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観察業務 クレオパトラ
俺とミレーユは地下鉄銀座線に乗って末広町から五つ目の銀座駅で降りた。
雑居ビルの七階でエレベーターが開くと、目の前に「クラブ・クレオパトラ」の扉がある。分厚い木の扉を開けると豪奢な調度品と煌くシャンデリア、分厚い深紅のカーペットが敷き詰められた空間が現れた。
「いらっしゃい」
ママの七瀬クレアが、嫣然と微笑みながら俺に近づいてきた。
「千石さん、おひさしぶりね」
俺の隣に座った七瀬の本名はクレオパトラ七世。プトレマイオス朝最後のファラオだ。異邦時者更生プログラムで能力を最もいかせるのが銀座のクラブ経営と出て、管理局肝いりで店を持たせてみたが、水を得た魚、いや蜜を得た蝶のように生き生きと働き、あっという間に店を銀座でも一、二を争う一流店にのしあげてしまった。
紹介制の店で一見の客は入れないから、保護プログラム上も安心できる。同行のミレーユのいかにも不愉快そうなふくれっ面を見るのも楽しいものだ。敬虔なクリスチャンのミレーユから見れば、この店は背徳の極みということなのだろう。俺に向ける視線にも険がある。クレオパトラはミレーユのことは意に介せず、俺の隣で店の状況を話している。そうだ。これは仕事なのだ。俺はクレオパトラの近況を知っておかねばならない。
「それでね、最近、お店に来るようになった方なんだけど……」
クレオパトラの声が小さくなった。俺に顔を近づけて耳打ちする。それを見てミレーユがますます不機嫌になる。俺は面白いから仕事の話なのにわざと淫靡な笑みを浮かべてやった。その顔を見たミレーユが勘違いしてますます嫌な表情を浮かべる。クレオパトラは俺の耳元でセクシーな声で囁いた。
「そのお客さん、大学の先生なんだけど、私、何かピンときちゃったの」
「何が?」
「私と同じ異邦時者じゃないかって」
「名前は?」
「洪忠治」
異邦時者個人データベースにアクセスする必要はなかった。俺はその男を知っている。俺の担当ではないが管理局内でも有名な異邦時者だからだ。
「あたりだ」
それくらいは漏らしてもいいだろう。この女の勘は一級品だし、知性は特級品だ。
「誰なの?」
「悪い。そこまで話すわけにはいかない」
「しょうがないわね。ただね、最近その人と滅茶苦茶、相性の悪い人が常連になっちゃったのよ。まだ店で出くわしたことはないんだけど、もしそうなったらと思うとどちらかがいらっしゃるたびに私、はらはらしているの」
クレオパトラは美しい眉をひそませて口を尖らせながら言った。ああ、こういう仕草や声音、表情であいつらもやられちゃったんだな、と俺は歴史に思いを走らせた。
「あ!」
クレオパトラが入口を見て小さな声を上げた。
「どうした?」
「噂をすれば影よ。洪さんが来ちゃった」
さりげなく入口に視線をやると、大学教授然とした顎鬚を垂らした初老の男が立っていた。クレオパトラの向こうに座っていたミレーユが声に出さずに口だけ動かして俺にアイコンタクトを送ってきた。
「こ・う・し、でしょ」俺は黙って頷いた。
洪忠治は孔子の変名だ。正式には氏が孔、諱が丘、字が仲尼。孔子というのは尊称だ。儒教の始祖が今や大学で儒教研究者として名を馳せているのだ。アナクロの極みと言っていいが、昨今、礼儀が乱れてきたせいか、なぜか孔子の研究はマスコミ受けがいい。この髭面はしょっちゅうテレビに映っている。いわば文化人の仲間入りをしたというわけだ。
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