プロローグ

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   夏が過ぎ、秋を迎えようとするこの時期は、まだまだじっとりと暑い。ただ、冷房は体に良くないので希柚の細く小さな体には薄いタオルケットをかけている。そのタオルケットを捲り、小さな肩を揺らす。  「希柚ーーー」  樹莉は目覚まし時計を見た。あと50分後にお迎えのバスが来る。  このアパートの近くにバスの停留所がある。保育園に向かうバスもそこに停まるのだ。そのバスが来る時間が午前八時。これに乗り遅れてしまうと希柚を自転車に乗せて保育園まで届けないといけない。  そうなると、樹莉の仕事にも影響が出てきてしまうので、毎朝毎朝分刻みの戦争が勃発していた。  肩を揺らしてようやく娘が反応を見せた。瞼がピクリと震える。長いまつ毛がわずかに持ち上がりぼんやりとした黒目がちの目が宙を彷徨った。  「希柚、起きて。希柚の好きなクロワッサンあるよ」  「んー」  「朝ごはんを食べないと、お腹と背中がくっついてペラペラになっちゃうぞぉ」  普通「大きくなれないぞ」と言うところだが、希柚の場合「お腹と背中がくっつくぞ」と脅した方が効果があった。以前、「おなかとせなかがくっついたらどうなるの?」と心配そうに訊ねてきたことがあったのだ。  その時は答えに悩み「フフフフフ」と悪者っぽく笑うだけでに留めたが希柚は朝ご飯をしっかり食べるようになった。  『妖怪お腹と背中がくっつくぞお化け(命名:樹莉)』を発動させた樹莉は希柚の脇腹をこしょこしょとくすぐり始めた。  「起きろぉおおお」  「きゃーーーーーっ!」  これは母と娘の朝のルーティン。ルーティンは毎日やるからルーティンである。希柚は一度起きてもすぐに目を閉じようとする。なので樹莉が『妖怪お腹と背中がくっつくぞお化け』を発動させた。  「きゃあーーーっあっはっはっはっはっ」  よくも起き抜けでそんな高い声が出るわね、と感心しながら樹莉は希柚をくすぐり回す。むちっとした脇腹を重点的にくすぐっていると、希柚がひっくり返ってようやく身体を起こそうとした。    「ままーっギブっギブっ、おきるからーーっ」  「そんなこと言って、また寝るんでしょ」  「おきるよーーーっ」  まだケラケラ笑っている希柚は毎朝「起きる起きる詐欺」の常習犯だ。  その証拠に、くすぐりをやめ、布団ではぁはぁと息を整えたあと、なんでもなかったかのように捲れた布団に手を伸ばそうとする。  
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