シャララン

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 魔法使いベルは螺旋(らせん)階段をのぼっていた。  その階段は、足場が目に見えるわけではない、透明な階段だった。一段、一段が幅広く、数歩あるいて次の段へ上がる。ゆっくりと角度を変えながら周りの景色を楽しむことができた。  彼は星空の中を歩いていた。上にも下にも、小さな光の欠片(かけら)がチカチカまたたいている。遠くの連星が青年にあいさつをするかのようにわずかに震えていた。光の揺らぎは、見えない物質の干渉(かんしょう)で起こったのではない。ここには空気があった。  魔法で作られた、  まやかしの星天(ほしぞら)  ベルが営む魔法屋から、特別な扉を開くとこの空間に入ることができる。通常の扉をくぐれば店の中庭へ、妖しく光る塗料で壁に描いた扉をくぐれば、星空の中を散歩することができた。  魔法で作られた景色は、夢や理想を織り込んで現実の美味しいところをうまく組み合わせてあるため、休憩がてらしばしば足を止めて見とれてしまうこともあるだろう。どちらを向いても闇と星が広がっているので、やがて方向感覚が狂ってくる。気をつけないと透明な階段から足を踏み外してしまうかもしれない。けれどこの世界の主である魔法使いは軽やかな足取りですいすい進んでいくのだった。  地上に人がいたなら、ベルは何も無い空中をくるくる周りながら上昇しているように見える。銀河の光の(うず)から伸びる腕を伝うように。はるか眼下には暗闇に淡く光る扉がひとつ。現実と夢幻を(つな)げる唯一の境界だった。  サアァーー  星空の真ん中を小さな滝が流れ落ちている。螺旋階段はそれを取り巻くように天上へ続いていた。  星の階段を上り始めてからあまり時間はかからなかった。いつの間にかベルは何十メートルも空高い場所を渡っている。足を踏み出すごとにずいぶん先へ移動しているのだ。自分では実感がない。時空の(ゆが)められた場所を飛ぶように歩いていた。 「ずいぶん高い所まで来たなあ」  疲れ知らずの青年は、透明な階段の端に立ち止まって、危なげなく身を乗り出した。背後の細い滝は静かに地へ流れ落ち、そのまま地下へ吸い込まれ消えていく。 「おっと」  ぐらっ。バランスを失い、あやうく落っこちるところだった。ベルはあわてて頭を引っこめる。耳の上に手をそえて、そこにある獣の角をたしかめた。魔法使いの頭には牡鹿(おじか)の角が生えていた。格好つけているわけではなく、これは友達からの贈り物である。  シャンシャン シャララン  倒れそうになってあわてて腕を振り回したとき、軽やかな音がした。淡い色をした長衣の袖口に小さな鈴が()いとめられている。歩くたびに繊細な音を(かな)でる鈴は、虚空に涼しい音を響かせた。 「……」  シャララン  もう一度袖を揺らしてみる。ベルはまじめな顔をして手を振った。きらめく星々にあいさつすれば、こだまが返ってきそうな気がして耳をすませる。澄んだ音色は背後で流れ落ちる水の音とよく調和していた。  遠く目を細めた先に、馬頭星雲が夏の入道雲のようににょきにょきと盛り上がっている。その近くで、キラリと小さな星が光った。 「ファニィ」  青年は小さな光に呼びかけた。彼方(かなた)にある光は(こた)えるようにきらきらと何度かまたたいて、すうーっとベルの方へ飛んできた。細い光の尾を()いてまっすぐにやって来る。これも空間を縮めてあっという間にベルの元へ飛んできた。翼のある鳥だった。 「ベル! 久しぶりね。わたしのこと忘れちゃったかと思った」 「まだ忘れないよ。