【筍編⑨】九十九膳目 「筍のあられ揚げ」

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     【筍編⑨】九十九膳目 「筍のあられ揚げ」

「何蒸してるのー?」  陽平の目論んだ通り、鼈甲蒸しを蒸し始めると和樹は匂いに釣られたのか台所に戻ってきた。先ほどから、蒸し器より甘辛い醬油の香りが立ち上ってきている。 「ん、豚の煮物に筍を入れて一緒に蒸してんの」 「あれ、木の芽がない!」 「当たり前でしょ。もう片づけちゃったよ」 「えー、食べたかったのに」 「もうすぐ後で食えるんだからいーだろ?」 「ねぇねぇ、ご飯いつ?」 「後は揚げ物とご飯だけだから、もーすぐだよ。待ってて」 「やったー」  これではもはや親と子どものやり取りだ。恋人同士らしい甘さなど微塵もない。 「じゃぁ、俺はまた夕飯まで野球を見に……」 「ちょっと待ったぁ!」  陽平が台所から逃げようとした和樹の首根っこを掴む。 「逃がすとでも思った?」 「陽平さん、もう少し俺のこと優しく扱ってよ」 「ならお前も俺のことを労わって優しくするんだな」 「えー、野球見させてよー」 「もう充分見たでしょうが。俺、もうご飯作らないよ?」 「うー」  陽平の方が正論で口が立つから、和樹には最初から勝ち目などないのだ。観念したのか、和樹がいつもの踏み台の上に座る。 「それで、俺は何をさせられるの?」 「まぁぶっちゃけ、俺がもうほとんどやっちゃってるんだよねぇ」 「じゃぁ俺ここにいる必要ないじゃん! 野球見してよー」 「こっから見ればいいじゃん。さっきだってテレビ点けながら作業してたんだし」  諦めて和樹は陽平に大人しく従う。一見和樹の方がいつもわがままを言っているように見えて、実は陽平も案外強情で自分の意見を曲げなかったりする。 「とりあえず、洗い物少しあるあからそれお願いしようかな?」 「はーいよ」  和樹が腕まくりをして流しに立ち、スポンジに洗剤を含ませる。 「揚げ物、何にするの?」 「じゃーん!」  陽平が宝物でも見せるようにビニールの袋を掲げる。中には米粒大の褐色の粒が大量に入っていた。 「それ、なに?」 「分からない?」 「何か小っちゃい粒々が見えるけど……」  和樹が眼鏡をかけた目を細める。 「これはねぇ、『ぶぶあられ』」 「なんか聞いたことある!」 「昔使おうとしてたの、覚えてる?」 「うーん、確か空豆の時だっけ? 何かめちゃくちゃ煎餅割らせられた記憶しかないけど」 「正解! よく覚えてたね! 空豆のもち粉揚げ作った時だよ!」  機嫌のよくなった陽平が和樹の頭をわしゃわしゃとなでる。 「あの時はお煎餅砕いて代用したけど、今回はちゃんとしたあられが手に入ったんだよね!」 「今日は筍でそれを使うと」 「そう!」  陽平はそのまま機嫌よく揚げ物の支度を始める。筍をあられで揚げるといっても、ただ揚げる訳ではない。出汁で炊いてあった筍に、叩いた海老を挟んで揚げるのだ。手間を惜しまない陽平は海老を包丁で叩いてすり身を拵え、それを冷蔵庫の中に置いていたのだった。  炊いた筍と海老のすり身を用意し、陽平がそれを挟んでいく。剝がれないように、筍には小麦粉がはたいてある。それを和樹が洗い物をしながら見ている。 「筍、そのまま揚げないの?」 「海老入れた方が美味しいんだよ」 「まぁいかにも間違いなさそうな組み合わせではあるよね」  陽平は海老を一対の筍で挟んだ物の側面にも粉をつけ、それを薄めに作ってあった天衣にくぐらせる。その後で筍にあられを表面にまぶす。空豆の時は卵白を使ったが、衣のつきが今一つだったので天衣にしたのだ。 「空豆のもち粉揚げ、あれ美味しかったよね……」 「今日は筍のあられ揚げね。空豆は、もう少しして旬になったらまた作ってあげるよ」 「ねぇ、もち粉揚げとあられ揚げ、何が違うの?」 「うっ、痛いトコ突くなぁ……」  陽平が渋い顔になる。 「まぁ……、あっちは粉にした煎餅使ってて、こっちは粒のままのあられを使ってるって感じかな」 「えーそれだけー?」 「いーんだよ。そんなのテキトーでも」 「文系だなぁ、」 「できるだけ同じ調理法を使いたくない、っていう俺の意地だよ」 「ふーん」  陽平はあられをまぶした物を揚げ油の中に沈めていく。ジューっという音がして、筍が油の泡に包まれる。あられはうっかり気を抜くと焦げてしまうので、火加減を強くし過ぎないよう注意しながら、次々に筍を入れていく。その度に、美味しいそうな音が上がる。 「陽平さん、」 「味見はあと。洗い物終わったなら、次はご飯の支度手伝って」  もはや和樹の方を一瞥することもせず、陽平が早口で次の指示を出す。とうとう言う前から陽平に拒否されて、和樹が一段と不満げな顔をする。それもまた、陽平には全てお見通しだ。 「もう仕上げするから、ご飯炊いてる間に、まとめて味見にしようって話」  あられ揚げを返しながら、陽平がまた視線を油の鍋から離さずに言う。その言葉に、和樹が一瞬で笑顔になる。  長かった料理も、とうとう次で最後だ。
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