河童のリドル

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「緑の爪に、赤い皿。口はうまいが、気をつけろ。皿の中には、毒がある。これ、なんだ」  高尾山で祖父(じい)のなぞなぞの答えを見つけたぼくは、旅行記ノートに書かれていた他のなぞなぞも解いてみたくなった。  この、緑の爪うんぬん、というのも、そのひとつ。  遠野旅行を記録したページに書いてあった。  凝り性のじいのことだ。高尾山のと同じように、その場所で実際に見たものから、なぞなぞをひねり出したに違いない。  皿とか爪とか、河童のイメージをほのめかしてあるのは、ミスリードに決まっている。天狗のときと同じだ。 「○年九月×日。  カッパ淵。岩手県遠野市。遠野駅より6キロメートル。  遠野駅から自転車にて伝承園。昼食にひっつみを食す。その後カッパ淵。遠野駅舎に一泊。」  じいは現地でレンタサイクルを利用して移動したらしい。元気だ。  それにしても駅舎に一泊ってのは、どういうことだ。  調べてみると、遠野の駅舎の二階はすこし前までホテルだったらしい。  残念なことに今は廃業している。  駅近くのホテルで良さそうなところを見つけた。キャンペーン期間で安くなっている。二回目のなぞなぞ旅に行け、という、じいの計らいに違いない。  仕事のスケジュールを見てみる。今週の土曜に観光し、一泊して朝早く帰るパターンなら可能だ。ホテル代がもったいないが、東北から日帰りはきつい。  ぼくはさっそくホテルと新幹線を予約した。  遠野といえば柳田国男の『遠野物語』。  民話蒐集家の佐々木喜善が遠野の伝承を語り、それを柳田がまとめたものだ。  学生のころ、民俗学のゼミで読書課題に出されたっけ。  ぼくは本棚から文庫版の『遠野物語』を引っ張り出した。    遠野へは、新花巻で東北新幹線から釜石線に乗り換える。  『遠野物語』に没頭しすぎて、あやうく乗り過ごすところだった。  遠野駅を出て、今夜の宿になるホテルを確認する。  フロントで荷物を預かってもらえるので、着替えを入れたリュックを頼むことにした。携帯、財布、家の鍵、それに飲み物を入れたボディバッグひとつと身軽になって駅に戻る。  レンタサイクルショップでは電動アシスト付で楽をしたい気持ちがかすめたが、普通の自転車を借りた。じいなら絶対、こっちを選んでいる。  すこし生暖かい風が吹いている。  自転車を漕ぎ始めると、帽子が飛ばされそうになった。あわてて深くかぶり直す。予報では台風が接近中だ。  駅から離れると、あっという間に自然の中だ。  風がざわざわと木々を揺らす。秋とはいえまだ紅葉には早い。木々の葉から道端の雑草にいたるまで、遠野の緑は東京の緑より、ずっと濃い。  濃すぎて、なんだか胸がどきどきする。    伝承園は、敷地の中に、曲がり屋、水車小屋、佐々木喜善記念館、金精様など、遠野らしい見どころがコンパクトにまとめられた観光施設だ。  曲がり屋の奥に御蚕神(オシラ)堂がある。桑の木に布を被せた千体近い「オシラ様」の迫力には言葉を失う。  体験もいろいろできるが、ぼくは語り部のおばあさんから遠野の昔話を聞くというのに惹かれた。  料金を払い、会場になっている曲がり屋の囲炉裏端に座り込む。  囲炉裏には火が入れられ、煤の匂いがする。煙たいけど、雰囲気がある。  開始を待つうち、ぼくの他に大学生らしい女子二人連れと、赤ちゃんとちいさな女の子を連れた四人家族が加わった。  着物姿の小柄なおばあさんがやってきて、座敷童の昔語りが始まった。  座敷童といえば住み着いた家を栄えさせる妖怪だけれど、遠野の民話ではむしろ見捨てられた家のほうにスポットが当たる。  使用人が主のいうことを聞かなくなって、蛇を殺すなというのに殺したり、正体不明のきのこを食べるなと言うのに大丈夫だと素人判断して皆に食べさせ、結局主は死に、家は没落する。  活字から頭に入れていた説話と、囲炉裏端で聞くおばあさんの声、しばしば何を言っているのかわからない東北弁が、縒り合わさってひとつになっていく。  ちいさな女の子は退屈してしまったようだ。  席を立ち、ぱたぱたと歩き回っている。  お行儀がいいとはいえないが、親も語り部も、何も言わない。本人もにこにこして、その顔がまたとびきり可愛いので、注意もしづらい。  昼は伝承園の中の食事処で食べることにした。  じいのノートにあった「ひっつみ」は、練った小麦粉をだしで煮た、すいとんのような郷土食。  久しぶりに自転車を漕いだから腹ぺこだ。  ぼくは、ひっつみと「けいらん」の付いた定食を頼んだ。  けいらんは、餅粉に小豆餡を包んで鶏卵の形にして茹で、その茹で汁をかけて出すおやつ。  鶏だしのひっつみはうまかった。でも、けいらんまで付けたのは勇み足だった。小豆系の甘味はあまり得意ではないのに、つい頼んでしまった。  手つかずの椀を持て余していると、視線に気づいた。  さっき語り部の部屋にいた女の子が、いつの間にかぼくの隣に座っている。 「お兄ちゃん。食べないなら、それ、ちょうだい」 「え?」  