この鈴の音が届くうちはね」  淡く光る鳥は(はと)くらいの大きさだ。ベルに近づくとき素早く羽ばたいて勢いを弱め、軽やかに青年が差し出した長衣の腕に止まった。  ベルは目尻を下げてにこやかに光の鳥へ(ほお)ずりした。ファニィと呼ばれた鳥もくうくうと鳴いて甘える。 「こないだ会ってから何光年経ったのかしら」 「ファニィ。光年とは、光が一年間でどれくらい進むのかを表す、距離の単位のことだよ」 「ぶーっ、わたしの辞書によると、とっても長い時間! って意味になるのです」 「は、は。そうか、ならそういうことにしておこう」  ベルの記憶では、先日ファニィに会ったのは三日ほど前だったように思う。  ファニィは翼をバサッと広げてみせた。風切羽を透かして遠くの星団の光がにじむ。  鳥のファニィは人の言葉を発するわけではない。鳩のようにくるくる鳴き、心の声で魔法使いに呼びかける。彼女の存在を知り、話を聞くことができる人はごく少ない。  ベルは腕に光の鳥をとまらせたまま、透明な階段を上り始めた。ファニィは、ぽっぽっぽとリズムに乗って鳴いている。  螺旋階段の頂上には空中庭園があった。  規模は小さい。ここには石畳が敷いてあった。黄色いミモザの花のアーチをくぐり、中央の広場に行けば花壇とベンチと泉がある。無限に()き出す泉は心地よい音を立てて一筋の流れをつくり地上に降り注ぐ。周りにいくつか燭台(しょくだい)があり、赤い炎がチラチラ揺らいでいた。魔法の蝋燭(ろうそく)は短くならない。永遠の光を放つ。  蝋燭の(あか)りに照らされて顔色が明るくなったベルは泉から水をすくって口に含んだ。ほんの半刻だったけれど、長い道のりを歩いてきたせいでずいぶん(のど)が乾いていた。  ファニィは泉の(ふち)に舞い降りた。 「ちょっと水浴びしてもいいかしら」 「どうぞ」 「こっち見ないでよね」 「鳥の姿になっても気になるものかい?」 「人間だったときの記憶がじゃまするのよ」  ファニィは「さあ、あっちへ行って!」と翼をバタバタさせてベルを回れ右させた。  ベルが庭園を歩いて見回り、しおれた花に魔法で元気を与えている間、鳥になった女の子は泉の浅い場所でパチャパチャと水をはね散らかして遊ぶのだった。  水浴びが終わり、ブルブルブル! と体を震わせて水気を払ったファニィは、パッと飛んでいってベルの頭に着地した。柔らかな髪をくちばしにはさんで引っ張ったり、牡鹿の角に片脚をからめたりして、ベルの気を引こうとする。  重さを感じない光の鳥が頭の上でいたずらしても、青年はされるがまま、彼女の自由にさせていた。 「ねえ、ベル! わたしきれいになったでしょ? 聞いてる?」 「聞こえてるよ。いつだって君はきれいだもの」 「あら、そんなこと人間だったときには言ってくれなかったじゃない。人より動物がお好みなのかしら!」  ベルは静かに笑うと、近くのベンチに腰かけた。 「ファニィ。君はいつか鳥になりたいと言っていたね。飛べるようになった感想はどうだい?」 「最高! どこにでもひとっ飛びよ。大好きな星をずーっと見ていられるし。ありがとうね、魔法使いさん」  ひとつうなずいて、ベルは顔を上げてなんとはなしに景色を眺めていた。おしゃべりな鳥の子もくちばしを閉じて、二人で泉の水が流れていく音に耳を(かたむ)けていた。 「助けてあげられなくて、すまなかった」  ふいに声をかけられて、ファニィはベルの頭の上に乗ったまま、くうーと鳴いた。 「これでよかったのよ」  すーっ……  流れ星が落ちていく。  鳥のファニィはくりくりした目に星の光を宿して言葉を続けた。 「ずっと()えてたんだけどね。わたし、がんばったけど、だめだったんだよ。