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早乙女優希
「10番は早乙女。センターフォワードだ。」
「はい!」
高校サッカー選手権の決勝。
開始三十分前のメンバー発表。
これまで通り、僕はセンターフォワードで、スタメンに入った。
心臓の鼓動の音が、身体の芯から響いてくる。
しかし、あくまで頭の中は、意外にも冷静だった。
することは決まっている。
決して難しくない。
僕がゴールを決めれば勝てる。
仲間のディフェンスには、全幅の信頼を置いている。
それでも、例え一点くらい失点したところで、僕が二点取れば、良いだけの話だ。
会場のアナウンスが、新緑の芝生の上を通って、僕の耳に入る。
「全国高校サッカー選手権大会!いよいよ、決勝戦を行います!!それでは、両選手の入場です!皆様!大きな拍手で、お迎えください!」
ふと、あの時の村上の言葉を思い出す。
「早乙女くん、PKはどっちに蹴るつもりや?」
なんなのだ、あの男は。
と自分の中で、彼の残像を振り払うように右腕に付けている、キャプテンマークを見る。
僕はキャプテンというものに、縁遠い人間であった。
しかし、小林キャプテンとの出会いが、僕の性質を大きく変えた。
一昨年、小林キャプテンの代わりに出場した全国高校サッカー選手権。
もちろん、全国の強豪は、点取り屋である小林キャプテンを止める戦術を研究していた。
そこへ見たこともない一年生が突然現れ、何もできず点を取られていった。
一年間かけて作り上げた戦術を、短い期間で変更するのは高校生には難しく、ほとんどの高校から複数点のゴールを決めた。
そして、我が校は数年ぶりの優勝を果たした。
小林キャプテンは、二年生を差し置いて、僕をキャプテンに任命した。
監督は、それを許さなかった。
そのため、二年生の時は、ひと学年上の先輩がキャプテンになった。
しかし、その年は勝手が違った。
二年生になったら、もはや敵なしであった。
いや、敵なしすぎた。
そこで、高校生とは思えない非行があった。
僕は、相手の執拗なファウルで止められ、無理に振り切ろうとしたところで、足を痛めてしまった。
そして、その試合で負けて、優勝を逃した。
僕は、自分に足りないものを知った。
確固たる決意であった。
小林キャプテンが、僕を推薦した理由がわかった。
あの人には、すべて見透かされていたのであろう。
試合後すぐに、三年生でのキャプテンを立候補した。
そして、今、確固たる決意を胸に、キャプテンである僕は、チームを先導して入場している。
会場中に鳴り響く音楽に合わせて、入場する足は、少しずつ緊張と不安で重くなるが、ピッチに入った瞬間、どこか居心地の良さを感じる。
この瞬間が、僕は大好きだ。
アスリートは、緊張感と集中力のバランスがマッチしたとき、「ゾーン」と呼ばれる最高の状態に入る。
おそらく、僕はピッチに入ったときに、その状態になれる。
「よし、今日もいける。全部が、今まで通りだ。」
そう心の中で呟きながら、相手選手と握手を交わし、チームでエンジンを組む。
「僕らはここで勝つために一年間。いや、三年間、闘ってきた。そして、ここにいる十一人は自分に打ち克ち、チームでの競走にも勝った、最高のメンバーだ。みんなといっしょに、今日優勝できることを誇りに思う。」
僕は自分でも驚くほど、キャプテンらしい言葉がつらつらと口から流れ出る。
そして、僕の掛け声に呼応して、最高のメンバーも応える。
後は試合開始を待つばかり。
―試合は壮絶な点の取り合いになった。
正直、相手の攻撃力は想像以上であったし、僕らにも負けない覚悟が、ディフェンスからも感じられた。
トーナメントの決勝というのは、得てして負けないための試合、つまりは点を取られないようにディフェンシブな展開になることが多いのだが、相手チームの空気からは、点を取られたら取るというような気概が感じられた。
そうなれば、僕の土俵だ。
僕は誰にも負けない点取り屋。
試合は前半だけで、お互いが二点ずつ取り合う結果となったが、こちらの二点は、もちろん全て僕が決めた。
しかも、相手チームの攻撃はバリエーションが少なく最初の十分に慌てて、二点失点したものの、そこからは最高のメンバーが安定した守備を見せている。
これは後半勝負で勝てる。
僕らはロッカールームでも、お互いの微調整を話し合い、前半と同じ形で入ることにした。
―後半のホイッスルが鳴り響いた。
先に戦術を変えてきたのは、相手チームだった。
攻撃的なフォーメーションだった前半とは打って変わって、後半はメンバーも入れ替えて、守備的なフォーメーションに変わっていた。
これが後に早乙女を何度も苦しめる「早乙女封じ」と呼ばれるフォーメーションとなる。
なんと、僕一人に対して敵二人がマンマークでついて、僕にパスが出るや否や、一番近くにいる選手が、更にプレッシャーをかけてくる。
他のところは、かなり手薄になるが僕にパスを出させないことが、一番のディフェンスになるというものだ。
フォワードとしては、これ程までに嬉しいことはない。
それだけ相手チームに敬意と脅威を感じさせられる選手になれた証だからだ。
しかし、僕の想像以上に「早乙女封じ」は功を奏した。
最高のメンバーは、僕を起点にすることが出来なくなっただけで、バランスが崩れ始めたのだ。
そこからは、膠着状態が続いた。
もちろん、相手チームもディフェンスに人数を割いているので、攻撃力はないに等しい。
