はいごにトロトロ

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「はい……はい…」  一応頷いている。といったところだろう。 極力、気のない返事はしない様に努めている。 「はい……そこで、えぇ……空からですか…」 「そう!空から女の子達が降りてくるんですよ!」 「はぁ……フライストーンで…」 「ストーンとね!フライでストーンです!ストーンと落ちて来るんです!」 「はぃ…」  ここは埼玉県所沢市。  JR武蔵野線の東所沢駅を降りてタクシーを15分程走らせたところにある某漫画家の自宅である。 「えっとぉ、そのぉ、ですねぇ…」  どう返事をしたら良いものか、考えあぐねた様子の彼は新人編集者。 「どうです!?これは全く新しいホームドラマなんですよ!」  興奮して口から唾を飛ばしているのはこの家の主、某漫画家大先生である。20年以上前の初連載が大成功を収め、アニメ、映画やそのグッズでひと財産を築いた。 「超古代文明の末裔である二人の女の子が、フライストーンを抱えて空から降りてくるんです!偶然にもそれを目撃したのは!したのはねぇ!誰だと思います!?」  それ以降目立つヒットはないものの、コンスタントに描き続け刷り続け売れ続けるベテラン漫画家である。  誰がいったか『ストーリーが上手くならない漫画家』。  彼の作品は、連載開始時に独創性溢れる物語や設定で目を引き、ラスト数話でいきなりまとめるものが多い。酷い時には歴史年表のような文字だらけの数ページを読者に叩きつけ連載を閉じるので、コレはヒドイとネットミームになった事もある。 「聞いてますか!?ねぇ!」  そんな彼の主だった連載先である某出版社は、彼の連載がひとつ終わると、新人の編集者を彼の元に寄越す。 「誰だと思います!ねぇ!あなた!ねぇ!」  それは表向き『とりあえずこの先生の相手をして漫画家の扱い方を学んでくる』というイヤな理由からなのだが、 「はぁ、えっと……その文明を探しに出たまま失踪した冒険家の息子、とかですかね?」 「…………………ちっ、なんだオマエ。ホント使えねぇヤツだな」 その実は『編集部は常に人手不足である』というイヤな理由によるものだ。 「え、すみ……申し訳御座いませんでした」 「普通よぉ!いわねぇんだよ!そーゆーのはさぁ!漫画家を描く気にさせるのが編集の仕事じゃねぇのかなぁ!?」  この漫画家は大ヒットにより、寧ろその勢いを落としてしまったと、編集部では囁かれている。 「どうしようもねぇなぁオイ!全く今時の若者はよぉ!」  下手に成功してしまったため、その後やり方を変えられなくなってしまったのだという。  次は次こそはという周囲の期待に圧し潰され、稀代の天才はいつしかただの一発屋へと堕ち果てた。 「どんな手ぇ使っても机に齧り付かせるのがオマエの仕事だろお!?」 「申し訳御座いません…」  別に編集者でなくとも知っている。  余程の才能でない限り、世間で流行る全てのコンテンツは『まぐれ』である事を。  後の扇動に関わらず、先ずは煙が立たねば火はつかないのだ。 「なんでこんなの寄越して来るんかなぁ!もうオマエのトコじゃ描かねぇぞって編集長に言っとけよオイ!」  目の前で激昂するこの男は、天から幸運が落ちてきただけの凡人。  花は咲いた。実もつけた。しかしそれは一度限りで、以後は蕾もつけず、また枯れもしない。  上下巻で終わる漫画を20年描き続けている。  漫画を描いて暮らせるだけの、偉大なる凡人。 「そ、そんなぁ。先生ぇ、勘弁して下さいよぉ。先生が描いてくれないと、ウチの会社潰れちゃいますよぉ」  よくよく言い含められて来たのは、とにかく頭を下げる事と、このセリフ。 「……ふん、そう言っとけば頭の血も下がるなんて言われてきたんだろ?オマエんトコは全員そうだ」  何を言われても腹に飲み下せと言われた。コレはある種のプロレスである。 「次は無いからな。原稿落としたくなきゃ言葉に気を付けろよ」 「はい……すみませんでした、はぃ…」  絵は上手い。飛び抜けたヒットはないものの、出版されれば、ごく熱心な彼のファンが幾らかは買う。  書籍というコンテンツが年々売れなくなっていく中、どれくらい刷ればどれくらい売れるのか、見通しの良いこの商品の存在は実は天才なんかよりも余程にありがたい。 「でぇ、ですねぇ。今の連載は…」 「畳む畳む。畳みましょう」  大先生もその辺の事はよく理解しているのだろう。