気づいたら身体が勝手に飛びこんでたの」  ベルは静かに目を閉じた。彼女が飛び降りたとき、そばにいてやれなかった(くや)しさが心の奥底にどろりとこびりついている。  ファニィの明るい声がすさんだ気持ちを蹴っ飛ばすように聞こえてきた。 「ねえ、ベル。わたしも外に出てお日様の下を飛んでいくことはできるかしら? ずっとこの星空を見ていたら詩人になってしまいそうよ。たまにはひなたぼっこがしたいなあ」 「行ってもいいけれど、君の姿は誰にも見えないかもしれないよ。うっすらと存在を感じられる人ならいるかもしれないが」  地上に設置された、魔法の部屋と現実の世界を繋げる扉がある方を見下ろして、ベルは頭に生やした牡鹿の角を指でちょっといじった。 「猫がときどき何も無い空中を見つめている理由がわかったわ。きっとわたしみたいなのがいるのね」  ファニィはおどけてみせてから、彼の指にくちばしでそっと触れた。ベルはファニィのふさふさの頭をその指でなでてやる。 「君を追いつめて突き落とした奴はまだのうのうと生きているよ。そいつに()ってもいいのかい?」 「いいわ。見つけたらあいつの目玉をつついてやるんだから!」 「勇ましいことだ」  啄木鳥(きつつき)のように高速で嫌いな人の目玉を(えぐ)っているファニィを想像して、ベルはひっそり眉を寄せた。 「この姿になって不満なことはとくにないの。人の子はもうたくさん。苦痛はごめんだわ」  地を()う人間をやめた鳥の子はキッパリ生前の苦しみと決別した。    ベルは光の鳥を頭に乗せて空中庭園を一周した。ときどき手を振ると(そら)の星がきらめいた。赤や青の光がチカチカしている。  ファニィの体は青白くかがやいていた。最高の温度で魂が燃えている。 「ここにはブラックホールはあるの?」 「どうだろう。作った覚えはないけど、もしかしたらどこかに浮かんでるかもね」 「わたし、飛びこんじゃおうかな。慣れてるし。何でも吸いこむ暗黒の向こうに何があるのか見てきてあげる。知りたいでしょ?」 「君は勇気があるのか、怖いもの知らずなのか、わからないな。戻ってこられなくなるんだよ?」 「大丈夫。あなたが鈴を振ってくれれば、わたしは出口がどこにあるかわかるもの。すぐ飛んでいくわ!」  光も音も届かない「向こう側」へ呼びかけるには、それこそ魔法でも使わなければできないことだろう。  ファニィはベルの声を無視してパタパタ! と飛びたって星空をひとまわりした。ベルは顔を上げて目で追いかけられる範囲で光の鳥を(なが)める。広げた翼は彼女が人だったときの長い髪を思い出させた。  魔法の空間を飛び回る光の鳥は彗星(すいせい)のように尾を曳いて、螺旋階段と空中庭園をくるくるっと上昇した。だいぶ高い場所までいくと光の点になったので、そのまま星々のひとつに混ざってしまうのではないかと思われた。 「ファニィ」  ベルの不安は表情に出なかったが、闇にとけていこうとするかすかな光を声で(つか)まえようとした。  ふゅーーっ  音もなく、光の筋が天上から降りてきた。重力に任せて垂直落下してきた光の鳥を、魔法使いの青年は両手を差し出して受け止めた。シャラン。袖の鈴が鳴る。硬い脚、柔らかな羽毛。たしかにファニィに触れているはずなのに、「絶対にいる」と言いきれない曖昧(あいまい)な存在感がベルの感覚を(まど)わせる。  だから声をかけて確かめるのだ。 「おかえり」  ファニィは「くう」と鳴いて応えた。 「ずっと上には何があった?」 「なんにも。闇と星と、わたししかいなかった」 「あのまま行ってしまうかと思ったよ」 「くすくす。わたしがいなくなるとさみしい?」 