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「30歳になってもひとりなら、お前とだったら結婚しても良いよ」
30歳までは結婚したくないけど、過ぎてもできる気しないなんて話をしていたら、携帯電話の向こうから冗談めかしに聞こえてきた声。それに"えー、ありがとう。法律上できないけどね"なんて笑いながら答えた。今思い返せば、内心は望んでいた言葉だったのかもしれない。
あの頃は、彼とたくさん話をした。演技学校で初めて出会ったときは、こんなに意気投合できるとは想像していなかった。自分にとって彼の第一印象は良いものではなく、愕然と“怖い“という感情が湧いたのを覚えている。怖いと言っても顔が厳ついとかではなくて、顔が整っているが故なのか、それに加えてあまり表情に変化が見えない無機質な感じが苦手だった。何を考えているのか読めない感じが怖かった。
その怖さがなくなったのは、舞台が終わった打ち上げのカラオケのとき。舞台といっても練習生同士の小さな発表会だけど。
自分が歌う順番が終わり、ひと息ついていたとき、突然彼が隣に座ってきた。
「あの曲好きなの?あの曲が使われてるゲーム知ってる?あれ面白いよね」
今まで話したこともなかったのに、急に話しかけられ少し焦ったが、その表情は無機質な印象とは遠く、むしろ無邪気に近い笑顔だった。そういえば、自分より年下だったな、なんてこの時に改めて気付かされたっけ。
これがきっかけで、一緒によくオンラインゲームをする仲になった。楽しすぎて夜から朝方にかけてずっと遊んで、夜更かししたせいで可笑しなテンションのまま、小さなことでお互いゲラゲラ笑ってた。
この時には“可愛い弟“、みたいな存在になってた。
身長は全く可愛くなかったけど。
ある時は、電話しながらお互いの好きなドラマ、昔ハマった曲、これから自分がやりたいこと、家の事情やお互いの恋愛感、何気ない話で盛り上がった後、このまま電話切るのも名残惜しいなと思っていたら、電話を繋げたまま寝ても面白いじゃん見たいな流れになって、お互い“おやすみ“なんて言って寝たこともあった。
朝起きたときに、電話から寝息が聞こえてきた。
携帯電話をそっと触れる。自然に口角が上がり、何かが満たされていく。
確実に自分の中で“可愛い弟“から変わっていったのは明らかだった。
自覚したのは初めて二人でカラオケに行った日だったと思う。
一度、直接会ってゆっくり話したいねなんて流れから、いつも夜に電話してた名残からなのか、カラオケなら夜通し場所を確保できるため、ついでにお酒とおつまみを買い込んで話そうってなった。それがいけなかったのか、今でも答えは分からない。
お酒の威力は怖いものがある。それに気づいたときにはすでに手遅れだ。
「なんか、可愛い弟みたい。ハグしたい」
「…してみる?」
意味不明なこと言ってる自分に、案外普通に乗っかってきたから驚いた。
彼が近寄ってきたので手を広げて胸に向かい入れてみる。案の定、自分の腕に収まるには猫背のように背中を丸める必要があり少々苦しそうだが、それよりも信じられないほど鼓動する自分の心臓と、身体全体で感じる彼の体温。自分が抱きしめているのに、自分の身体が何かに包まれている感覚が襲うのは、侵食するように心が満たされ始めているからなんだろう。
目を瞑って抱きしめていると、自分が身体を抱えられ上げ、膝の上に乗せられる。目を瞑っている状態でも確かに視線を感じた。そのまま触れるような感触を唇に感じたときからは、細かい記憶はもううる覚えだが、そのまま二人して抱きしめあったままだったのは覚えている。きっと、この先も忘れられないと思う。
それから、何回かこんな曖昧な関係が続いてから、関係が崩れ始めたのは早かった。崩れたというより、バランスが崩れてしまったというのが正しいと思う。
いつもの長電話が無くなっていき、彼はゲームの誘いにも乗らなくなった。そういえば、メールの返信も一週間以上かかるようにもなったっけ。
自分の気持ちばかりが止まらなくなっているのは明らかで、そんな自分がだんだん虚しくなっていった。けじめをつけるためにも、ダメもと告白したが、“今はそういうの考えられない“と、あっけなく振られ、そのあとに同じ演技学校の人とカラオケオールをしたと噂を聞いたときは、誰にでも同じことをしているのか、二人で過ごしたあの時間が一体なんだったのか、不信感しか募らなくなっていた。
それでも、連絡をとってしまいそうになる自分を断ち切るために心を鬼にする。演技学校もやめ、最後の仕上げに入る。
毎日、悔しいくらい泣いてしんどかったけど、もう思い出の工程へ進める必要がある。
僕は同じ画面で止まったままの自分の携帯へ改めて目を向ける。
“それ“を押す瞬間に頭をかすめる、約束でもなんでもないあの冗談とともに、ゆっくりと動かした自分の親指は、目的の場所に向けて、そっと画面に触れた。
Fin
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