1. 祭りと嫉妬

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1. 祭りと嫉妬

 紅白の提灯に明かりが入ると、夕闇にそれが浮かんで見えて一気に見慣れた街並みに異界感が漂う。  自動車の乗り入れが制限されて通りいっぱいにお祭りの見物客が行き交う道路の両橋にはたこ焼きや焼きとうもろこし、バナナチョコなど色とりどりの屋台が軒を並べていて、どれを買って食べようか悩むのも楽しい。 「ちぇ、花火なんてベランダからでも見れたじゃないか」 三つ歳上の恋人、洸夜が唇を尖らせるのを横目で見て、冬木はわずかに唇の端を引き上げた。 紺色から水色のグラデーションの生地にざっくりと刷毛で勢いよく描いたように染め出された大ぶりな花柄。それを腰にキリリと巻いた墨色の帯がキュッと引き締めてくれている。男が着るには少し難しそうな花柄もナヨナヨとした印象を感じさせずに着こなしている恋人が目に眩しくて、つい口が緩んでしまう。 ささやかすぎる表情の変化なので、多分隣を歩く洸夜にしかわからないかもしれない。 「……今日は普段以上にデレてるな」 洸夜は冬木の表情を見逃さない。 そのことが嬉しかった。 「すごくイイです。似合ってます」 口元がにやけていると自覚して冬木は自分の口元を手で隠しながら答える。 「そうかぁ?」 立ち止まった洸夜が両腕を広げて袖先を指で押さえつつ自分自身を見下ろした。 「浴衣姿なんて見慣れてるだろ。いつも着て寝てるんだから」 目だけをこちらに向けて困ったように目を細めながらうっすらと目元を赤くするその仕草がダイレクトに心に差し込んできて、冬木はうっと息をつめた。 三歳離れた年の差はいつも変わることなく自分と彼の間に大きな川のように横たわっているのに、そんな川を悠々と飛び越えて冬木の心の中心に飛び込んでくる。 年々その美しさと可愛らしさは増して、本当に、凶悪なくらい……冬木の心をとらえて離さない。 歳上の恋人に誰から見てもふさわしいと思われる自分になりたいと日頃から願っている冬木は、顔つきを真面目なものに戻した。 すると、ククッと喉を鳴らして笑った洸夜が、 「っぷ。冬木、表情変えたつもりだろうけど、それ、他人にはずーっと無表情に見えてるからな?」 と言ってくる。 それに首を傾げて(はにかんだ……のだが、他人からは無表情のままに見える)冬木が、 「それはパジャマがわりのやつでしょう? それはそれ、これはこれです。改めて俺の恋人は綺麗なひとなんだって再確認しました」 というと、洸夜は夕闇でもわかるほど顔を真っ赤にしてうつむいた。 「……っ。ばか。恥ずかしくなるだろ」 そんな洸夜を見た冬木も、じわりと頭がのぼせたようになって思わず手のひらで自分の顔に風邪を送ってしまう。 「言ったお前が照れるな」 拗ねた口調で言われて、ますます顔の熱が高まっていくのをお持て余していると不意に、 「あれ? 新堂君?」 と、横から声をかけられた。 見れば浴衣姿の女性三人組が何やら期待に満ちた表情でこちらに近づいてくる。 そんな彼女たちに、スゥ、と外向きの人当たりの良い……といえば聞こえがいい、単に笑顔を顔に貼り付けただけの表情を作った洸夜が、 「あぁ、こんばんは。佐藤さん」 と返事をする。 「奇遇ねぇ! こんなところで会うなんて。もしかして、二人だけ?」 三人の一番先頭に立つ女性が佐藤さんなのか……と考えつつ、冬木は洸夜がこの後どうするかと会話をする二人をぼんやりと見ていた。 二人の会話の間、佐藤の後ろにいる二人の女性が投げかけてくる無遠慮な視線が煩わしい。 一体何を期待して待っているんだ、と声を上げて聞いてやりたい衝動をじっと堪えて洸夜と佐藤の会話が終わるのを待つ。 どうやら、佐藤は洸夜の会社の取引相手の人間のようだった。 仕事関係なら自分は我慢しなければ、と思うが今日は休日なんだから今の洸夜は、俺が独り占めしていいはずだ、とも思う。 