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「うん。だから、もし兄様に従って京に戻る支度でもさせているなら、中止して。あたしはもう、家茂の傍から離れるつもりはないから」
藤子は、ただ唖然としていた。
顔を顰めようにも顰められず、開いた口が塞がらないと言った風情で、かすかに首を横に振っている。
「あたしの心はもう、兄様にはないの。申し訳ないけど」
「……本当に……それが、本心なのでございますか?」
「うん」
「では、本当に……この城からお出にならなくてもよいと?」
「場所に拘ってるわけじゃないの。ただ、家茂の傍ならどこでも構わないわ。それこそ、雨漏りするような藁葺き屋根の家でもね」
「……誠に、ご本心で?」
「ええ」
くどいほど確認したあと、藤子はやや長い溜息を吐いた。そして、眉根を寄せ、額に手を当てる。
「……それはつまり……十四代をお慕いしているとでも?」
「もうほかの男は考えられない」
愛している、と口にするのは簡単だが、それを藤子に言うのは躊躇われた。遠慮でも何でもなく、単純に勿体ない。
家茂以外の人間にそれを告げるのは、言葉の無駄遣いだ。
「まだ、何か訊きたい?」
はっきり言わなければ納得しないのなら、聞かせてやっても構わないが。という気持ちを込めて、和宮は藤子へ視線を向ける。
藤子は、額に当てていた手を鈍い動作で膝へ戻すと、こちらの本気を見極めようとするように、穴が空くほど和宮の顔を見つめた。
それが、どのくらいの間だっただろうか。
「……ご本心なのですね」
どう頑張って観察しても、虚勢も強がりも見当たらない。真実、家茂を愛しているのだと認めたのか、藤子は居住まいを正した。
「……申し訳ございません」
手を突き、その頭が深々と下げられる。
後ろで纏められた黒髪が、彼女の肩をサラリと滑った。
「それは、何に対する謝罪?」
「宮様のお心も察せられず……出過ぎた真似をいたしました」
「はっきり言って。三日前、あたしの夕餉に幻覚キノコを入れたのは、姉様なのね」
「……はい」
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