しかし、虎視眈々と、隙あらば、ゴールを決める覚悟を目の前にして、味方のメンバーも大胆な攻撃ができないでいる。
後半、残り五分になった。
それでも僕は冷静だった。
ここを勝機だと「早乙女封じ」が始まってから、ずっと機会を待っていたのだ。
「よし、ここだ。」
僕は、相手陣地に大きく侵入するフリをして、センターラインの辺りまで下がり、ボールを要求する。
僕をマークしている二人がどこまでであれば、僕についてくるかを、後半が始まってから何度も駆け引きをして確かめた。
ボールが僕に渡る。
そう、ここではマークは付いてこない。
僕はフリーでボールを受けられる。
ふぅーと呼吸を大きくした後、僕はドリブルを始めた。
そして、一人、二人とドリブルでかわしていく。
ディフェンスが崩れる。
誰が僕にプレッシャーをかけるのか、混乱している。
しかし、僕は止まらない。
周りの味方チームのメンバーも、いい動きをしてくれる。
彼らをマークするために、相手チームは人数を割く必要がある。
三人、四人とかわした。
後は一人かわせば、キーパーとの直接対決。
僕は足に吸い付くボールを、右に大きく動かし、相手の体重がそちらに動いた瞬間に、爪先で左に切り返す。
これをゼロコンマ数秒の間にできる選手は、世界でも少ない。
それが高校生であれば、要は敵無しだ。
キーパーとゴールが見えた。
後はシュートを打つだけ。
その瞬間だった。
身体が宙に浮いて、顔面から下に見える芝生に突っ込んだ。
気づいた時には、芝生が目の前にあった。
最初にかわした敵が、全速力で諦めずに、僕を追っていたのだ。
そして、何とか追いつくかどうかのところで、追いつかなかった。
彼のスライディングはボールに触れず、僕の脚を刈り取る形で、僕を倒した。
―ピィー!!この日、一番の笛が審判から吹かれる。
審判は、僕にスライディングした選手に、レッドカードを出し退場させ、ペナルティスポットを指さした。
要するに、相手のファウルを受けて、僕らのチームは、PKを獲得したのだ。
PKは、ゴールから12.97メートルの距離から、自分のタイミングでボールを蹴るというサッカーの中で、最も得点する可能性の高いセットプレーである。
しかし、実際には、このPKというものはキーパーとの運の勝負ではなく、己との勝負でもあり、雑念や感情が渦巻くものである。
観ている側からは想像もしないほど、難しいものなのだ。
実際、多くのスター選手がPK失敗に悩まされて、国民から戦犯のような扱いを受けた過去が多くある。
僕は今までPKを外したことがない。
何故なら、どれだけ相手キーパーが上手くても僕の正確なシュートは、必ずキーパーの届かない場所に決まるからだ。
12.97メートルでは、僕のシュートの軌道を読み切ったとしても、人間の反応では届くことが出来ない。
だから、僕はPKを与えられた時点で、点が入ったのと同じような感覚だった。
しかし、今日ばかりは、少し勝手が違った。
さっき受けたファウルが、僕にとって本当に思いがけないものであったため、倒れた時に上手く受身をとる事が出来ず、右膝や左肩など様々なところに痛みを感じていた。
(この状態でいつものようにボールを蹴れるだろうか。)
僕は初めてPKを蹴ることに対して、恐怖を持った。
そして、一度持った恐怖は、ドンドン自分の中で膨らんでいく。
他の選手にPKを任せることは簡単だが、キャプテンとして、そして何よりチームの点取り屋として、ここは怪我を隠してでも、僕が蹴る必要があるような責任感を覚えた。
「明日の試合のPK、どっちに蹴るんや?」
不意に、昨日の村上とかいう、生意気な同級生との会話が頭をよぎる。
僕はその時、なんて答えたのだろうか。
でも、村上が言った言葉は、ハッキリと覚えている。
「男なら、ド真ん中や!」
なんだよそれ。
僕は急に可笑しくなってきて、笑んだ。
何だか分からないけど、村上の言葉を信じようとしている自分がいた。
最悪、アイツのせいにできる。
という謎の責任転嫁までし始めている。
―PKを蹴る合図である笛が、スタジアムに高らかと鳴り響いた。
僕は痛む身体を悟られないように、ゆっくりと歩みを進める。
キーパーをひと目見る。
これを止めなければ、チームの負けが決まっていることを分かっているのだろう。
それを悟りつつも、止めれば自分がヒーローになれる、という自信にも思えるような笑みを浮かべている。
そう、彼はこの極限の状態を楽しんでいるのだ。
それを見て、僕も少し笑った。
「男ならド真ん中や!」
なんだよそれ。
僕の蹴ったボールは、怪我の影響で力が入らず、ゆっくりではあったものの、蹴ると同時に右に大きく飛び込んだキーパーを尻目にらゴールのド真ん中に吸い込まれた。
それと同時に、ベンチから交代の合図が送られ、僕はベンチに下がった。
おっちゃんの目は、騙せなかった。
おっちゃんは、僕がPKを蹴れる状態では無いことをわかっていた。
それでも、ここは蹴らせると決めたのだ。
例え、外すことになったとしても。
おっちゃんは、いつもは見せないガッツポーズで、僕を迎えて、力強く抱きしめる。
「早乙女。やっとやな。」
俺は、涙を流しながら、チームの優勝が決まるホイッスルが鳴るのを、ベンチから見ていた。
男ならド真ん中。
なんだよ、それ。
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