出した。  「いや~。一時はどうなるかと思ったよ。入れてくれてありがとうね、ロカちゃん!」  シロノワール先輩をフォンティーヌ家に入れて、数分ほど。  私は、シロノワール先輩を応接間へと案内して、先輩に紅茶を出した。  シアンは家の家事などで忙しいし、貴族の嗜みとして紅茶の入れ方は教わっている。  女性貴族は結婚後、相手の男性貴族にお茶を入れる習わしがあるからだ。  「シロノワール先輩、なぜここに……?ハスミちゃんたちと一緒にサソリを探しに行ったはずでは……?」  すっかりリラックスしきっている先輩に、私は切り出した。  「うーん、なんか気がついたら、来たんだよね!」  「そんな、物語のような……。」  いつかサソリが読んでいた恋愛小説のように、気がついたら運命の場所にいた、なんてことは稀だと思う。  相手はあの不思議な力を持ったシロノワール先輩とはいえ、宝石を探している最中なのだ。  宝石に関係のある場所に先輩が巡り付くようなことはあっても、宝石に関係のない場所に先輩が巡りつくことはないと思う。  そして、フォンティーヌ家は後者の【宝石に関係のない場所】だという可能性の方が大きいだろう。  「いや、そうじゃなくて!真面目に!ふつーに歩いていたらあたりの景色がおかしくなって、気がついたら誰かの家の庭にいて!」  「……。」  ドヤ、と両手を腰に当て、自慢げに言う先輩。  ……全然自慢することじゃないし、状況からするにむしろ悲観したほうがいい気がする。  「ここがどこかわからなかったし、取り敢えずって思って呼び鈴鳴らしても誰も出なかったし、いちかばちかって思って、石投げたらロカちゃんが出てきてくれたんだ!」  「本当にいちかばちかですね……。」  先程窓の外から聞こえた意味深な音の正体が分かりホッとすると同時に、シロノワール先輩のやってみよう精神に肝が冷やされる。  石投げなんて、家全体が丈夫な素材でできているフォンティーヌ家だったからよかったものの、一般の家だと普通に色々壊れるかもしれないのに。  「……ていうか、仮に石を投げたとして、その部屋に私がいなかったらどうしていたんですか?」  「うーん。その時は、その時かな!又考えるよ!」  「想像以上の楽観主義とタフネスの持ち主だわ!」  先程の質問は不思議な力を持つ先輩に向かってしてはいけない類のものだったようだ。  「ていうか、あたりの景色が急に変わったって……妨害系の魔術具を使われている可能性も考えたほうがいいのでは?」  「え?ロカちゃん、なんのこと?」  「……いえ、なんでも。」  ふりふりと私は首をふった。  あの先輩が、知らない間に、思っても見ない場所にたどり着いていた、なんて被害、魔術具を使ったものにしか考えられないが。  「それよりロカちゃんこそ、こんなところで一人で居残り?」  「ええ、そうです。父が……急用があって。」  「えっと、まだ王都が終わっていないの?」  「はい。どうやら予定が長引いてしまったみたいで。」  嘘だ。  本当はファンティサールの魔力が急に減少し始めている理由を調べている、なんて。  シロノワール先輩はその情報を悪用しないのだろうけれど、万が一口外でもされたら大変だ。  「そうなんだ!大変だね~。領主の子も。」  その理由で納得してもらえたようで、胸をなでおろす。  「いえ。……それより、シロノワール先輩。今後のことを考えませんと。」  「え?今後?」  きょとん、と。  シロノワール先輩が首を傾げた。  「妨害系の魔術具……ということは、ハスミちゃんたちとも連絡が取れていないんでしょう。そのことも、なんとかしないと。」  「うわっ!最近、不思議なことが多すぎてこういう事も当たり前だと思っていたよ!確かに、それも考えないと。」  「……不思議なこととは。」  シロノワール先輩との口から聞こえた言葉だけが、ただ気になる。  「ハスミちゃんやレオ君と連絡取らないと〜!」  シロノワール先輩は顔を青ざめさせた。  「…シロノワール先輩、ハスミちゃんとフェイジョア先輩の行き先は。」  「それが〜!わからないんだって!あたりが白い霧に包まれるのと同時にハスミちゃんたちの姿も見えなくなっちゃったし!」  