1人が本棚に入れています
本棚に追加
穢れた聖母
骨董品蒐集が趣味だ。
暇さえあればネットオークションやフリマアプリ、それに骨董品店にも足を運び様々なものを集めている。
特に美術品を好んで蒐集しており、絵画や彫刻を探している。
仏像なんかも好きで、節操なしに直感が働いたものを買い集めてしまっていた。同居する母なんかはとても呆れてしまっている。
頼むからこれ以上増やさないでくれと言われてしまっていたが、蒐集癖は治まることを知らなかった。
その日訪れたのは骨董品の専門店ではなく、所謂リサイクルショップだった。比較的若い層をメインターゲットにした店でブランド物の衣料品が豊富な店だが、インテリアコーナーに意外と掘り出し物があったりする。
その時もまさにそれだった。
インテリアコーナーでたったの百円。
即決で購入してしまったのはマリア像だった。
白く、着色はされていない。
量産品だろう。芸術的な価値がそれほどあるとは思えなかった。
けれどもなんとなく惹かれてしまったのだ。
別にキリスト教徒ではない。聖書なんて一度も開いたことがない。それでも宗教画は美しいと感じる。
つまりその程度の感覚だ。
それでも直感的に惹かれて購入したマリア像は自室の本棚に飾る程度には気に入った品だった。
勿論、母には見つからないように気をつけて部屋に運んだ。これ以上増やすなと言われていたのだから。
上機嫌でマリア像を眺めていた。
なんだかとてもいい買い物をした気分だったのだ。
けれどもその気分は翌朝には薄れていくことになる。
朝食の席で母の顔色が悪いことに気がついた。
「どうしたの? 風邪?」
「ううん。ちょっと早起きし過ぎちゃっただけ」
なんというか寝不足という顔だ。
母も高齢になってきたから睡眠障害に悩まされるお年頃なのかもしれない。
その日はその程度にしか考えていなかった。
ただ、母がマリア様がどうだとか呟いた気がしてぎくりとした。
まさかマリア像を購入したことに気づかれたのだろうか。
そもそも母はクリスチャンではない。むしろ毎日読経しているくらい熱心な仏教徒だ。マリア像とフィギュアの違いがわかるかすら怪しい。さすがにそれは言い過ぎだが。
その日は念のため、マリア像にハンカチを被せて出勤した。
翌朝も母は寝不足の様子だった。
けれども原因を言わない。
ただ夢見が悪いだけだと言っていた。
まあ悪夢くらい気にする必要もないだろうと、その日もそのまま出勤した。
職場に居てもマリア像のことが気になってしまう。
母が見つけて捨ててしまわないかだとかそんなことばかり考えてしまうのだ。
なんとなく落ち着かない。
さすがに勝手に部屋に入ったりはしないと知っているのに、妙な考えが頭から離れなかった。
そんなことが数日続いた。
母は日に日に顔色が悪くなり、痩せてきた気がした。
「本当に大丈夫?」
「……夢見が悪いだけだから」
そう言うくせに、体も随分ふらついている。
夢見が悪いと言うより、殆ど眠れていないのではないだろうか。
「どんな夢? 人に話すと悪い夢見なくなるとか言うでしょ?」
夢が現実にならないだっただろうか。
とにかく悪い夢は人に話した方がいいと聞いた気がしたからそう言って見た。
「そう? 突拍子もない夢なんだけど、なんだか気味が悪くて」
母は困った顔を見せながらもゆっくりと夢の内容を話してくれる。
「マリア様がね、ほら、キリストの母だっけ? あの教会とかにある白い像があるじゃない? あれがね、このところ毎晩夢に現れて言うのよ。美意子を連れて行くって」
美意子というのは姉の名前だ。今は同居していない、三つ上の姉だ。
姉はしばらく顔を出していないはずなのに、どうしてそんな話になるのだろうか。
「毎晩毎晩ね、もうすぐ美意子を連れて行くなんて言うから気味が悪くて」
「いつからそんな夢を?」
訊ねて、聞いたことを後悔する。
「先週の末あたりだと思う」
つまり、あのマリア像を購入した日から、聖母を騙る何者かが母の夢に現れ、姉を連れて行くなどと言っているらしい。
これは、あのマリア像になにかがある気がする。
そうでなければ母が急にマリア像の話をするなんて思えない。
慌てて部屋に戻ってマリア像を確認する。
最早惹かれたときの美しさを感じられなくなった。
なんというか、くすんで見える。
奥底から禍々しさが湧き出ているようにさえ感じられた。
どうしたものか。
壊してもっと悪いことが起きない保証はない。
捨てるか。
しかし、手元に戻ってくる可能性がある。
経験上、骨董品は手放しても手元に戻ってくることがあるのだ。
ゴミ捨て場から家族が拾ってきてしまったり、オークションサイトで販売した相手が知人で手放したはずの品が贈り物として手元に戻ってきてしまったり。
直感的に、このマリア像は戻ってきてしまう気がした。
そうなると、海や川に流すか、埋めてしまうのがいいだろう。
埋めると言っても自宅の庭は絶対に嫌だ。この禍々しい物が敷地内にあるなんて耐えられない。
最早耐えられないと感じられてしまうほど、像は禍々しく感じられるのだ。
近場を考える。けれどももっと遠くへ。
出来れば穢れなんかと縁がなさそうな場所に。
そして閃いたのが隣町の神社だった。
その神社の周囲には国有林がある。そこならば。
そう考えついてからの行動は速かった。
園芸用の小さなスコップと、ハンカチに包んだマリア像を持って車を走らせる。
片道一時間ほどの距離だが仕方がない。
このマリア像とお別れしなくては。
周囲に人の気配がないことを確認し、国有林に入る。
少し奥まで進んで、一際大きな樹を選び、その根元を掘った。
ここならあまり目立たないだろう。
頼むから戻ってこないでくれ。
像を埋めるにしてはやや大きな穴を掘り、その中に像を寝かせる。
くすんだ聖母が、黒い涙を流しているように見えるのはきっと目の錯覚だろう。
直視するのが嫌で、像の上にハンカチを被せ、その上から土を盛っていく。
いかないで。
声が響いた気がした。
どこからかなんて考えたくもない。
像から響いていると直感した。
いかないで。
女性の声に聞こえる。
縋るような憐れな声に聞こえてしまう。
像が喋るなんてありえない。
必死に土を盛る。二度と出てこないように。
それから最後に近くにあった大きめの石を、蓋をするように乗せて、大慌てで車へ戻った。
おいていかないで。
耳元で声がした気がしてびくりとする。
けれども見渡しても像は見えない。
早くここから離れないと。
そこから大急ぎで家に戻った。
その後、母の悪夢はぴったりと止んだらしく、徐々に顔色が戻ってきた。
「本当に、悪い夢は人に話した方がいいのね」
嬉しそうな様子に安堵する。
姉にも連絡してみたが、特に問題はなさそうだ。
いや、問題は残っている。
あの国有林の側を通る度に声がするのだ。
おいていかないで。
もどっておいで。
そして、来月から変わる勤務先が、あの国有林の側なのだ。
最初のコメントを投稿しよう!