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翌日、寝坊することもなく、予定時間の十分前にはクリニックに到着することが出来た。クリニックの扉を開けると、先生は眉を下げて、申し訳なさそうな顔で出迎えてくれたのだった。
「おはようございます、古川さん。ご無理言ってすみません、今日は宜しくお願いしますね。」
「大丈夫ですよー。暇でしたから」
私は手をひらひら振りながらそう言葉を返した。
「では、移動は車になりますので、駐車場まで一緒にお願い出来ますか?」
「あ、はい。」
先生の言葉に頷き、寂れた商店街の中を一緒に歩く
商店街の外れに先生が契約している月極駐車場があり、車に乗り込んだ。
先生の愛車は、国産のコンパクトカー。
車の車種とかよくわからないが、とても可愛らしい車だ。
「利便性を重視しているので、小さい車ですみません…。」
「いえいえ、車の事とかよくわかりませんが、可愛い車で好きですよ」
私はシートベルトを締めながら、そう言葉を返した。
「ありがとうございます。では出発しますね」
「はい。」
ニッコリ微笑み、車をゆっくり発進させた先生。
しかし三回目に会う人と、ドライブしている自分に驚きだ。
あ、いや、ドライブじゃ無かったな。往診だ。往診。
流れる景色を見つめながら、そんなことを考えていたら、
東地先生から「新しいお仕事は慣れましたか?」と問いかけられた。
「はい、毎日充実してて楽しいですよ。お守り作ってると、時間忘れるくらいです。」
「そうですか、それは良かった。良いご縁が出来てよかったですね。」
「はい。」
ニッコリ微笑んでくれる先生に、嬉しくて口元が緩んだ。
車は都心を離れ、徐々にのどかな風景が広がる。
やがて、車は大きな和風のお屋敷の駐車場で停まった。
「え?凄いお金持ちさんの家なんですけど……。」
「ええ…そうなんですよ……落ち着かなくてね。」
先生が苦笑いを浮かべながら車のエンジンを停める。
私は、助手席のドアを開けて車を降りた。
改めて見渡す、立派なお屋敷
庭には、これまた立派な庭園があり、池には高そうな鯉が泳いでいる。
坪数とかよく知らないけど、二時間ドラマの相続争いとかで出てきそうな雰囲気が凄い。語彙力が無い?知ってます。庶民には縁の無い世界だから仕方ない。うん。
「では古川さん、行きましょうか?」
「あ、はい!」
ポカンと口を開け、お屋敷を眺めていたら先生に声をかけられ
私は慌ててその後をついていった。
◇◇◇
「東地先生、お忙しい中ありがとうございます」
玄関でお出迎えをしてくれたのは、清楚な雰囲気の優しそうな女性だった。
チラリと一瞬だけ私に視線が向けられ、私は緊張気味にペコリとお辞儀をする。女性はニコリと微笑み、また視線を先生にむけた。
「いえいえ。では、いつも通りで大丈夫ですか?」
「はい。祖母は先生が来られるのを、とても楽しみにしていまして」
「それは、嬉しいお言葉ですね。」
先生が嬉しそうに言葉を返し、女性の後を着いていく
私もその後に続きつつ、広い廊下に飾られた調度品に驚きの連続だった。
お金持ちって本当にいるんだね。縁の無い世界です。うん。
やがて、一番奥の部屋に案内され、女性が扉を開く。
「おばぁ様、東地先生がいらっしゃいましたよ。」
広くゆったりとした空間の窓際、大きなベッドの上に小さな体のご年配の女性が、優しい笑みを浮かべ出迎えてくれた。
「先生、お忙しいのに、ごめんなさいねぇ」
「いえ、お元気そうで何よりです。」
「それが、あまりお元気じゃないのよねぇ……主人がそろそろお迎えに来たそうでねぇ…。」
「それは困りましたねぇ。もう少しゆっくりして待ってて下さいと、お願いしておいて下さい。」
「ふふふ、あの人はアレで寂しがり屋だから」
穏やかな雰囲気の中、診察しながら、少し寂しい内容の会話が進む。
このおばぁちゃんは……もしかしたら、お別れの挨拶に先生を呼んだんだろうか?そんな風にぼんやりと考えていたら、おばぁちゃんが私に視線を向けた。
「はじめまして」
「あ、はじめまして!古川と申します。」
私は慌てて挨拶をする。おばぁちゃんは、そんな私に笑顔で
「そう、そうなのねぇ……。」と少し意味深に言葉をかえしてくれた。
「東地先生が頷かない理由は、このお嬢さんがいるからかしら?」
「ええ。すみません……。」
え?私がどうかしたって?え?
先生とおばぁちゃんが、勝手に何かのお話を完結している。
私は、二人を見比べ、キョロキョロと顔を左右に振る
だが、それ以上、その会話が続く事は無かった……。
◇◇◇
「では、おばぁ様に宜しくお伝えください」
「はい。先生ありがとうございました。」
女性は玄関先でお辞儀をして、先生に何かを言いたそうな表情を浮かべる。
先生はそれに気づかず一礼をして、そのお屋敷を後にした。
車に乗り込むと、先生が一つ溜息を吐いてから、車をゆっくり発進させる。
お屋敷を出るまで、何処か緊張の表情を浮かべたままの先生の横顔をチラリと見つめながら、何か訳ありなのかなぁ…とそっと心の中で思った。
診療所へ戻り、荷物を片付けた私は、温かいコーヒーを淹れ、そっと先生の前に置いた。お屋敷から戻っている最中も、先生はどこかぼんやりしていて
少し気にはなったけれど……。でも踏み込んではいけないラインのような気もしたので、あえて何も気づかない振りをした。
誰しも踏み込まれたくない部分はあるし、私は先生とそこまで親しいわけでもない。
「先生、じゃそろそろ帰りますね。お疲れ様でした。」
「あ……ぼんやりしてました!すみません!」
ハッとした顔で、東地先生が慌てて立ち上がる
私は鞄を持ち、入り口のドアに手をかけた。
「いえいえ、先生お疲れだから、ゆっくりして疲れとって下さいね。」
「ああ……はい。でも…まだ良ければ少し時間頂けませんか?」
「え?」
「ああ……用事があったら無理にとは言いませんけど……その……ご飯一緒に食べませんか?」
先生が少し泣きそうな、困ったような表情を浮かべている。
これでは断れないではないか……。
私はニコリと微笑み「喜んで」と返事を返した。
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