頭を抱えるシロノワール先輩。これは、三人の冒険の詰みが見え始めているかもしれない、と。  「えぇ…………。」  元々遠方から連絡を取れる魔術具は高価だし、数日前、マフィアに一度荷物を盗まれたのだ。  そんなモノあっても、マフィアによってすべて取られているだろう。  そもそも、私だってそれがフォンティーヌ家のどこにあるのか知らない。  「いっそのこと、王宮魔術師にでもなっていたら良かったな〜。」  ため息を付く、シロノワール先輩。  遠方にいる人物と連絡を取る際に、魔術具ではないが、魔法陣という手がある。  これも、高等魔術学校を出ていないと使えない代物で、確かにシロノワール先輩の言う通り、宮廷魔術師なら使えるようなものだろうけれど。  宮廷魔術師になるには、多くの魔力量と才能が必要だ。これまで生活してきた中で、シロノワール先輩がそれらを持っている、という情報は聞いたことがない。  ……シロノワール先輩ならいつもの不思議な力で宮廷魔術師になることもできなくはない気がするけれど。  「魔法陣や魔術具がないので、どっちみち連絡を取るのは不可能では?」  「あ!それもそっか。」  顔色をもとに戻し、名案だ、とでも言うふうに手を叩く先輩。  ……割り切りすぎてもこちらが困る。  「……ひとまず、こうなったら私も同行しますから。」  「えぇっ!?いいの?フォンティーヌ家は?」  「シアンがいますし……それに、もしかしたら魔術具を使ったのが、犯人かもしれません。流石に今回の事件、魔法警察に話せるないようではありませんし、捜索が出るのは随分先のこと。……でしたら、こちらが先に、捕まえたほうが。」  シロノワール先輩達をこの状況に陥れた犯人。  少なくとも、ハスミちゃん達とシロノワール先輩を引き離し、迷わせた。  それが偶然によるものか、計画的なものかはわからない。  ただ、私は、フォンティーヌ家当主として__魔術でファンティサールを治めるものとして、知っている。  サソリをおっていたはずのシロノワール先輩が、フォンティーヌ家という遠くに来てしまった事。  この事態は意志をもって、その魔術具に触れないと効果がない。  この魔術具を使った人は、誰かを迷わせようという意志があった。  シロノワール先輩が選ばれたのが、偶然か、必然かはわからないけれど。  それに、その魔術具のことが知識としてある私も同行した方が、魔術具の効果に遭う可能性が低くなるかもしれない。  「……ロカちゃん、犯人って、なんのこと?」  「……っ。」  シロノワール先輩の声で、我に帰る。  ここまでの思考、何と説明しよう、と。  私がそれを黙考しているうちに、  「あ!今回サソリちゃんが取引する人なんだね!その人も倒すんだ!ロカちゃん、かしこーい!」  と、シロノワール先輩は結論付けて。  「……え、えぇ…。」  とりあえず、うなずいておくことにした。  たぶん、もう迷わなければ今のことも話しておく必要はないはずだ。  「じゃあ、さっそく、しゅっぱーつ!」  「待って下さい!まだ、準備が。」  シロノワール先輩の手を、控えめに引いて、今すぐにでも外に飛び出してしまいそうなシロノワール先輩を引き留めようとした時だった。  「ロカちゃん、後ろッ!」  「へ?」  シロノワール先輩に肩を叩かれ、後ろを振り向いた途端、私の呼吸は止まりそうになった。  「っ!」  私の眼の前に、人が立っていて。  いつの間に、先程まで気配がなかった、と。  私が、混乱している時にシロノワール先輩がその人物を指した。  「……ごめん、ロカちゃん。でも、後ろから視線が痛かったからさ。」  てへり、とウィンクするシロノワール先輩。  「……お父様っ!?」  よくよく確認してみると、私の後ろに立っていたのは、父だった。  つい数時間ほど前、ファンティサールの魔力が、急激に減った原因を調べてくる、とこの地を離れた父。  「どういうことですか、お父様。」  私は体をやや後ろに下げながら、お父様――らしき人物を見る。  お父様は数時間程前に出発して、最低でも数日はかかる、と言っていた。  こんな早くにつくはずがない。  