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 ■  佐原が盗んだ金は一万円札が二十二枚。二十二万円とは──それは百科事典七セット売り上げなければ手に入らない額である。  あの日、踏みしめる度にギシギシ鳴る薄暗い廊下を進み、左手キッチンを過ぎてすぐの引き戸をカラカラ開けると、案の定そこは畳敷きの居間だった。そこは佐原の実家と似たような作りの昭和の家だ。目の先の腰高窓に引かれた緑色のカーテンの隙間から、昼の陽射しが差し込んで部屋は十分に明るかった。  部屋の中を数秒見渡した。暑さなど感じる余裕はなかったが、額の生え際からは脂汗が次から次に滴り落ちた。一番先に佐原の目に入ったのは一棹の整理箪笥だ。五段ある内の一番上が二つの引き出しに分かれている。自分の母親が財布を仕舞っていそうな場所だ。その二つの引き出しを左から右と探ってみると──ビンゴ! 手ぬぐいや風呂敷やらの布の間に厚みのある茶封筒が見つかった……誰かが耳元で囁く。 「な? 簡単だろ?」     佐原は茶封筒の中の札束の半分ほどを抜き取って背広の内ポケットにねじ込んだ。中身が半分になった茶封筒をまた布の間に……ここで全額を盗まない、いや盗めないところが当の本人さえ理解出来ない──「自分より金持ちに情けをかけるな!」と上司に罵倒されるところの同線上にある、言えばというものなのである。  佐原は引き出しを元に戻すと再び音の鳴る廊下を戻り、さも落ち着いた様子で玄関を出た。外の通りに立つと忘れていた真夏の暑さが一気に背広姿の彼を襲った。彼はたまらず上着を脱いで、ふと汗ばんだ腕時計に目をやった。計っていたわけではなかったが、無人宅での滞在時間は彼の感覚では五分程度だと思われた。──人生は五分で変わる。  相変わらず昼下りの住宅街に人影はなく、佐原を怪しむ者もいなそうだ。ただ街路樹にへばり付いた蝉だけが気が狂ったように鳴いていた。──佐原は最寄り駅へと歩き出した。
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