X度目の今日

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「何かあったの?」 「……ちょっとね」  例の精密検査の結果を受けて、私は明日から緩和ケア病棟へ移ることが決まっていた。緩和ケア病棟はがんを治すことが目的ではなく、がんの進行に伴う体や心の辛さに対するケアを行う場所だ。  だからこの病室で会えるのは今日で最後だし、新しい病室では彼に会うつもりはない。   「橘くん、ちょっといい?」  私と基樹を引き合わせてくれた看護師さんがやってきた。私のことを彼に説明する気なのだろう。  基樹は通学カバンを私の病室に置いたまま、看護師と一緒に廊下に出ていった。  辛い。  一緒に戦おうって言ってくれた人に、私は戦えなかったよって言わなくちゃいけない。  ぼうっと天井を見ていた時、ドサッと物が落ちる音がした。見ると、基樹のカバンが床に落ちていた。チャックが開いていたのだろうか、筆記用具入れやノートがカバンの口から少し飛び出していた。  私はゆっくりと布団を動かし、ベッドから降りて散乱した彼の荷物を拾った。こんな動作だけでも息が切れた。  ピンクの封筒が見えたのはその時だった。  見た目でそれと分かるラブレターにドキッとした。  そうだよね。基樹は顔がいい。きっとモテる。  それなのに、終わっている私に会いにきたりしたらダメだ。  まだ封が開いてない手紙を見ているうちに、私はふと閃いた。  この手紙の主に、基樹を託す……?  基樹が早く私を忘れるには、新しい恋が必要だ。    廊下を盗み見ながらピンクの封筒を開け、中を見た。そこには、私が夢見ていた青春が詰まっていた。甘酸っぱくて、希望に満ちて、明日が来なくなることなんて想像もしていない光の世界。  基樹はもうそっち側の人間なんだと思った瞬間、彼と私に引かれた境界線がくっきりと見えた。  彼は恋をすることができる。  結婚して、子供を胸に抱くことができる。  私はできない。もう何も。  泣きながら基樹のスマートフォンを操作した。  彼のスマートフォンのロックに使われていた六桁の数字は、私と基樹が出会った日になっていた。  そして私は、基樹になりすまして手紙の主に返信をした。        
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