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「な、なに?誰?あなたたち」
鈴木は顔をしかめ、高弘を見やった。面倒臭そうに女を見ている。
「人の家で、何してるの?」
女は赤いバッグを抱きしめ、二人を睨みつける。
鈴木は高弘に言った。
「どういう事だよ、おい」
高弘は表情を変えず、返事もしない。
女は何かに気付いたようにバッグを開けて中を探った。
鈴木は電話を取り出すのだろうと思ったが、違った。出てきたのはナイフだった。意外で、思わず口が間抜けに開いてしまった。折りたたみの小さなものではない。黒い柄は太目でがっしりしているように見える。この女はサバイバルごっこが趣味なのだろうかと少し呆れた。見た感じ、細くて、大人しそうな可愛い女なのに。赤いハーフコートが、まるで着せ替え人形のように似合っている。
「泥棒なの?」
バッグを左腕にかけ、両手で構えたナイフを二人に向けている。
再び鈴木は高弘に言った。
「聞かれてるぜ。答えないのか?」
高弘は鈴木に一瞥を加え、女に向き直る。
「なによ、あなたたち、土足じゃないの。人の家に勝手に、土足で上がって、何してるのよ」
女は少し興奮していたが、しっかりと足を踏ん張って気丈に立っている。
高弘がやっと口を開いた。
「そんなナイフを持って、どうする気だい。私たちを刺し殺しでもするのか?」
私たちだと?鈴木は思った。こんな男と一括りにしてもらいたくはなかった。
高弘の手が緩んでいることに気付き、鈴木は身をひるがえして高弘の体に体当たりする。高弘はぐらりと揺れたが、階段の手すりに掴まり、倒れたりはしなかった。代わりに鈴木を振り返り、胸の下辺りを殴ってきた。倒れたのは鈴木だった。階段にぶつかり、ずるずると下に落ちる。
「や、やめなさい!」
女は訳が判らず、とにかくという感じで叫んだ。そして自分も土足で部屋に上がった。それを見て、高弘は小さく笑った。
「土足じゃ駄目なんじゃないのかい?」
「他人のあなたたちが土足なのに、どうして私が靴を脱がなくちゃならないのよ」
鈴木は体を起こしながら、もっともだなと思った。ゆらゆらと、階段の三段目に尻を置いて座った。俯き加減のまま、視線だけを高弘に向けた。
「おい、タカヒロさんよ。ここは、あんたの家じゃなかったのかい?」
「何ですって?バカなこと言わないで」
「ナイフなんか役に立たない。バッグに戻すんだね」
「警察を呼べる訳ないよな。あんたもコソ泥ならさ」
高弘が手を振り上げ、鈴木は身構える。
「やめなさい!」
再度、女が叫んだ。
高弘は手を止めた。面倒臭そうに女を見て、大人しく手をゆっくりと下ろした。しばらく女を見つめていたが、そのうちバカにしたように微笑んだ。
「警察に電話しないのか?」
女は唇を引き締めた。派手な色ではなかった。ベージュに近いピンク色の唇を、鈴木は気に入った。女は二歩、二人に近付く。黒革のパンプスの踵が、気持ちのよい靴音を響かせた。
「とにかく、その人の手を解いてあげなさい」
「おいおい、正気かい?泥棒をせっかく縛り上げてやってるのに」
「あなただってそうなんでしょう?それに、どう見たって、あなたの方が危ないわ。仲間割れでもしたの?その人、顔が腫れてるじゃないの」
顔が?鈴木はうんざりする。そんな顔になってるんなら、女の前で格好付けることも出来ないな。鏡が見たい。できれば、風呂にも入りたい。
「せっかく捕まえてるんだ。警察を呼べよ」
「警察は嫌いなのよ。早く解いてあげなさい」
「ふん。私は人に命令されるのは嫌いなんだ」
高弘は横柄な態度で食堂のドアに向かい、中に入ってしまった。女はドアを慎重な様子で見つめ、鈴木に近付いてきた。そして持っていたナイフで手を縛っていたものを切ってくれる。ボトッと階段に落ちたのはロープだ。
「どうして解いてくれた?」
「あなたが暴れそうに見えなかったから。それに、傷の手当をしないと。あの男は誰なの?それと、あなたも」
鈴木は微笑んだ。
「このロープはこの家にあったものか?」
「え?さあ、どうかしら。物置にあったかもしれないけど、覚えてないわ」
「じゃあ、あいつが自分で用意したのかもな。とにかく、ありがとう。腕が痛くてたまらなかったんだ。でも、どうして警察に連絡しない?」
「嫌いなの」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思うけどな」
「あの男、仲間なの?」
「違うよ。あいつは自分がこの家の主人だと、俺に思わせようとしたんだ。でも、違ったみたいだな」
「違うわよ。でも、あなたも泥棒なのね?」
「あの男より大人しい分マシさ。俺は鈴木。あの男はタカヒロと名乗っていた。あんたの名はなんだい?」
「香織」
「カオリ。いい名だね」
「なに呑気なこと言ってるの。私、怖いの。あの男、どうしたらいいの」
「そんな大きなナイフを忍ばせてるくせに怖いのか?なら警察を呼べばいいんだ」
「同じことを何度も言わせないで。ねえ、私、混乱してるの。多分、あなたのロープを解いてあげたのは、得策じゃないのだと思うわ。だけど、あのタカヒロとかいう男、私一人で相手に出来ないもの。どうしよう。なんだか、自分が今何を喋ってるのかも、よく判らない……」
鈴木は微笑んだ。
妙な女だが、魅力的ではあった。近くで見るとより可愛かった。肩より少し長い髪が、自然なウェーブを描いている。綺麗な髪で、香水なのかシャンプーなのか、柑橘系のいい匂いがした。化粧も自然で、肌が綺麗だ。自然と、守りたいと思わせる女だった。
「あの男が暴れたら、俺が何とかしよう。まあ、こんな格好で偉そうなことは言えないが、不意を突かれなければ何とかなると思う」
鈴木は自分が高弘に捕まった経緯を話した。
「体が自由になったんだ、少しは役に立つだろう。あいつ、この家から出て行きそうにない。多分、金以外の目的があるんだ」
「あなたは?」
「俺は金以外に興味はない」
「お金ならあげるから、私の味方になって」
「なあ。この家には、金以外に何があるんだ?」
香織は警戒するように不安な表情を浮かべた。そして、質問には答えずに立ち上がった。
「早く、あなたの傷の手当てをしましょう」
「顔が崩れてるのか?自分じゃどうなってるのか判らないんだ」
「崩れてはないわよ。ただ左の頬が脹れてる。冷やした方がいいんじゃないかしら」
「そうだな。言われれば、熱を持ってる気がするよ」
鈴木が立ち上がると、香織は腕に手を添えて体を支えるようにしてくれた。実際に支えてはいない。ただ、付き添ってくれているだけだ。そして、二人で食堂に入った。
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