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【筍編⑧】九十八膳目 「筍と豚の鼈甲蒸し」
和樹は相変わらず、木の芽の田楽を焼いたそばから幸せそうに頬張っていた。
「お前、後で食べる分無くなるから、それぐらいにしとけよ」
「えー」
「『えー』じゃない!」
そういえば味見をしてなかったと思い出して、陽平は焼き上がった田楽を皿から一つつまむ。
「あっ、陽平さんズルい!」
「いや、俺これまだ一個目だから」
和樹と話しながら、むしゃむしゃと口を動かして味の具合を見る。甘く香ばしい味噌の中に、ほんのりと木の芽の苦さとコクが残り、咀嚼する度にそれが煮汁を含んだ筍と口の中で絡み合う。飲み下すと、木の芽の香りが鼻から抜けていった。
「うん、やっぱ美味いな」
「ねー、だから俺がついつい手が出ちゃうのも仕方ないんだよ」
「なくない! もう田楽おしまい!」
「えー」
「だってもう頼んでた分全部作ったんだろ?」
「まぁ、」
和樹が露骨そうに不満げな顔をする。と、テレビから聞こえてきた音で、その顔が突如としてパッと明るくなった。吸い寄せられるように、そのままテレビの前にすっ飛んでいく。
「おー、スゲー! 逆転じゃーん!」
どうやらテレビ中継されていた試合の中で、逆転のホームランが出たらしかった。が、野球にまるで興味のない陽平には全く関係のない話だ。これ幸いとばかりに、陽平が和樹がテレビに気を取られている内に田楽に使った味噌やら道具やらを片づけてしまう。そうしてキレイになった調理台で、陽平はまた次なる料理の仕込みを始める。
次に陽平が用意したのは、フタがついたホーロー引きの両手鍋だった。それを調理台に置き、コンロで蒸し器の支度を始める。
蒸し器を火にかけたら調理台に取って返し、両手鍋の中身を取り出す。鍋の中には茶色い液体に浸かった肉の塊が入っていた。豚のブロック肉を下茹でした後に、醤油や酒、砂糖や味醂などで柔らかくなるまで煮こんだものだ。早い話が豚の角煮である。ただ、角煮と違って脂身のかなり少ない部位を使っている。
陽平はその豚肉を一口大の厚切りにし、切った肉を深さのあるバットに入れる。それと一緒に炊いてあった筍と詰め、その上から肉の煮汁を回しかける。このままラップで包んでバットごと蒸し器に入れ、スープ蒸しのような形にしようと考えていたのだ。陽平の想像通りに仕上がれば、肉も筍もキレイな鼈甲色になるはずだ。
陽平は準備のできた蒸し器の中に、肉と筍の入ったバットをそーっと置いた。湯気で火傷しそうになり、慌てて手を引っこめる。
「さてと、どうなりますかね……」
頭の中で考えたことがあるだけで、陽平もこの料理を作ったことはない。だが、そこまで高度な調理法ではないので、まず失敗することはないだろう。筍が好きな和樹も、絶対にこんな料理は見たことがないはずだ。その和樹は相変わらずテレビにかじりついて野球を見ている。
和樹の驚く姿を想像して、陽平はくすりと笑った。
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