だとしたら、厳しいフォンティーヌ家の防護結界を破って、お父様の姿をしたままこの家に侵入してきたよそ者だとしか考えられない。  「ロカ、実は誤解があってだな……。」  私の態度を見て私の考えていることを察したのだろう。  お父様――らしき人物は私をなだめ、おちつけ、と語りながら。  そう話すお父様の手元を見て、驚いた。  「……!それ、お母様が持っていた魔術具。……何故今ここに。」  お父様の手元にはかつてお母様が使っていた箱型の魔術具があった。  確か、ニ年前辺境に公務に行った際、お母様が体調を崩されたあとに、ドサクサに紛れてなくなったというそれは。  何故か今、お父様の手元にあって。  「…ああ、見つかったのだよ。」  「第一、お父様は調査に行かれたのでは?」  「訳あって、帰ってきたのだよ。」  「………?」  お父様の乱れた髪と、土に汚れた上着を見て、それがただごとではない、と私は察した。  「実は、調査に向かう途中、大陸のマフィアと遭遇してね。間一髪だったものの、普段より魔力の消耗がかなり速かった。」  「……ッ!」  マフィア・ローゼン。  大陸で名を馳せている世界一大きいマフィアというそれは、大部分の構成員が大陸出身ということもあり、魔法が使えない変わりに武術を習得していたり、科学技術を使った武器を持っていたりする。  ただえさえファンティサールの魔力が減っているというのに、今回は領民にすら極秘の調査だから騎士の人数も最低限。  マフィアに遭遇したお父様が、どのような目にあったのかはおおよそ想像がついた。  と、お父様の視線が私の後ろのシロノワール先輩に向く。  「……あー。君は。」  「アデリ・シロノワールです!ロカちゃんの友達です!」  視線を向けられ、元気よく手を上げるシロノワール先輩。  お父様はそうかい、いつもロカが世話になっているね、とだけ伝えて。  私の方を振り返った。  「……残りは執務室で話そう、ロカ。ここでは人目がある。」  「はい。」  「私はこの子と少し話をしているから、先に執務室に行ってくれたまえ。」  お父様はシロノワール先輩の方を指し示し、シアンがシロノワール先輩の眼の前の机に新しく入れ直した紅茶を置く。  「承知しました。」  お父様が直々に私の友人をもてなすなんて、激務の中にいるあまり見かけない光景だが、今日はお父様の機嫌がいい日なのだろうか。  それとも、サソリと友達になった時、私のいないところでサソリもこのようにもてなしたのかもしれない。  私はシロノワール先輩達の方から背を向けて、執務室へ向かった。  何にせよ、私が口を入れる場面ではない、と。  貴族にとって、書斎が個人的な一室だとすれば、執務室は公務をする場所、だろうか。  当たり一面に本棚が並んでいるのは書斎と同じだが、執務室はその本すべてがファンティサールに関わるもので、当然お父様の個人的な趣味である魔獣の剝製なんてものは置いていない。  最後にそこに入ったのはいつだったか。  次期当主にすら秘密にしておかねばならない情報が詰まった執務室は当代――父の許可がないと入れなかった。  それにしても。  数年ぶりに執務室の扉を開けた私は呟く。  「……いつもと随分、雰囲気が違うわ。」  執務室は、記憶とは随分違っていた。  綺麗だった部屋は、書類で乱れ、目も当てられない状態になっていて、ところどころ、魔法を使ったような形跡が壁や床に見られる。  もしかして、最近巷ではやっているという新しい魔術の方法を突き止めていたのだろうか。  それだったら、部屋が汚いのも納得できる。下手に使用人に部屋を掃除させれば、かえって魔法の使用方法がバレ、悪用される。  元々犯罪で使われていた魔術だ。その使用方法が漏れたら――きっと、とんでもないことになるのだろう。  お父様はその新種の魔法を突き止めるため、あえてここで実験をしていたのであろう。  そんな事を考えながら、私は執務室内を歩き始めた。  流石はファンティサール領主の家にあるものだと言っていいくらい、執務室は、ミュトリス学園の教室を二個、足したぐらいには広い。  そして、どの方位にも、必ずといっていいほど、魔法の使用痕がついていて。  ……まるで、ここまで来るとわざとつけたものかと疑いたくなるぐらいには。  ふと、部屋の壁などに沢山ついてる使用痕の中から、見慣れたものを見つけた。  光魔法特有の、金色の粉のようなもの。  それが、壁に所々ついていて。  私も、お父様も、このような魔法痕が残る魔法は使うことが出来ない。  何故なら、この魔法を使うには、所属する家系が違うから。  この魔法痕は、確か。  「これは……お母様魔法を放ったときの形跡に似ている……随分昔のものね。」  魔法痕にふれ、その手触りを確かめる。  さらら、と僅かに壁に付着していた粉は落ちた。  お母様の生家は、他領の領主の家で、政略結婚で、ファンティサールに来たという。そのせいか家系魔術の術式がフォンティーヌ家とは違うようで、お母様の光魔法は一目で分かる。  壁に粉がつく距離からして、随分前の物なのだろう。  早くて1年半とか、二年とか。  ……お母様は2年前に倒れているから、一年半前はないのだろうけれど。  「なんでこれが直されていないのかしら……?」  研究の邪魔になるというわけではないが、家系魔術の術式が知られたところで何になるのだろう。  お母様の魔法痕と思われるものすら、消されていないのが少し不思議だった。  「いえ、今はそれじゃないわ。」  首を振り、壁から手を離す。  丁度、後ろから人の気配のようなものが感じられた。  「待たせたかね、ロカ。」  「……お父様。」  こんなに早くシロノワール先輩との話が終わったのか。  お父様は私のすぐ後ろに立っていた。  お父様が言うには、シロノワール先輩にはケーキを出して、少しの間休んで貰っているらしい。  ファンティサールがこんな状況にもかかわらず、シロノワール先輩の事を受け入れてくれた。  お父様のその親切が、ただ、嬉しかった。  「それでさっきの話の続きなんだが、念には念をとふんで、共に調査に付いてきてほしい。」  「ええ。承知しました。」  軽く頭を下げる。  やはり、シロノワール先輩の前でできない話とは、それだったのか、と。  納得と同時に気が引き締まる思いだ。  ファンティサールを揺るがす秘密に近づくのだ。  次期当主として多少の貢献はしなければならないだろう。  「……それで、引き返してきたのですか?」  「ああ。私も、フォンティーヌ家の当主でファンティサールと領主だからな。私に何かがあったらファンティサールの領民が困る。」  「……。」  ファンティサールの為に。  お父様が私の幼い頃から、言い聞かせていた言葉だった。  「そうだ。私は少しアデリさんと話の続きがあるから、先に行っているよ。内密な話だから、ロカはしばらくここで待っていてくれ。」  「はい。」  まだ話が終わっていなかったのだ、と以外に思いつつも私は頷いた。  お父様は執務室からでていき、私が調査の際のシミュレーションでもしようとしたときだ。  がたり、と足がなにかに当たり、何かが落ちる音がしたのは。  振り向くと、先程まで資料が積み上がっていたものが崩れ、資料に積もっていたホコリが舞い上がり、後ろから杖がころころと転がってきた。  「……これは、お母様の、杖……?」  ――それは、かつて、お母様が使っていた杖だった。  普段ポケットやカバンにしまうような杖じゃない。  家系魔術を使うことを考えた、1メートル以上の長いもの。先には魔鉱石がついていて、持ちての部分は貴族にふさわしい精巧な彫りが入っている。  数年前、お母様がなくしたと言っていたそれは。  たしかに私の眼の前にあって。  偶然にしてはなんだかとても、奇妙だった。  そこは普段領主のお父様しか入らないような場所で、しかも何年も使われていた資料の後ろに隠れるように置かれていた。  まるで、  ――誰かが意図的に隠したみたいに。  私じゃない。  お父様でもない。  当然、お母様の自作自演なワケがない。  じゃあ、一体誰が。  私の脳は答えを一瞬で導き出した。  「使用人の誰かが隠したのね!お父様に知らせないと。」  杖を持って、立ち上がる。  自体は、切迫していた。  この家で私達の他に杖にふれる機会がある人なんて、使用人しかいない。  