さざ波は深くかみなりのように

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 私が一人暮らししている水道橋のアパートと、彼――落合譲(おちあいゆずる)くんの住んでいる鶯谷のアパートは、間取りがよく似ていた。 「ごめん、十時までには着くと思ったんだけど」  ばたばたと部屋に上がる私に、譲くんは麦茶を入れてくれた。  おそらく今年も、残暑は九月以降も厳しく残るのだろう。譲くんの水色のシャツは、この夏の一服の清涼剤のようだった。  私よりも高い身長は、百七十センチ台半ばくらい。中分けにした黒い髪と、肉づきの薄い体のせいもあって、男性特有の圧迫感みたいなものが、譲くんにはあまりない。 「いいや。カレー屋でバイトの日は、お腹すいてないんだよね?」 「うんっ。まかない出てるから。シャワー借りていい?」  どうぞ、と譲くんがバスタオルと私用の部屋着を出してくれる。  私はバッグごと脱衣所に飛び込み、手早く服を脱いだ。カレーが跳ねてもいいように黒いジーンズを穿いていたけれど、せっかくこの部屋にくるんだからスカートのほうがよかったかな、と思う。  譲くんとはつき合い出して二年近くになる。前は、彼氏が一人暮らししているアパートにきてシャワーを浴びるというイベントにはどきどきしたし、それなりの出来事もあったけど、最近はあまりそういうことがなくなっていた。  はっと気づくと、そういえば、もう恋人らしい体の触れ合いがなくなって、一年近くになるんだと思うと、愕然とした。  譲くんは、私より一つ年上で、二十一歳の大学三年生。  あくまで、あくまで一般的に聞くところによれば、この年代の男子というのは、無条件に好きな女子の体を求めるものだという話ではなかろうか。  でも最近は、夜に二人気っきりになっても、まるでそういう雰囲気になれない。  男の人のほうがそれでいいというのであれば、私から誘うというのはなかなか厳しかった。いや、ほんとは別に誘ったって全然いいと思うんだけど、変な見栄が邪魔して、踏み切れない。  そうか、それじゃしようか、とでもなれば御の字。  でも、  ――え、サリ、そんなことがしたいの?  なんて目を丸くして言われたら、なにか自分は女子として根本的に大切なものを傷つけられてしまいそうだ。  体の接触がないカップルというのはもちろんアリだと思うんだけど、自分がまさかそうなるとは思っていなかった。それも落ち着いた四十代とかじゃなく、二十歳やそこらで。  考え事をしているとシャワーが長くなりそうなので、ほどほどのところで打ち切り、お風呂場を出た。  髪を乾かしながら、もし譲くんが「女としての魅力ゥ!!」みたいなものを強烈に求める人だったら、こんなパサついた髪で今日までいなかったのかなあ、などとついまた考える。そのせいで、毛先が焦げそうになった。 「出たよー」  譲くんが、缶のサイダーを冷蔵庫から出して、二つの細いグラスについでくれた。  隣に座って、一緒にサイダーを飲んだ。BGM代わりのテレビは、音をかなり小さくしてある。二人でいるときは、用がなければ譲くんはデスクの上のノートパソコンを起動させないので、部屋の中は静かだった。 「サリ、明日予定ある?」  私は背筋をピンと伸ばし、天井を見ながら答えた。 「あ、できれば午後までに美容院行って、夜は明日もカレー屋さん」 「サリって、行動の合間合間に、よく動くよね」と譲くんが笑う。 「……なんか今日、動物みたいだね的なことを、よく言われる気がする」  そうなの? と言って、譲くんが私を抱き寄せた。  抱き寄せただけ。  ここから先は何も起こらないことを、もう分かってる。  お互いの部屋着の上から、体の質感と温もりが伝わる。  好かれてるんだろうな、と思うし、私も好きだな、と思う。  だから不満なんて、抱くほうがおかしい。  けれど。 「譲くん」 「なに?」 「私のこと、つまんねえなあとか思うことない?」  譲くんがぱっと体を離した。私の目を覗き込んでくる。 「……どうして?」  お互いに好き合っていると思ってる。  ちょっと不満があったって、それはそれで二人で解決していけばいいと思う。  でも、時々、どうしても不安になる。  だから、そんな言葉がこぼれてしまったんだろう。  言うな、と何度も言い聞かせたのに。  今日まで、ずっと訊かずに我慢してきたのに。 「譲くん、ほんとに、私のこと、好き?」 ■
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