ファーストラブ

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「秀くん、顔洗った!」 トーストとちょっとしたサラダ、それにヨーグルトをリビングのローテーブルに並べていると、うしろからぎゅっと葵が抱きついてくる。 「はいはい」 「…んぅ、」 そして俺が振り返って、おはようのキスをするのは毎朝の決まり事だ。そして毎朝のことなのに、毎回頬をほんのりと赤く染める葵は、やっぱり控えめに言ってもめちゃくちゃに可愛い。 「朝ごはん食べよ」 「うん!」 仲良く並んで座り「いただきます!」と手を合わせる。すっかり目が覚めてご機嫌にトーストを頬張る葵を見つめていると、視線に気付いた葵が何?と首を傾げた。 「葵のお父さんって、どんな人?」 「お父さん?」 あの挨拶の日以降も、俺と葵は何度も葵の実家にお邪魔してご飯をご馳走になっている。それは毎回楽しい時間なんだけど、お喋りしているのはほとんどが葵とお母さんで、お父さんはただニコニコとその話を聞いていた。 「お母さんは結構賑やかって言うか、よく喋るけど。お父さんは寡黙な人なのかなぁ…って」 「うーん、そうかも。あんまりべらべら喋んないかなぁ。でもすっごく優しいよ?」 それは、分かる。お父さんが葵やお母さんに向ける眼差しは、いつだって優しくて愛おしさが溢れているから。 「葵はお母さん似だよね」 顔も、中身も、絶対にお母さん似。もちろん褒め言葉として言ったけど、どうやら葵は不服だったようで「どういう意味!」と唇を突き出した。 「お母さんみたいに明るくて、可愛いから。俺もお父さんみたいになれるかなぁって思っただけだよ」 「…な、なにそれ…!」 さっきまでむくれていたのに、今度は顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせた。ころころと変わる表情に頬が緩む。本当に、葵と一緒にいて飽きることなんて一生ないと思う。 葵と出会ったのは、葵が高校2年生になったばかりの頃だ。 俺が働いているお店に葵がバイトの面接でやってきた。ずいぶん若い子が来たぞと思ったらまさかの高校生で、うちとしては平日休日に関わらず日中に働ける人を希望していたから高校生は無理かなぁ…と思っていたけど、葵は「通信制の高校だから大丈夫です!」と言った。 葵の笑顔に絆されて、それならじゃあ…と、面接を任されていた俺はすぐに葵の採用を決めてしまったわけだけど。 少し仲良くなってから、どうして通信制の高校に通っているのかと聞けば、葵は少し寂しげに顔を伏せて「中学の途中から学校に行っていない」と言った。学校に馴染めなくて、高校に通うのも怖かったからと。 すごく意外だった。 素直で、純粋で、とってもいい子なのに。だけどもしかしたら、素直で、純粋で、とってもいい子だからこそ、学校に行けなくなってしまうこともあるのかもしれない。 そしてその話を聞いたとき、俺の中で何かが変わった。この子を守ってあげたい。そう、思ってしまったんだ。 顔を赤くしたままもぐもぐと口をいっぱいにしている葵を眺めながらも、俺ものんびりしてる場合じゃなかったとサラダをかきこむ。食べ終わったら歯を磨いて着替えをして、あっというまに家を出る時間だ。 俺は葵が大学生になった年から本社勤務になった。もちろん葵との交際がバレて…というわけではない。寂しい反面、恋人と同じ場所で働くなんてちょっと恥ずかしかったから、これはこれで良かったのかもしれない。 「じゃあ行ってくるね」 「うん。…早く帰ってきてね?誰かにナンパされてもついてったりしないでね?」 葵よりも先に家を出る俺を、葵は毎日玄関まで見送りに来てくれる。そして毎日、こうして意味のない心配をしてくる。なぜか葵は、俺がモテる男だと思い込んでいるようだ。 「ナンパなんてされないから」 「秀くんかっこいいから心配なの!」 そんなこと言って、俺は葵のほうが心配だ。 明るくて人懐っこい葵は、お店で同僚にもお客さんにも気に入られているし、大学では仲の良い友達だってできた。葵から大学での話を聞くたびに俺の心がモヤモヤとしていることも、本当はバイトにも大学にも行かせないでこの部屋に閉じ込めておきたいなんてドロドロした想いに俺の心が支配されることがあることも、葵はきっと知らないし、知らなくていい。 「葵」 「…なに?」 葵の頬に両手を添えて、形のいい唇にキスを落とす。行ってきますのちゅーと言うには深すぎる、執拗なやつ。 「ん、…んぅ、」 苦しげな声に唇を離すと、葵はくたっと俺に体を預けて、はぁ…と肩で息をした。 通信制の高校に通いながら頑張って勉強をして大学に進学した葵を、勇気を出して新しい世界に飛び込んだ葵を、ちゃんと応援してやりたい。だから醜い嫉妬は必死に隠している、んだけど、時にはこうして表に出すのも許してほしい。 「俺には葵だけだから。それに葵こそ、可愛くて誰かに攫われないかいつも心配してるんだからね」 「…っ、お、俺も秀くんだけだもん…」 瞳を潤ませてそう言う葵に俺の心は満たされていく。 もう一度ちゅ、と唇にキスを落として、行ってきますと家を出た。 ファーストラブ ーーーーーーー おわり
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