第1話 カービングナイフ

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第1話 カービングナイフ

 ____呼んでる。     実際に何かが聞こえたわけではないけど、自然と“そう”だと分かる。こういう風に夜中、目が覚めるのは実はそんなに珍しいことじゃないんだ。  2部屋しかない、この小さな木造の家は僕の職場、兼住居だ。ベッドの上に身を起こし、寝る時ですら外さないペンデュラム型の耳飾りに指を当てる。特に意味はない。ただ習慣で、ここに“ある”ということを確認してしまうだけだ。 7dbae4ad-8072-4643-b88f-20f6a0b2d53d  一連の習慣を終えた後、黒いローブを羽織りフードを目深に被る。大切な品物たちと触れ合う時の正装だから、これは疎かにできない。 ??? : (ちょっとまってね。)  ベッドと着替えくらいしか置けない寝室の隣はすぐ職場だ。そうはいっても、たまに訪れる客のために備え付けた小さな机以外は壁の3方向を棚で囲われている。そこに溢れかえる魔法骨董の数々が僕の取り扱う商品たちであり、スタッフみたいなものだ。僕はもう慣れたけれど、恐らくは圧迫感を感じる構造になっていると思う。  小さな硝子のオイルランタンに火を入れて机に置く。電気が通っていないわけじゃないけど、この子たちの声を聞くときにはあんまり明るいと気が散っていけない。優しい暖色の光がゆるく部屋を灯すくらいがちょうどいいんだ。  揺れる炎に照らされた自分の影が壁に揺らめくのを目の端に感じながら棚に歩み寄る。 ??? : (さぁ、来たよ。呼んだのは、誰?)  その声を聞き取るのに、変に気を張る必要はない。常に耳にあるペンデュラムが、必ず僕の耳に声を届けてくれる。僕はただ落ち着いてそれを受け入れる。  棚の縁を撫でながら、順繰りに彼らの姿を目で確認していく。  ____ああ、この子だ。  それは、皮で仕立てられた鞘に納められた小さなカービングナイフ。豪勢な彫り物があるわけでもなければ、特殊な焼き印が入っているわけでもない。だから、何も知らない人が見れば、その辺で市販されているものと区別がつかないだろう。それでもこれは、列記とした魔法骨董だ。 ??? : (その時が来たんだね。うん……わかってる、お別れをはじめよう。)  しっとりと人の手に馴染む皮の手触りを確かめながら、そのカービングナイフを丁寧に棚から取り上げる。硝子のオイルランプを中心に揺れる明かりの元へそっと置き直してから、自分はその正面に腰を下ろして椅子を手前に引いた。フードの中に手を差し込んでペンデュラムに触れれば、仄かに熱を持っているのが分かる。  彼らがその魔法の力を失う時、こうして僕に語り掛けてくる。その身に起きたことの断片を。力を持っていたが故に起きる幸と不幸があふれ出して来る。まるで超新星のように強く輝くその瞬間を僕はここでひとり拾い集めるんだ。  静かに目を閉じて、余計な雑念を頭の中から振り払う。自分自身を凪いだ水面に変える。そうして準備が整えば、目の前の魔法骨董から伝えたい情景が流れ込んでくるんだ。 ______________________  まず見えたのは、目尻に深い皺の刻まれた老人の姿。彼が最初の持ち主らしい。木材から小さな造形物を彫り出す腕利きの彫刻師だ。元から技術のあった人物だったが、晩年微かに魔法の力を帯びたこのカービングナイフを手にしたことで拍車がかかった。  そのカービングナイフで作られた彫り物からは“一瞬だけ”手にした者と心が通じる不思議な力が宿った。とても素晴らしく今にも動き出しそうな作品に対して、魂が宿ったかのようなという表現をすることがあるが、このカービングナイフを用いた場合、それは事実となった。  ただそれは人には自覚できない程に僅かな時間で、そこにどんなやりとりが生じたか記憶するまでには至らない。しかし、その一瞬で手にした者は彫り物への愛着が生じて生涯大切にしてもらうことができる。  老人は、物と人とが見えない優しい絆で結ばれることを微笑ましく思い、頼まれたものをいつでも快く作り出していた。  この魔法のカービングナイフにとっての転機は、持ち主が彼の孫に引き継がれた時だった。年老いた彼は自然の摂理に則りこの世を去り、形見となったカービングナイフは、老人に憧れて彫刻師になったもののまだ年若い人物だった。  その人物はカービングナイフに不思議な力が宿っていることを知っていた。老人は、その魔法の力について話してはいなかったが、そういうものに敏感な人間は存在する。そしてそれが、運悪く良くない方向に事を運んでしまった。  老人は、頼まれたものしか作らなかった。すでに有名人だったため、それで十分仕事があった。だが、まだ未熟な新しい持ち主にとって状況は同じではなかった。老人とは違うアプローチをする必要があると考え、自ら特定の人物に合わせた物を作り魔法の力で縁を結ぼうとしたのだ。  決して悪意からではなかった。しかし、その不思議なカービングナイフに宿る魔法の力は人の心に作用する繊細なもの。