観察業務 秀吉

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観察業務 秀吉

「今日の予定は?」  バディのミレーユが今日の異邦時者爾後観察業務の予定を聞いてきた。 「秀吉、ガラシャ、それからクレオパトラだ」  更生プログラムを終えた異邦時者の中には、現代社会に見事に適応して社会復帰を果たす者もいる。定期的に彼らを訪問して復帰の具合を確認するのも俺たち異邦時者保護監察官の仕事なのだ。  俺たちは紀野上建設社長、紀野上藤橘(きのうえとうきつ)のもとを訪れた。保護プログラムの一環として、異邦時者は変名を強要される。紀野上藤橘は豊臣秀吉の変名だった。  秘書が俺とミレーユを社長室へ案内し、重厚な扉をノックする。 「開いとるでぇ」  耳を塞ぎたくなるような野卑な大声が扉の向こうから聞えた。  秀吉は重厚なオークのデスクにそっくりかえって座っていたが、俺の顔を見ると猿顔をくしゃくしゃにして応接ソファーに居場所を変えた。俺とミレーユは秀吉と向き合って座った。 「こりゃー千石さん、おひさしぶりですわー」  あいかわらず地声が大きい。どこかに音量調節ツマミはないものかといつも思う。 「紀野上社長、お元気そうですね」 「おお! 絶好調だがや! 今度な、朝鮮に進出するんだわ!」 「韓国ですね」 「そーそー、韓国やった!」  危ねぇなぁ。秀吉に朝鮮は鬼門筋だ。  秀吉はゼネコンのオーナー社長だ。小田原城や高松城、鳥取城など城攻めというよりは一大土木工事と言ったほうがいい作戦を何度も成功させただけに、うってつけの職業に従事したと言える。今回、韓国の巨大港湾施設建造の受注指名をうけたようだ。俺は血色のいい秀吉の顔を見ながら、異邦時者の中ではこいつが出世頭かもしれないと思った。  スマホに着信があった。異邦時者入国管理局からだ。新しい異邦時者が現れたとの連絡だった。 「誰だかわかりますか?」  スマホに話しかけ、返事を聞いた俺は思わず、ミレーユの尻に手を回しかねない秀吉の助兵衛面を見てしまった。 「本当ですか? 身柄は確保できてるんですよね」  ヒトラーのような危険人物や、社殿内で暴れまわる異邦時者もいるので、管理局はいつなんどき現れるかわからない異邦時者に対して二十四時間の監視体制を敷いている。今日現れた異邦時者は現れたとたん、幸若舞『敦盛』を謡ったらしい。 「わかりました」  俺はスマホを懐に戻して秀吉に言った。 「紀野上社長、小平神社にボスが現れました」 「ボス? いったいどこのどいつだがね?」 「織田上総介信長です」 「うっひゃああ!」  秀吉が右に左に飛び跳ねた。 「えらいこっちゃ! えらいこっちゃ!」  そりゃそうだろう。信長を本能寺で討ったのは明智惟任日向守だが、その弔い合戦に勝利し、遺児たちから政権を簒奪したのは秀吉だ。信長がそのことを知れば血を見る可能性がある。 「千石さん、わしゃあどーすればえーがね?」 「落ち着いてください。信長さんはまだ現れたばかりで右も左もわからん状態です。当面、大きな支障はないでしょう。それにあなたの名は紀野上藤橘です。名前から正体が割れることはありません」 「だけどもよ、この顔! 顔を見れば一発でばれるでしょーよ!」  俺は黙って頷いた。さすがに、それだけの猿顔は他にないですもんね、とは言えなかった。 「整形手術をうけますか?」  ミレーユが言わでものことを言う。 「わしゃあ、天に恥ずるようなことはこれっぽっちもしとりゃーせん。なぜわしが顔を変えねばならんのよ!」 「そうですね。ただ、更生プログラムの歴史講習で信長さんは、あなたの織田政権簒奪を知ることになりますよ」  ミレーユは少し意地悪なのだ。猿顔が醜く崩れる。 「困ったのー!」 「管理局で信長さんの更生プログラムの方針検討会議が開かれます。その際、紀野上社長の存在は当然検討項目にあがりますから、安心してください。悪いようにはしません」  俺の言葉に秀吉は頭を下げた。 「宜しく頼むで」  俺とミレーユは社長室を出た。
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