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光があんな状態になるのは初めて見た。多分あの光はカナエの弟の光に間違いない。一体どうしたんだろう。
私は光を見つめながら光の真下を目指して走った。行き交う人たちは、きっと私は何を見上げながら走ってるんだろうと思ってることだろう。けど、そんなことお構いなしに私は上手く人波を掻き分けながら光に近付いた。
光のほぼ真下まで近付くと、光はピタリと止まっているわけではなく、小刻みに震えているのが分かった。そして、次の瞬間、光は再び降下を始めた。でも、その方角はカナエがいる市立病院とは真逆だった。
「さっきまでは病院に向かってたのに。このままじゃ…。」
どうしたら良いのかわからない私は、とにかく降下を始めた光を追い掛けた。
「駄目、光を病院に…カナエのお母さんの元に届けないと。でも、どうしたらいいの。」
もう息が切れて胸が苦しくて、普段運動しない私は既に足に痛みを感じていた。けれど、ここで諦めたら一生後悔しそうで、解決方法など思い浮かばないけど、とにかく光を追い掛けた。
あんなに嬉しそうだったカナエを絶望の表情に変えるわけにはいかない。
「ねぇ!!カナエが、お姉ちゃんが君を待ってるんだよ!!」
私は涙を流しながら、光に向かって叫んだ。すると、自分の右手が光っていることに気が付いた。空の光と同じ色をした光は徐々に私の掌に収まり、油絵の筆へと姿を変えた。
「…え?これは。」
何だろう、驚いてる暇もなく、私はこの光の筆の使い方を最初から知っていたかのように、これから自分が何をすべきかを頭に描いていた。
私は足を止めて目の前の空中に筆を走らせた。描いたのは天使の羽。光の筆からは黄金に輝く絵の具が現れ、描いたものは生命を持つように動き出した。私はその羽を肩に付けると空に舞い上がった。
他人の目など気にする余裕もなかったが、地上では何事かと私を見上げて、声を上げてる人だかりが一瞬見えた。
後のことなんてどうでもいい。今はカナエの弟を。
私はゆっくり降下する光を追い掛けながら、筆で虫網を描きあげた。
「ちゃんとカナエん家に生まれてー!」
私は光に近付くと虫網を振り下ろして捕まえようとしたが、光はまるで生き物のように網を避けた。
「何でよ!」
私は何度も網を振ったが、光は一貫して網を避けて、ピューッと真横にスピードを上げて逃げてしまった。
「ま、待ってよ!そっちじゃないってばぁ!」
私はすぐに筆で小さなロケットエンジンを描くと背中に背負った。そして、光の粉を噴き出しながら逃げた光を追い掛け、すぐに追い付いた。
「待てぇ!」
光は私に追い付かれたことに驚いたように飛び跳ねると、スピードを上げた。
「くぅー、もうちょい。ほんとにあの光自体が生き物みたい。」
ロケットのエンジンを出力MAXにして追い掛けた。
その頃。
分娩室の前で待っていたカナエとカナエの父は、分娩室の中が騒がしいことに気が付いた。
「お父さん、う、産まれたのかな?」
「…でも、何か変じゃないか?」
カナエが耳を澄ませると、分娩室の中から微かに「泣かないぞ。」「呼吸は?」などと声が聞こえてきた。
「…え、嘘…。」
カナエは恐怖で身体を震わせながら、父親に抱きついた。
「ねぇ、お母さんも赤ちゃんも大丈夫だよね?」
「あぁ、きっと大丈夫だ。」
父はカナエの頭を優しく撫でながらも、分娩室の扉をじっと見つめていた。
「もう!言うこと聞きなさいよぉ!」
…やばいよね。帝王切開ってことはもう下手したら赤ちゃん生まれてるんじゃない?…考えろ、考えろ。何でこの赤ちゃんの核、魂は逃げてるんだろ。せっかくこの世に生まれてきたのに。
…もしかして…不安?
この魂がどこからやってくるのかは私は知らない。それこそ神様が創り出しているのだろうか。それとも輪廻転生ってのが本当で、亡くなった誰かの魂が、再びこの世に戻ってきてるんだろうか?
もし、そうだったら、新しい世界が不安なのかな。再びこの世に生まれてくることが怖いのかな。
よし!追い掛けないで、一か八か!もう時間ないもんね。
私は筆を手にし、目の前の空間を大きく使って筆を走らせた。
「…ねぇ!こっち見てぇ!!」
私の叫びに光はピタリと止まった。
1分後。
「ねぇ!お父さん!何か変だよ!」
「…あぁ。」
分娩室の扉が開き看護師が飛び出してきた。
「あ、あの、妻は!?子どもは!?」
父の必死の問いかけに看護師は焦りながらも一旦足を止めた。
「生まれてもまだ自発呼吸を始めません。応急処置をします。またお呼びしますので、こちらでお待ちください。」
看護師は頭を下げて走り出した。
「…そんな。」
カナエは涙を浮かべながら父の腕を掴んだ。怖くて震えていた。父はカナエを安心させるため頭を抱き寄せた。
「大丈夫。大丈夫だから。信じてまと…」
「オギャー!!オギャー!!」
「えっ!?」
分娩室の中から大きな赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
「お父さん…今泣いた…よね。」
「あぁ、元気に泣いてる。泣いてるよ。」
二人は手を取り合って笑うと、涙を流しながら分娩室を見つめた。その時、カナエは気配を感じて後ろを振り返った。丁度誰かが角を曲がっていく姿が見えた。
「…え、トモミ?…まさかね。」
私は緊張感から解放されてか、自然と涙が溢れていた。
…良かった。ほんとに良かった。カナエ、嬉しそうだったな。
あの時、私は大きくカナエの家族を描いた。
優しくて暖かな笑顔、あなたを迎えてくれるのは素晴らしい家族だよって、安心して元気に生まれてきてって伝えたかったんだ。
魂は何秒か輝く絵を見ると、病院に向かってくれた。余りのスピードに追い付けなくて、私が病院に着いた時には元気に産声を上げていた。
「やっぱり生命の誕生って奇跡なんだなぁ。」
私はどっと疲れが出てきたけど、満足感に溢れていた。気が付くとさっきまで持っていた光の筆は消えていた。
夢じゃない、現実だった。でも、誰にも説明ができない素敵な体験。
私は、病院の外に出ると、空を見上げた。
9月初めの雲一つない快晴の空は何やらキラキラと輝いていた。よく見ると、太陽に照らされて光輝く粉が舞っていた。さっき空に描いた絵が散ったのだろうか。
「…ありがとう。」
私がそう呟くと、光の粉は空に溶けてくように消えていった。
何やら街は騒がしい。
私は、空を見上げる群衆の中を笑顔で通り抜けていった。
ー 完 ー
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