こちらから仕掛けていったことで、謀らずとも呪いの形式になってしまっていた。  客の中に軽い不調を来すものが増え始め、それが幾重にも積み重なることでやがて悪評を生む結果となる。それが、魔法の宿るカービングナイフの力を頼った所為だと気付かないほど、若者は愚かではなかった。  誰も悪くはなかった。年若い彫刻家も新しい試みとして使い方を工夫しただけだった。結果呪いとなってしまっただけで。魔法の力自体も悪いものではなかった。力も道具も使い方を間違えると危険だという、道具としてごく当たり前のことが起きただけだった。強いて間違いを示すのならば、まだ技術の未熟な人間の手に渡ってしまったことだろう。  そうして、まだ年若い彫刻家は決意する。  二度と魔法の力には頼らないと。手元にあると、今度こそ良くないことに使ってしまうかもしれない。祖父の形見の道具でそんなことをしたくないと思い、ここに来ることになった。  脳裏に映る映像は、この店に来て僕の手によって棚に安置されるところまでたどり着く。明度が落ち、ノイズがかかってくる。もう、終わろうとしている。 ??? : (聞かせて。君が誇りに感じていることを。) 念じると、ふと映像が切り替わる。  手のひらに乗るくらいの小さな木の置物の数々。多くは小動物の姿をしている。それらが次々にスライドショーのように浮かび上がっては消えていく。出来栄えの未熟なものもあった。持ち主が代わってからのものだろう。道具にとっては、その作品の出来栄えなんてどうでもいいに違いない。 ??? : (人と共に作り上げた沢山の作品の数々が、君の誇り。ありがとう。じゃぁ、最期に……君は道具として、どうなりたい?)  そう問うと、今度は作品を手に嬉しそうに笑いお礼を言う客の姿が次々と浮かぶ。そして最後に、皮の鞘に収まる現在のカービングナイフの姿。  ほんの少し胸の奥が縮むような息苦しさに見舞われて眉間が寄るのを感じた。ああ、分かったよ。 ??? : (君もあんなふうに大切にされたいんだね。大丈夫、僕に任せて。綺麗に手入れして、とびきり君を大切にしてくれる人のもとへ行けるようにしてあげる。)  安心させるように胸の内でそう念じると映像のノイズが激しくなり、やがて目の前は暗転していった。  ああ、君はもう何者でもなくなったんだね。そしてここからは、純粋な「道具」としての君が始まるんだ。  何も聞こえてこなくなった年季の入ったカービングナイフを手に、少し羨ましく感じている。そうありたいと願い、その姿になり得たこと。  それを僕は確かな形で証言できる。  少なくとも、それを仔細に記録することこそが僕の仕事だ。 0e37165d-76c3-4715-989f-63bea9bcc18b ______________________ 【日付】2022/09/03 【品名】カービングナイフ 【見た目】 刃幅:9mm 刃先:35mm 柄の長さ:135mm 柄の長さを合わせても15センチ余りのカービングナイフ。 刃先を曲線状に研ぎ直し、且つ鋼側に湾曲させたもの。 【能力】 そのカービングナイフで作られた彫り物からは“一瞬だけ”手にした者と心が通じる不思議な力が宿った。それは自覚できない程に僅かな時間で、そこにどんなやりとりが生じたか記憶するまでには至らない。しかし、その一瞬で手にした者は彫り物への愛着が生じて生涯大切にしてもらうことができる。 【エピソード】 1.持ち主が変わった もとは祖父の持ち物だった。 技術の高い彫刻家でナイフの不思議な力も相まって人気があった。 祖父からは何も聞かされていなかったがもともとの魔法の才能の所為でただのナイフでないことに気づいていたため、ずっと気になっていた。 2.新たな使い道 相手の望んでいるものをこちらから迎えに行けばもっと需要を満たす商品が作れると思った。結果、カービングナイフの力は呪いとなった。 3.決断 不思議な力に頼ることを辞めることにした。そのまま、使われることがなくなった。 【最期の思い】 人と共に作り上げた作品の数々が誇り。 今後は道具として、何よりも自分を大切にしてくれる誰かのもとへ。 ______________________  一通りの記録を付け終わって息をつく。  僕も、そうだったんだろうか。  この姿は、そうありたいと願った姿なんだろうか。  いくら記録を捲ってみても、僕自身の記録は出てこない。名前という、ごく単純な記憶すら残されていない僕自身のことは誰も証言してくれない。  人から呼ばれる「魔法屋」という代名詞だけが僕を辛うじて支えている。 ??? : 「____。」  ひゅ、と喉笛が空を切る音がする。その現象に、嗤おうとしていたらしいと思い至る。声すらも失われ、人と話すこともままならない。  僕は一体、いつから“こう”なのか。  何故こんな生活をしているのか。  不思議な道具たちに囲まれていることに意味があると信じ__  僕は、魔法骨董と共に、ここに眠っている。 <第1話 カービングナイフ -完->
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