プロローグ

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   樹莉が洗濯したばかりのシーツをベランダで広げていると朝の八時前だというのに来客があった。「ピンポーン」とチャイムがなり、寝室で着替えていた希柚が顔を覗かせた。    「まま、だれかきた」 (こんな時間に誰よ。こっちは忙しいのに)    樹莉は内心でイラッとしながらもつい条件反射で「はーい」と返事をしてしまった。樹莉達を訪ねるのは、母と義母達と大家ぐらいである。あとは気を利かせた保育士さんが何度か希柚をピックアップして連れて行ってくれたことはあるがまだその時間ではない。  この時間に来るとすれば、近隣に住んでいる大家ぐらいだろう。  いつも何かしらお裾分けをくれる気の良いおばさんで、きっとその人だと樹莉はあたりをつけた。  樹莉は手早くシーツを洗濯竿にかけて洗濯バサミで止めると、慌てて玄関に向かった。ちなみにこの部屋に一応昔ながらの電話みたいなインターフォンがあるが、半年ほど前に壊れてしまった。樹莉たちを訪ねてくる人がほとんどいないので特に困らないが、ちょうど思い出したので大家に言っておこうと頷く。    「だれ?」  「大家さんかもね」  樹莉は玄関に向かっていると希柚が寝室から出てきた。  希柚は保育園指定のポロシャツのボタンを「んしょ」ととめているが、下はまだパジャマのズボンだった。    「髪はひとつでいい?」  「えーふたつ!」  「じゃあ早く着替えて」  チラッと時計を見てふたつに結ぶ時間があるかどうかの確認をする。  幸いなんとかギリギリというところだろう。この来客を1分程度でお帰りいただければ、の話だが。  最も大家なら無駄な話はしない。それは朝のこの時間は子どもがいる家庭にとって、とても慌ただしいことを理解してるからだ。だったらこの時間に来ないでほしいのだが、大家は朝にしか掃除にこないので仕方ない。そして何度か同じことがあった。  「朝の忙しい時にごめんなさいね〜」と申し訳なさそうにやってきてサクッと用事だけ済ませていく。たいていは何かしらのおすそ分けを受け取るだけ。もちろんありがたいので遠慮せずにいただく。一分もかからない。  樹莉はいつも朗らかで気遣いのできる白髪混じりの女性の顔を思い浮かべながら扉を開ける。この時点でお礼を伝えて扉を閉めるまで完璧にシュミレーションできていた。    「ただいま、樹莉」  しかし、扉の前に立っていたのは大家ではなかった。  もっと言えば女性でもない。いつもならこの目線の高さに優しげな皺のある目があるはずなのに、今朝はなぜかしっかりした胸板が見えた。  白い丸首から覗く鎖骨は程よく焼けて、引き締まった腕が伸びてくる。中途半端に開いた扉がその腕によって開かれていった。  「え?!昴!?」  晴天の霹靂とはまさにこの事だろう。一体誰がこんなこと予想してようか。  開いた口は塞がらない、とはまさにこのことだろう。まるで幽霊を見たように樹莉は目をまん丸にして驚いた。  なぜなら、この一年ほどまったく連絡がつかなかった_____樹莉の書面上の夫、(すばる)が満面の笑みで立っていたのだから。  
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