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「……だいぶ、お腹、大きくなりましたね」
わたしはお腹をさする。別に我が子がかわいいから、というわけではない。そうしていないと辛いからだ。
夫は台所で手を拭き、エプロンをほどきながら、ソファーに座るわたしの隣に座った。
愛おしいものを見ているような、優しい笑みを浮かべながら、わたしのお腹を見つめている。
夫は、わたしと結婚してからすぐに主夫になった。夫から主夫になって、あなたを支えたい、と言われ、わたしはあっさりと承諾した。
世話人がいるから、正直、主夫はいらない。しかし、夫は主夫としての仕事を全うしていた。その影響で、世話人の数が少し減った。
世話人のうわさ話を小耳に挟んだのだが、夫は退職するに辺り、父親から大反対をくらったらしい。けれど、夫は我を通した。勘当寸前まで行ったらしい。
そこまでして主夫になりたい理由はわからないが、聞く気もない。
心の中では、子供が一歳になり、離婚した後はどうするのだろうか、とは考えた。最も、他人のことなのでそれ以上、何も言うつもりはなかった。
「ええ、もう出産予定日まで、一週間ありませんから」
陣痛の間隔は日に日に短くなっていた。正直、今すぐにで生まれてもおかしくない。
それにしても、わたしは子供と言うものを甘く見ていた。することをすれば、すんなり身籠るものと思っていた。しかし、なかなかそうはいかなかった。
夫にも協力してもらい、様々な方法を試した。時には病院に行き、医師と相談することもあった。
結局、子供を身に宿すまでに三年を要した。最も、身に宿っただけ良かったと言えるだろう。
夫はわたしのお腹に触れようとはしなかった。ただただ、優しい眼差しで眺めているだけだ。体を重ねた身だ。少しぐらい触ることを咎めるつもりはなかった。けれど、夫はわたしの許可なしに体に触れようとはしなかった。
「ごはん、食べられますか?」
「ええ、少しいただきます」
「腰、支えますね」
わたしの首肯を確認してから、夫はわたしを支え、テーブルまで介助してくれた。
その時だった。
「……う、生まれるかもしれません!」
今までとは明らかに違う痛みが全身を迸った。
「わかりました! すぐに病院に向かいましょう!」
わたしは夫の支えをもらいながら、世話人が運転をする車に乗り込み、急ぎ、病院へと向かった。
「元気な女の子です」
わたしの腕の中で、生まれたての命が、生まれたよ、生まれたよと、全身を大きく動かしながら泣き叫んで教えてくれていた。
周囲にいる医師や看護師らが笑みを浮かべ、お祝いの言葉をかけてくれる。
一方でわたしは、少し寂しい気持ちになっていた。
すぐ隣の中にいる我が子を見ても、何も感じなかったからだ。
うれしい、という感情が、わたしの中で生まれてこなかった。やっと生まれてくれた、という安堵の気持ちもなかった。
無だった。
子供を見ても、泣いている赤ちゃんがいる、という程度にしか感じることができなかった。
難産で、最終的には帝王切開になった。
それでも、これほど頑張ったというのに、何も感じなかった。
「旦那様にも見せてきますね」
看護師が子供を連れて手術室の外へと向かう。夫は、おそらく、手術室の外のベンチに座っているはずだ。
わたしは目でそれを追った。手術室の扉が開き、少しだけ夫と子供の対面を目にすることができた。
それを見て、目を瞠った。
夫は、膝から崩れ落ちた。両手で顔面を覆い、肩を震わせて泣いている。看護師が戸惑うくらいだ。
夫のそんな姿を見たのは初めてのことだった。
わたしが知っている夫の姿は、いつもにこにことして、朗らかで、優しくて、あたたかなものばかりだ。
手術室の扉が閉まる。
結局、わたしは、夫が初めて子供を抱き上げる瞬間を目にすることはなかった。
それを少しもったいない、と感じていた。
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