ひょろ眼鏡さんとの出会い

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「はい。これで大丈夫ですよ」 ひょろ眼鏡さんが、ニコリと微笑む。 視線を下に落とせば、包帯で巻かれた自分の手がそこにあった。 「……まだ痛みますか?痛み止めも出しておきましょうか?」 「え?あ……いえ大丈夫です!治療していただいて有難うございました。 え……と、保険証まだ出していませんでした!」 心配げに声を掛けてくれたひょろ眼鏡さんに、慌ててお礼を言いつつ 鞄の中から保険証を探す。急いで財布を取り出すと同時に、履歴書がパサリと床の上へ滑り落ちた。 「ああ、大丈夫ですよー。勝手に連れてきて、勝手に治療しただけですから 保険証もお金も要りません。」 「え?でも」 「大丈夫です。ハイこれ」 落ちた履歴書をヒョイと拾い上げ、微笑みながら手渡してくれる。 私はそれを受け取り「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げた。 「いえいえ。ふふっ。お時間大丈夫でしたら、コーヒー飲んでいかれませんか?」 「え?でも先生、お忙しいんじゃ?」 「今日は午後からは休診ですし、お茶を飲みたいタイミングだったんですよー。良ければお付き合いください」 ひょろ眼鏡……先生が、コンビニ袋からドリップ式コーヒーを取り出しニコリと微笑む。なるほど……それで偶然コンビニで遭遇したわけか……。 私はコクリと頷き「ゴチになります」と返事をした。 先生が奥の部屋へ消えるのを目で見送り、私は改めてキョロキョロと院内を見渡す。昔ながらの懐かしい雰囲気の建物で、昭和レトロなイメージだ。 玄関の木製の扉には、東地クリニックと名前が書かれていた事を思い出した。 「東地……先生の苗字がそうなのかな?」 「ああ、まだ自己紹介していませんでしたねー」 いつの間にか、コーヒーを乗せたお盆を手に持った先生が姿を現す 小さなサイドテーブルの上にそれを置くと、レトロな木製の椅子に腰をかけた。 「改めて、僕の名前は東地亘久。このクリニックの院長してますー」 「あ、私は古川水姫です。訳あって現在就活中ですー」 あ、最後のフレーズいらなかったわ 口調に釣られて言葉を返した後、軽く固まる私を見て「ふふっ」と先生は笑った。 「なるほど、先ほどの履歴書はそういう事だったんですね。大丈夫。 良い働き先が見つかりますよ。」 「でも……十連敗中なんですが」 「古川さんは、引き寄せという言葉を知っていますか?」 「引き寄せ……?」 「願えば叶うパワーです。今回もダメかもしれないという思いを持ったまま面接に行くと、ダメという思いが強い願いとなって連敗を引き寄せてしまいます。だから次は、絶対大丈夫という思いで挑みましょう。今度は大丈夫ですよ。」 「……はい」 リップサービスではなく、心からそう思ってくれている感じが伝わり、素直にその言葉に頷く。言われてみれば、心のどこかで「今回も駄目かもしれない」 そんなマイナスな気持ちで面接に挑んでいたのかもしれない……。 (そりゃ面接の方も見抜くよね……) 心の中でそんなことを考えながら自己反省を終えた 「本当にやりたいことは何か。じっくりと自分の心の中と会話して それからお仕事を探してみるのも、良いかもしれないですね。 きっと、その思いに引き寄せられて見つかりますよ。」 「なるほど……。」 自分のやりたいことか……。 早く仕事を探さなきゃという気持ちに焦っていて、その気持ちは二の次だった気がする……。一つ大きく深呼吸して、先生の顔を見つめた。 「ありがとうございます。気持ちの切り替え出来ました。」 「そうですか。それは良かったです。」 先生の淹れてくれたコーヒーは、ほっこりさせてくれる美味しさと温かさで 心の中にあった焦りや劣等感がゆっくりと解れ溶けて消えていった…。 そんな不思議な癒しの感覚だった……。 ◇◇◇ 電車に揺られながら、今日の出来事をぼんやりと振り返る。 面接では凹んでいたけれど、その後の東地先生との出会いは、気持ちを切り替えるのに十分すぎる出会いと出来事だった。 会話の一つ一つを思い出しながら、包帯の巻かれた右手にそっと触れる。 口元が緩むのを感じ、「こほん」と一つ咳ばらいをした。 (近いうちに、今日のお礼をしに行かなきゃね) その時は、仕事先が決まったと告げれればいいな。 その為にも頑張らなきゃね。 心地よい電車のリズムに揺られながら暮れ行く街並みを眺める 漠然と積もっていた心のモヤモヤや不安はどこか遠くに吹き飛び、 前向きな気持ちへと変化していた……。
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