17人が本棚に入れています
本棚に追加
出産を境に香澄の容態は、ますます悪化していった。
「どうして、どうして…もっと香澄と一緒にいてくれないの!」
私は、容態の悪い妻より仕事を優先する湊斗さんを責めた。
「どんなに、どんなに大切でも私じゃ…何もできない…。
万一延命治療になったって決断できるのは、…家族の、あなただけなのよ?」
泣きじゃくりながら責め立てる私を湊斗さんは、じっと見ていた。
「何か言ってよ…! 約束したじゃない…。香澄を大事にしてって…!!」
そう、あのホテルのラウンジで私は彼と約束した。
『私は、香澄が大切なの。香澄の夫になったなら絶対に大切にしてよね!』
なのに…なのに…。
どうして…香澄のそばにいてくれないの。
「嘘つき…。譲るんじゃなかったわ…! あ、なたに…。こんな、こんな思いをさせるなら…ッ」
こんなこと言っちゃダメなのに…。…湊斗さんの方がつらいのに…。
でも止まらない。すると湊斗さんが言った。
「そんなに…… そんなに香澄が大切ですか?」
「え?」
呟くような言葉の後に肩に触れられ、気がつくと抱きしめられている。
突然のことに私は言葉を失い、抵抗を忘れる。
「僕は、…時折妻が妬ましい。
こんなにも、こんなにもあなたに大切にされてるのに、
あなたを泣かせる妻に憤りを感じます。
男の僕には、――友人としてさえそばにいられないのに……。
あなたは、僕に死が近くなったら妻と同じように、
心配し会いに来て、死ねば泣いてくれますか?」
それは、絞り出すようなせつない声で息が止まるかと思った。
「…湊斗さん?」
「…ごめんね。僕は、…今も…」
ぎゅっと腕に力がこもる。
愛しくて仕方がないというように…。
もう私は誰かの妻で、子のいる母なのに…。
唇が重なりそうになったとき、彼は我に返って私の体を離した。
「――すまない。取り乱したようです。夫として妻が大切ですよ。
けれどあなたを見ていると、…その複雑です」
それが最後の抱擁だった。
皮肉なことに私にとっても、香澄のことで。
私を支えてくれるのは湊斗さん一人なのだった。
湊斗さんは、香澄の死期が近いことを香澄にも私にも明かさなかった。
その後しばらく義実家の用事で病院に行けなかった私に訃報が来た。
私の格好は、出先でカジュアルな赤いコートだったけど。
眠っている末息子とタクシーに飛び乗り、病院へ駆けつけた。
まだ少しでも温かい彼女の肉体に会いたくて―――。
香澄が亡くなった後の私は、まるで抜け殻のようだった。
私は香澄の存在に依存していたのだろうか。
香澄は、私が生まれ育った村を出て初めてできた、ただ一人の友人だった。
香澄に出会うまでの私は、自分の人生はこんなものだと諦めていた。
だからいつ死んでも良かったし、本当に18の若さで死ぬ気でいた。
私を一人の人間と認め、ずっと変わらず友達でいてくれた彼女には感謝しかない。
そんな彼女の夫だったからこそ、私はこの恋を眠らせることできたのだ。
私は、香澄のことも、湊斗さんのことも大好きだった。
だから二人にとっての、友達という立ち位置を選んだ。後悔はしていない。
香澄が亡くなり数年…私は慈善活動家になった。
それは、贖罪でもあった。
最初のコメントを投稿しよう!