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「コオオオオウウレエエエエンン!」
「ひええっ?」
間奏に入るやいなや、真横で放たれる絶叫に、つい悲鳴が出た。
池袋の地下のライブハウスは、めいっぱいお客さんが入っている。
今は夜の八時過ぎのはずだけど、異様な熱気の中で、体感としての時間の感覚は、とっくによく分からなくなってしまっていた。
「うおおおおおお、ザジィ! ハナァ! コウレエエエン!」
また別の人の絶叫。
かろうじて、コウレンという声が聞き取れるけど、ほとんど獣の叫びだった。
ステージには、中央でエレキギターを持って歌う光漣と、ベースのザジという(らしい)人、ドラムのハナサキという(らしい)人、もう一人のギターのトラジという(らしい)人、の四人が、すさまじい音をかき鳴らしている。
ライブハウスというのがどんなところかくらいは知っていたけど、実際の熱狂と音響は想像以上だった。
「ていうか、めちゃめちゃ人気じゃん、光漣……」
聞いている限りは、有名な曲のコピーとかではなく、オリジナルの曲らしい。しかもそれを、お客さんの大多数が知っているようで、一緒に歌ったりしている。
光漣は、アルバイトの時とは別人みたいだった。犬歯をむき出しにして、歌うというよりも切りつけるような高音の声を、ギターと一体になって打ち出してくる。
不覚にも、お腹の底が熱くなって、興奮してしまう。
お客さんは女の子と男性が六対四くらいで、正直、思っていたよりも男性が多かった。
アンコールまで終えると、光漣が一礼してお礼を(早口でよく聞き取れなかったけど、たぶん)言い、四人はすっとステージ袖に消えた。
興奮冷めやらぬ会場は、今の歌に当てられて興奮している人ばかりだった。泣きそうになっている女の子も何人もいる。
「コウレン……コウレンたまらん……」
「あの声どっから出てんの……」
「四人そろうとマジやばい……」
常連らしい人々の間を縫って、建物の奥へ続く廊下へ向かった。
……一応本人から楽屋へきていいといわれているんだけど、ちょっと気が引けてしまう。
手書きのホワイトボードで光漣のバンド名が書かれた部屋を控えめにノックし、さらに控えめにそろそろと開けた。
そのとたん、
「サリ」
と中から声をかけられる。
「あ、光漣。お疲れ様」
部屋の中の視線が、一気に私に集まった。
あまり広い部屋ではないのに、ステージの三人に加えて、もう四五人の男の人がいる。
「お、なになにこの人」
「あー、光漣が読んだ子? 珍しい」
「ついに光漣が裏に彼女呼ぶようになったかー」
その発言には、光漣が即座に
「彼女ではねーな、今んとこ」
と否定する。それから私に向き直って、
「どうだった? サリ」
「どうって。すごかったよ」
「なにが?」
「まず、声かなあ。光漣があんな声出すなんてびっくりした。地声と歌声って全然違うんだね。曲もよかった、あの声で歌われるための声で、あの声が一番生きる歌なんだなって、めっちゃ分かった。あと、ギターとドラムと合わさると、光漣の声いっそういいなって思った。打楽器と弦楽器の大きい音って、あんなふうに一気にリズムが合うとすごく気持ちいいし、それと」
ふと見ると、光漣が、動きを止めてじっと私を見つめてている。
「……光漣?」
すると横から、青色の短髪をしたザジさんが、
「ああ、これはね。悦に入ってるんです。光漣が最高に気持ちいい状態なんです」
それでようやく光漣がうなずきだす。
「いかにも。サリ、おかわり」
「おかわりとは」
そこへ、金色の髪を一部みつあみにしたハナサキさんが息をつきながら、
「もう移動していかねえと、打ち上げの予約遅れるぞ。ほら、早く支度しろよ」
ほかのメンバーは、「はあい」と返事して、私に頭を下げながら撤収の準備をする。
私も挨拶をして帰ろうとしたら、光漣が耳打ちしてきた。
「おれ、飲めないから参加しないんだ。一緒に帰ろうぜ」
「え? いいの?」
「いいもなにもまだ二十歳じゃねーから。うちは、ハナさんがアルハラ大嫌いなんだよ。なにかあったらバンド存続の危機だしな。それじゃみんな、悪い。おれこれで、サリ送って帰るから」
すると、今度は一番奥にいた大柄な男性が手を挙げた。
「あ、待てよ光漣。一応メインボーカルだろ、最初の挨拶だけしていけよ。サリさんごめん、すぐ終わるし店はすぐそこだから、ちょっとだけ待ってもらえないかな」
撤収はすみやかに進み、私も一団に混じって外へ出た。
週末の夜の池袋は、老若男女でにぎわっている。
お店は本当にすぐそこで、歩いて五分ほどだった。
「じゃ、光漣は店の前で挨拶な。ほら」とハナサキさん。
「おう。みんな、今日はお疲れ」そう言った光漣の目が、すっと鋭くなり、「……確実にお客は増えてるよな。この調子で、次回も満席にしようぜ。おれも、歌も曲ももっといいものを作る。バラードも増やして、毎回チケットの売り上げ記録更新してやる。そして、おれたちで」
そこまで言ったとき、居酒屋の扉がガラッと開き、酔っぱらったおじさんが出てきた。
「なんでえ、ちょっと騒いだだけで追い出しやがって!」
「お客様、ジョッキはお返しください!」
「うるせえ、ほれ! 空にして返してやるわ!」
おじさんは、手に持ったジョッキの中身を、周りに振りまいた。
半分ほど入っていたビールが、光漣の顔にびしゃりとかかる。
「わぷ!?」
「光漣っ」
私はハンカチで、光漣の顔をぬぐった。おじさんは、どこかへさっさと消えてしまっている。
「サンキュ、サリ。えー、とにかく、今日は最高だった。次もよろしく」
みんなが次々に光漣の肩を叩いて、お店の中に消えていく。
「じゃ、帰るか、サリ。駅どこだっけ」
私は最寄り駅を言って、
「災難だったねえ」
「……なんでちょっと笑ってるんだよ」
二人でJRの改札を通る。
そうして電車に乗って、一駅ほどすると、光漣の口数が妙に減っていった。
その顔が、前髪に負けないくらいに赤くなっている。
「……光漣。もしかして、あれで酔ったの?」
「……酔っれるわけねえらろ」
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