あぁ、でもそれじゃ大人の男じゃないのか。 洸夜の恋人にふさわしい、大人な、包容力のある人間とはいえないのか。 自分の中で荒れ狂う不機嫌と、聞こえてくる無駄にしか感じられない会話の応酬にイライラがマックスに達しようとしていた時、 「それじゃ」 と、洸夜が佐藤に声をかけ踵を返した。 やっと終わった……と冬木も洸夜の後に続いて(一応彼女たちに会釈はした)行こうとする。 「ちょ、ちょっと待ってよ」 焦った佐藤の声が追いかけてきた。 「なんですか」 と振り返ったのは冬木だった。 なにせ、洸夜は先にずんずん行ってしまって人の背中の波に紛れ込もうとしている。 取引先の人なのに逃げるようなことをして、仕事に差し支えないんだろうか、という疑問が冬木の足を止めたのだ。 「あー、新堂君見えなくなっちゃった。残念」 眉のあたりに手をかざして荒野の言った方を背伸びして見送った佐藤が、いかにも残念、と言う風に眉をしかめた。 冬木はイライラとして、 「なんですか」 ともう一度聞いた。 「新堂君、ちょっとイイなって思ってたのにすごくそっけないよね。ま、いいや。君だけでもさ、私たちと一緒に花火見ない?」 「いや、遠慮します」 「なんでー? いいじゃない。置いていかれちゃったんだからさ、四人で回った方が楽しくない?」 佐藤の放った、〈置いていかれた〉というフレーズが胸を抉ってきて、冬木はグッと唇を引き結んだ。 「ね? いいでしょ?」 佐藤が冬木の袖を引こうと手を伸ばす。 袖先にマニキュアで彩られた指先が触れようとした時、 「二人で楽しみたいんです。邪魔なので放っておいてもらえませんか」 ぐい、と腰を引かれ耳元に甘い息がふわりと。 振り返らなくても、ギュンと上がった自分の体温に恋人が戻ってきてくれたのだと泣きそうになる。 * 一時間後、部屋に帰った冬木はベッドの上で恋人からこんこんと説教を受けていた。 「全く、せっかく俺が無視して離れたっていうのに、なんで立ち止まるんだ、お前は……」 「だって、彼女取引先の人なんだろ? おれ、学生だからそこんとこの力関係ってわからないけど。印象を悪くしたら……」 「うちの会社の売り物はデザイン。オレじゃあない」  パクッと咥えられて、冬木は甘くうめいてしまった。中心に顔を埋める恋人の髪に指を差し込む。いつもはサラサラと指通りの良い茶色の髪が、夏の夜の湿気を含んで指にもたつく。  洸夜の唇と舌、頬の腹と喉奥が、ねっとりとそして切なく冬木の欲望を高めていく。 体の奥から迫り上がってくる熱に冬木は争うことができない。 「だ……だって。あ、あっ」 制御不能な痺れが全身を覆い、冬木は目を閉じる。 簡単にイカされてしまった。 それでも天を指す冬木のモノを口から解放して、うっとりと見つめた洸夜が冬木の両腕をとって今度は自分が背中からベッドに沈み込んだ。 手を引かれるまま、冬木は洸夜の身体に覆いかぶさる格好になる。 欲情して蒸気する恋人の顔に(自分もこんな顔をしているのか)と、(自分は洸夜ほど綺麗じゃない)という羞恥からどんな表情をしてイイかわからなくなる。 そんな自分に、洸夜は分から両膝の裏を抱え上げ彼自身では見ることができない決して他人に晒したくはないはずの、魅惑的な蕾を見せつけてくるのだ。 ひくり、と冬木のソレを請うように収縮する蕾におまわずごくりと生唾を飲み込んでしまう。 「あんな女に捕まるな。お前が捕まって良いのはオレだけだろ? 早く……来いよ」 顎を引いて見上げてくる美貌に嫉妬の色を確認した瞬間に冬木は自分の理性のたがが外れる音を聞いた気がした。 「……んっ。はっ、ン……」 「俺も。洸夜が俺以外と話してるってだけで……っ」 ……気が変になるかと思うくらい嫉妬した……。 と言った言葉は、突き上げられ穿たれる快感にのけぞる洸夜の耳の届いたかどうか……。 2022.09.03
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