0人が本棚に入れています
本棚に追加
約束
「私どもにもノルマがありまして、あなたは幸運にも選ばれてしまったわけで、あなたがなんと言おうともあなたの魂を頂くことが決定致しました。つきましては、来年同じ日にお迎えにあがります。どうぞ余生をお楽しみください」
いきなり目の前に現れて、見たこともない奴が唐突に捲し立ててきた言葉の意味を理解するなんて到底無理だ。ましてや何度頭の中でリピートしたところで本当に意味のわからない言葉なのだから余計に。
ヒョロヒョロとした見た目とは裏腹に、低く渋い声を発したそいつは見たところ普通のサラリーマンにしか見えない。黒いスーツに紺のネクタイ。磨かれた靴もビジネスシーンでよく見かける。ハットは、まあ被ったりしないだろうけれど街の人混みでとりわけ目立つような姿はしていない。
だというのに、なにを言っているのだこのおっさんは。こういうのには関わらないのが一番だが、3年分の貯金で買った時計を見遣ると彼女との待ち合わせまでまだ時間はある。遅刻癖のある彼女のことだ。まだしばらく来ないだろうし、暇潰しの相手にはちょうど良い。どうしてこれだけ人がいる中からおっさんが俺を選んだのかは知らないが。
「あー、なにあんた。酔ってんの?」
「いいえ。アルコールはこの身を受けてから基本的には摂取しておりません」
「あー、じゃあなにキマってる?」
「このスーツですか? これは前回のリストの中に良い仕立て屋がいたので、仕立てて頂きました。良い出来でしょう? 良い仕事をする人でした」
「あー、噛み合わねー。もしかしてどっかから逃げてきちゃった?」
「いいえ。私は今仕事をしているところです」
「あー、はは。なにが仕事って?」
「魂の回収です」
どう見ても真面目な面と口調の癖に、二次元で出てくるような事象を言う姿が滑稽で吹き出した。
「あー、なに、魂って見えるもんなの?」
「いいえ。見えてはいません」
「それでどうやって仕事するっていうんだよ」
「私どもはリスト化してその時を確認するだけでして、勝手に回収されて行くものなのでそこには干渉しないのです」
「はは。なに、そのリストってやつは」
「魂の回収リストです」
「あー、もっとわかりやすく言ってくれる?」
「あなた方の言葉で言うところの『死』です」
ああこれはマジでやばい奴だ。自分のことを何かと勘違いしてしまっているらしい。
「で、そのリストに俺がいるとか言いたい話?」
「そうですね、来年の計画に入れさせて頂きました」
「はー、嘘だってのはわかりきってるけど……それ変えといてよ。もっと先がいいな」
「嘘ではありません!」
機械みたいな会話と表情しかしなかった癖に、突然その顔のまま大声を張り上げた。何人かこちらを振り向くほどに。
「あー、あんたにとってはマジなわけね。ごめんごめん」
「私どもは信用ならないですか?」
「あー、はは。なんかさっきから複数形で話すのがちょっと怖いんだけど組織的なやつなの?」
「ええ。もちろん。一人でこれだけの数の魂を管理するなんて到底無理ですからね」
「あー、あんたも大変だね。なんか頑張って。俺は力になれないけど」
「そんなことないです!」
今度はなにに必死なのか全くわからないが、ボリュームの壊れたスピーカーのような音量調整だ。耳がいつやられてもおかしくない。そろそろ関わるのをやめておくか。
「なんかよくわかんないけど、俺そろそろ行くね? あんたのこと信じてくれる奴が現れたらいいね」
くるりと体を反対にむけ、相手の顔は見ないままひらひらと手を振った。指の隙間を冬特有の冷たさが通り過ぎる。
「嘘ではありません!」
「……うっさ。はあ」
去ろうとした足を止めて再びおっさんに向き直す。
「とりあえず生き死にの嘘を言うやつって最低だからな?」
「嘘ではありません!」
「はあ……。そんなに言うなら証拠出してみろよ」
「これを」
いつからそれを仕込んでいたのかは知らないが、全く膨らみのなかった胸ポケットから、この季節にはあり得ないひまわりの花が一輪出てきた。いや、そもそもそのサイズに絶対収まらないだろう。
「あー、手品師だったって話?」
差し出されたそれを受け取りまじまじと眺めた。イメージ通りのひまわりで、触れればしっとりとまだ濡れている。生きた花だ。
「受け取りましたね。ちょうど一年後です。またお会いしましょう」
「はあ? 不可抗力だろ」
俺の言葉なんか聞こえなかったそぶりで、いきなりおっさんは文字通り闇に溶けた。
最初のコメントを投稿しよう!