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目を向ければ、入り口で仁王立ちしているガタイの良い男がこちらを、正確には小柳をにらみつけていた。
「な……なんだよあんた……」
「僕か? 僕は牛込。泉川の親友さ」
「でたらめだ」
「でたらめだと? 何なら彼との思い出をいくつか語ってやってもいいが……。ともかく、すぐにそこから離れろ悪党め」
「なんだと……」
気色ばむ小柳だったが、牛込と名乗った男が一睨みすると、ばつが悪そうに眼をそらした。
「俺の強さだけはわかるようだな」
「クソッ、覚えてやがれ!!」
小柳はそう一言いい残すと、そのまま牛込の横を速足で通って部屋を出ていった。
「はっはっは、弱い犬程よく吠えるというが……」
そういいながら小柳を見送り、それから丁寧にドアを閉めて私のほうへと向き直った。
「いやあ、危ないところだったな」
「え、えーと……いったい何が……」
「わからんか。まあ、無理もない。記憶がないんだからな」
そういいながら、牛込は巨体を揺らしてベッドのそばまで歩いてきた。
「あの、小柳ってのは……」
「大方、借金に困った小悪党だろうな。奴が何か言ったか?」
「小さいころからよく遊んでいたと……」
「そりゃ、おそらく真っ赤な嘘だ。僕は君のことを昔から知っているが、あんなのにはまったくもって覚えがない」
「そうなのか……」
記憶がないのを良い事に、どうやら私は騙されかけたらしい。
だが、同時にこの牛込という男にも私は覚えがないわけで。
彼の言うことのほうが真実だと、どうして信じられようか。
「僕を疑っているようだな……」
「だって、今君は小柳を悪党と言いながらやすやすと逃がしたじゃないか」
「それは、彼が自棄を起こすことを危惧したからさ。それでもしも、君に怪我されたらたまったものじゃないからね。ああいう輩は諦めだけは良いものさ。獲物にならないと分かった相手に長々と時間はかけない。ある意味ビジネスライクな連中だからね」
「詳しいんだな……」
「ほんの一般常識だよ。それよりも、怪我はないか? なんなら、看護婦を呼ぼうか?」
「いや、それには及ばないよ」
私がそういうと、牛込は安心したようにほっと息をついた。
「ところで、ちょっと座っていいかい?」
ソファを指さす彼に、僕はもちろん頷いた。
彼はまるで倒れ込むようにソファへ腰を下ろし、ひとつ大きな息を吐いた。
「すまない、疲れきっていてね。まあ、それでも親友が目を覚ましたとなれば駆け付けねばとは思ったが、思った以上だ。情けないな」
「……どうしたんだい?」
「そうか。君には記憶がないんだったな……。まあ、気にしないでくれ」
そういって彼が浮かべた笑みはどことなく弱々しい。
先ほどまでの力強い彼とはまるで別人だった。
そう言われてしまう時にかかる。
「情けない話さ。僕は道場をやっているんだがね。そこの弟子で一人、借金に苦しんでいる奴がいたんだ。筋は悪くないし、稽古も熱心だったもんだから、ちょっと助けてやることにしたんだ」
「借金を肩代わりしたってことかい?」
「ああ、まあそう言う事だね」
「額は?」
「ざっと……五百万」
耳を疑う金額だった。
よくその借金を肩代わりしようと思ったものだ。
「助けてやりたい一心でね。馬鹿な事をしたと自分でもわかっているんだ……」
「いやまあ……」
「今週末までに借金を返せなけりゃ、道場は無くなっちまう。親父から受け継いだ、唯一の遺産だってのに……」
そう言って、牛込は顔を手で覆ってしまった。
大きな体のはずが、肩を震わせるその姿は何とも小さく見える。
できれば助けてやりたい。
そう思った私が何か言おうとしたその時、私は見てしまった。
彼が顔を覆っている手の隙間から覗く眼を。
それを見た途端、また私は何も言えなくなった。
「なあ、助けてくれないか?」
手のせいでくぐもっている牛込の声には、何とも言えない圧があった。
何か言わねばと思いながら、何も言えず、ただ私は牛込を見つめる。
ゆっくりと、牛込が顔を上げようとしたその時、病室のドアが再び勢いよく開いた。
「ちょっと、いい加減になさいよ!!」
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