先程のプロレスの事もそうである。  彼にとっての漫画はつまり、ただのビジネスに落ちたのだ。ならば原作でもつければいいのにと、新人編集者はこっそりため息を吐く。  絶対に伝えたりはしないが、ああ、いや、表面では大ファンですと伝えてはいるのだが、事実、この新人編集者は漫画家の熱心な信者の一人であった。 「た、畳むって先生ぇ。ついこの間、やっと第三ステージに…」 「死ぬ死ぬ、主人公殺して終わり。それより次の話しましょうよ」  彼の描く物語はいつでも新しく、新人編集者は幼少時よりその虜だった。  唐突な終幕は編集者のせいなのだと、自らが担当になるまでは固く信じていた。絶対に描かせ切ってやると決意していた。  しかし実際、飽きたら捨てていたのは漫画家側で、ポテンヒットのためというか、やむにやまれずそれを許していたのが編集側だったのである。 「………はぃ、是非伺いたく存じます…」  どうしても肩を落としてしまう。まあ本来ならそこを何とか宥め、今の連載に向かわせる事こそ編集者の腕なのかも知れないが。 「空から落ちて来た二人の女の子。名前も決まってますよ。姉の名前は屋根フヅキ、妹はジュライです」  気持ちがどんどん落ち込んでいく。この話に関しては、寧ろ積極的に盛り下げていくべきなのではないだろうか。許可した、と後からこちらの責任にされても困る。 「二人ともゴ……七月生まれなんですよ。ええ、七月、七月生まれです」  繰り返すがここは所沢。となりの八国山である。 「はぁ、では二人を拾った男は『バズウ』とかですか?」 「お、いーですねぇ。丁度BUZZともかかってますしね」 「かかってますしね?」 「あ、いやいや、良い名前です!とても良い名前だ!」 「おうちはオバケ屋敷ですか?オンボロの」 「そうそう!すごいなあ!あなたエスパーですかあ!?」  先程のは本当にプロレス以外の何でもないようだ。設定をどんどん言い当てていく新人編集者に、今度は怒る事もなくニコニコと頷いている。どうしたものだろう。 「でね!?あなた!フヅキとジュライの持っていたフライストーンに引き寄せられて、超古代文明に保管されていた生物兵器が目覚めてしまうんですよ。ボロすぎて少し腐ってやがるんですが」 「うわぁ、すごいなぁ。どうなっちゃうんです?所沢」 「あれ?所沢が舞台だなんて私、言いましたっけ?」 「あ、いや……その…」 「でも良いですね。あなたが!あなたがそう言うならソレ!採用しましょう!」 「あ、ちょ!ちょっと待って下さい!」  巻き込まれている、ソレは本当に良くない。もういっそ怒らせてでも止めねばと、わざと気のない返事をしていて、気が付けば当事者になりかけていた。 「超古代生物兵器がね!普段は3人の生活を優しく見守っているんですが、どうにも立ち行かなくなったときにね!ふと、背後に立っているんですわ!グログロの半分溶けたようなのが!」 「ちょっと待って下さい!先生!一旦気を落ち着かせて下さい!」 「ジュライが名付けるんです!溶けたヤツに身体半分浸かりながら!あなたはトロトロっていうのね!?なんて!」 「あー、あー!もうこんな時間だ!えっと、も、持ち帰りで上にそ、相談してきますので…」 「トロトロはサイズの違うのがいましてねあなた!」  止めてくれない。 「…………大、中、小ですか?」 「はいはい!そうです!三つ造りましょう!」  とうとう新人編集者は諦めた。どうせ怒られるのだ。聞くだけ聞いて上に言いつけよう。原稿落とす事になってしまうかもしれないがもう構わないだろう。下手に止めてもどうせ描いてはくれない。 「大トロ、中トロって、なんか寿司みたいですね?」 「いいですね!じゃあ小さいのは赤身にしましょう!」  ジュライちゃんの好物はお寿司になりそうだ。トロトロの半分腐ったような生物兵器に食べ物の名を与えるとは、かなりサイケデリックな娘である。 「バズウの母は入院しています。3人で暮らす事を余儀なくさせるその生活は苦労や失敗の連続でしょう。これがドラマっちゅうもんですよあなた」 「余儀なくされますかね?」 「させます!」  力強く頷いた大先生。それは多作であるが故の自信なのだろうか。確かに彼は過去、凡ゆるジャンルの物語を違和感なく誌面に踊らせた。  なれば、多少無理のある設定も『お手のもの』なのか。 「…………ふむ、先生。すると、そのお話はいわゆる日常系というか、少なくとも冒険譚ではないという事ですか?」 「え?ええ!ええ!もちろんです!私ホームドラマと最初に申しました!」 