「すこしね」  ベルのてのひらにちょこんと収まった鳥の子は、彼を見上げて小首をかしげた。可愛らしい仕草だ。ファニィのくりくりした目は片方で天を、片方で地を()ている。鳥は同時にふたつの世界を視界に入れる。  かつて少年もひとつの星になりたくて天を目指し、大地に落下したことがあった。 唯一の友達だった牡鹿は少年を追いかけて峡谷(きょうこく)(すべ)り落ちていった。角は大きな岩に激突したとき不気味な音と共に折れ曲がった。  ファニィはその目でベルを見つめたら、青年と牡鹿のふたつの魂を視ることができただろうか。 「わたしね、ずいぶん長いことこの宙を飛び回ってみたけれど、少しずつ遠くへ行けるようになったのよ」  ファニィは片方の翼を広げて「上」を指し示した。 「天井が見えてきたのかい」 「まだ見えない。うんと遠くにあると思う。でも、いつか行くのはわかってるの。わたしがそこへ行くのが先か、あなたがわたしを忘れてしまうのが先か」 「卵が先か、(にわとり)が先か?」 「はぐらかさないでよ。大事なこと言ってるんだから」  ファニィはくう~っと鳴いて威嚇(いかく)するようにバタバタ翼を広げた。  ベルはわざと話をそらそうとしている。 「さあ、僕はそろそろ寝ないといけない。君が添い寝をしてくれるなら、外に連れていってあげるんだけど」 「ねえ、また星を作ってよ。双子星がいい」  魔法使いを引き止めるようにファニィがだだをこねるので、ベルは肩をすくめて苦笑いした。シャラン、と袖の鈴を鳴らす。ファニィの後ろ、ずっと遠くの宙にもやもや広がる星雲の中に光がまたたいた。 「ごらん。新しい星が生まれるよ」 「わたしがあの星と友達になってずっとあっちにいたら、わたしのこと見つけられる?」 「できるとも。君が鈴の音に応えてくれるなら」 「わたしのこと忘れないでね」  自分の存在が希薄なものであると知っている光の鳥は、青年の肩に飛び乗るとあいさつ代わりに頭を押しつけた。頬にあたたかな光が触れる。ベルもそっと頬を寄せて目を閉じた。  次にベルが目を開いたとき、小さな鳥はいなくなっていた。けれど彼女の魂はまだここに存在している。細い光の筋は新しく生まれた双子星に向かってまっすぐに伸びていく。  青年は最後に鈴をひと振りした。  シャララン  光の鳥に届いたかどうかはわからない。  ベルはしばらくの間、彼方で赤く光る星雲を眺めていた。そしてため息をつく。 「はあ。……また失敗した」  魔法使いは頭に生えている牡鹿の角をそっとなでた。獣の魂と融合して自然の(ことわり)がわかるようになっても、生命を自分の意のままに操ることはできなかった。大賢人になるまであと何光年かかるのだろう。 「何度作っても、彼女は星になってしまう」  粘土で人形を作るのとは違う。魔法なら、記憶を核にして「ファニィ」を作ることができると思ったのだ。この星空は彼女への贈り物、そして彼女を閉じこめる鳥かごとして機能していた。  しかし、ベル自身にはファニィをそばにおいておくだけの引力が足りなかった。どうやっても光の鳥は彼方の星へ引き寄せられてしまう。 「ああ、早くファニィに逢いたい」  青年はかつての恋人の名をつぶやきながら、星の螺旋階段を下り始めた。彼女を追って自分も谷から落ちた。身を犠牲にして助けてくれた牡鹿の友情に感謝しながらも、生きながらえたベルの孤独は救われない。  友の魂を身に宿した魔法使いは、何度も光の鳥に呼びかけた。  シャラン シャララン  鈴の音が鳴る。なくした恋人の形見の品だ。次のファニィにもこの澄んだ音が聞こえるだろうか。
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