厳重に管理されているはずなのに、杖を触る隙があったのはおかしいが、それでもフォンティーヌ家の警備の欠陥としてお父様に伝えるべきであろう。  フォンティーヌ家の物を隠す、ということはファンティサールの公務を滞らせることを意味し、それはフォンティーヌ家を裏切ることを意味する。  使用人を採用する時は十分気をつけているそうだが、裏切り者が出てしまったのなら、仕方がない。  これ以上、ファンティサールの情報を持ち出されたり、公務に支障が出る前にお父様に伝えて、裏切った使用人を発見しないと。  爆発のせいで多くの使用人は実家に帰っているとはいえ、わずかに残った使用人がそれを行っているかもしれない。  私は駆け足で執務室をでて、杖を持ったまま、先程までシロノワール先輩といた応接間へと向かう。  「お父様っ!大変です!お母様の杖がっ!」  かけながら喋っているせいで、声がかすれてしまっているが、この際そんな事はどうでもいい。  一刻も早く、この事をお父様に伝え、ファンティサールの損害をなくさないと。  その焦燥感に追われていた。  応接間と廊下は扉で閉じられることなく続いていて、廊下で走っているときに叫べば、お父様も気がつくはずだと思った。  しかし、遠目から見るお父様は立ち上がったまま、動くことがなく。  よほど話に集中しているのか。  「……お父様?」  呼びかける声を止め、首をかしげる。  何か、言いようのない不自然なわだかまりが胸の中に残って、それがほどけないような。  再び声を上げようとした時、あることに気が付いた。  お父様も、シロノワール先輩も、声を出していない、ということに。  この年齢のこどもと接しなれていないようなお父様ならともかく、人見知りもせず、明るい性格のアデリ先輩が、ここまで十数秒、一言も発さないのは変で。  違和感は当たってしまうこととなる。  お父様の体の後ろに、魔方陣と、そこから出ている大きなつたのようなものが見えて。  そのつたのようなものが、何かを、否、人を縛っていた。  「なん、で……。」  その光景に、私は声が出なかった。  目の前の光景を、必死に否定したかった。  「ああ、ロカかい。だから待っていろといったのに。聞き分けのない子だ。」  困ったようにため息を付くお父様。  「…お父様、シロノワール先輩を……。」  私の向けた指に、お父様は口角を上げた。  「ああ、眠らせて、彼女の、お前にまつわる記憶を消そうと思っていてね。もちろん、ロカのアデリさんの記憶もこの後消したさ。」  と。  __ツタに絡まっているのは、アデリ・シロノワール先輩だった。  彼女は薬か何かで眠らされているのか、目を閉じたまま、びくともしなく。  そして、先ほどの発言を踏まえるに、シロノワール先輩をこんな状況にしたのはお父様で、それもあまり公には出来ないような理由で。  それがただ、悔しかった。  今まで貴族友達だったと思っていた子に裏切られたり、それ何りに波乱万丈な人生だったと思う。  しかし、お父様だけはフォンティーヌ家当主として役目を果たしていると。  何の疑いもなく尊敬していたはずなのに。  「……お父様、なんで。」  私の声は震えていて、自分でもそれが情けなく感じてしまう。  こんな状態になっても、信じていた相手からすぐに情を切れるよう、特訓もしていたはずなのに。  サソリの一件で、チャンと心構えもし直したはずなのに。  私の脳裏はショックと悲しみが占めていて、そんなことできるはずもなく。  ただ、それだけが少し悔しかった。  「聞いたところによると、彼女の親は中産階級。なんの地位も階級も持っていないそうじゃないか。ふさわしくないのだよ。フォンティーヌ家に、釣り合わない。」  お父様が話をするたびに、背中から寒気がしてくる。  恐ろしい。この人は恐ろしい。  つい先ほど、あったばかりの少女にそこまでしようとするのだから。  かちかちと、歯の根が合わなく、私の呼吸ばかりが乱れる。  お父様は、そんな私を嘲笑うように眉を上げる。  「……そのためだったら、彼女の記憶を消していいのですか?ファンティサールの領民をむりやり支配しても……。」  「いいさ。いいに決まっている。