ケースE発令

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ケースE発令

 異邦時者の数が増え続けていた。  異邦時者入国管理局は、警戒態勢を敷きはじめた。  転生してくる連中にいわゆる庶民はいなかった。皆、それなりに名の知られた人物たちだ。それだけに知性は高い。現代生活に馴染み、世相を捉えるようになると、政治活動に興味を持ち、政治に参加しようとする者が増えてきた。  局では異邦時者のそうした傾向を好ましくないものとして、彼らに参政権を与えないようにしていたが、その動きは「民主的でない」と海運会社を経営する坂本龍馬とか、写真家として人気のあるロシア最後の皇帝、ニコライ二世などから非難された。  異邦時者入国管理局のコントロールで異邦時者たちに横のつながりはなかったが、彼らは個々に、政党を結成しようとしていた。  その行為は「異邦時者入国管理及び異邦時者認定法」違反だったが、何人かの異邦時者は自由を求めて自分たちの正体を世間に公表しようとする動きを見せ始めた。 「異邦時者保護監察官、千石京一、ケースEが発動された。マニュアルに従い活動を開始するように」  異邦時者入国管理局長から、直々の命令が下された。  その命令は、異邦時者を担当するすべての保護監察官に下されているはずだ。  俺は裏の顔を見せなければならなくなった。 「千石……」  ミレーユの目が大きく見開かれ、顔には悲嘆の色が浮かんでいる。  俺はミレーユに銃口を向けていた。 「私を殺すの?」 「ケースEが発動されたんだ」 「ケースE?」 「異邦時者の抹殺プログラムだ」  ケースEとは自分が担当する異邦時者を殺害しろという命令なのだ。管理局では、異邦時者が現体制にとって危険な存在になる可能性を考慮し、その兆候があらわれた場合、全異邦時者を殺害するプログラムを用意していた。 「異邦時者の一部に自分たちの正体を明かそうという動きがある。それは是非とも阻止しなければならない」 「でも、私は……」 「わかっている」  ミレーユ(ジャンヌ・ダルク)を処理したら、秀吉とガラシャ、クレオパトラも抹殺しなければならない。それも情報が伝播する前に迅速かつ秘密裏にだ。  だが、俺にはミレーユを撃つ覚悟がなかった。それは秀吉にも、ガラシャにも、クレオパトラにもあてはまることだった。  俺はこの連中とあまりにも身近に接しすぎた。こんな愛すべき連中を手にかけることなどできやしない。  ミレーユに向けていた銃口を俺はおろした。  彼女の顔にほっとした表情が浮かぶ。 「千石、規律違反を犯すの?」 「そうだ。俺にはおまえを殺すことなんてできない」 「でも……」 「急いでなんらかの手を講じなければ、俺以外の監察官が担当の異邦時者を殺害してしまう」  俺は以前から気になっていたことをミレーユに聞いた。 「ジャンヌ・ダルクだったとき、死の瞬間に『もういっかい、いきてじんせいをやりなおしたいかー?』という声が聞こえたんだよな」 「ええ」 「それはフランス語で?」 「わからない。けど、そうだと思う。何を言っているのか意味が通じたのだから」 「それで『ウイ』と言ったら、小平神社に転生してきた?」 「ウイ」 「そのとき、それ以外に何か聞いたり、見たりしなかったか?」  ミレーユの顔に逡巡が浮かんだ。 「何かあるのか?」 「実は……」 「教えてくれ。何かがあったのなら、それがヒントになるかもしれない」  意を決したような素振りを見せてミレーユが口を開いた。 「異邦時者全員が経験していると思う」 「何を?」 「白い詰襟服と裾を縛った幅広のズボンを履いた老人が、『自分を敬い、主神として崇めるように。信者の数を増やし続ければ、神界で自分は頂点に立つことができる。このこと誓約できるか?』って」 「主神として崇めろって?」 「そう。転生者を増やして、自分の支持勢力にするって言っていた。拝む人間が増えれば増えるほど神界での立場が強くなるって」 「この日本で?」 「たぶん……少なくとも、私が信奉していた主とは違っていた」 「神様っていっても日本の神様は八百万もいるからな。頂点にたっているのはアマテラスって奴だが」 「その老人は、『このこと他言無用。もし、成約を破ればおまえたちの転生は無に帰る』って」 「着ている服と、言っている内容からすると日本の神様だな。それにどうやら位は低いらしい。下克上しようとしていたのか……だとすると」  俺に思い当たるのは時量師神(ときはかしのかみ)しかいない。自分を祭る神社すらなかった下位神が、はじめて斎き祀る場所を得て、不心得を起こしたのだろう。だとしたら、事態を沈静化させる手段はひとつしかない。 「千石、どうするの?」 「思いついたことがひとつある」  だが、それを実行に移すとどうなるか。俺にはなんとなくわかっていた。 「ジャンヌ、殺されるよりは消えるほうがいいだろう?」  俺は思わず、本名で呼びかけてしまった。 「どういうこと?」 「なかったことにするんだ。君もほかの異邦時者も。でも、それは不穏分子として抹殺することとは違う」  俺は計画を彼女に明かした。 「みんな一度は死んだ身よ。苦痛は体験している。二度目を迎えるとしたら、千石のやり方のほうがいいと思う」 「すまない。やりなおしのやりなおしになっちまう。神様の思惑で人生を弄ばれるなんて腹に据えかねるだろうが」  俺は自国の神の成したことへの謝罪の言葉を口にした。 「でも、いいこともあったよ」  ミレーユが俺の顔に両手をあてて、少し背伸びをしながら唇を近づけた。  俺も目を閉じて、清廉な淑女であり、勇敢な武人の唇を吸った。  甘く、苦い味がした。
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