ぼくは面食らって目をぱちくりした。  食事処の中を見回す。女の子の家族はいない。 「知らない人の残りを、なんて……お父さんやお母さんに叱られるだろう」 「叱られないよ。あたし、ここの子だもん」  伝承園のスタッフの子ということだろうか。  ぼくが戸惑っていると、さっきの語り部のおばあさんが通りかかった。 「おや。ねえ、お客さん。もしお腹がいっぱいで、お残しになるようでしたら、その子にあげて下さいまし。おいやでなければ」  語りのときとは全然違う、聞き取りやすい標準語で話しかけてくれる。  語り部の孫というわけではないようだが、ここの子、というのは本当みたいだ。 「いやではないですよ。頼んでおいて残したら申し訳ないと思っていたところでした。はい、どうぞ。口はつけていないからね」  椀を渡すと、その子は慣れた様子で割り箸を取ってきて、つるつるとおいしそうにけいらんを平らげた。 「ごちそうさま。お兄ちゃん、ありがとう」 「どういたしまして。こちらこそ」    カッパ淵には駐輪場がないので、自転車は伝承園の駐輪場に置いて行った。  収穫が済んで背の高い支柱ばかりになったホップ畑を横目に、てくてく歩く。  六分ほど行くと、常堅寺という寺の裏手にさらさらと流れる川が見えた。腹ごなしにちょうどいい距離だ。カッパ淵、の立て札がある。  淵という言葉からほの暗い場所を想像していたけれど、実際のカッパ淵は明るかった。流れも澄んでいるし、何より水深が浅い。昔はたくさんカッパが住んでいたというから、もっと深いよどみのある場所だったんだろう。  時が流れて、川も変わったのだ。  昔、三鷹で、太宰治が入水したという場所がか細い流れになっているのを見たときも、同じような感慨にふけったっけ。  川沿いにたたずむカッパの置物には、どれもキュウリがお供えされている。  キュウリを釣り糸に括りつけ、釣り竿を垂れている人たちもいる。売店でよく見かける「カッパ捕獲許可証」を買ったんだろう。  ぼくも買ってみればよかったかな。  楽しい気持ちで歩いて行くと、大きな麦わら帽子を被った子どもが道端の木から赤い実を摘み取っているところに行き合った。 「その実、どうするの」 「食べる」 「おいしい?」 「甘い。けど、小さいから、これくらい集めて、こうする」  その子は掌いっぱいに集めた実を口に含み、ごくん、と喉を鳴らした。丸のみにしたらしい。 「なんていう実?」 訊いてみたが、名前を知らないのか「昔からみんな食べてる」とだけ言う。  赤い実をひとつ摘んでみた。摘んだ指先がぬるっとする。なめてみると、確かに甘い。  大きな麦わら帽子の子は、実を集めるのをやめて、じっとこちらをうかがっている。剥き出しの細い手足が、赤く日に焼けている。  せっかく食べ方を教えてくれたのに、試さないのも申し訳ない。  いくつか集めて飲んでみようか、と思ったときだ。 「お兄ちゃん。だめよ」  うしろから、女の子の声がした。 「え?」  振り返ったが、誰もいない。  伝承園で会った女の子の声に、似ていた気がする。  ぱちゃん。何かが水に飛び込むような音がした。  視線を木に戻すと、反対側にいた麦わら帽子の子がいなくなっている。  なんで急に、逃げるみたいに?  麦わら帽子の子のいたあたりに、黒い小さなものがばらばらと落ちていた。  赤い実がこびりついているから、この木の実の種だろう。  あれ。じゃああの子、丸のみにしたんじゃなかったのか。  ぼくは手の中の赤い実を見た。  面白い形だ。真ん中が窪んで、まるで入れ物のような形をしている。  赤い入れ物。赤い皿。 「あ」  赤い実のついている枝は、びっしり緑の葉で覆われている。  松の葉を短くしたような、先の尖った葉だ。  緑の爪に、赤い皿。これだ。  携帯で植物の特徴を入力し、名前を検索する。  「イチイだ」  赤く熟した実は甘くて食用になるが、中の種には致死性のタキシンという毒があるという。  口はうまいが、気をつけろ、か。  ぼくは手の中のイチイの実を潰した。  地面に散らばっているのと同じ黒い種が出てきた。  探していたなぞなぞの答えは、イチイ。そして、会ったのは……。  ざあっ。  周囲の木の葉を揺らして吹き抜ける風が、ほのかに生臭い。  ぼくは猛ダッシュでその場から逃げ出した。  伝承園の駐車場には大型バスが何台も停まっていた。  団体の客が連れ立って門を目指して歩いていく。  賑やかさに人心地つき、ぼくは大きな溜め息をついた。  あの女の子に、一言お礼が言いたい。  再入園して探してみた。  園内を隈なく回っても、女の子の姿は見えなかった。  語り部のおばあさんも、午前中とは違う人になっている。  ぼくは伝承園を後にした。  どんなに時代が変わっても変わることのないものたちが、この土地には住んでいる。じいも、あの子たちに会っていたのかもしれない。                                了
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