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小林凌
「凌!ちょっとええか!!」
「ん?どないしたんや。おっちゃん!」
「ちゃんと、敬語使え!いつも言うてるやろ。新入生も入ったのに、締まらんやろ!」
「はいよー、すみません。分かりました!」
「ほんまに分かってんかいな!コイツは。」
あぁ、やっぱおっちゃんは、居心地いいな。
新入生が入ってきて、一ヶ月が経っていた。
俺は、おっちゃんに呼ばれて、嫌な予感がしていた。
「で、どうしたんですか?」
「一年の早乙女について、なんやけど...」
やっぱりか。
嫌な予感は、的中した。
早乙女というは、今年の四月に入学した、年代別の日本代表に選ばれている、筋金入りの一年生。
もちろん、実力を疑っていたわけではないが、高校サッカーに順応できずに、何人も同じ肩書きを持つ選手がサッカーから離れるところを、この二年間で、何度も目にしてきた。
だから、初めは早乙女についても、監督のモットーである平等精神も相まって、特に意識していなかった。
だが、勝手が違った。
俺が一年の時に怪我明けで、復帰した時に感じた、周りがスローモーションに見える違和感を、早乙女にも感じた。
しかし、それは早乙女が下手くそだからではない。
あまりにも動きに無駄がなく、美しい線を描くように動く彼が、一種の芸術のように見えたのだ。
その感覚を経験したのが、初めてだったこともあり、戸惑っていた。
そして、俺の思っていた嫌な予感は、その同じ違和感を、監督も抱いていることだ。
今まで数十年、この高校で顧問を続ける大場監督が、俺と同じ違和感を抱いていたら、その数十年現れていない程の選手が、四月に入部したことになる。
俺は、とりあえず話を合わせるように、返事をする。
「一年の早乙女が、どないかしましたか?」
「とぼけるな。俺にわかってるなら、お前にもわかってるはずや。」
「…はい。」
認めたくはなかった。
早乙女を認めざるを得ない、自分自身がいることを。
俺は、入部してまもない頃にした怪我が空けて、必死に努力して、一年の時から試合に出させてもらった。
今年は、昨年の雪辱を果たして、全国高校サッカー選手権で優勝する、という目標を掲げて、チームのキャプテンまで登り詰めたという自負がある。
しかし、早乙女は、俺と同じポジションである。
つまり、早乙女を認めることは、一人のサッカー選手として、自分の敗北を認めることに他ならない。
「…監督は、早乙女をどのように見てるんですか?」
いつものように、おっちゃんとは呼べなかった。
とても怖かったが、聞くしかなかった。
それは、キャプテンとしてでは無く、我が校のサッカー部の一人の部員として。
早乙女と同じポジションの選手の一人として。
「今まで出会ったことがないほど、素晴らしい選手だと思う。でも、レベルが違いすぎて見当がつかへん。」
「見当というのは?」
「将来、早乙女がどこまでの選手になるかや。」
あぁー。
俺の頭の中で、何かが壊れていく音が聞こえた気がした。
自分の中で、何とか持ちこたえていたものが、一気に崩れた。
あと一年、待って欲しかったな。
そう思っている自分に気づいた瞬間、自分が負けを認めていることを理解した。
理解したときには、既に涙を流していた。
「おい、何を泣いてるんや。お前らしくない。」
「え。いやいや、これはその…」
なぜ泣いているのか、自分でも分からない。
覚悟していたつもりだった。
いつか、自分の地位を脅かす存在が現れることを。
俺は、強豪校のサッカー部に所属している。
その時点で、常に競争があり、少しでも気を抜けば、自分の地位は、すぐに無くなる。
キャプテンなどというのは、ただの飾りであって、試合が始まれば、何の意味も持たない。
そんなことは、一年で選手権に出場した時から、理解していた。
いや、理解していたつもりだった。
だからこそ、自分に腹が立ち、悔しかったのだ。
「おっちゃん。いや、監督。」
俺は、涙を堪えて続ける。
「来週から始まるインターハイ予選やけど、早乙女を出してみませんか?」
「そのつもりや。それを伝えるつもりやったが、その覚悟は、小林にもあったみたいやな。」
監督も、いつものように、俺のことを凌とは呼ばない。
「はい。いや、今その覚悟というものが、できた気がします。」
「そうか。お前の方からタイミング見て、伝えてくれるか?」
「はい。もちろんです。俺は、このチームのキャプテンなんで。」
この場から逃げ出そうとする俺を呼び止めて、監督は声をかける。
「凌、ほんまにええんやな。俺は監督や。冷たい言い方するが、今しか思いをぶつける機会はないで。」
「おっちゃん。俺をなめてもらったら、困るわ。」
俺は涙を拭って、監督の目を、自分の目で捉えた。
「強豪校、常勝軍団。そのチームのキャプテンは、この小林凌やで!それじゃあ、俺はこれで。」
とにかく走った。
走って走って、走った。
人の居ないところは、どこだ。
走っている途中にも、涙が溢れだしそうになる。
堪えきれない涙が、目頭に溜まっているのがわかる。
校舎の裏手に到着して、一息着いた瞬間、俺は膝から泣き崩れた。
声だけは出さないように、左腕のジャージを噛み締め、空いた右手で、涙を拭う。
何分くらいそうしていただろうか。
気づくと、周りは真っ暗になっていた。
気持ちの整理は、無理矢理つかせた。
流す涙もなくなった。
暗くなったクラブハウスで着替えていると、一人の学生が入ってきた。
早乙女だった。
「あれ、小林キャプテン!何してるんですか?」
「それは、こっちの台詞や!お前こそ!!」
「いや、練習終わりに筋トレしてて。俺まだ入部して一ヶ月なので、まだまだ身体が高校の試合についていけるものじゃないので。」
すげぇなコイツ。
なんなんだよ。
どこまで、すごいんだよ。
入部一ヶ月足らずで、Aチームで、あれだけの練習をして、練習後に筋トレしてるのかよ。
たぶん、この感じだと、毎日計画的にしてるんだろうな。
「それより、先輩!目が腫れてますけど、どうしたんですか?」
「あぁー。これか?まぁ、ちょっと、監督と揉めてな。来週からインターハイ予選始まるからな。色々と大変なんよ!」
「そうですよね!来週がんばりましょうね!俺も負けてられませんよ!」
「お、なかなか言ってくれるじゃねぇか!俺の後は、お前がいるから安泰だな!」
「あまり無理しないでくださいよ!」
「生意気言うなよ!俺は常勝軍団、我が校サッカー部の主将だぞ!」
早乙女の胸に握り拳を当てた。
彼の身体は、既に高校サッカーでもやっていける厚みを持っていた。
神様はいくつ俺に試練を与えるんだ。
これで終わる気はさらさら無い。
最後の一試合まで、俺は才能に抗う。
その覚悟は、入部した時から決めていた。
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