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 佐原は実家暮らしということもあったがそれ以上にまた一から職を探すのが億劫で、上から嫌味たらたら急かされながらもわずかな基本給に甘んじていた。  仕事には真摯に取り組んだ。雨の日も風の日も雪の日も、ここと決めた住宅街をクソが付くほど真面目に訪問販売のセオリー通り、一軒も素通りすることなく軒並みに呼び鈴を鳴らすのだが、一セット二十万円の百科事典は一向に売れてはくれない。会社にとって、親兄弟、親戚縁者に一通り売り切り本人もすでに購入済みで、その上セールスセンスもない佐原に基本給を毎月払うことは金をドブに捨てるようなもの。    察しの悪い基本給泥棒の社員に対しての退職を促すマニュアルでもあるのか、手を替え品を替え日々エスカレートする上司の突き上げに、生来鈍感な佐原を持ってしてもさすがに限界を感じ始めていた。そんなある日の午後、彼は朝から数えて二十何軒目かの住宅の呼び鈴を鳴らしていた。  その日は猛暑日。気温三十五度。  太陽は真上から容赦なく、佐原の頭上をジリジリと照り付ける。  遺伝子の生存を賭けた蝉の大合唱の中、普段であれば呼び鈴を三回鳴らして応答がなければ諦めて立ち去るのだが、なぜかその日の彼はそうしなかった。  佐原は後にその日のことを何度も思い起こすのだがいくら考えても、単純に暑さのせいで頭がいかれてしまった……とは思えない。例えば悪魔とかこの世の者ならざる何かに「そうしろ」と耳元で囁かれたとしか言いようがなく、彼の手はドアノブに自然に伸びた。するとドアノブは軽く右に回り、彼はそのまま無人の人様の家に足を踏み入れたのだ。  ──この夢遊病者もしくは操り人形のような一歩が彼を生き地獄へと導いて行く。
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