「うん…」  新人編集者は腕を組み、もう一度唸った。大分失礼な態度だろうが、彼の前で興奮気味に設定を捲し立てる漫画家には彼の姿は映っていない。きっと合いの手をいれるだけのカカシのような何かに見えているのだろう。 「トロトロは超古代文明で使われていた道具のようなものとか、もしかして持ってたりします?」 「あ、いーですねぇ!空飛ぶベーゴマとか!犬の形をした電車とか!」 「うん、そーゆーあからさまなのはともかく……うん、うんうん…」  それならどうだろう?  恐らく大先生が想定しているであろう3人の年齢をもっとお年頃にして、一つ屋根の下で少しお色気を塗して。場所と見た目と名前だけはもうそっくり変えてしまって。  ある日突然やってきた二人の美少女。保護してるうちに、なんやかんや一緒に暮らす事になって。  超古代文明の利器によって巻き起こるアレコレ。その中に、くっつくくっつかないの恋のヤキモキとか、ちょっとHなトラブルなんか起こったりして。  コレは、持ってき方によっては何とかなるんじゃないだろうか。 「ちょっと上に相談してみます」 「あなた先程そう仰ってたじゃないですか」 「あ、いえ。あぁ……はい…」  やはりこの漫画家のファンだからだろうか。降って沸いたそのアイデアが、目の前で形造られていく事に新人編集者はワクワクを感じ始めている。  今の連載も正直このまま凡作として果てるだろう。例によってスタートダッシュはよかったが直ぐに失速してしまった。  例のごとく上下巻で切り上げて、こっちに舵を切らせてみてはどうだろう。 「すぐ、すぐ出ます。今、会社に一旦戻ります。相談したら戻ってきますので、先生、先生はあの……原稿を…」 「あ、はいはい。いってらっしゃい」  今まであからさまにうんざりしていた新人が、急に憑き物でも落ちたように晴れやかな顔をしはじめたので、却って引いてしまったのだろう。少したじろぐ漫画家。新人編集者は机の上に出していたものを急ぎ鞄に放り込む。 「通しましょう、『背後にトロトロ』。なんか楽しくなってきました」 「ああ、いーですねそのタイトル。ぽくて」 「ぽく……ええ、いけますいけます。名称等、変える箇所はたくさんあるとは思いますけど…」 「はいはい、変更あれば遠慮なく言って下さい。ちゃんと描きませんので」 「いやあ、新人編集者が必ず先生の担当になる理由、何か今なら分かるような気がはい?」  思わず聞き返してしまった。何か日本語が少し変だった様に感じる。 「ん?変更、あります?何です?」 「変更あるなら描きません、私」  どうやら聞き間違えではなかったらしい。 「いや、あの先生。そのままっていうのは無理ですよ」 「どうして?」 「ど、どうしてって…」  まさか、知らぬ存ぜぬは通らぬだろう。言葉につまる新人編集者に、漫画家は「はっはっはっ」と快活な笑い声をあげる。 「いやあなた、新人さんが担当になる理由とかなんとか、先程仰ってましたね」 「は?え、はい…」  不意に話がズレて戸惑う。誤魔化されようとしていないだろうか。 「何か聞いてないんですか?本当に?」  話がどんどん逸れていく。新人編集者は「なにかですか?」と、眉を顰める。 「それは、その……連載終わりに新人が先生の担当に代わってですね?次の連載を通して漫画家という人種がど……絆を深めるみたいな、その…」 「あなた何いってんです?」 「いや、余りの事で…」 「逆です逆」 「ぎゃく?逆というのは…」 「連載が終わると、新人さんが担当になるんじゃないです」  混乱している新人編集者に、 「新人さんが入ると、連載が終わるんです」 その『何か』を明かす漫画家。 「凡ゆるジャンルを描きました。みなさん、他と被らない様に一生懸命ストーリーを作って来られるので、どれも独創性があってねぇ…」  ストーリーが上手くならない漫画家の、正体。 「それでね?だからあなた、私、唯一描いた事ないジャンルがあるんですよ」  にたーっと笑うその顔は、まるであの作品のキャラクターのようである。 「こっちから設定出すなんて初めてです。あなた、ねえあなた、本当に何にもお聞きになってないんですか?」  なんという事はない。 「パロディをね、私、描いてみたいんですわ」  語るに落ちるという話だ。 「ちゃんと頼みますよ?何かあなた心配だ」  話も落ちた。  気分も落ちた。  原稿も結局落ちた。
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