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夫は要らない、なんてただの強がりだったと今ならわかる。
本当は自分も誰かに愛されたかった。
裏切らない誰かに。自分だけを見てくれる誰かに。
ただ、必要とされたかった。
だけどそんな想いを口にするよりも恐怖が優った。ずっと心の奥にその想いを閉じ込めてなかった振りをしていた。
母のようにはなりたくなかった。
友人のようになりたくなかった。
だって傷つきたくなかったもの。
それでもどこか夢を見ていた。
そして信じられない出来事が起こる。
樹莉は隣に立つ夫を見上げた。
「なに?」
「なにも」
諦めかけた夢はいま一人の男性によって叶えられた。33年何もなかったのに突然起きた出来事だ。そして今もどこか夢心地である。
自分の心を守りたくて殻に閉じ籠った。その想いが「子どもは欲しいけど夫は要らない」という考えに至ったのだろう。そんな捻くれた考えを彼は否定しなかった。
頑なな心を昴が叩き破ってくれた。「傍にいる」と抱きしめてくれた。今もこうして手を繋いでくれている。それがどれだけ嬉しいかまだ伝えることができていないけど、これからはちゃんと伝えていきたいと思う。
「ふうん?」
疑わしい視線に樹莉は小さく笑う。これを言えば昴はきっと怒るだろう。
どうしてもっと早く言わないんだ、と。
あの日電話の向こうで呆れていたように。
怒りを混ぜた残念そうな声を思い出して樹莉はまた笑った。
「今度はなに?」
これから披露宴が始まる。新郎新婦が入場する華やかな場面なのに樹莉は色んなことを思い出して懐かしさに浸った。
「なにもない」
首を横に振ったのに昴は諦めない。
「気になるから言ってよ」
「えー」
「なんか希柚に似てきたな」
「希柚が私に似ているのよ」
「そりゃそうか」
今度はどちらに似るのだろうか。どちらに似てもきっと可愛いに違いない。
「…あのね、子どもができたみたいなの」
______新郎新婦が入場します、大きな拍手でお迎えください
扉の向こうからアナウンスが聞こえた。近く
にいるスタッフがこちらを見て何やら話しをしている。
しかしこの雑音の中、夫にはきちんと聞こえたらしい。大袈裟に振り返りせっかくセットした髪をくしゃくしゃにしようとしてスタッフに止められていた。
「…いま、ここでいう?いつ知った?」
「三日前。まだ安定期に入ってないけど言いたくなったから」
「いや、その日に言えよ。ってか言ってください。喜びたいのに喜べないこの気持ちどうしたらいいんだよ?!」
扉が静かに開いてゆく。光が差し込み眩しくて目を細めた。隣に立つ昴がシュッと姿勢を整えて「覚えてろよ」と唇を尖らせた。その表情が希柚そっくりで笑う。
「…条件のすり合わせは」
「一生傍にいること」
昴の圧が凄まる。
樹莉の両目からほろりと涙がこぼれた。
「いいな」と念押しの声に頷き返す。
嬉しくて胸がいっぱいでじんわりと詰まる。喜びを噛み締めていると不貞腐れた夫がそれでも涙を拭ってくれた。その優しさがまた嬉しくて涙を量産する。
その夜、希柚に「ままを泣かせた!」と昴は怒られることになるのは別の話だ。それを笑いながら宥める樹莉は世界で一番しあわせ者だと思った。
「契約違反ですが旦那様?」
Fin
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