かつて、第二の王都と言われたファンティサールを戻すためには、マリア・フォンティーヌの変わりが必要で、ロカ、それはお前だ。」  お父様は、私を指さす。  それが正しいことなのかはわからなかった。  少なくとも、私はお父様よりファンティサールの為政にかかわったことがないから。  ただ、一つ言うならば。  きっと私が今まで愛情と感じてきたものは愛情でも何でもないのだろう。  いつの日か、幼年期に私を諭していた人と、目の前の薄情な人間は違うのだと。  たった今、克明に感じたのだから。  「マリア・フォンティーヌは特定の人間と戯れたりなんかしない。いつも孤高で、皆に平等だ。彼女と同じ時代を過ごさなかった俺でも分かる。彼女の力は孤高になって、初めて真価を発揮する、と。幼い頃数え切れないほど、教えたではないか。」  記憶にない言葉を、父は口にする。  サソリとの思い出のように、忙しい日々に追われ、埋まってしまったかもしれない記憶。  ただ、一つだけ。  父はマリア・フォンティーヌを崇拝していたのだ。  私の思っている以上に。  そして、今日私がマリア・フォンティーヌにより近づいてしまったから、父は凶行に走ったのだろう。  「それに、彼女は知ってしまった。」  悠然と手を広げる父。それをみて、嫌な予感しか想起しなかった。  「何を?」  頭がまた、素早く回転しだす。  お母様の杖は、厳重に保管されていた。  それこそ、ファンティサールに嫁入りしたとはいえ、元は他領の領主の娘だ。  その娘の、家系魔術を使う専用の杖が盗まれたと知られたら、ファンティサールだけではなく、その領にまで恥がかかるし、その厳戒態勢はお父様の家系魔術を使うための杖の比ではないはずだ。(むしろ、お父様は当代の当主であるにもかかわらず、お母様より杖の管理のされ方は雑だったろう)  その杖が、一介の使用人ごときに盗むことができるのだろうか。  長年使えている使用人ならもしかしたら場所を知っていたりするかもしれないが、そういう人たちは待遇もいいはずだし、わざわざそれをする理由が思い浮かばない。  __じゃあ、お母様の杖を隠す人は誰もいない。  なぜなら、皆、隠したところでメリットはないからだ。  __しかし、今回のお父様の様子を見ていたら状況は変わる。  お父様は目的のためなら初対面の少女の記憶操作をいとわないような人で、目的にも決して私情をはさまない人。  もし、そんな人が何らかの理由で、お母様の杖がいらなくなったら。  否、邪魔になったら。  それを隠そうとするぐらい、子供でも分かるはずで。  「何を?決まっている。私の妻の、決して公にはできない秘密を、だ。」  私の手から、ふぁさ、とお母様の杖が転がり落ちて。  からからと床を回るそれを横目にしながら、私の肩は震えていた。  自分の思考が、当たっていたからではない。  その先を、考えてしまったから。  第一、邪魔になったら捨てればいいはずなのに。  なぜ、お父様はお母様の家系魔術の杖を捨てることができなかったのか。  家系魔術の杖を捨てたりすると、お父様にとって不都合だから。  __貴族にとって、家系魔術の杖を捨てるときは、ただ、二回きり。  その杖の魔石が壊れたか、使用者が死んでしまったか。  お母様の杖の魔石は割れていなかった。  つまり、お父様はお母様が死んだと思われることを恐れて。  ……大体、お母様は二年前僻地で体調を崩されて、動くことすらままならない、ということはあり得るのだろうか。  フォンティーヌ家は、領を持っていて、望めば凄腕の宮廷魔術師を派遣してお母様の体長を治してもらうこともできるはずなのに。  お父様は、なぜ、それをしないのか。  私より人生経験が多いお父様なのに、なぜ、その方法を思いつかなかったのか。  そこから導き出される結論は、一つで。  理性が、感情が瓦解しないように、思考の行く先を必死に押しとどめている。  私だって、その先には行きたくない。  だって、そこには___。  気のせいか、夏なのにつま先が冷えているような気がして。  私はぎゅっと握りこぶしを握りしめた。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加