大和 馬飼と暴君姫

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「いいえ。吉備の商人から聞いたの。もっと西には筑紫(つくしの)(しま)という、もっと馬たちに優しい洲があるとね。しかも、そこでは二つの国が争っている。ならば、漁夫の利といこうじゃない」  百襲姫は西の空を見た。嘗て出雲を欲した日のように、その目は青く、爛々と輝いていた。 「覚えているかしら? 昔、とても大きな甲虫を捕まえたの。あの子、案の定雌に大人気。強い子どもにも恵まれたわ」  唐突な話題に、阿宜は目を丸くした。  あの大きな甲虫のことは覚えているが、今になってその話をするとは思わなかったのである。 「強い雄がより多くの子を残すように、上に立つものは強くなくちゃね。そして素質がある子は、どんどん鍛えないと。馬もいずれ、我々の国を大きく変える。──革命を起こすのよ」  豆が増えた手で、彼女は愛馬の頤を撫でる。すると愛馬は、心地良いと目を閉じた。 「筑紫洲を制すまで戻らぬと誓いましょう。幸い、向こうには父上がいるもの。それに稲生、布津、阿の父子がいればどこまでだっていけると信じてるわ」  この言葉通り、後年大和国は中つ国以南を征し、筑紫洲北部を支配した女王(ひみこの)(くに)を滅ぼした。女王国の台与(とよ)は呪力を奪われ、流刑先で身罷る結果となった。  かくして残るは南の阿蘇(あその)(くに)(さくらの)(くに)。阿蘇国は草部(くさかべの)男王(ひこみこ)が祭祀を担い、男装の女官久々知(くくち)(ひこ)(まつりごと)(いくさ)を司るという。 「久々知彦は美しい女と聞くわ。ふふ、楽しみね。強い子を挫くのは、いつだって気持ちいいもの」  百襲姫は絹衣(すずし)を翻し、夏の夜空を見上げた。天は向こうまで澄み渡り、雲一つも見えはしない。手を翳すと、先に眩い陽が灯る。  祖神の祝福のもとで、彼女は狼のように嗤っていた。
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