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 気絶から覚めた。  トイレのタイルの床が頬に冷たい。  一瞬、なぜ自分がこんなところで寝ているのかが不思議だった。  もぞ、もぞ。 下腹でうごめく気配に、たちどころにここに至る経緯を思い出す。  見下ろすと、芋虫はやっぱりそこにいた。  小豆粒大の突起……イボ脚で、ぼくの腹にぴったりと取りついている。  やっとお目覚めか、とでも言いたげに、暗紅色の頭をふりふりしている。  イボ脚にくっつかれた部分の腹の皮がむずがゆい。  なんだか無性に腹が立ってきた。  なんだこの虫。勝手に人の体にくっついて。  引っぺがしてやる。  ぼくはトイレットペーパーを手に巻きつけた。  芋虫の首根っこ、と思しきあたりをつかみ、引き剥がそうとした。  芋虫はイボ脚を吸盤みたいにぼくの皮膚にくっつけて踏ん張った。  昨夜まで雁首だった部分から、二股の白い角を出している。  アゲハの幼虫を突つくと出てくる、柑橘系の刺激臭を放つ角にそっくりだ。 「角じゃないってば、空人(そらひと)」  中学時代の友人で、虫博士だった神田くんの声が脳内に自動再生される。 「これは、肉角(にくかく)っていうんだ。威嚇するときに出すんだよ。色が赤ければクロアゲハ。オレンジ色ならナミアゲハ」  ああ、神田君。  高校受験で進路が分かれ、遠くの進学校に行ってしまった神田君。  ぼくはいま、肉角の色が真っ白な芋虫に威嚇されているよ。  白い肉角からは猛烈な栗の花の匂いがたちのぼった。
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