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最初に感じたのは強烈な異臭だった。
玄関に足を踏み入れた瞬間、嵯峨野は異様な空気を感じて息を飲んだ。前を歩く松田も同じようで、進む足取りがわずかに怯む。淀んだ空気と魚が腐ったような生臭さに、悪寒のような鳥肌が立つ。
嫌な予感に息を押し殺しながら、嵯峨野はゆっくりと松田の後に続く。松田の足取りは慎重だ。リビングへ続く廊下を摺り足で進む。そしてドアの前に立ち、不意に足を止めた。
「嵯峨野」
しわがれた固い声で名前を呼ばれ、嵯峨野は口の中に溜まった唾液を飲み込んだ。
松田喜平は、刑事課勤めの長いベテラン刑事だ。来年には定年を迎えるが、今でも後輩指導と称して現場に足を運ぶことを信条としている。捜査の基本は現場から、というモットーで生きている昔気質の刑事だった。
長い警察人生の中で、凄惨な事件現場に遭遇することも多かったはずだ。その松田が、いつになく緊張している。
松田のくたびれた背中がピンと張り詰め、肩に力が入る。それだけで、この現場が普通ではないことがわかった。
「吐くなよ」
振り向いた松田の両目が、嫌悪と恐怖に揺れている。深く皺の刻まれた額には脂汗が滲んでいた。
松田は嵯峨野に「吐くなよ」と告げたが、その言葉は自分自身に言い聞かせているようでもあった。その証拠に、松田の喉が嘔吐くように上下する。
こんな松田は、バディを組んでから初めて目にする。嵯峨野はか細い声で「はい」と頷き、松田の肩越しにリビングを覗き込んだ。
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